ひきこもり体験記~27歳女性のケース~
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ひきこもり体験記~27歳女性のケース~

2019年07月29日(月)4:17 PM

私がひきこもったのは、高校卒業後のことでした。

 

 

 

 

 

高校時代はごく単純に、人から認められたいとか、この社会で無難に生きていく術だと考え、成績を上げようと考えていたのだと思います。

 

 

 

 

 

けれどもそのうち、「ロボットになりたい」と思うようになりました。

 

 

 

 

 

なぜなら、成績を上げても私自身非常にむなしかったからです。

 

 

 

 

 

寂しいとか、眠いとか、つらいとか、本当はやめたいとかコントロールのきかない人間の感情を否定したいと考えるようになりました。

 

 

 

 

 

今いる場所になじむより、早く逃げたいと思うようになっていたので、勉強をやめることができませんでした。

 

 

 

 

 

将来のためにと今を消費していくだけの毎日は、何か大切なものが欠落していく気がして悲しく思いました。

 

 

 

 

 

けれども私の心はかたくなになっていたし、こういう苦しさを自覚した時には、周りからもやんわりと遠巻きにされていて、もうどうにもできないと感じていました。

 

 

 

 

 

人の中での生きづらさが徐々に蓄積されていくうちに、「遠くへ行きたい」が私の口癖になりました。

 

 

 

 

 

家族がいて友達もいて、いじめられているわけでもないのに・・・・・・。

 

 

 

 

 

けれど私は、自分はひとりぼっちだと感じていました。

 

 

 

 

 

私は、自分が他人の目の中でかさばるような、できの悪い人間だと思い詰めていき、次第に学校以外の外出が苦痛になってきました。

 

 

 

 

 

大学受験に失敗したことをきっかけに、自分の存在を支えるわずかなプライドすら失って完全に動けなくなってしまい、その後、1年間自宅にひきこもりました。

 

 

 

 

 

空回りした努力のぶんだけ、いっそう自分がみじめに思え、人の中でどう生きていいのかわからなくなりました。

 

 

 

 

 

居場所もなくて家にいるしかなくなった私は、部屋の中にいて自分の存在がどんどん希薄になる恐怖に襲われつづけました。

 

 

 

 

 

「ただいる」だけだったことで、家族をひどく苦しませてもいました。

 

 

 

 

 

脳がとけて、すべての感覚が重く鈍くなるような不快感を感じていました。

 

 

 

 

 

「もう、どうでもいい」と思わなければ、死ぬことしか考えられなくなりました。

 

 

 

 

 

けれど、その間に痛いくらい思い知ったのは、結局のところ私は「人の中でしか生きていけない」ということでした。

 

 

 

 

 

だって私は、愛犬が人間になるなんてことを本気で必死に願っていたくらい、本当に人恋しかったのです。

 

 

 

 

 

「動けない!」

 

 

 

 

 

外に出たいと狂おしく思うのに、動けない日々が続きました。

 

 

 

 

 

私は一度失敗して負った傷のせいで、自分のすべてを存在ごと否定する自分と、「でも、あんなに頑張ってきたのに」と思う自分とに引き裂かれて、涙も出ないほど苦しい日々を送っていました。

 

 

 

 

 

日がな一日とらわれるのは、もう失った過去で、この時こうしていれば、こうしてもらえていたらとそんなことばかり思っていました。

 

 

 

 

 

でも結局は、自分がみんな愚かだったからなんだとも思いました。

 

 

 

 

 

けれどそれでは本当に駄目になってしまいそうになるから、自分とかかわったあらゆる人すべてを責めて責めて、でもそこからは何も生まれなくて、私は何も変われないどころか、内側からどんどん腐っていっている気がしていました。

 

 

 

 

 

「むなしい、辛い、淋しい、苦しい、どうして私がこんな目にあわなきゃならないんだ!こんなはずじゃなかった!」

 

 

 

 

 

「動きたい!外に出たい!ここから逃げ出したい!」心の底からそう叫ぶのに動けない自分が、いっそう憎らしい、情けない、自分で自分が「もうどうしようもない」と思い、もう死ぬしかないのかと思っていました。

