親がわが子を語るときの自分の闇
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親がわが子を語るときの自分の闇

2019年07月14日(日)10:28 PM

「わたしが一生懸命すぎたんですね。子どもにもなかなか恵まれなくてやっとできた娘だったんです。だから、なにかにつけかわいそうで・・・・・・、それでつい・・・・・」あと数年で定年を迎える父親は、すべての責任は自分にあるかのように、長女のA子さんとのこれまでを話し始めました。

 

 

 

 

 

「いや、わたしもお父さんにまかせっきりでした。たぶん娘との思い出は、お父さんよりもわたしのほうが少ないと思います。

 

 

 

 

 

それは、母親としてひと通りのことはしたと思います。でも、気持ちはいつも仕事でした。子どもが誕生したときも、主人の顔を見てもちろんうれしかったです。

 

 

 

 

 

でもやっぱり仕事で成長していく自分のほうがうれしくて・・・・・・。わたしは自分のことばかり考えていたんです。

 

 

 

 

 

だから今になって・・・・・・」やせて疲れたのど元をみなければ、父親と変わらぬ年齢であることが予想もつかない若さの母親でした。

 

 

 

 

 

母親は、1年前に「身を削る思いで」退職をひそかに決意し、数ヶ月前に「やっぱりこれしかない」と退社しました。

 

 

 

 

 

そして、父親がそんな母親の子育てを「まったく責めない」ことが、妻として「ありがたいが不安でもある」ようでした。

 

 

 

 

 

夫が何か、寝耳に水のような決断(離婚)でもしているのではという気も心のどこかに不安としてありました。

 

 

 

 

 

「わたしが子どもとの付き合い方を間違えなければ、妻にもつらい思い(退職)をさせないですんだと思います。

 

 

 

 

 

わたしは仕事では、最後には追いやられてしまう(昇給・昇格停止、出向)ような、うだつの上がらない人間なんです。

 

 

 

 

 

わたしはふてくされて言っているんじゃありません。妻と子どもを支えるのが自分の人生だと、あるときから決めたんです。

 

 

 

 

 

残業しなければ妻の給料に追いつかないことがわかったときは、男としてショックでした。みじめでみじめで、そんなわたしの格好のつかない気持ちもわからないで家で夫が一番偉いみたいなことを言ってわがまま放題に妻に頼みごとをしている母親(実母)がうらめしい存在でした。

 

 

 

 

 

ところが、それを叱ればすぐにすねる母親です。年齢(85歳)を考えれば、それ以上強く言えず、妻にずっと我慢させっぱなしです。

 

 

 

 

 

男も子育て、なんてあの世代の人たちにわかるはずがありません。それだけにいくら母親に言ってみたってしかたがないと・・・・・・。

 

 

 

 

 

妻はほんとうによくやってくれています。早く帰ってきたほうが夕食の準備をするのはあたりまえです。そんな両親の姿を娘は見て育ってきたはずなんですが・・・・・。

 

 

 

 

 

わたしが一生懸命すぎたんです。それがあの子にとってはプレッシャーだったんです」

 

 

 

 

 

父親はうつむき涙ぐむ母親をときに目でかばいながらも、思いを残さぬように吐き出していました。

 

 

 

 

 

A子さんが2歳離れた次女に比べて「劣っている」と両親が気づき始めたのは、小学校1年の夏休み明けのころでした。

 

 

 

 

 

父親が「今にして思えば、少しわがままに育てたかな」と感じた最初のできごとでした。次女が、A子さんが借りてきた色ペンを、誰のものか知らないまま使っていました。

 

 

 

 

 

そのときA子さんは「気がおかしくなったのか」と家族が思うほどに怒りをあらわにしました。

 

 

 

 

 

「それ、誰のものだと思っているの。どうしてくれるのよ。勝手に使わないでよ。もう学校に行けないじゃないのよ」

 

 

 

 

 

すると、妹である次女が姉に言い返しました。「あっ、ごめんね。でもね、そんなに大切なものなら、大切にしておけばいいでしょ。

 

 

 

 

 

わたしの大切なものを黙っていつも使っているのは、お姉ちゃんでしょ。おこづかいで買って返すわよ。友だちにあやまるよ」

 

 

 

 

 

父親は妹の賢さに妻を見て、姉のおどおどした姿に自分を見るようで、一瞬たじろいだといいます。

 

 

 

 

 

そして「どうした」と父親が慌てふためき2人に声をかけたそのとき、すでに姉は妹に我を忘れたかのように立ち向かっていきました。

 

