ひきこもり体験記~長い道のりを経て社会人へ~
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ひきこもり体験記~長い道のりを経て社会人へ~

2019年07月28日(日)1:19 PM

Aさんは、神奈川県生まれの東京育ちです。中学生までは優等生でしたが、中学3年のとき「敷かれているレールの上を素直に走っているだけ」の自分に疑問を感じはじめ、勉強や高校受験を拒否しました。

 

 

 

 

 

最終的には「進学校ではないところ」をと考え全寮制の高校に入りましたが、半年で中退してしまいました。父親の転勤に合わせて関西方面に引っ越したものの、退学した事実や先の見えない不安が重くのしかかり、以後5年間ひきこもりました。

 

 

 

 

 

最初の3年は一歩も外に出ない完全なひきこもり状態で、髪も背中の真ん中まで伸び放題、玄関から一歩踏み出しただけで怖くて汗が出るほどでした。

 

 

 

 

 

 

その頃は、とりつかれたように一日中本や新聞を読んでいたそうです。

 

 

 

 

 

21歳のとき、ここで区切りをつけなくてはと一念発起し、高卒認定試験に備えて予備校に自ら飛び込みで手続きをして入学しました。

 

 

 

 

 

高卒認定試験合格後、一浪して東京の大学に合格しました。就職活動の末、年齢制限ぎりぎりの20代後半で新聞社に記者として採用され、縁もゆかりもなかった九州に赴任しました。

 

 

 

 

 

現在は同社編集局に勤務しています。そのかたわら、ひきこもりの人のさまざまな悩みをもった人の自助グループを主宰しています。

 

 

 

 

 

僕はひきこもりから抜け出してから約15年経ちますが、ひきこもっていたときのことは昨日のことのように鮮明に覚えています。

 

 

 

 

 

「学校に行けない自分、アルバイトもできない自分」に対して自分自身を責め続けていた毎日を送っていました。

 

 

 

 

 

5年間独りぼっちで悩んだ末、たどりついたのが「背伸びしないで、あるがままの自分を受け入れること」でした。

 

 

 

 

 

ダメでもいいじゃない、弱くてもいいじゃない、そんな思いに至ったのは特別なきっかけがあったわけではありません。

 

 

 

 

 

「5年間という時間」が僕に与えてくれた答えなのです。

 

 

 

 

 

高校を中退して、5年間のひきこもり生活・・・・・・・・。そんなハンディを背負ってしまった自分には、選択肢はおのずと限られてきます。

 

 

 

 

 

「社会の底辺に生きている人たちと共に生きていく」、そんな目標をたて、まずは高卒認定の取得を目指しました。

 

 

 

 

 

その後は漠然と、福祉や医療系の専門学校に行くつもりでした。何か手に職をつければ、全国どこに行っても人の役にたてると思いましたし、国内が無理なら僕を必要とする人がいれば発展途上国にでも行こうとさえ考えていました。

 

 

 

 

 

ところが予備校で予想もつかないことが起きたのです。彼女ができてしまったのです。当時、僕は21歳でした。彼女いない歴21年が消えました。

 

 

 

 

 

3歳年下の彼女は同じく高校中退でしたが、僕よりも心の状態は不安定で、年上ということもあり、いろいろと相談にのっていました。

 

 

 

 

 

彼女には僕がひきこもっていたことは隠していました。

 

 

 

 

 

実体験の乏しさを読書等によって得た雑学でカバーしていたので、彼女は僕がまさか5年間もひきこもっていたとは思わなかったと思います。

 

 

 

 

 

もちろん僕から告白できるわけもなく、彼女から告白してくれました。

 

 

 

 

 

ひきこもりから抜け出て、いろいろとあきらめていたことがありましたが、女性とつきあうことが最も難しいと思っていました。

 

 

 

 

 

こんな自分を好きになってくれる女性なんていない、そう勝手に思い込んでいました。それがひきこもりから抜け出して 1年目で実現してしまうなんて、本当に生きていてよかったと思いました。

 

 

 

 

 

この恋愛によって、将来の目標が変わってきました。

 

 

