不登校と生きる喜び
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不登校と生きる喜び

2019年09月07日(土)12:31 AM

 

 

 

 

 

毎年、文部科学省の学校基本調査が公表されます。児童生徒の大幅な減少傾向にもかかわらず、不登校(登校拒否)する子どもたちはすでに10万人以上となっています。

 

 

 

 

 

中学生は約50人に1人が登校していないことになります。冗談が過ぎると叱られるかもしれませんが、不登校の生徒が1人もいない中学校があったら「時代にとり残された学校」と言えなくもありません。

 

 

 

 

 

ここ数十年、不登校の克服に向けた学校の改善は、最優先課題として取り組まれてきましたが、不登校の子どもの数はとどまるところを知りません。

 

 

 

 

 

いったいこの現象をどう説明したらいいのでしょうか。

 

 

 

 

 

行き詰まった教育システムに対して「学校神話」の崩壊を指摘し、「この流れは必然的でむしろ歓迎すべきこと」と評価する識者もいます。

 

 

 

 

 

また、「不登校はどの子にも起こりうる」と文部科学省が明言したことによって、従来の「登校刺激」(登校を促す指導)は基本的に控えられ、子どもや親の意思を尊重したうえで、進級・卒業を弾力的に運用するようになりました。

 

 

 

 

 

さらに「出席扱い」を民間施設にも適用することを打ち出しています。

 

 

 

 

 

ある意味では不登校は「市民権」を得た、とも言えます。しかし、そうなったから増加の一途をたどったのでしょうか。

 

 

 

 

 

たしかにそういう面はあるのかもしれませんが、調査内容を含め現場に身を置くわたしとしては次の3点が気になります。

 

 

 

 

 

一つが不登校の長期化です。小学校で抱えた不登校の悩みが中学校になっても消えずに欠席を繰り返したり、中学校で不登校した生徒が高校進学後も登校できずに中退に追い込まれるケースが多いのです。

 

 

 

 

 

次はここ数年際立ってきた低年齢化の傾向です。これまで不登校は思春期の「問題行動」と見られてきました。

 

 

 

 

 

ところが小学校1、2年生の登校しぶり、あるいは幼稚園や保育園への「登園拒否」の相談は、過剰に不安を抱いている事例もありますが、かなり多くなっている実感があります。

 

 

 

 

 

そして3点目は高年齢化です。学校を卒業後、20代になって新たに就職拒否に苦しむ若者たちがいます。

 

 

 

 

 

闇に包まれた「不登校その後」が存在します。彼らは「仲間集団(人の輪)の中で人間関係をどう維持したらいいのかわからない」と悩んでいます。

 

 

 

 

 

団塊の世代が作り上げてきた自分中心の「一人称的生活スタイル」の中で幼児期・児童期を過ごし、思春期・青年期になって人間関係の取り結び方に躊躇しているのです。

 

 

 

 

 

ある少年は「けんかして仲直りできるコミュニケーションを学んでいたら、不登校をしなかった」と言いました。

 

 

 

 

 

人間関係の修復能力を身につけてこなかったことを嘆く彼には、対立が予想できる集団は煩わしく、怖いのです。

 

 

 

 

 

地域コミュ二ティの崩壊の中で「一人称」から他人とのかかわりの中で自分を見る「二人称」へシフトすることに苦しみ、不登校をする子どもたち・・・・。

 

 

 

 

 

いま学校に要求されているのは「一人称」の子どもを丁寧に受けとめるシステムづくりと、人と人との関係をコーディネートしていく力量です。

 

 

 

 

 

生きる喜び

 

 

 

 

 

努力して報われることもありますが、いくら努力しても報われないときもあります。

 

 

 

 

 

個人的な話ですが、わたしはいわゆる「学力」があまり高くはありませんでした。

 

 

 

 

 

生活力の面では自分でもたくましいと思うこともありましたが、国語や数学、英語といった勉強は、努力してもなかなか成果が上がらず、自分には馴染めないものになりました。

 

 

 

 

 

ただ唯一、社会科(公民)の政治経済だけは別でした。

 

 

 

 

 

さて、わたしの双子の娘たちが中3の高校受験を控えていたときのことです。

 

 

 

 

 

公立高校の推薦がほしくて、2学期には珍しく机に向かっていました。わたしの子だけに勉強には馴染めませんが、わが身の「危険」を感じて、そうも言っていられない様子でした。

 

 

 

 

 

「努力しても報われないときだってある」と励ましてはみても、特に「いつもわたしは報われない」と悔しがる妹の姿を見ているとわたしも切ない気持ちになってしまいます。

 

 

 

 

 

そんな複雑な思いで過ごしていたある日、わたしには忘れられないうれしいことがありました。

 

 

 

 

 

試験期間中、娘たちはあてにならないわたしに勉強について聞いてきませんでしたが、最終日の前夜、公民の教科書を差し出してわたしに声をかけてくれたのです。

 

 

 

 

 

「この範囲で、お父さん何が出るかな?」長女のすがるようなひと言に、わたしは俄然意欲が湧いてきました。

 

 

 

 

 

もちろん、わたしの苦手な数学や英語ではなくて社会科だったからです。

 

 

 

 

 

約30年ぶりに見る教科書に大いに戸惑いましたが、「三権分立」だけは分かりました。

 

 

 

 

 

「おい、これは出るぞ」、それしか言いようがありませんでしたが、娘たちに具体的に必要とされる喜びをもらって、大げさに言えば、わたしは「生きる喜び」を得ていました。

 

 

 

 

 

その時、高校1年で中退した少年のことがふと頭に浮かんできました。

 

 

 

 

 

彼は高校入学後、中学時代のように事がうまく進まなくなっていました。

 

 

 

 

 

八方ふさがりの状態に追い込まれ、ふさぎ込んでいく彼の姿は、父親の苛立ちを募らせました。

 

 

 

 

 

「いつまで腐っているんだ。やる気がないなら、学校をやめて働け!」父子の関係は話すほどに行き違いを生みました。

 

 

 

 

 

彼は面接室でこう言いました。

 

 

 

 

 

「我が子の子育てよりも、会社での子育てばかりしてきた父にとって、僕は必要な人間じゃないんです。

 

 

 

 

 

口先では『おまえのことはいつも気にしている』と言っていましたが、僕の気持ちを分かろうとしないし、具体的に僕に関心がないんです。

 

 

 

 

 

僕は父から一度も聞かれたことがありません。好きなタレントは誰か、担任の名前は、好きな音楽は、友だちとはうまくいっているか・・・・・・・」

 

 

 

 

 

人は具体的に関心を向けられたとき初めて「必要としている」というメッセージを受けとめ、応えようとします。

 

 

 

 

 

それが自分にとって関心を寄せてほしい部分であればあるほど、生きる実感も沸き起こってきます。

 

 

 

 

 

「生まれてこなければよかった」と自信をなくす子どもがいるとしたら、それは「あなたを必要としている」というメッセージが具体的にその子に投げかけられていないからなのだと思います。

 



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