 

 

 

 

その感情の高ぶり方も、父親にとっては「やはり血のつながった父娘」と思わないではいられませんでした。

 

 

 

 

 

ところが、もっと父親の心の傷がうずくことが起きました。姉は妹のかわし身の速さと思い切りのよさに、売ったケンカにもかかわらず負けてしまったのです。

 

 

 

 

 

小学生が保育園児に、姉が妹に、と思うと父親は「心にもない言い方」を妹にしてしまいました。

 

 

 

 

 

「悪いのはおまえなんだから、とにかくお姉ちゃんにあやまりなさい」すると妹は素直にあやまり、姉はぐずり続けました。

 

 

 

 

 

この間、母親は台所に戻り夕食の後片付けをし、祖母はふて寝をきめこんでいました。

 

 

 

 

 

父親は事の一部始終を最後まで見て2人をなだめ、結局、父親と「ふびん」なA子さんだけがその場に残されました。

 

 

 

 

 

高学年になるにつれて、妹の利発さが目立ち始めると、父親は、「平等に、平等に」、「比較してはいけない、比較してはいけない」と母親や祖母に姉をかばうように頼み込んでいきました。

 

 

 

 

 

A子さんの学力が「中の下」で落ち着いてしまったころ、父親は夢で彼女の不登校を見てしまったといいます。

 

 

 

 

 

父親にとって「かわいそうな娘に、してあげられる残された手立て」は、学習塾を見つけてあげることと、自分が可能な限り勉強を見てやることでした。

 

 

 

 

 

「幸い塾も見つかり、残業もなくなっていた」といいます。父親は中学2年まで「娘と体をくっつけてテスト勉強しても不自然ではなかった」が、世間の親から見たらズレていないかが不安でもありました。

 

 

 

 

 

 

ところが、母親が「うちでは母親と父親が逆ね」と明るく言ってくれていました。父親はその言葉で少しホッとしたりもしていました。

 

 

 

 

 

それでも3年生なったのをきっかけにA子さんを突き放すことにしました。

 

 

 

 

 

ところが受験期にもかかわらず、塾には通っても家で勉強する姿を父親は見ることがありませんでした。

 

 

 

 

 

帰宅後、その様子を見るのも父親にはつらかったようです。A子さんが父親に問い返しました。

 

 

 

 

 

「お父さん、どうしてそう、勉強、勉強って言うの」

 

 

 

 

 

父親は自分の気持ちに素直になってA子さんに勇気を出して言ってみました。「お父さん、勉強でわからないところを見てやろうか」

 

 

 

 

 

なにも取り柄のない娘が不憫だった父親は、悔いのない関わりがしたかったといいます。

 

 

 

 

 

A子さんは父親の力を借りて希望高校に実力で入学できたと、母親はいま”口惜しむ”のです。

 

 

 

 

 

高校はA子さんにとってレベルの高い場でした。ところがそこには、ずっとA子さんが探し求めていた友だちが不思議にもわずかですがいました。

 

 

 

 

 

見た目はヤンキーでも気持ちは優しくて泣き虫で、友だち思いの寂しがりやの仲間でした。

 

 

 

 

 

話せば話すほどみんな生き方が不器用で、自信がなく、そんな自分を見るのが嫌で、思い切り悪いことをしてしまう気持ちが、A子さんには理解できて救いにもなっていきました。

 

 

 

 

 

そしていま父親は、A子さんの外泊に悩みつつも内心では強くリーダー性をもった大黒柱として振る舞えない自分が中心となって「家族であること」を確かめていくことに自信もなく、疲れきっています。

 

 

 

 

 

それでもA子さんの言葉や心情を熱く語る父親に、母親が尋ねました。

 

 

 

 

 

「どうして、そんなにあの子のことを知っているの?」

 

 

 

 

 

「もしかしたら他の父親のように、何もわが子のことを知らない父親であったほうがよかったかもしれないな」

 

 

 

 

 

返す言葉に詰まる母親に、夫として父親がさらにわび続けました。

 

 

 

 

 

「”総領の甚六”か。できの悪い俺のほうが、できの良い医者の弟のところにいるよりも、母親も気楽に何でも言えるんだろうな。苦労かけるな」

 

 

 

 

 

すべてに自信をなくしている父親を見て、母親に妻としての安堵の表情がわずかに漂い始めていました。

 

 

 

 

 

夫に抱いていた不安(離婚)は自分の思い過ごしに感じられたのでしょうか。

 

 

 


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