ひきこもり体験記~いじめと母親との葛藤~
僕のひきこもりを含めての紆余曲折、迷路のような長い長い心の闇の中への旅の始まりは、中学一年生のときでした。
僕は、小学校のときに仲がよかった友達と別れて、地元の公立中学校に行かずに入学試験を受けて、東京都内にある私立の中高一貫教育の学校に入学しました。
しかし、その私立中学への入学は、自分にとって暗いブラックホールへの入り口でした。
入学後三ヶ月くらいしてから同級生によるいじめを受けるようになり、それが日に日にエスカレートしていき、まさに地獄のような毎日でした。
朝、目が覚めるとなぜか吐き気と腹痛に襲われました。
後になって思い返すと、あれは「あんな地獄のような場所に行きたくない」という自分の中の拒否反応だったのだと思います。
両親は、それを単なる「怠け」とみていたのか、学校を休むことを決して許しませんでした。
時には、朝、僕が家を出た後、ちゃんと学校へ行くように(逃げないように)父親が学校の校門までついてきたこともありました。
不登校の始まりと母親との葛藤の日々
そんな中でもなんとか一年を終えて二年に進級しても、相変わらずいじめは続き、二年が始まってわずか二週間あまりで、ついに学校を休み始めて不登校になりました。
結局、二年は学校に休学届けを提出して、丸一年行きませんでした。
でも、家にいるようになってからの毎日は、母親との葛藤の連続でした。
母親は僕が不登校になる前まで約七年、毎日仕事のために外へ出ていたのですが、僕のために仕事を辞めたので、日中家には僕と母親だけがいるようになりました。
母親は何とか勉強だけはさせようと、居間で僕につきっきりで学校の教科書を使って勉強をさせました。
母親は機を見計らって僕に、「どうしたら学校に行けるようになるのか」という話を持ち出しました。
そうすると僕は、時限爆弾のスイッチを入れられたように半狂乱になって怒り狂い、暴言を吐きました。
そんな毎日を送っていたので、振り返ってみると、その当時は、母親もノイローゼ気味になっていたのではないかと思います。
丸一年学校を休学した後、僕は復学をしました。
私立中学だったことや当時の校長の考え方で、義務教育中であっても、出席日数を満たしていない生徒は進級させないということで、本来なら一学年下にあたる人たちといっしょに、もう一度二年生として復学しました(現在は出席日数が足りなくても進級させるようです)。
すると今度は、三年の生徒(実際には僕と同学年の人たち。一年のとき、僕をいじめていた生徒も含む)からの冷やかしが待っていました。
わざわざ二年生の階まで大勢で来て、指をさして笑いながら・・・・・・・。
そんなことが毎日のように続いて、結局また一週間あまりで学校に行けなくなってしまいました。
ただそのときは、当時の二年生の学年主任の先生が、三年生の一部の生徒に厳しく注意したらしく、僕もそれを伝え聞き、二ヶ月ほど休んだあと、また学校へ通い始めました。
三年生からの冷やかしはなくなったとはいえ、本来なら一学年下の人たちと一緒ということもあり、同じクラスの人たちも、去年同学年にいなかったはずの僕のことを変な目で見ているようでした。
もともと他人の中になじんで溶け込むのが苦手だった僕にとって、学校での毎日は一年のときほどの地獄のような日々とはいかないまでも、孤独で居場所がなく非常に苦しいものでした。
それでも何とか通い続け、二年かかって二年生を終えて三年生に進級することができました。
しかし、三年になっても学校での毎日は、居場所がなく苦しいものであることに変わりはなく、三たび学校へ行けなくなってしまいました。
何とか出席日数は満たしていたので、入学から四年かかって中学を卒業しました。
「強迫性障害」との闘い
中高一貫教育の学校だったので、そのまま高校へ進学したのですが、最初の二日ほど通っただけで行けなくなり、休学届けを出して一年間休学しました。
翌年の四月、さらに一学年下の人たち(実際には二学年下)と一緒になって、二度目の高校一年生を始めたのですが、このときも最初の一週間通っただけで休学してしまいました。
今にして思えば、このころから僕は魂の抜け切った「生ける屍」になりかけていたように思います。
この二年間はまさに「ひきこもり」の状態でした。
たまに自転車に乗ってフラリとコンビニや本屋に出かけたりはしましたが、ほぼ家の中で過ごしていました。
この時期に自分が何を考えてどうやって過ごしていたのか、正直あまり記憶にありません。
一年後、退学届けを出して高校を中退しました。そして、「高校だけは出ておいたほうがいい」という両親の勧めで、通信制の高校に入学しました。
しかし、その数ヶ月前から僕は「強迫性障害」という精神的、神経的な症状に悩まされるようになっていました。
「そうしなくてはいけない」という強迫観念にとらわれて、手がカサカサになるまで洗面所で手をひたすら洗い続けたり、玄関の戸締りを何十回も確認しないといられなくなったり・・・・・・・・・自分でもどうしようもありませんでした。
四月には病院の精神科に入院しました。
