ひきこもり体験記~人を憎み、人を恨んで苦しんでいた~
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ひきこもり体験記~人を憎み、人を恨んで苦しんでいた~

2019年07月20日(土)9:20 PM

パニック障害、躁鬱病、摂食障害と診断された僕は、東北地方にある大きな病院の精神科で入退院を繰り返してきました。

 

 

 

 

 

一回目で七ヶ月、二回目で一年という入院を体験した後、僕の「ひきこもり生活」はスタートしました。

 

 

 

 

 

実際にはこのころ「ひきこもり」という言葉は世の中で今ほど使われていませんでしたが・・・・・・。

 

 

 

 

 

今から数年前は、世間の精神科に対するイメージは今よりもっと悪かったし、偏見ももっと強かったように思います。

 

 

 

 

 

そのイメージの悪さに、実際に精神科を退院したばかりの僕は非常に苦しめられました。

 

 

 

 

 

ときには外の空気でも吸おうと、家から出たときに近所の人はあいさつしてくれましたが、その後僕の姿が見えなくなると、きっとそんなふうなことを感じているのだと思ったら、玄関から外に出ることが怖くなってしまいました。

 

 

 

 

 

そんな僕を、周囲の人たちは「怠けているんだ」と言っていたようですが、それは違います。

 

 

 

 

 

ひきこもりの生活は、実に疲れるのです。

 

 

 

 

 

なぜならば、体は動かしていないからそのように見えるのかもしれませんが、頭の中では目一杯いろいろなことを考えているので、とても疲れるのです。

 

 

 

 

 

「怠けているんじゃない。できることなら外にも出たいし、仕事もしたいんだ」と叫びたい気持ちもありましたが、ひきこもりという状況の後ろめたさから、その言葉を口にすることはできませんでした。

 

 

 

 

 

他人に話しても解ってもらえず、疲れるばかりでした。

 

 

 

 

 

「もう、こんなことなら人と話すことをやめてしまおう」そう心に決めていました。

 

 

 

 

 

僕は世の中の人たちとの、ますますの距離を感じ、苦しみ、どんどん壁を作っていきました。

 

 

 

 

 

孤独感と不安でつぶされそうになった時、追い打ちをかけるように「うつ病」と「過食症」が僕を襲いました。

 

 

 

 

 

食べては吐き、吐いては食べる毎日でした。自分の体をコントロールできず、結局布団から起き上がれなくなりました。

 

 

 

 

汚い話ですが、おふろに入ることも歯を磨くこともできなくなっていきました。

 

 

 

 

 

布団に入っているからといって、熟睡できていたわけではありませんでした。

 

 

 

 

 

熟睡できれば少しは楽なのでしょうが、寝ているとも起きているともつかない状態で、時々自分で確認しなければ、生きていることさえ見失ってしまいそうなほどの濃い霧の中を独りでさまよっていました。

 

 

 

 

 

しかし、人の話し声にはとても敏感でした。

 

 

 

 

 

「うちの子はどうしてこうなってしまったのだろうねえ。これからどうなるのだろうね」というような家族の声は、さらに僕を苦しめました。

 

 

 

 

 

「それがわかったら、こうなっていないし、苦労しないよ。一番知りたいのは、自分自身なのに・・・・・・」そうつぶやいた後に、「ハー」とため息がもれました。

 

 

 

 

 

脳裏に浮かぶ「唯一、人のためにできること」

 

 

 

 

 

引きこもり生活には、考える時間だけはたくさんありました。

 

 

 

 

 

過去のことを考えれば、「あの時、~していれば」とか、「あの時、~さえしていなければ、こんなことにはなっていなかったのに」と悔やむことになるし、将来のことを考えれば、両親が定年になって働けなくなった後の生活のことが浮かび、「このまま自分が仕事に就けなければ、ホームレスになるしかない」「食べるものすら買えず、飢え死にするかもしれない」と不安になりました。

 

 

 

 

 

だからといって、現在も状況を考えてみても、「病院の多額の入院費や通院費をすべて出してもらってきたあげく、今は食費まで出してもらって食べさせてもらっている」情けない気持ちになりました。

 

 

 

 

 

考えれば考えるほど不安になり、「何とかしないといけない」と思いました。

 

 

 

 

 

でも何もできないし、何も変わりませんでした。結局、僕の存在自体が周囲の人たちに迷惑をかけることばかりなんだと露骨に見えてきました。

 

 

 

 

 

