コミュニケーション能力について
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コミュニケーション能力について

2019年07月13日(土)8:17 PM

会社の就職試験でも、面接が重要になってきました。どんどんコミュニケーションする自由が合理化、機械化されて省かれすぎたために、今度はその反動で”濃密”なコミュニケーションにあこがれるようになったからです。

 

 

 

 

 

そうすると、心を伝えられるようなコミュニケーション能力を持っている人が重宝がられるようになります。

 

 

 

 

 

そこで、面接も個別とグループでその能力を試されるようになってきたのです。

 

 

 

 

 

伝え合う力とは、人と関わっていくこと、そして人とわかりあうことをあきらめない力のことです。

 

 

 

 

 

ひきこもりは、コミュニケーション不全がその中心テーマです。それは、特別な子どもたち、若者たちのキーワードではありません。

 

 

 

 

 

高度経済成長を礎にできた、現代を生きるすべての老若男女に課せられたテーマです。

 

 

 

 

 

学校や職場にいても、人との触れ合いから身をかわし、”仕事一筋”で自己防衛している人は少なくありません。

 

 

 

 

 

そのひきこもり世代が今、父親になり、母親になり、先生になっているのです。

 

 

 

 

 

そう考えれば、男女関係に間の取れないストーカーも、子育てのわずらわしさに耐えられない幼児や児童虐待も、時代が生み出した病理かもしれません。

 

 

 

 

 

学校・職場・家族・地域で起きる問題は、わたしたち一人ひとりが築いてきた人間関係と無縁ではないということです。

 

 

 

 

 

子育てを担ってきた団塊世代は、個性尊重を目指しながら一人称のライフスタイルを推し進めてきました。

 

 

 

 

 

団塊世代は、人間関係のしがらみや、そこで生きる知恵を、親の世代から見て学んできている人たちです。

 

 

 

 

 

二人称、三人称の人間関係を知ったうえでの個性尊重なのです。

 

 

 

 

 

ところが、団塊ジュニアはその二人称、三人称の体験が希薄だったのです。

 

 

 

 

 

親の世代は子どもたちに、相手あっての自分らしさを伝えていけなかったのです。

 

 

 

 

 

だからあの映画は、日本の高度経済成長の中にあっても、お正月の顔として多くの人たちに支えられたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

「そりゃあそうだよ。それを言っちゃあおしまいよ」でおなじみの『男はつらいよ』の寅さんです。あの映画にはけんかをしても必ず仲直りをする、せめぎあって、折り合って、お互い様の世界があります。

 

 

 

 

 

人と人とが共に生きること、その悲喜こもごもに団塊の世代は懐かしさを抱き、その子どもたちは手にすることのできない憧れを抱くのかもしれません。

 

 

 

 

 

双方向のコミュニケーション、すなわち「ツー・ウェイ・コミュニケーション」は、相手の中に踏み込んでいくので時に嫌われたり、拒絶されたりすることもあります。

 

 

 

 

 

また、自分が相手にノーと言いたいこともあるでしょう。

 

 

 

 

 

傷つくことを承知で相手に気持ちを伝える”渡り合う”ための力のもとが父性性と言えるでしょう。そして、その父性性を強く感じさせるのが世の中に出て稼いでくる父親なのです。

 

 

 

 

 

もちろん最近では、女性の社会進出が盛んになった環境の中で、父性性をいかんなく発揮している母親も少なくありません。

 

 

 

 

 

とはいえ、社会の中で生きていくコミュニケーションの知恵は、どうしても父親に求めてしまうようです。

 

 

 

 

 

だから男子の家庭内暴力は、10代は母親に向かっても、20代になってアクティブなコミュニケーションを求められると父親に向かっていくのです。

 

 

 

 

 

また、人を信じてみようかなと当てにする力は母性性であり、しっかり受けとめてもらう一対一のコミュニケーションとも言えます。

 

