子どもの不登校を経験した母親の声
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子どもの不登校を経験した母親の声

2019年06月21日(金)11:42 AM

現在23歳の長女が8年前に中学3年で不登校を経験しました。小学校6年生のときには、児童会の会長に選ばれたり、校内の持久走の大会で1位を新記録で獲得するなど、「あの時は、いい波に乗っていた時期だった」と、あとで本人が言っていましたが、活発なところと非常にナイーブな面とを持つ、親にとってはわりに育てやすかったというか、手のかからない子どもでした。

 

 

 

 

 

中学校へ入ってからも、担任の先生から「真面目で何の問題もない子です」と言われました。

 

 

 

 

 

ところが、学校へ行けなくなったとたんに、「問題のある子」として扱われることになったわけですから、親としては180度の転換に慌てるどころか、頭の中が完全に混乱してしまいました。

 

 

 

 

 

はじめのうちは、「なんとかして学校に行かせなければ」と、それだけしか考えませんでした。

 

 

 

 

 

当時は、不登校という言葉があまり耳慣れない時代でしたし、それだけに親の迷いも多かったのです。

 

 

 

 

 

それに、わたしたち夫婦は教員をしていましたので、子どもが学校へ行けないということで、そのころのわたしとしましてはとても肩身が狭かったし、周囲の人に気を使ったこともありました。

 

 

 

 

 

そうこうしているうちに、長女が体の不調を訴え、体に症状が出はじめたのです。

 

 

 

 

 

朝起きられないし、数日は風邪かな、疲れかなくらいに思っていたんですが、頭痛、腹痛、吐き気までして朝になると熱を出し、午後になると下がるのです。

 

 

 

 

 

いったいこれは何なのかと思い、内科のお医者さんに行って薬も飲ませたのですが、ちっともよくなりませんでした。

 

 

 

 

 

別のお医者さんを紹介していただき通いましたけれど、「何でしょうね」とお医者さんまで迷わせてしまいました。

 

 

 

 

 

とうとう、わからないままに学校を休ませていたのですが、ある日、夜中に発作を起こしました。

 

 

 

 

 

体が硬直し、手足が冷たくなってきたので、慌ててお医者さんに電話を入れましたが断られ、救急車を呼ぼうかと思ったのですが、とにかく体を暖めながら夢中でマッサージをしましたら目を開けて、体を起こすことができました。

 

 

 

 

 

とにかく体の症状がさまざまに出てしまうから、無理には学校へ行かせられません。

 

 

 

 

 

そのために、学校へ行くの行かないのという親子の葛藤はわりに少なくてすみましたけれど、その後も親はどうしたらいいのかわからず、迷いに迷ってしまいました。

 

 

 

 

 

学校へ無理して行かせないということで、本人もいくぶん楽になったようでしたが、親にとって次に困ったのは、学校とのやりとりでした。

 

 

 

 

 

学校へ呼ばれ、担任だけでなく、何人かの先生方の前で、「お子さんはいつごろ学校へ出てこられますか」と聞かれました。

 

 

 

 

 

そんなことわかるわけないじゃないか、わかっているなら親は悩まない、と心のなかで思っていたのですが、そのまま言えるわけがありません。

 

 

 

 

 

だから、「体の具合がよくなったら出すようにします」などと、自分としては納得のいかないことを言いました。

 

 

 

 

 

ちょうどそのころ、クリニックへ通っていましたから、あるとき学校の先生言ったんです。

 

 

 

 

 

「専門の先生にうかがったら、少しそっとしておいたほうがいいと言っていました」と。

 

 

 

 

 

そうしたら、その後はあまり言われなくなりました。専門家っていう言葉は効き目があるんだなとそのとき思いました。

 

 

 

 

 

使ったのはそのときだけだったのですが・・・。

 

 

 

 

 

長女は、その後もずっと学校へは行けませんでした。卒業できるか?という不安はたいへんなものでした。

 