 

 

 

彼女と一緒に楽しい時を過ごすために、何でもいいから仕事に就きたいと思うようになり、大学を目指すことにしました。

 

 

 

 

 

実はこの恋愛は半年ほどで終わってしまったのですが、彼女と再会したいという思いが大学入学、そして就職に向かっていく原動力になりました。

 

 

 

 

 

親が心配するから、世間の常識だからという動機づけでは、就職までの「いばらの道」は進んでいけなかったような気がします。

 

 

 

 

 

前に進むことに怖気づいてしまうことが何度もあったからです。

 

 

 

 

 

「大学に受かったけど、行かないのもかっこいいや」、入学式まで1カ月を切った三月。僕は一人部屋にこもり、自問自答を繰り返していました。

 

 

 

 

 

当時23歳で、現役の人とは 5歳も離れていました。入学式ではサークルの勧誘もなく、一人寂しくキャンパスを歩く姿しか想像できませんでした。

 

 

 

 

 

「はたして大学生活を続けられるのだろうか」、不安が毎日襲ってきました。

 

 

 

 

 

しかし、相談できる人はいませんでした。

 

 

 

 

 

今から思えば、同じような「いばらの道」を歩いた人の話を聞くことができれば、少しは気持ちが楽になったのにと思います。

 

 

 

 

 

悩んだあげく、生まれて初めて買ったスーツを着て入学式に臨みました。

 

 

 

 

 

案の定、もらえたサークル勧誘のビラは数枚で、辛くみじめな1日になりそうでした。

 

 

 

 

 

クラスの自己紹介では、ひきこもっていたとは言いませんでしたが、高校中退、、現在23歳であることは告げました。

 

 

 

 

 

すると、浪人経験のある学生2、3人から声がかかりました。さらにクラスに支援に入っていた上級生が、法学系のサークルに誘ってくれました。

 

 

 

 

 

この上級生は女性でしたが、救いの手を差しのべるために現れた女神のように感じました。こうして思いもかけずサークルに入ることになりました。

 

 

 

 

 

上級生たちは四年生でも年下でしたが、僕のことを呼び捨てで呼んで、新入生の一人としてごく自然に接してくれました。

 

 

 

 

 

これがすごく助かりました。何とか大学に居場所を見つけることができて通い続ける自信がわいてきました。

 

 

 

 

 

一年生の夏休み、アルバイトを初体験しました。学生相談所で見つけたデパートの配送の仕事でした。その後も短期間のアルバイトを続け、少しずつ自分ができることを確かめてきました。

 

 

 

 

 

あくまでも無理をせず、石橋をたたきながら少しずつ進んでいきました。二年生からは、飲食店と学習塾での長期のアルバイトを始めました。

 

 

 

 

 

僕はここでも人に恵まれました。何で大学に入ったのが遅れたのかなど、過去のことについて根掘り葉掘り聞かれることはありませんでした。

 

 

 

 

 

この二つのアルバイトは、居心地が良かったので卒業するまで続けることができました。

 

 

 

 

 

予想以上に大学生活は順調に進んでいったものの、「ひきこもりだった」ということを話せる人は一人もいませんでした。

 

 

 

 

 

人と親しくなっても何か違和感や距離感を感じました。まだ何かが足りない、もやもやしたものが僕を包んでいました。

 

 

 

 

 

そのもやもやが晴れたのは、3年前です。「ひきこもり」という状態から抜け出て 11年が過ぎたころ、勤めている新聞社でひきこもりの企画をやりました。

 

 

 

 

 

取材を通していろいろな出会いがあり、自助グループの必要性を強く感じました。

 

 

 

 

 

当時東京などにはひきこもりの自助グループはすでにいくつかありましたが、九州には当事者・経験者が中心のグループはまだありませんでした。

 

 

 

 

 

ほかの自助グループで知り合った仲間と、その年の五月から自助グループを始めたことが、就職できたことよりも自分にとっては大切なことでした。

 

 

 

 

 

同じような経験をした仲間とつながれた今の幸福感と安心感、これがずっと僕が求め続けていたものだったのです。

 



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