 

 

 

 

 

カーテンレールにベルトをひっかけて、首をかけました。カミソリを手につけました。けれど寸前になって、死ねなくて、意気地がない、どうしようもないやつだと思いました。

 

 

 

 

 

けれど、「どうしてこんなふうに自分を責めなきゃならないんだ」とも思ってました。

 

 

 

 

 

「まだ、死にたくないよ。このままで終わりたくないよ。なんで私が死ななきゃいけないんだよ!」と叫んで泣いて、本当は生きていたいんだと実感して胸が熱くなりました。

 

 

 

 

 

耳の奥で爆音をたてる心臓の音を聞きながら、ほんの一瞬自分が心底かわいそうだと思いました。

 

 

 

 

 

こんな苦しみを、自分以外の誰もわかってくれない虚しさ・・・・・・。

 

 

 

 

 

そのころ思い知ったのは、世の中は単純だということです。どんなに強く思っても、私が動かなければ何も変わらないだけだということです。

 

 

 

 

 

日々も、時も、恐ろしいほど無頓着に流れていき、何も忘れさせてはくれないし、何も癒してはくれないし、まして何も変えてくれないままでした。

 

 

 

 

 

今日も昨日もこの前も何も変われなかった、明日もまたあさっても私は・・・・・・・。

 

 

 

 

 

私、何で生きているんだろう・・・・・・・そんなことばかり考えていました。

 

 

 

 

 

母親にぶつけた、18年の胸のうち

 

 

 

 

 

そんなある日、一緒に昼食を食べていた母親がふいに、「いつも昼食は一人だったけど、今はあなたと一緒でうれしい」と言いました。

 

 

 

 

 

私は思わず耳を疑いました。じんわりと広がる甘やかさ、くすぐったさをもてあまして、母親の顔を見れないでいました。

 

 

 

 

 

母親は完ぺき主義者で、いつも高みにいる、遠くて切ない存在でした。

 

 

 

 

 

私は、母親の期待をとことん裏切ってきた「失望の塊」でした。

 

 

 

 

 

今の私を、決して受け入れているはずのない母親が、ほんわりと言ったこの一言は、目の前がクラクラするほど強烈でした。

 

 

 

 

 

私は強く「母親にわかってもらいたい」と思ったし、わかってくれるかもしれないと思いました。

 

 

 

 

 

そして、「過去の私、今の私、このみじめで、でも頑張ってきた、それが全部裏目に出てしまった、バカな私を、こんな私の存在を認めてほしい」と強く思いました。

 

 

 

 

 

そうして、今まで一人自分のなかに閉じこめてきたすべてをさらけ出しはじめました。

 

 

 

 

 

毎日2~3時間、母親は黙って聞いていました。ほんの数カ月で、18年分を話した気がしました。

 

 

 

 

 

母親の「そんなことがあったんだ。気づかなかったよ、ごめんね」と言った言葉が印象的でした。

 

 

 

 

 

胸を腐らせていた孤独が次第に、洗い流されていくのを感じました。いつも上にて見上げるばかりだった母親が、今は、すぐ横にいてくれていると感じていました。

 

 

 

 

 

私は、自分は頑張ってきた、だから、この先があってもいいじゃないかと強く思いました。

 

 

 

 

 

「大丈夫、私はやれる」未来に光が差した気がしました。それからは、希望を持って自分で進路を選びました。

 

 

 

 

 

別の土地で私を知らない人の中で、生まれ変わりたい。一念発起して、家から離れた遠くの学校を選びました。

 

 

 

 

 

誰かを責めてもはじまらない

 

 

 

 

 

実家を離れて学生生活を始めましたが、思いに反して人の中での居心地の悪さは変わりませんでした。

 

 

 

 

 

うまく他人と関係を結んでいけないジレンマに、いらいらして自分を傷つけることまで覚えました。

 

 

 

 

 

このままでは、卒業してこの身一つになったとき、また生き方も居場所も見失ってしまうと確信しました。

 

