潔癖症と家庭内暴力
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潔癖症と家庭内暴力

2019年06月14日(金)10:04 PM

昨年のことですが、駆け足でやってきた冬の寒さに身を縮め、眠りについていた深夜、一人の父親がいらだつ気持ちを抑えるように電話をかけてきました。

 

 

 

 

 

「もう限界です。家が汚れている、と息子が部屋に灯油を・・・・・・」わたしは父親の呻吟に、まかれた灯油を黙って拭き取るようにお願いしました。

 

 

 

 

 

しばらくすると、二日後の父親の長期出張を前に、両親が納得した形で息子を入院させたいと懇願してきました。疲れ果てた家族の様子と混乱した彼の精神状態を危惧したわたしは即、連携先の病院にベッドの確保を願いました。

 

 

 

 

 

緊張なのか、忍び寄る寒さなのか、わたしは床を暖めきれず朝方まで眠ることができませんでした。

 

 

 

 

 

S君(中学三年生)は、もう数年「外気に触れると汚れる」と言って登校を渋り、自室でゲームに明け暮れていました。わたしは、進学せずに就職して一人暮らしをしたいというS君の「就職斡旋人」として出会いました。

 

 

 

 

 

S君は、帰宅する両親や姉弟たちを見張っては、”消毒液の生活”を事あるごとに強要していました。

 

 

 

 

 

日中いっしょにいる母親には、部屋の四隅、欄干、壁を指差して汚れていると奴隷のごとく拭かせていました。極度の潔癖症です。

 

 

 

 

 

S君のこだわりは、症状に変わっていったのでした。悩み続けても「拭き取れない親への不信感」がわずかな汚れにもこだわり、それを許せなくなっていたのでした。

 

 

 

 

 

彼がその”心の汚れ”を話してくれたのは出会ってから一年後のことでした。

 

 

 

 

 

「中学に入学すると、クラスには小学校時代の友人がいなくて孤立したんです。すると急に不幸を思い出したんです。小学校二年のとき、突然の引っ越しで僕は友達をなくしました。

 

 

 

 

 

その日を知らせてくれなかったんです。大人になれば分かるという父親の答えは納得できず、小六になって聞き出しました。おしゃべりな僕が引っ越しを言いふらすと、近所の人から家の売買を尋ねられるのがうっとおしかったと言うのです。

 

 

 

 

 

僕は親にさえ信頼されていなかったんです。その汚れ(疑問)を・・・・・」入院覚悟を胸に両親が待つ自宅を訪ねました。部屋には灯油のにおいが充満していました。

 

 

 

 

 

S君の説得に失敗したわたしは、彼の肩に手をかけ、体を引き寄せました。

 

 

 

 

 

「だましたな!今度は大丈夫な大人だと思ったのに!」

 

 

 

 

 

「病院へ行こう。このままでは家族みんながつぶれてしまう。とにかく君のためなんだ」

 

 

 

 

 

「いつも俺ばかりを問題にするんだ!俺が問題じゃないんだ!」押し問答は地獄のようでした。もう、両親もわたしも後には引けませんでした。

 

 

 

 

 

その時、彼の背を押す母親に、S君は絶叫しました。「お母さん、助けてくれ!」母親の押す力が抜けました。

 

 

 

 

 

「もう、いいんです。放してやってください」。父親とわたしの力が、母親の眼差しに吸い取られていくようでした。

 

 

 

 

 

母親はS君を抱き寄せると、手足を消毒液で洗い流しました。

 

 

 

 

 

この三日後、S君は出張を取りやめた父親と母親に伴われ、自ら病院に出向きました。

 

 

 

 

 

言葉を聞くのではなくて気持ちを聴いて

 

 

 

 

 

関東自立就労支援センターの相談室を訪れる子どもたちは、やりきれない思いをこめてこう言います。「これまで誰も、何も聞いてくれなかった」。

 

 

 

 

 

家族面談のとき、ある父親(五十二歳)は二十歳を前にした、かつて「順風満帆」だった息子のこの一言に呆気にとられながらも、あらためてまじめな顔で反論しました。

 

 

 

 

 

「そんなことはない。ちゃんと聞くべきときには聞いていたし、入学式にも会社を休んでお母さんといっしょに出席した。いつ、どこで聞いていなかったのか教えてくれ」

 

 

 

 

 

息子はげんなりしながらも、どこかでもう一度、父親とつながることへの期待をこめて、荒々しく、いや愛情確認するかのようにあえて挑発的にこう言いました。

 

 

 

 

 

「その聞き方がムカつくんだよ」父親は襟を正すようにして息子に返しました。

 

 

 

 

 

「ムカつくって言われても、どこが、どのようにムカつくのか言ってくれなければわからないんだよ。お父さん、悪いところは直すから教えてくれよ」

 

 

 

 

 

わたしは、「それじゃあ、子どもにケンカを売っているようなものですよ」と、心の中で父親に叫んでいました。

 

 

 

 

 

口にしては、父親の本当の気づきにはならないと思っていました。もどかしさで父親をつい冷たく見てしまいました。

 

 

 

 

 

父親は真剣であり、わたしに何かアドバイスを求めているようでもありました。ここは父親の気づきに期待するしかなく、わたしは辛い思いをしていました。

 

 

 

 

 

結局、その緊迫した沈黙に耐えきれず、好転の場を願って息子、父親と順番に目を合わせて言いました。「ムカつくものは、ムカつくんですよ。それだけなんです」

 

 

 

 

 

わたしは父親にただ一言「ムカつくんだ、ただそれだけなんだ」と言って、肩の力を抜いてほしかったのです。ところが父親は納得できない雰囲気を漂わせていました。

 

 

 

 

 

それを息子が鋭く突きました。「もう理屈はいいよ。聞きたくないよ。どうしてそう言葉の意味や事柄ばかりを聞こうとするんだよ。気持ちを聴けよ。俺のことをどう思ってるんだよ」

 

 

 

 

 

守りに入った父親の狼狽が、わたしを切なくさせていました。「気持ちを聴く」という感じ方、フィーリングがつかめない父親の無力感が伝わってくるのです。

 

 

 

 

 

行き詰った父と子をつなげる手だてが言葉としては分かっても、感性が父親にはついていけないのです。

 

 

 

 

 

やっぱりここにもただ一言、「おまえの気持ちを汲んで話を聞いていなかったな。頭で聞いていたな」と、父親に言ってほしかったのです。

 

 

 

 

 

「知」を優先しすぎた、日本の高度経済社会のツケを見ているようでした。

 

 

 

 

 

「どう思ってるって、どうも思ってないよ。それに用事がないのに、なんて言えばいいんだ」父親につながらない苛立ちが出てきていました。

 

 

 

 

 

もちろん、息子のことを嫌悪しつくしていたはずはないのでしょうが、もっと人は自分のことを具体的に言ってほしいのです。絡み合わないと不安なのです。

 

 

 

 

 

「ふざけるなよ。おまえ俺の親だろう、実の。少しぐらいあるだろう、いいとか、悪いとか、自分の気持ちも言えよ。そういうのを”生みっぱなし”って言うんだよ」

 

 

 

 

 

わたしは必死になって父親に食い下がる息子に胸がしめつけられるようでした。

 

 

 

 

 

人は深くつながろうと思わなければ、愚痴も嫌味も悪態もつかず、品良く引いていきます。相談も無難な形で終了した面接ほど心には寂しさが残ります。

 

 

 

 

 

だから、この父子はわたしにとって生涯忘れられない人たちとなるでしょう。

 

 



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