右を見ても左を見ても、唯一、人のためにできることといったら死ぬことかも・・・・・・、という考えがぼんやりと見えるだけでした。

 

 

 

 

 

考えることすべてが、ただ自分を責めていじめる材料にしかなりませんでした。

 

 

 

 

 

僕は大きなジレンマとストレスを抱え、今にもつぶれそうでした。時間だけは待ったなしに刻々と過ぎていきました。

 

 

 

 

 

焦る、焦る・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

いつものように、目いっぱい考えて大きな不安に襲われたある日の夜のことでした。

 

 

 

 

 

僕はふと隣の洋間のサイドボードにウイスキーが何本か入っていることを思い出しました。

 

 

 

 

 

「お酒を飲んだら少しは不安が減り、楽になれるのかな」と思った僕は、家族が寝静まるのを待って、その後こっそりと持ち出して飲みはじめました。

 

 

 

 

 

しかし、僕の思いとは裏腹に不安はますます強まるばかりでした。

 

 

 

 

 

家族がお金を払って買ってきたこのウイスキーを飲んでいることさえ罪に思えてきました。

 

 

 

 

 

どのくらいたったのでしょうか。僕は、気がつくと持っていたグラスを思いきり床に投げつけていました。

 

 

 

 

 

まるでピーンと引っ張り続けていたゴムがプチンと切れたかのように・・・・・・・。

 

 

 

 

 

ひきこもり生活で多くの不安や悩みを抱え、常に緊張状態だった僕が、ついに耐えきれずに切れた瞬間でした。

 

 

 

 

 

白いレースのカーテン越しに淡い陽射しが入り始めたころ、重い頭をやっと持ち上げて周りを見渡しました。

 

 

 

 

 

きらきらと輝くグラスの破片、真っ赤に染まったクッション、びしょびしょに濡れたカーペット、僕はウィスキーを飲んだことまでは何となく覚えていましたが、その後何が起きたのか思い出せずにいました。

 

 

 

 

 

「手首が痛い」そう思った瞬間に、ただならぬ事態に気がつきました。

 

 

 

 

 

家族が、泥酔状態でぼうっとしたままの僕をかかりつけの病院の精神科にかつぎこみました。

 

 

 

 

 

医師との話し合いの末、僕は3回目の入院を迎えるはずでした。

 

 

 

 

 

しかし、そこで「前回よりも長くなるだろう」と聞かされた僕はそれを拒みました。

 

 

 

 

 

「それだけの時間を入院に費やすくらいなら、同じ時間を使って自分で何とかできないだろうか?」そう考えたからです。

 

 

 

 

 

やれる自信も裏付けも、その時は全くありませんでした。

 

 

 

 

 

もちろん「入院をしたら、家族にまた迷惑をかけてしまう」という気持ちがあったのも事実です。

 

 

 

 

 

何も答えが出ないまま、何度かそこを行ったり来たりしていました。むなしさと傷だけが増えていきました。

 

 

 

 

 

僕を必要としてくれる人との出会い

 

 

 

 

 

そんな真っ暗闇の生活に、一本のかすかな明かりが見えた日、それはイラストとの出会いの日でした。

 

 

 

 

 

ある旅行会社の一人の営業マンが家を訪ねてきたことから始まりました。

 

 

 

 

 

「このような旅行のパンフレットを作りたいのですが、イラストを描いてもらえませんか?」

 

 

 

 

 

その営業マンは、ひきこもり中の僕にたずねました。

 

 

 

 

 

「どうして?」と思いましたが、話を聞いている間にその理由がつかめました。

 

 

 

 

 

かなり前のことになりますが、僕が大学に通っていたころの話です。

 

 

 

 

 

知人に頼まれて喫茶店で使うメニューをイラスト入りで描いてあげたことがありました。

 

 

 

 

 

偶然にもこの営業マンが、何人かでそこの喫茶店を利用した時に、そのメニューに目がとまったらしいのです。

 

 

 

 

 

しかし、頼まれても当時の僕には描く自信も気力もなく、断るしかありませんでした。

 

 

 

 

 

本来ならばここで終ってしまう話ですが、この営業マンは違っていました。

 

 

 

 

 

その後も、僕の状態を気遣いながら何度か足を運んでくれました。

 

 

 

 

 

そのたびにいろいろと話を聞いてくれ、励ましてもくれました。イラストのことで、営業マンは無理そうなことは頼んできませんでした。

 

 

 

 

 

「最初の締め切りは、描き上がった時でいいです。出来上がったら連絡をくださいね。私が取りに来ますから」僕の状況を考えてのこの言葉に、僕の気持ちは動かされました。

 