 

 

 

 

すごく怖かったです。戻りたくない、絶対に、でもどうしたらいいのかわからなくてとても苦しみました。

 

 

 

 

 

半ば逃げるようにして実家に帰りました。けれど帰省のたびにごころがつぶされる思いがしました。

 

 

 

 

 

ひきこもり生活も 6年目に入った妹の存在が巨大化していました。

 

 

 

 

 

だれもが彼女に気を遣い、不安に思わずにはいられません。重苦しく、先の見えない日々が妹を中心に続いていました。

 

 

 

 

 

家の中は不気味に沈黙し、不吉の塊のようでした。もう傷つけるのが怖い、そんな思いから両親と妹の関係は、とても脆いものになっていました。

 

 

 

 

 

特に母親の接し方は、ぎりぎりまで気を遣ったわざとらしいものか、我慢の限界で思わず当たってしまうかのどちらかでした。

 

 

 

 

 

本当は妹の幸せこそ望んでいて、助けたいのにどうしたらいいのかわからない自分がもどかしいのです。

 

 

 

 

 

なのに、そんな深い親の愛情や本音がそこから伝わるはずがありませんでした。私は、妹の心が不信感でいっぱいになっていくのを感じていました。

 

 

 

 

 

本音で心を震わせられないいびつなコミュニケーションは、彼女をますます独りの世界に閉じ込めるばかりでした。

 

 

 

 

 

私は苦しい妹の気持ちがわかるから、彼女の味方でいたいと強く思いました。思うあまり、無理解な両親への批判が始まりました。

 

 

 

 

 

特に接する時間の多い母親には、母親としての今までのあり方まで責めました。

 

 

 

 

 

最初はかたくなに聞き入れなかった母親が、次第に黙って受け入れるようになり、時々自責の念に押しつぶされそうになっていく様子まで見えてきました。

 

 

 

 

 

私は自分のしていること、言っていることが正しいのかわからなくなりました。

 

 

 

 

 

疲れ果てた母の顔を見ると、何かが間違っていると思いました。

 

 

 

 

 

ある日、母親が泣きながら「私は父には溺愛されたけど、母親には母親らしいことを何一つしてもらえなかった」と言った瞬間、私は「ああ、だれが悪い、何が悪いと責めて、何かが変えられる問題ではないのだ」と思いました。

 

 

 

 

 

原因を探してもきりがない・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

「ひきこもり」の今、この状況から、どうしていくのか、どうしたらいいのか、この視点でなければならないと思いました。

 

 

 

 

 

責めるのはもうやめよう、一緒に「ひきこもり」に対峙しようと決めました。

 

 

 

 

 

私が兄弟の味方であるように、母親にも味方が必要だと思うようになりました。

 

 

 

 

 

それが、「親の会」との出会いでした。

 

 

 

 

 

「ひきこもる子を持つ親の会」との出会い

 

 

 

 

 

母親を誘って参加した「親の会」は、100人以上の人たちでいっぱいでした。

 

 

 

 

 

ひきこもりは自分だけが抱える問題ではないのだと実感し、正直驚きました。

 

 

 

 

 

親の会は、ひきこもる子を持つ親御さんたちが集まって、互いの悩みを打ち明けあったり、さまざまな講師たちから情報を得たりして、現状打開の方法を自分たちで模索し、互いに支えあっていく「自助グループ」です。

 

 

 

 

 

母親が、肉体的精神的に疲れ果て、足を運べなくなっても、私は体験者としてお手伝いしたいとの思いから関わり、月一回の例会の後には必ずそこで得た情報を元に、ひきこもりとは何か、私はひきこもりのとき、何をしてほしかったのか、どんな気持ちだったのかなどを母親と電話で話し、私たち家族はどう対応していくべきかを考え合いました。

 

 

 

 

 

 

目を背けてしまいがちな過去や痛みに、こうして考えることで対峙することができたことは、ひきこもりを引きずる私にとって、とても大きな意義がありました。

 

 

 

 

 