 

 

 

 

幸い、学校の配慮があり卒業の見通しがついたときはホッとしましたが、卒業式には出られなかったので、わたしが我が子のいない卒業式に出席しました。

 

 

 

 

 

式が終わるまで、時間がとても長く感じられて、いたたまれなかったことを今でも忘れられません。

 

 

 

 

 

高校はなんとか合格しました。これにもいろいろありまして、試験の日が大雪で交通機関の乱れがあって、試験場へ行けなかった受験生のために追試が認められたのですが、試験日に体の調子が悪くて行けなかった娘は、追試に便乗できて合格しました。

 

 

 

 

 

実にありがたい大雪でした。高校が受かったんだから、今度は学校へ行くだろうと親はひそかな期待をもっていました。

 

 

 

 

 

制服を作り、カバンも靴もそろえ、入学金も払いましたけれど、学校へは数日しか行けませんでした。

 

 

 

 

 

入学後、休学届、復学届を3ヶ月ごとに繰り返し出したのを覚えています。結局、高校は1年で中退しました。

 

 

 

 

 

中退届を出すと同時に、通信制高校へ手続きして入ったのですが、これも行けませんでした。

 

 

 

 

 

学校へ行く回数が少ないから行けるかと思ったんですけど、回数が少ないからといって行けるということではないようです。

 

 

 

 

 

長女は、学校から離れて一時期気分的に楽になったと思っていたら、今度は本人に不安が巡ってきました。

 

 

 

 

 

気持ちが不安定になり、閉じこもり、何日か食事もろくにとらない日もあり、ふらふらになってしまったり、風邪薬をたくさん飲んでしまったこともありました。

 

 

 

 

 

しばらくの間は、薬箱も見えるところには置けない時期もありました。

 

 

 

 

 

しかしその後、自力で勉強をはじめて、高卒認定試験(旧大検)を受けました。

 

 

 

 

 

高校にほとんど行っていませんからたいへんだったと思いますが、11科目受けて10科目が合格しました。

 

 

 

 

 

残りの1科目の受験は、「大学へ行くつもりはないから、自分の力がわかっただけでいい」と言ってやめました。

 

 

 

 

 

残りは1科目だから取ってしまったらいいのに、という気持ちも親にはチラッとあったんですが、本人の意思に任せました。

 

 

 

 

 

高卒認定試験の勉強と並行して、通信制の美術の学校へ入りましたが、これは結構続いています。

 

 

 

 

 

「今、振り返ってみて、遠回りして回り道もしたと思うけど、このことがあってわたしの人生無駄ではなかったんじゃないかと思っている」と、あるとき我が子が言いました。

 

 

 

 

 

わたしも、子どもから気づかせてもらったことがいっぱいあったので、とても良い経験だったと思います。

 

 

 

 

 

ところが最近になって、もう一つ越えなければならないハードルの前に立たされてしまいました。

 

 

 

 

 

長女はこのごろ落ち込みが続いたり、なにか突然イライラしだしたり、自分を叩いて手足にあざをこしらえてしまったりという状態が何度かありました。

 

 

 

 

 

エネルギーが爆発するように物を壊したりするので、新築して1年の家の畳の一部がでこぼこにへこんでいました。

 

 

 

 

 

本人にすれば、そうとう辛いらしいのです。今の世の中、人に合わせなければならないことがたくさんありすぎるように感じます。

 

 

 

 

 

それを強制されて、適応できる人間がいいとされるから、自分の姿で生きていけなくなって・・・・・。

 

 

 

 

 

自分に合った生き方ではなく、他人に合わせた生き方では、生きづらさが出てきてしまうのは当然だろうと思うのです。

 

 

 

 

 

本人がどうのということより、社会の何かを変えていかなければ、子どもたちにとってますます行きづらい社会になってしまうとこのごろつくづく感じています。

 

 



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