 

 

 

 

「外に出なくても、イラストは描ける」何となくできそうな気がしてきた僕は、「やるだけやってみましょうか」とボソッとつぶやきました。

 

 

 

 

 

今まで、「家族でさえも僕を必要としていないのではないか」と思い続けてきた僕が、必要とされる喜びを知った瞬間でもありました。

 

 

 

 

 

次の日から時間がたつのを忘れるほど、ひたすらイラストを描く日々が続きました。

 

 

 

 

 

描くことに集中していたら、不思議とくよくよと悩むことや不安に襲われることは少なくなっていったので、精神的にはかなり楽でした。

 

 

 

 

 

でも、さすがにブランクがあったことと、気分のコントロールが難しかったことで、最初からうまくはいきませんでした。

 

 

 

 

 

描こうとしても震えつづける手にも苦しめられました。

 

 

 

 

 

なかなか勘が取り戻せない日々が続き、もがいていました。

 

 

 

 

 

「やっぱり描けません」そう言って断ろうと思ったことも何度かありましたが、実際には口にすることはありませんでした。

 

 

 

 

 

この時の僕の心境は、「とにかく、あの優しい営業マンの気持ちに応えたい」その一心だったのかもしれません。

 

 

 

 

 

一度は人と話すことをやめ、強く閉ざした僕の心を、少しずつ開いてくれた営業マンだったので・・・・・・・。

 

 

 

 

 

このころから僕のひきこもり人生は大きく動き出しました。

 

 

 

 

 

僕を必要としてくれる一人の人間の存在を知ったこと、またその人間を信じることで僕の人生は天と地ほど変わったのです。

 

 

 

 

 

最初は、確かに怖かったし勇気もいることでした。

 

 

 

 

 

でも依頼されたイラストを描き上げるころには、少しずつ自由に楽しみながら描いている自分がいることに気がつきました。

 

 

 

 

 

だいぶ長い間忘れていた「楽しい」という気持ちがよみがえってきたのです。

 

 

 

 

 

また、描き終えたときの何とも言えない達成感が心地よかったです。

 

 

 

 

 

何となく、イラストを描くコツと生きるコツがつかめたような気がしました。

 

 

 

 

 

ひきこもっていた5年間が僕に教えてくれたこと

 

 

 

 

 

その後もイラストを楽しみながら描きつづけ、発信していたらたくさんの人たちとの出会いがありました。

 

 

 

 

 

そんな人たちの中には新聞記者もいて、地元新聞の記事にも出させてもらいました。また、その新聞を見た人たちの中から講演会やトークイベントの依頼が来ました。

 

 

 

 

 

最近では、ひきこもり当事者の居場所の代表もやらせてもらっています。

 

 

 

 

 

その居場所で僕がやっていることは、まさにあの営業マンが僕に対してやってくれたことです。

 

 

 

 

 

僕は居場所に来てくれる人たちがやりたいことを見つけるお手伝いをし、応援していきたいと思っています。

 

 

 

 

 

また僕自身も、その人たちとかかわることで、「ひきこもり時代」を隠すことなく、忘れることなく生きていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

一度は人を憎み、人を恨んだ僕だったけれど、そこに救いの手を差し伸べてくれたのもやっぱり人でした。

 

 

 

 

 

「ほんの少しの勇気と一つの出会いが大きく人生を変えることってあるんだなあ」と実感しています。

 

 

 

 

 

 

振り返って考えると、苦しかった 5年間のひきこもり生活が教えてくれたことはたくさんあります。

 

 

 

 

 

「楽しむことの大切さ」「笑うことの大切さ」「自分を信じることの大切さ」ほかにも書ききれないほどたくさんあります。

 

 

 

 

 

だから決して遠回りだったとは思っていません。一つ一つの大切さを心から知るには必要な時間だったと思うのです。

 

 

 

 

 

僕自身これからも表現力を高め、いろいろなイラストを描き続けたいし、詩やエッセイなども書いてみたいです。

 

 

 

 

 

また機会があれば、舞台や音楽にも挑戦してみたいです。やりたいことはたくさんありますが、絶対に「表現する世界」で生きていきたいと思います。

 

 

 

 

 

それは、人生という長い道のりの中で、僕が行き先を見失った時に与えてもらったたった一つの道しるべだからです。

 

 

 

 

 

とにかくこれからも背伸びをせず、小さくもならず、等身大の自分でゆっくりゆっくり進んでいこうと思っています。

 



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