私はさまざまなひきこもりのケースから、ひきこもりには、「人の中での生きづらさ」が共通してあるのではないかと感じました。

 

 

 

 

 

それならば、やはり私はまだひきこもりでした。

 

 

 

 

 

勉強ばかりでエリートコースを歩んでも、学生生活や就職先での人間関係で潰れ、自室に閉じこもってしまうケースがひときわ胸に詰まりました。

 

 

 

 

 

勉強が将来を開くと私は思っていました。けれど、違っていたようです。人は人の中でこそ、生き生きと生きていく、やはり人とのつながりが大事なのだと実感しました。

 

 

 

 

 

その確信を強くするたび、私はわかっているのにできない、できそこないの自分が憎かったです。

 

 

 

 

 

外に出てよかったとは思うけれど、私はけっして幸せではないから、ときどき閉じこもる妹の部屋の前で途方に暮れていました。

 

 

 

 

 

生きていて楽しいとは思えない、そのくせ妹には部屋から出ようと言う、そのとき私はものすごく大きな矛盾と闘っていたと思います。

 

 

 

 

 

胸を張って、外に出ればいいことがいっぱいあると言えるようになりたかったです。

 

 

 

 

 

けれど現実には私は、放課後のみんなが帰った教室で、ようやく胸の底から息をしていました。

 

 

 

 

 

なのに、誰もいない寮に帰ることはすごく苦痛でした。すごく寂しくて、独りになりたくありませんでした。

 

 

 

 

 

居場所がありませんでした。いつも、胸にぽっかり開いた空洞が、ひゅうひゅう鳴いているようでした。

 

 

 

 

 

完璧でなくてもいいんだ

 

 

 

 

 

そんな私が袋小路から救われるきっかけになったのは、お手伝い先の「親の会」でお会いした、あるお母さんからの「会えてうれしいよ」という一言でした。

 

 

 

 

 

何をしてあげているわけでもない私が、どうしてそう言ってもらえるのかわかりませんでした。

 

 

 

 

 

私は毎回ただ親御さんのお話を聞くだけで精一杯だったし、それすら実は胃の痛くなる思いでいたのです。

 

 

 

 

 

そんな中で、この極上の一言とやさしい笑顔は胸にすうっと染みて、涙が出るほどうれしかったです。

 

 

 

 

 

そのお母さんに会いたいとの思いから次の会合に行き、会えたことを心の底から喜びました。

 

 

 

 

 

それからは、会合に行くたび会いたい人が増えていき、気づくと私は人との出会いを心から楽しむようになっていて、「人といることって、本当は居心地がいいんだ」と実感したのでした。

 

 

 

 

 

飛び込むまでは本当に怖かった場所で、いろんな人と出会い、いろんなつながりができました。

 

 

 

 

 

傷つき悩むことも多かったけれど、しだいにさりげなく支えてもらっているという実感が、私の存在を礎から安定させてくれるようになっていったように思います。

 

 

 

 

 

そうしたらあるとき、「私は完璧でなくてもいいんだ」と思えるようになりました。不完全がからこそ、支えあう喜びがあります。

 

 

 

 

 

それもまた居心地のよさの一つで、大事なのは相手を思う真心だと感じました。

 

 

 

 

 

だから私は、不器用な私のままでいいのだと気づいたのです。それからは、人の中にいて笑顔でいることが多くなりました。

 

 

 

 

 

心にやさしい隙間ができて、ささやかな愛情を一途に人に注げる自分になれたのです。

 

 

 

 

 

ひきこもりの経験はすごく苦しかったけれど、味わった底なしの寂しさのぶんだけ、今、まわりにいる人たちをこんなにも尊く思い、ただいっしょにいられるだけで大きな喜びに感じられているのだと思います。

 

 

 

 

 

私は今、人が好きだから人の中に生きていきたいと思うし、そういう気持ちをこれからも大事に育てていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

ここまで私を成長させてくれた、出会ってすべての皆様に感謝を込めて。

 

 

 

 

 

また、社会に大きな勇気をもって踏み出した、妹に心を込めて・・・・・・・・。

 



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