 

 

 

 

今の子どもたちの心の中は、母性性で覆い尽くされてしまっていて、父性性が身についていないように感じます。

 

 

 

 

 

だから社会に出るのが恐い、そして現実に地に足をつけている父親が、あるいはキャリアウーマンとしての母親がまぶしく見えるのです。

 

 

 

 

 

「僕はほんとうに父性性を身につけてきたのだろうか」と思ったとき、子どもはその一番の当事者である父親を強く求めていきます。

 

 

 

 

 

しかし悲しいことに、それまで会社人間だった父親であれば、子育てに対する”怠慢”という事実をつきつけられたとき、なかなか反論できません。

 

 

 

 

 

「父は会社の子育てばかりして、俺の子育てをしてこなかった」、「作りっぱなしの父親、産みっぱなしの母親」とわが子に言われる親の切なさはどうでしょうか。

 

 

 

 

 

「わたしは一生懸命働いてきました。家族のために給料もちゃんと入れてきました」と多くの父親は面接室で言います。

 

 

 

 

 

「考えてみたら、うちの親なんてわたしよりもひどいものでした。何もわたしに関心を持ってくれませんでした。基本的にはほったらかしでした。

 

 

 

 

 

わたしはむしろ、3歳くらいまで子どもとよく遊んで、山や海によく行きましたよ。子どもは親の背中を見て育つと言うじゃないですか」。

 

 

 

 

 

親の背中を子どもに見せるとはどういうことなのでしょうか。わたしたち親は、日ごろから本当に悲喜こもごもを子どもの目の前で語ってきたのでしょうか。

 

 

 

 

 

背中とは、弱音や愚痴のことなのです。生きていたら隠しようもない、さまざまな弱さなのです。あるお母さんが面接のときにこう言いました。

 

 

 

 

 

「わたし、主人のことで知っていることは、どこそこの会社の部長である、ただそれだけなんです。どんな人たちと、どんな仕事をしているかはまったく知らないんです」

 

 

 

 

 

ある青年はこう言いました。「僕が父親のことで知っているのは、どこの大学を出て、どこの会社に勤めているか、ただそれだけなんです」

 

 

 

 

 

月に一度の給料を運ぶ姿だけではなく、そこまでのプロセス、悲喜こもごもを分かち合うということです。

 

 

 

 

 

「今日の会議は長引きそうだ・・・・・・。あー、行きたくないなあ」

 

 

 

 

 

「あの上司、役員の前に出ると調子がいいんだよなあ・・・・」

 

 

 

 

 

「今月は営業ノルマを達成できなかったなあ。また上司に嫌味を言われてしまうなあ・・・・・」

 

 

 

 

 

父親はいろいろなことを考えながら会社に向かっているはずです。そんなリアルな気持ちを抑えこまずに子どもに、奥さんに少しでも見せてほしいのです。

 

 

 

 

 

気負った背中だけでなく弱腰の背中も見たいのです。それが誠実に生きている姿であり、人の持つ健気さです。

 

 

 

 

 

健気さを夫婦で、親子で感じあっていますか?父性性とは、闇が見えたとき、それでも人間関係に期待を寄せて紡ぎ合おうとするあきらめない力です。

 

 

 

 

 

子育てにやり直しはききません。でも、見直すチャンスはいくらでもあります。気づいた今日から、はじめの一歩です。

 

 

 

 

 

重要なことは、子どもとしっかりけんかして仲直りできる関係です。そんな営みをしてほしいと思います。

 

 

 

 

 

けんか即決裂、自分の意見を譲ることは敗北などとは思わないことです。

 

 

 

 

 

もしも子育てのやり直しをしたい、もう一度子育てをしたいと願うなら、これからまた20年、30年かけて始めればいいのです。

 

 

 

 

 

やり残したことがいっぱいあると感じたら、気づいた今日がそのはじめの一歩です。

 

 



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