不登校・ひきこもりは時代を映す鏡
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不登校・ひきこもりは時代を映す鏡

2019年08月10日(土)11:35 PM

もうかなり前から「不登校」は「ひきこもり」につながるのか否かという論争があります。

 

 

 

 

 

両者の立場からもそれぞれ主張があるようですが、私はこの点について「イエスでもあり、ノーでもある」というのが正解だと考えています。

 

 

 

 

 

不登校からひきこもりに至る青年は無視できるほど少なくありませんが、ひきこもりに至るルートは不登校以外にもさまざまな入り口があります。

 

 

 

 

 

不登校がわが国の子どもの重要な課題となってずいぶん時間がたちますが、不登校の発現率は一向に減少する気配がないどころか、増加の一途をたどっています。

 

 

 

 

 

このことは一体何を意味しているのでしょうか。

 

 

 

 

 

その答えを「○○が悪い」といった類の発想で絞り込むことはおそらく間違いだと私は考えています。

 

 

 

 

 

そこで私は、不登校が現在の子どもの象徴的な社会現象の一つではないかと考えてみました。

 

 

 

 

 

子どもや青年の行動は、いつの時代でもその時代の精神を映し出す鏡ではなかったでしょうか。

 

 

 

 

 

では、不登校が映し出す時代感覚とは何なのでしょうか。

 

 

 

 

 

この点についてはいろいろな意見があろうかと思いますが、私は第一に、子どもの心の発達における猶予期間(モラトリアム)が大幅に受容される経済的先進国の余裕がそれではないかと思います。

 

 

 

 

 

そしてもう一つは、価値観がとことん相対化された高度な情報化社会における価値観の拡散状態です。

 

 

 

 

 

私たちは現在、大人になるために 20年以上の時間が与えられているという社会に存在しています。

 

 

 

 

 

もちろん現在でも義務教育、あるいは高校の終了とともに社会に出る子どもも存在するのですが、それも時代感覚に影響を与えるほど多くはありません。

 

 

 

 

 

多くの子どもは、自分の命をつなぐために働くという必要なしに青年時代を過ごすことが可能だと知っています。

 

 

 

 

 

また私たちは非常に発達した情報化社会に生きています。

 

 

 

 

 

それは、あらゆる事象についての「建前」はたちまち裏に隠された「本音」を暴かれ、何が正義なのか、何が信頼に足る真実なのか、何が尊敬にふさわしく、何が糾弾されるべきかわからない基準のあいまいな世界に生きていることにほかなりません。

 

 

 

 

 

もちろん、学校教育の価値も相対化の波を免れることができません。

 

 

 

 

 

学校へ行かないとちゃんとした人間になれない、学問は尊いものである、先生は尊敬されるべきであるなどといった学校をめぐる多くの「建前」は、マスコミがばらまく大量の情報によって、必ずしもそうではないことを今やだれでも知っています。

 

 

 

 

 

こうした時代感覚の中で育った現代の子どもは、学校が子どもを守り育んでくれるという神話を以前ほど信じようとしません。

 

 

 

 

 

ですから、学校が自分を苦しめると感じるとき、子どもは 10年20年前の子どもよりはずっと容易に学校を休むことができるのです。

 

 

 

 

 

しかし不登校を選択したあと、子どもが永遠に家にとどまり続けることはできないのです。

 

 

 

 

 

それに家にとどまることが必ずしも心の平安を意味しないことに子どもはすぐに気づくことでしょう。

 

 

 

 

 

しかし、悪くないことに、不登校を「休息と再出発の経験」として受け止めることを現代という時代は可能にしました。

 

 

 

 

 

しかし一方では、そのまま不登校状態にとどまり続けて青年期に至る子どもが存在しているのも現実です。

 

 

 

 

 

そのことをどう理解したらよいのでしょう。

 

 

 

 

 

子どもの不登校と青年のひきこもりは必ずしも同一のものではありませんが、似ているところもたくさんあります。

 

 

 

 

 

そこでまず不登校の子どもと親の関係について、私が感じているところを描いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

不登校は学校や仲間関係のストレスが苦しい、あるいは家族が気がかりでしかたがない等の感情が煮詰まった結果の社会的な回避行動です。

 

 

 

 

 

子どもにとって、そんな煮詰まった苦しい感情をいっぺんに軽くしてくれる方法、それまでつづいていた苦悩をうそのように消してくれる魔法、それが不登校だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

しかし子どもはすぐに、その魔法が存外はかないものだと気づくことになります。それどころかこの新しい生活は、新たな苦悩の種をはらんでいることを思い知らされます。

 