このころの僕は、すでに感情をなくし、完全に心を閉ざしていました。
中学に入学したときから始まった、苦しいだけの毎日の「なれの果て」でした。
入院生活は僕にとって、「究極のひきこもり」状態だったように思います。
「強迫性障害」の症状の主である「強迫観念」によって、食事も水分もまともにとれなくなり、点滴をうってもらっていました。
もともと54キロあった体重が、40キロくらいにまで落ちていきました。
点滴をぶら下げながら、病棟内をウロウロ行ったり来たり・・・・・・・、誰ともしゃべらない、ニコリとも笑わない、外に出ることはほとんどなく、まさに「生ける屍」あるいは「歩く屍」と化していました。
結局、半年間入院することになりました。
デイケアに通い始める
退院後一年を経て20歳になった春、僕にとって立ち直るきっかけとなる場に出会いました。
ハローワークに僕の就労の相談に行った父親が、地元の精神保健福祉センターを紹介されて、そこでデイケアセンターに通うことを勧められたのです。
「デイケア」とは、自分と同じように精神科に入院していた経験があったり、精神的な障害をもっている人たちが通所する施設だと聞き、それならあまり苦がなく通えるんじゃないか、家にいるよりは、通えるところがあるなら行ってみようと考えて通い始めました。
スタッフの方々にとてもよくしてもらい、同じメンバーの人たちの中に話ができる友達も何人かできて、通い始めて何ヶ月かたったころにはデイケアの中で他人と話をしたり、人と一緒に活動することがわりとスムーズにできるようになりました。
デイケアは週四日で、僕にとっては小学校以来、毎日通っていて楽しいと感じられる場だったように思います。
デイケアに通い始めて二年ほどたったころに、僕にとって生まれてはじめての感覚が芽生えてきました。
デイケアのスタッフの方々には、作業療法士などさまざまな資格を持っている人たちがいて、スタッフの方たちの仕事ぶり(僕が目にしていた範囲だけですが)を見ていて、僕もこういう福祉の現場に携わる仕事がしたいと思うようになっていったのです。
そのころには、ずいぶん自分の感情を取り戻し、自分の中にも余裕やゆとりができていました。
自分自身で具体的に「こういう仕事がしたい」と思ったのは、本当に生まれて初めてのことでした。
当時の担当スタッフの方にも、週に一度の面接の際などに思いを常々話していて、そのスタッフの方や当時の主治医の先生および両親とも相談した結果、医療福祉専門学校に進学することにしました。
デイケアに通い始めたころから、週に一度、大学生の家庭教師に自宅へ来てもらい、通信制高校のレポートなども進めていたので、二年たった三月、22歳になった時に何とか入学から4年かかって通信制高校を卒業し、高卒の資格も得ることができました。
デイケアに通い始めて3年目の10月、僕が希望していた専門学校の社会福祉士の資格を目指す社会福祉科の入学試験(現代国語のペーパーテストと作文、面接)に運よく合格しました。
翌年の4月から専門学校への進学が決まったこともあり、デイケアに通い始めてからちょうど3年、23歳になった3月に退所しました。
デイケアでの3年間は、僕にとってとても大切な日々でした。
他人と話したり、他人の中で活動することに自信が持てるようになった場所です。
そして、福祉の仕事に就きたいという、将来への目標を見つけられた場所です。
今でも、そしてこれから先も、僕にとって大切な思い出です。
ようやく見つけた「ひきこもり」からの出口ですが、しかし、その後の道のりは決して平坦ではありませんでした。
希望に燃えて入学した専門学校での挫折
専門学校に入学した4月からは、それまでとは全く違った日常生活が始まりました。
同じ社会福祉科の同級生は、ほとんどが自分より5歳ほど年下でした。
学校は月曜日から土曜日まで週6日あり、講義、試験等のカリキュラムもぎっしりでした。
社会福祉科の80人が、全員同じ教室で講義を受け、同じ科目で 3時間ぶっ続け休みなしということもありました。
すべて当たり前のことなのかもしれませんが、3月までデイケアでの生活を送っていた僕にとっては、あまりにも急激な環境の変化でした。
将来、福祉の仕事に就きたい、社会福祉士になりたいという強い気持ちは変わらずあったので、講義内容も興味深いものが多く、ノートを取りながら集中して受けていました。
しかし、そういった日常生活が続くうちに、勉強したいという気持ちとは裏腹に、体と精神が押しつぶされそうになり、同級生との関係もあまりうまくいかず、自分の中で何かがおかしくなっていきました。
自宅に戻ると、一時期治まっていた「強迫性障害」の症状が再び強く出始め、学校では今までになかった被害妄想的な感覚に悩まされるようになったのです。
講義中、後ろの席の人たちが小声でひそひそ話をしていると、自分の悪口を言われているように思えて、頭の中がパニック状態になり、講義に集中しようとしてもできなくなっていきました。
