クラス分けと不登校
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クラス分けと不登校

2019年06月05日(水)11:12 AM

「僕が運に見放されて、孤独な身になったのは中学に入学した日からでした。

 

 

 

 

 

その朝、家の庭先に咲いていたモクレンの白い花びらが一枚散っていたのも、孤立の前触れだったんですね」

 

 

 

 

 

中学3年間、ほとんど登校せず、今春「形式卒業」し、通信制高校に入学したA君(15歳)は、声も出ないほどに顔をうつむけ、頭をかき、シャープペンを指先でくるっと回し、かたわらで話してくれました。

 

 

 

 

 

「入学式の朝、校舎に張り出されたクラス分けの表を見て、僕は目の前が真っ暗になりました。

 

 

 

 

 

小学校のときに親しかった友達の名前が一つもなかったんです。そのうち、いっしょに見ていた幼なじみも僕の隣からいなくなっていました。

 

 

 

 

 

探してみると、同じクラスとなった知り合いの仲間同士で張り紙を見て、肩を組み、喜びの笑顔を僕に何の遠慮もなく振りまいていたんです。

 

 

 

 

 

その瞬間、これから始まる中学生活への不安がわきおこってきました」

 

 

 

 

 

何気なく新聞に目を通してA君の緊張を和らげていたわたしは、椅子を向きなおし、姿勢を前かがみにして話に耳を傾けました。

 

 

 

 

 

「声をかけ合う友達もなく、独り教室に入るのはつらかったです。はにかみ屋の僕は、盛り上がる歓声に教室からはじき飛ばされそうでした」

 

 

 

 

 

思い出すのも嫌そうに、A君の顔はこわばっていました。わたしはのど飴を一つA君に差し出し、渇いたのどを2人で潤しました。

 

 

 

 

 

「信じられないような女性教師の大きなかけ声で、僕たちは入学式会場の体育館前に整列しました。

 

 

 

 

 

その時、同じ学生服なのに、みんなが立派な大人に見えました。

 

 

 

 

 

吹奏楽が始まり、1組から入場しました。5組の僕は、お化け屋敷に入る前の心境でした。

 

 

 

 

 

立ち上がってカメラで写す母親たちは、フラッシュ以上に僕の目を刺激しました。

 

 

 

 

 

席を離れ、ビデオを回す父親たちの放列に体がすくんでいきました。

 

 

 

 

 

体育館中に鳴り響く拍手と、『マイウェイ』の曲は『もう子どもじゃない、大人になれ』と、僕の心に強く迫ってきました。

 

 

 

 

 

在校生の席を通ろうとしたとき、片隅に腰掛けている母親と目が合いました。母も寂しそうに独りでした。

 

 

 

 

 

『お母さん、ごめん。僕はこの学校の中学生にはなれないかもしれない』そう心の中でつぶやきました。

 

 

 

 

 

何度も繰り返される『一同起立、礼』の号令、大声で国家を歌う先生、すべてが小学校と違っていました。

 

 

 

 

 

一人ひとり名前を呼ばれるとき、気後れしないようにと目を閉じ、全身の力を振り絞って『ハイ』と返事をしました。

 

 

 

 

 

でも緊張で裏声になってしまい、みんなにあざ笑われ、僕は力尽きました。

 

 

 

 

 

200人の新入生の中で、入学が期待よりも不安だったのは僕だけだったと思います。

 

 

 

 

 

退場し、腑抜けになった僕に声をかけてくれたのは、”質素”な母だけでした」

 

 

 

 

 

運に見放されたA君ですが、寄り添い続けてくれた母親によって、いま、運のリターンマッチをわたしたちと始めようとしています。

 

 

 

 

 

ホームシック

 

 

 

 

 

わたしは盆や暮れになると両親が金策をめぐって激しく口論をし、その罵声に怯えていた幼きころを思い出します。

 

 

 

 

 

ですがその一方で、住み慣れた土地から逃げ出すわけにもいかず、互いにシカト(無視)しつつも配達した薪の代金を前掛けに入れてはこっそりと父親に隠れて数えていた母親の姿も思い浮かびます。

 

 

 

 

 

とくに大晦日、年を越すために行商で薪を売りつくした後、空になったリヤカーのなかで、車を引っ張る父と押す母を交互に見ながら、真っ赤な夕日や通り過ぎる街角から漂う夕げの香りに、しばしの安らぎを抱いたことは忘れられないわたしの原風景です。

 

 

 

 

 

こんな感情がほしくて両親と同居する20代後半までは必ずこの時期になると郷里に帰省していました。

 

 

 

 

 

そして正月の父親の深酒に愛想が尽き、都会に逃げ帰っていました。でも不思議なことに半年も経つとその怒りもほとぼりが冷め、また原風景が恋しくなるというパターンを繰り返していました。

 

 

 

 

 

「僕だって、普通の子どものようにホームシックになってみたいですよ」

 

 

 

 

 

都内の外れの寂れたアパートに住むW君(23歳)は、高校3年生のときに母親に買ってもらった一張羅のジャンパーの襟を両手で正すと身を包み、初めて出会うわたしに言いました。

 

 

 

 

 

彼は高校を卒業すると、「部屋にちりひとつ残さないようにきれいに片付け」故郷を離れ、都内の専門学校に入学しました。

 

 

 

 

 

以来5年間、両親の住む郷里の敷居をまたいだことがありません。

 

 

 

 

 

心配して何度も訪ねる両親に、その理由を話すこともありませんでした。

 

 

 

 

 

万策尽きた両親は、わたしに家庭訪問を依頼してきました。親の回し者のわたしに居留守を使うW君に、添え書きメモを扉の下に置いては帰るという繰り返でした。

 

 

 

 

 

「父は気まぐれで、感情に責任を持たない勝手な人でした。極端で中間がないので僕はいつも父の感情を先に読んで動いていました。

 

 

 

 

 

ときどき疲れて返事しないでいると『話したくなければ話さなくてもいい』と言われ、父の機嫌を損ねたくないと思い、話し出すと『話したくないんだろう』と突然殴りかかってくるんです」

 

 

 

 

 

「母は姉が言うように『犬猫を育てるように』してきたと思います。自分の思い通りに子どもが動かないと、罰なのか嫌がらせをするんです。

 

 

 

 

 

旧家に嫁いできた母にとって、それは口癖の『後ろ指を指されない子』にするためのしつけだったのかもしれませんが、冷たさしか僕は覚えていません」

 

 

 

 

 

W君は、周囲の意表をついて工業高校に進学しました。

 

 

 

 

 

両親の気を引こうと拒絶的態度で努力しましたが、不機嫌な顔をされるだけでした。

 

 

 

 

 

そして離れることで、両親への懐かしさを考えましたが「5年経っても素直にホームシックになれない」と言います。

 

 

 

 

 

「僕には安心して甘えられる膝や胸、父のあぐらがありませんでした。僕は成績は良く、口数は少なく、おとなしく旧家の息子に育っていったと思います。

 

 

 

 

 

両親は僕の日常に何の関心も寄せてくれませんでした。だから僕も両親の日常に無関心でいたら、孤独のほうが自然になってしまったのです」

 



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