ひきこもり・不登校の子供の親の声
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ひきこもり・不登校の子供の親の声

2019年09月05日(木)2:19 PM

事例 

 

 

 

 

 

娘は小学5年生の4月に体の不調を訴えました。そして、それから中学2年までの4年間、完全に学校を休んでしまいました。

 

 

 

 

 

中学3年になると、「高校へ行きたい」ということで自主的に、そしてマイペースの登校を続け、高校へ入学しました。

 

 

 

 

 

現在は大学1年生です。今回は、父親としてその間、どのように対応してきたかという立場でお話します。

 

 

 

 

 

当時は、父親としてなぜこうなったのか、ということはまったく理解できなかったし、やはり学校は行かなければならないものと思っていました。

 

 

 

 

 

ですから、不登校になってからの2、3ヶ月はなんとか学校に行かせたいと思い、会社から電話をかけて母親にいろいろと指示をしていました。

 

 

 

 

 

しかし、比較的に早い時期に関東自立就労支援センターのスタッフの方との出会いがあり、わたしの考えていたことと逆の考え方があり、子どもにすれば学校に行かないことも必要なのだということを知りました。

 

 

 

 

 

そうはいっても知ることと理解することは別のことで、娘のことを丸ごと受け止めるまでには2年くらいの時間がかかりました。

 

 

 

 

 

その過程で、他の不登校を抱える親御さんが言っていた「全世界を敵にまわしても、自分の子どもは自分で守っていく」という言葉の意味や、子どもが学校に行かないときに子どもにとって何が幸せか、何がプラスになるのかをしっかりと考えることの大切さがよくわかってきました。

 

 

 

 

 

事例    

 

 

 

 

 

次男が小学3年生から不登校でした。祖父母も同居しており、二人に不登校を理解してもらうのに苦労しました。

 

 

 

 

 

子どもは夜だけは、みんなが寝てしまうので安心できるようでした。

 

 

 

 

 

とにかく本人がやりたいようにさせてあげようと思い、昼夜逆転がいいのならそれでいいじゃないかと開き直りました。

 

 

 

 

 

中学生になってからの進級は、学校に対して「とにかく無理やり学校に行かせる気はありません」と言い続けてきました。

 

 

 

 

 

そして、子どもに対しては卒業をどうしようか、と問いかけてきました。

 

 

 

 

 

本人は考えた末に、「卒業証書はいらない。夜間中学に行きたい」という結論を出しました。

 

 

 

 

 

中学卒業だと夜間中学には入学できないので、中学校のほうは除籍にすることにしました。

 

 

 

 

 

除籍については、本人はすぐに受け入れました。その後、都内の夜間中学に入学し、年配の人や外国の人たちといっしょに学ぶようになりました。

 

 

 

 

 

その環境の中でとても大人になったと思います。たとえば、同じクラスでとても頭のいい、不登校をしていた子がいて、あるときふと「その子はどうして学校に行かなかったのかしら?」と聞いたことがありました。

 

 

 

 

 

息子は「過去は本人にとって大切なもので、他人がどうのこうの言うことではない。

 

 

 

 

 

僕は現在の彼が大切だと思う。彼の過去について何も知らなくてもいい」と言いました。

 

 

 

 

 

そう言われたとき、ほんとうにそのとおりだと思い、わたしが教えられる側になってしまったと驚いたものです。

 

 

 

 

 

夜間中学を卒業したあと、現在は都内の定時制高校に通い、生き生きと学んでいます。

 

 

 

 

 

事例

 

 

 

 

 

次女が小学5年生から不登校です。いじめられることが多く、胃潰瘍にかかったこともあります。

 

 

 

 

 

親は無理に行かせようとしましたが、効果はまったくありませんでした。

 

 

 

 

 

やはり中学も不登校が続きました。親切のつもりなのでしょうが、一度、中学の担任の先生がわたしの留守中に家に上がり込み、娘が閉じこもっている部屋に入り込んで激しく叱咤激励をしていきました。

 

 

 

 

 