結局、自分の中に「このままでは、また入院生活に戻ってしまいそうだ」と考えてしまうほどの限界を感じ、主治医の勧めもあって専門学校は 1年で退学することになってしまいました。
あれだけ強く志した勉強が、結局挫折してしまったことへの絶望感と、高い入学金、授業料を払ってくれた両親に無駄なお金を使わせてしまったという申し訳なさで、僕は完全に落ち込んでしまい、中学の不登校~精神科への入院以来、自宅にひきこもった状態に三たびなってしまいました。
再び「ひきこもり」の生活に
このころ僕の中には「死んでしまおうか」という考えがよぎるようになっていました。
自分は社会の何の役にも立たない、この世にいなくてもいい人間だ、生まれてこなければよかった人間だ、そんなふうに思うようになっていたのです。
今日までに僕が「死」を考えたのは、この時を含めて 2度ありました。1度目は中学1年の時です。
日に日にエスカレートしていくいじめと暴力によって、「このままでは殺される」という恐怖を感じ、そんな地獄のような毎日の中で学校の別棟の最上階で、窓枠に足をかけて何度も飛び降りる寸前までいったことがありました。
そして2度目がこのころです。
実際、ガムテープをもって、自宅からかなり離れたひと気のない場所まで車で行ったこともあります。
車の排気口をはガムテープでふさぎ、エンジンをかけたまま車の中で横になるのです。
これなら楽に、苦しまずに死ねる・・・・・そう考えたのです。でも結局、その場所まで行っても実行には移せませんでした。
「やっぱり生きよう」と、前向きに思い直したわけではありません。誰でもそうだと思いますが、自殺を実行に移すことは非常に怖いことです。
中学1年の時、窓枠に足をかけて飛び降りる寸前までいきながら、両腕で「ガッ!」と窓枠をつかんで、結局飛び下りなかった時も同じでした。
すでに24歳になっていましたし、一度専門学校という外の世界にも出てみたこともあって、今度はただ家にいるということが非常に苦痛でした。
10代でひきこもっていたころには考えもしなかった、「もうこのままずっと何もしないで歳をとっていくのだろうか」とか、「自分は結婚とか将来の仕事とかもできないうちに終わってしまうのだろうか」といった気持ちが募ってきたし、「とにかく何かやらきゃ」という焦りが常にありました。
数年の間、アルバイトを始めては辞め、始めては辞めるということを繰り返しました。
求人情報を見ては手当り次第に面接を受け、1週間働いては人間関係が理由で辞め、1か月休んでまた次・・・・・というような感じでした。
今でこそ「フリーター」という言葉がありますが、当時は履歴書を見て「25歳なのに、正社員としての職歴がないの?」と聞かれて、面接だけで落とされることもしばしばありました。
そんな中で気づいたのは、やはり「こんなことがしたい」という気持とか、やり甲斐とか、そういうことが全くなく、ただ漠然と始めたことは続かないものなんだということでした。
3年ほどたって、僕にとって今現在の活動につながる転機が訪れました。やはり自分は、福祉の仕事がしたいと改めて思い始めていたころに、それまでの間通っていた地元の地域生活支援センターの職員の方が、ホームヘルパー二級の資格を取得できる講座を紹介してくれたのです。
そこで 1か月半ほど月・水・金の週三日の日中に講義と実技を受け、最後に三日間の施設実習、1日のヘルパー同行訪問を経て、ホームヘルパー二級の資格を取得しました。
僕にとって、一つの資格という形のあるものを得ることができたことは自信になりました。
福祉関係の求人票を見ても、「ホームヘルパー二級以上」というのを採用条件にしてるところが多かったからです。
終わりに
中学以来、かなりの遠回りをしてきたけれど、人並みに「高校に進学して大学に行って就職して」というようなトントン拍子の人生ではなかったけれど、その経験を悲観的にとらえるのではなく、人にはできない経験をしてきた、無駄じゃなかったんだ、と冷静に振り返ることができるようになりました。
現在ひきこもっていて、家から出るところまでいっていない人、またその家族の方に、僕がここに書いたことが、少しでも明るいメッセージになったとしたらこんなに嬉しいことはありません。
ひきこもっていて生きる希望をなくしている人、あるいはいじめにあって自殺を考えたりしている人がいたら伝えたいです。
僕自身も何度も自殺を考えたり、「自分はいなくてもいい人間だ」「生まれてこなければよかった」と思った時期がありました。
それでも生きてきたからこそ、いろいろな人たちに出会えて、過去を冷静に振り返られるようになりました。
誰にも、どんな人にも、生きていれば必ずそんな「出会い」が、未来が待っているんだと思います。
僕の場合はそれがデイケアであり、福祉の仕事でした。
人によって形はさまざまだと思いますが、神様は不公平ではないと思います。
必ず「自分を元の状態、元の笑顔に戻してくれる人との出会い」はあるんだということを、今の僕は心から信じています。
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