 

 

 

 

例えば、母親に近づきすぎていること、外の世界から遠ざかり過ぎていること等がそれです。

 

 

 

 

 

母親に近づきすぎていると子どもは一日中母親が気になってたまらない気持になり、母親を独占せずにいられなくなります。

 

 

 

 

 

そしてもしそれが男子なら、父親が怒っているのではないかと気になり、父親を避けるようになります。

 

 

 

 

 

このように不登校は男子であれ女子であれ幼児返りを刺激し、幼い気持ちを噴出させます。

 

 

 

 

 

その結果、子どもの心は不登校前のそれとは異質の、しかし負けず劣らず強いストレスにさらされることになります。

 

 

 

 

 

また、不登校を開始した子どもは、日を追って外の世界が遠ざかっていくという体験をしてるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

最初はそれが開放感を与えてくれるかもしれませんが、やがて自分はひとり取り残されたという気持ちが強くなります。

 

 

 

 

 

そして現実と向かい合うことが怖くなり、ますます母親にしがみつきます。

 

 

 

 

 

後で必ず罪の意識にさいなまれるのに、母親にしがみつき無理を言うことをやめることができません。

 

 

 

 

 

以上が不登校の直後に展開する嵐の不登校段階です。多くの子どもは、その段階を通過します。

 

 

 

 

 

懐に飛び込んできた子どもを「私しかこの子のつらさはわかってやれない」と直感して突き放さなかった母親、煙たがられながら子どもと妻の大接近を大きく見守り続けてくれた父親、社会とのパイプは決して閉じていないと温かい視線を向け続けてくれた外の世界の人物(教師、友人、相談者、医師など)、このような人々の存在(決してこれらのすべてが完ぺきである必要はないのです)に支えられて、多くの子どもは葛藤の少ない心静かな不登校段階に入っていきます。

 

 

 

 

 

心静かな不登校段階をそれぞれ固有の期間(数カ月~数年)過ごした子どもはやがて、外の世界に目を向ける時期に入っていきます。

 

 

 

 

 

父親を煙たがっていた息子が父親と平気でテレビを見ている、母親に幼児のようにまとわりついていた娘がイラストを描いては雑誌に投稿し始める、何気ない口調で「どこか僕が行けるようなところはあるの?」と質問してきます。

 

 

 

 

 

これらを社会との再会段階の幕開けを告げるサインなのです。

 

 

 

 

 

このようなサインに対して親は、「待ってました」とばかり、かさにかかって援助のシャワーを浴びせようとしてはいけません。

 

 

 

 

 

こんな時にもし、ちょうどよい橋渡しを提供してくれる居場所や人物(親以外であることが多い)のサポートが身近にあれば、子どもはどんなにか勇気を奮いおこしやすいことでしょう。

 

 

 

 

 

親や援助者は、そのサインを見逃さないようにしなくてはいけません。

 

 

 

 

 

本人は、その時に、元の流れに戻る困難さを強く感じているはずですが、それを乗り越えるためには元の流れは戻るだけの価値があるということ、いったん流れからはずれて再び元に戻ることは決して恥ずかしいことではなく、むしろ多くの能力を得て戻るのだということ、ある程度のつらさは我慢してでも戻ることが有意義だと伝える必要があります。

 

 

 

 

 

そして、そのきっかけをつかまなくてはなりません。

 

 

 

 

 

以上は児童思春期の不登校の経過と親子の心を示したものですが、ひきこもりの際の青年の心も基本的には同じです。

 

 

 

 

 

おそらく動き出すまでの心の軌跡も不登校の子どものそれと同様でしょう。

 

 

 

 

 

違うところは、年長の青年であるだけに対社会的な挫折感が義務教育期間の不登校の子どもよりずっと大きく、体格や体力が親を圧倒しているぶんだけ幼児返りした親への接近がより横暴な姿で現れやすいため、親が屈服し、事態を甘受してしまいがちということでしょうか。

 

 

 

 

 

それだけにひきこもり青年への援助は親だけに抱え込ませるのではなく、地域の精神保健福祉センターや保健所、教育機関あるいは民間支援機関などが連携し、青年に手が届く希望を提供しつつ、その実現を辛抱強く支援する一人ひとりの状況に応じた、いわゆるオーダーメイドの支援体制を各地域に創設する必要があります。

 

 

 

 

 

こうした経験を積み重ねることによって、不登校・ひきこもりの当事者だけでなく、家族も学校も、そして地域も大きく成長し、たくましくしなやかな心を手にすることができるのではないでしょうか。

 

 



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