いじめの苦しみ
ホーム > いじめの苦しみ

いじめの苦しみ

2019年07月17日(水)6:39 PM

ここ数年、いや数十年、前途ある子どもたちが、いじめの苦しみを一人背負い、かけがえのない命に自ら終止符をうっていきました。

 

 

 

 

 

心細さ、寂しさ、孤独感を誰にも打ち明けられず、人間への信頼感を得られぬままに無念の選択をしていきました。

 

 

 

 

 

そして、わたしたちは遺書を前にして、「もし親や先生に話していたらこんなことには・・・・・」「たった一人でいいから誰か相談にのってあげていたら・・・・」と自戒を込めて悔やみます。

 

 

 

 

 

なんとも切ないことですが、こうしたいじめは昨日や今日に突然起こったことではありません。

 

 

 

 

 

支配欲求を満たす人の「性(さが)」としていつの時代にも存在し、またこれから将来に向けて”根絶”できると胸をはって言い切れる大人もいないはずです。

 

 

 

 

 

ましてやいじめは、子どもの世界だけで起こることではなく、大人社会でも繰り返されています。

 

 

 

 

 

大人のいじめがなくせないのに、子どものいじめがなくせるはずがありません。

 

 

 

 

 

しかし被害者として、わが子が尊い命を自ら絶つ前に、純真無垢に育ってきた子が加害者にならないために、まるで死にゆく人を見向きもしないで、「見なかった、なかったこと」で忘れ去ろうとする傍観者にさせないために、せめてわたしたち親や教師、あるいは保育者は何ができるのでしょうか。

 

 

 

 

 

わたしは、いずれの子どもたちも表す「戸惑い」にいち早く気づき、近づき、その思いに耳を傾けることが何よりも大切なことだと思います。

 

 

 

 

 

誰一人、生まれ持って悪い子はいません。しかし、幼な子から成長していくなかで、子どもたちは何度も親に救い、保護を求めますが、真剣に、そのなんとも悔しい気持ちと向き合い聴いてもらえないことで、大人への信頼感を喪失していったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

そこで起こったのが、人間関係のゆがみとしてのいじめではないでしょうか。

 

 

 

 

 

関東自立就労支援センターの相談室には、他人には迷惑をかけない「いい子」を強いられたために、親にさえいじめの悲しみを吐き出せなかった子、自分の素直な気持ちを表現できず「ちょっと度が過ぎたいじめ」をしてしまったという子、無関心を装い、20代になってもその傷を引きずっている子などが、これからどう人間関係を作っていけばいいのかと悩み、苦しみ、訪ねてきます。

 

 

 

 

 

なにげないつぶやきやしぐさには、子どもがもっとも親や先生に分かってほしい重要な意味が隠されています。

 

 

 

 

 

だから面倒くさがらず聴くしかありません。それができなくなったとき、感情の行き違いが起きて子どもの声が”暗号”に聞こえてしまうのです。

 

 

 

 

 

いじめの被害者も加害者も、傍観者も、みんな持ちこたえきれない”心の傷”をいますぐにでもお母さん、お父さん、先生に聴いてほしいのです。

 

 

 

 

 

「気にしないふり」をしているみじめさ

 

 

 

 

 

わたしはいじめられて、母親の忠告どおり「わたし、気にしてないよ。平気よ」と表面では笑い飛ばしていても、心の中まで傷つかないようにすることはできませんでした。

 

 

 

 

 

いじめられても、父親は「怒ればいいんだ」と言うけれど、そうしたら「冗談のわからないやつ」と言われるだけなんです。

 

 

 

 

 

だから両親でさえわかってもらえないことを他人には言えませんでした。学校を休んだのは、”弱い人間”なんかじゃないんです。”病気”でもありません。

 

 

 

 

 

もう学校はわたしにとって”傷つく”場でしかなかったんです。

 

 

 

 

 

両親と姉の4人暮らしのA子さんは、幼稚園のときから姉は「かわいい」と言われているのに彼女は「体格がいい」としか周りの大人から言われなかったといいます。

 

 

 

 

 

小学校に入学しても、「デブデブ」と級友たちにからかわれました。そのうちに他人と自分を比較する癖がついて、他人から何かを言われそうで恐かったそうです。

 

 

 

 

 

太い、という事実を消そうにも消せずつらくなり、両親に胸の内を明かしました。

 

 

 

 

 

両親の「わたし、気にしてないよ」「怒ればいいんだ」の”励まし”の言葉は彼女の心を”傷つける”言葉にしかならなかったのです。

 

 

 

 

 

「デブ」は「関取」に”あだ名”が変わりました。中学1年の球技大会でのことです。バスケットボールの試合で彼女のフリースローで同点になるチャンスがありました。

 

 

 

 

 

そのとき突然、「デーブ、デーブ」と敵側の男子からデーブコールが連呼されたのです。

 

 

 

 

 

気にしないふりをして投げましたが、フリースローは入らず、試合は負けてみんなで泣いたそうです。A子さんも泣きました。

 

 

 

 

 

でもA子さんの涙は、ここまでして人に気を遣い、ごまかしている自分がみじめで泣いたものでした。そして自分を立て直し、生きていくために学校を休むようになったのです。

 

 

 

 

 

母親も父親も、子どものためによかれと思い、励ますような言葉をいつもかけていました。「いじめられても平気な顔をしていればいいのよ。そうすれば相手もあきらめるものよ。慌てたり気にしているそぶりを見せるとそこをつけ込まれるからね」というわけです。

 

 

 

 

 

そういう親の一方的な「押しつけの思いやり」に、いつも心のどこかで反発を感じていたのでしょう。面接室でA子さんは「心がいつも傷ついていた」とわたしに打ち明けたのです。

 

 

 

 

 

父親へのつぶやきも、父親の励ましが子どもへのプレッシャーになってしまった例です。

 

 

 

 

 

「俺だって小さいころはいじめられたんだ。でもな、向かっていったら相手はひるむもんだ。怒りを表に出せばいいんだぞ」とアドバイスしたのかもしれません。

 

 

 

 

 

でもここで大切なことは、誰もが「いじめられても、いじめ返せる」ものではないということです。

 

 

 

 

 

「いじめ返す」”根性”の前に、相手の”腕力”とのめぐり合わせもあります。もうその状況を抱えて、耐えているだけで十分努力しているのです。

 

 

 



メニュー

過去の記事

団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援