49歳母親の不登校体験記
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49歳母親の不登校体験記

2019年06月04日(火)12:50 PM

受験で失敗、不登校になった息子が復学するまで

 

 

 

 

高校を1年で中退、非行を繰り返す

 

 

 

 

現在24歳の息子の不登校が始まってから、10年近い月日が経とうとしています。

 

 

 

 

今は、2度の高校中退を経て、通信制高校に通っているところです。

 

 

 

 

息子が不登校になったのは、中学の部活も終わり、高校受験に向けて塾に通い始めた頃からです。

 

 

 

 

少しずつ帰宅が遅くなり、結局は受験を失敗しました。

 

 

 

 

志望校に入学できず、目的を失い、高校を1年ほどで中退してしまいました。

 

 

 

 

再入学をしてみたものの、同じことの繰り返しでした。

 

 

 

 

ゲームセンターや雀荘などに入り浸り、恐喝・暴行の被害にもあいました。

 

 

 

 

不良仲間から何度か深夜に呼び出され、外泊も多くなりました。

 

 

 

 

たまの家族一緒の食事で主人が注意すると、自分の部屋に逃げ込んでしまいます。

 

 

 

 

わたしはただ、手をこまねいているばかりでした。

 

 

 

 

 

ある日、無免許でバイクに乗り、警察から連絡を受けました。

 

 

 

 

迎えに行くと、息子は「なんでいつも俺だけが見つかるんだよ。みんなもっとやってるのに、ついてない」と、まったく反省していませんでした。

 

 

 

 

この頃、関東自立就労支援センターのスタッフの方と出会い、アドバイスをもらいました。

 

 

 

 

スタッフの方は、「子どもには善悪をしっかり教えることが大事です。

 

 

 

 

子どもは分かっているようで分かっていないから」

 

 

 

 

「人生を一冊の問題集ととらえたとき、ただの苦しみではなく、自分を変えるいい機会になります」と言われました。

 

 

 

 

夫と「何があっても子どもを守る」と決意

 

 

 

 

アドバイスされたように取り組んでいくんですが、次々と問題が出てくると、混乱してしまい、客観的に考えることができません。

 

 

 

 

ただ、どう判断していいのか分からないときには、「分からない」と子どもに正直に伝え、その後、他の人に相談するなりして自分の考えを伝えるということを学びました。

 

 

 

 

同じような場面に何度もぶつかりましたが、そのたびに訓練されていきました。

 

 

 

 

主人にも協力してもらいました。食事のときなどに説教しない約束をしてもらい、子どもの好きなテレビや話題に合わせていくようにすると、子どもも主人を避けることがなくなりました。

 

 

 

 

少しずつ子どもに変化が起こり、解決への道が見え始めたころ、無免許バイク事件で家庭裁判所から通知が届きました。

 

 

 

 

主人とわたしは「どんな結果が出ても、子どもを守るしかない」と覚悟しました。

 

 

 

 

審判の中で主人は裁判官の前で、「何があっても最後まで責任を持って子どもを守ります」とはっきりと答えました。

 

 

 

 

これを最後に、子どもは外で問題を起こすことはなくなりました。

 

 

 

 

「親に守られている」という安心感を持ったのでしょうか。子どもは部屋にこもることもなくなり、リビングで親子いっしょに過ごすことが多くなりました。

 

 

 

 

時々は外出したり、友だちの仕事を手伝ったりと、わたしもほっとした時間を過ごしました。

 

 

 

 

ただ、仕事を探そうとしたところ、高校中退ではなかなかいい仕事が見つからず、再び部屋に閉じこもり、昼夜逆転の生活が始まりました。

 

 

 

 

自分に自信がなく、夢や理想が描けない息子

 

 

 

 

このころからわたしは、月1回の関東自立就労支援センターの親の会の会合に参加させてもらいました。

 

 

 

 

この会の不登校克服への考え方は、「子どもの中に自立心、社会性を育んでいく」ことが基本です。

 

 

 

 

わたしは、子どもが学校に行くことそのものを目的にしていたところがあったので、反省しました。

 

 

 

 

そして、子ども自身が何かやりたいというものを見つけたときに備え、「いつでも学校に行っていいんだよ」という言葉だけは伝えました。

 

 

 

 

「優柔不断タイプ」の親向けのアドバイスを受け入れ、自分から声をかけたり、食事は子どもの好きなものを作ったり、自分が思っていることを積極的に話したりするなどしました。

 

 

 

 

すると子どもは、朝、起きることができるようになり、規則正しい生活に自然になっていきました。

 

 

 

 

ただ、ときどき見せる子どもの「心の声」が気になっていました。

 

 

 

 

それは、「夢や理想がなかなか描けない。好きなことが見つからない。どうせ自分はダメなんだ」という声です。

 

 

 

 

これはわたしにも共通する傾向性で、自分の苦しみにもなっていました。

 

 

 

 

要は自分に自信がなかったのです。子どもの気持ちが手に取るように分かりました。

 

 

 

 

ある朝、子どもがわたしに助けを求めて泣いている声に飛び起きました。

 

 

 

 

子どもの部屋に飛んでいきましたが、子どもはまだ寝ていました。

 

 

 

 

でも、子どもが心の中で、親の期待に応えようともがき苦しんでいるのが痛いほど伝わってきました。

 

 

 

 

ある試練が親子の距離を縮め、信頼関係を生んだ

 

 

 

 

それから間もなく、知人から仕事の紹介がありました。子どもは迷っていましたが、わたしから「本当にやりたい仕事が他に見つかったら辞めてもいいよ。

 

 

 

 

気を使うことはないから」と伝え、社員としてのスタートを切ることになりました。

 

 

 

 

ただ、日を重ねるごとに息子の不平不満は多くなり、体調も崩していきました。

 

 

 

 

飲めない酒を上司に毎日つき合わされ、あるとき、その誘いを断ったところ、無視され始めました。

 

 

 

 

仕事を与えられなくなり、何もせずに時間を過ごすことが多くなってしまいました。

 

 

 

 

職場での「いじめ」でした。その間、親子で毎日話し合いました。

 

 

 

 

仕事から帰って食事が終わるのを待ち、その日の仕事の様子を全部聞き、わたしも本音で話しました。

 

 

 

 

ひとしきり話すと、息子も落ち着き、心を開いていきました。

 

 

 

 

言いにくいこともわたしからはっきり言いました。

 

 

 

 

その中で復学に前向きになり、ちょうどそのころ以前お世話になっていた高校の先生から電話をもらい、同じ学校で再挑戦することになりました。

 

 

 

 

同じ頃、その上司が前にも同じような問題を起こしていたという話も聞きました。

 

 

 

 

「いじめ」をみて見ぬふりをする会社の体質は、依然改善されていません。

 

 

 

 

もう子どもに辛抱させておく必要はないと考え、「十分がんばったからもう辞めてもいいよ」と伝えました。

 

 

 

 

主人も承知してくれました。就職した期間は、子どもにとってはつらい長い時間でしたが、この試練がわたしと子どもの距離を縮めてくれ、何でも話せる信頼関係ができたのではないかと思います。

 

 

 

 

今、子どもは、学校とアルバイトの両方で毎日がんばっています。

 

 

 

 

学校の授業料も、自分で払う約束です。たまに授業料が滞ることがありますが、その都度、立て直しながら前に進んでいます。

 

 

 

 

もうすぐ卒業し、ようやく社会へのスタートラインに立ちます。

 

 

 

 

まだまだ自分に自信がなく、夢や理想を描けないようですが、子どもにとって高校卒業が一つの自信になりことを願い、自立に向けて応援していきたいと思っています。

 

 


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