それを知ったとき、初めて「自分が子どもを守らなくては」と思いました。

 

 

 

 

 

娘は、高校への進学を希望したのですが、学校側は希望校への書類をなかなか書いてくれませんでした。

 

 

 

 

 

それでもなんとか受験し、私立の女子高校に入学できました。

 

 

 

 

 

ところが、1年の2学期からまた行かなくなってしまい、その後中退してしまいました。

 

 

 

 

 

当時は、親として娘の教育をどうしようかと混乱していました。

 

 

 

 

 

あるとき、ネットで都内のフリースクールのことを知りました。自由な雰囲気がいいと思い、預けるつもりで訪ねたら、そこの代表の方から「本人がその気にならなければダメです。

 

 

 

 

 

まずは親が不登校について勉強してください」と言われました。ひきこもりや不登校の講演会に行くことを勧められ、実際に何回か聞きに行きました。

 

 

 

 

 

そしてそれがひとつの出会いになったのです。そのときの話によって、なぜ娘が不登校をしたのかということがようやく理解でき、心が軽くなりました。

 

 

 

 

 

娘は18歳になると高卒認定試験を目指し、まったくの独学で必要な単位をすべて取得しました。

 

 

 

 

 

今は、趣味やバイトに精を出しています。外国に行くのが夢で、バイトはその資金作りのようです。

 

 

 

 

 

親があれこれ干渉せずに本人に任せることが、結局はいちばんの近道であり、大切なことだったと今になってよくわかりました。

 

 

 

 

 

事例

 

 

 

 

 

長男が中学3年生、長女が中学2年生、次男が小学6年生です。3人とも丸4年間学校に行っていません。

 

 

 

 

 

長男は完全に学校を休むようになってからは、外出できなくなっていましたが、小学校を卒業してからは外出できるようになりました。

 

 

 

 

 

完全に行かなくなる以前は、「早く学校へおいでよ」というようなやさしい言葉が書かれた手紙がよく届けられました。

 

 

 

 

 

でも、実際に友だちに会うと、「ずる休み!」と言われていました。

 

 

 

 

 

長男はそのギャップに戸惑い、ストレスを感じ、荒れて家族に当たり、そのために弟が包丁を持ち出して長男に突きつけたことも何度かありました。

 

 

 

 

 

夫は当時、単身赴任をしておりわたしはなす術もなく、子どもの前で泣くしかできないこともありました。

 

 

 

 

 

兄弟同士が傷つけ合っている状況をどうにかしたくて、宇都宮の教育相談所に行きました。

 

 

 

 

 

そこでは遊戯療法を受け、1年3ヶ月ほどお世話になりました。ほんとうに助かりました。

 

 

 

 

 

子どもが3人とも学校に行かないのは家庭に問題があるからだ、という対応でした。

 

 

 

 

 

学校教育法第22条違反だということで、教育委員会から督促状が来たり、小学校からは進級にあたり、何かあったら困るということで、第三者を納得させるような資料を出してくださいと言われたり、念書まで書かされたこともあります。

 

 

 

 

 

長男が中学1年の夏に、わたしたち一家は栃木から熊本へ引っ越しましたが、やはり学校へは行けません。

 

 

 

 

 

けれども友だちはできました。熊本の学校の対応はゆったりとしており、栃木に比べて楽でした。

 

 

 

 

 

長男はこの5月から「定時制に行こうかな、勉強しようかな」と言っています。でも、実際は手つかずの状態です。

 

 

 

 

 

春からは、父親の働いている会社でときどきアルバイトを始め、ある意味では半分社会に出ている状態です。

 

 

 

 

 

それを見て周囲は、学校に行かなくてもちゃんと働けると結構安心しています。

 

 

 

 

 

兄弟3人を比べると、小学2年から学校へ行っていない次男が、いちばん常識にとらわれず発想が豊かです。

 

 

 

 

 

やはり、いちばん長く学校と関わった長男が、いちばん常識的な考え方をします。

 

 

 

 

 

この3人の子どもを見ていると、学校っていったい何なのだろうと考えてしまいます。

 



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