すれ違う親と子の心
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すれ違う親と子の心

2019年06月04日(火)9:53 AM

「これまで誰も何も聞いてくれなかった」

 

 

 

 

 

心さまよい、荒ぶる感情を持て余し、突っ張るか茫然自失の身をさらけ出すしか術のない子どもたちが、重い足を引きずるようにして関東自立就労支援センターの相談室にやってきます。

 

 

 

 

 

そしてつぶやくのが冒頭のひと言であり、その悲しみに包まれた姿は、一人ひとり言葉にして言い尽くせるものではありません。

 

 

 

 

 

ある団塊世代の父親も入った家族面接でのことです。

 

 

 

 

 

30歳を前にした息子がやはり「これまで、誰も何も聞いてくれなかった」とうめくようにつぶやくと、隣に座っていた父親が、すぐさま「そんなことはないだろう。いつだってちゃんと聞いてあげたじゃないか」と真顔で反論しました。

 

 

 

 

 

さらに、追い打ちをかけるかのように「そう言うなら、いつ、お父さんがおまえの話を聞かなかったのか教えてくれ。

 

 

 

 

 

お父さん、ちゃんと謝るから」と言いました。息子は顔を曇らせながらも、気を取り直すかのように今度はこう言いました。

 

 

 

 

 

「その聞き方、ムカつくんだよ。なぜ俺の気持ちを聞こうとしないんだ。俺のことをお父さんはどう思ってるんだよ」

 

 

 

 

 

「・・・・・どう、思うって・・・・・。どうも思ってないよ・・・・。」

 

 

 

 

 

「ふ、ふざけるなよ!おまえ、俺の親だろ!」

 

 

 

 

 

その瞬間、息子は片足を父親の下腹部に飛ばして怒りをあらわにしました。

 

 

 

 

 

彼の暴力を是認するつもりはありません。ですが、父親の効率的な「知的優先社会」で身につけた逃げ場を与えずに追いつめてくる「几帳面なまじめ」さが裏目に出てしまいました。

 

 

 

 

 

息子をキレさせてしまったとわたしには思えました。

 

 

 

 

 

そして呆然とする父親を見て「この強迫的なまじめさがあったからこそ、日本の高度経済成長があり、物質的な豊かさが得られたんだな」と思いました。

 

 

 

 

 

ここまで至らなくても、来談する子どもたちに共通の心理的傾向は「自己肯定感」の乏しさです。

 

 

 

 

 

相手にたとえ納得してもらえなくても、言葉では言い尽くせぬ思いを推し量り「そういえば、ずっとおまえとも話していなかったな」と弱音まじりに気持ちを受けとめて聞いてもらえたとき、人はつながったという実感を得ます。

 

 

 

 

 

そして、自分という存在が父親にとっても「かけがえのない存在」であるとその瞬間に感じて自分を肯定できるのです。

 

 

 

 

 

でも、それは手間暇をかけて気持ちを汲みとりあう関係を軽視してはできません。

 

 

 

 

 

これまですべてに白黒をつけようとする、曖昧さを許さない、結果優先、納期厳守のライフスタイルによって「会話の芽を摘む」日常がつくられてはこなかったか・・・・。

 

 

 

 

 

気持ちを聞けない社会で育った子が相手(父親・先生)の気持ちを察していく「作業」に耐えられるはずがありません。

 

 

 

 

 

押し黙る(抑圧)か、無責任な感情の露出(攻撃)かの二者択一しかないのです。

 

 

 

 

 

そしてわたしたちは一方を「いい子」と思い、一方を「困った子」とレッテルを貼ってしまいます。

 

 

 

 

 

このSOSの「仕切り直し」のサインが「ムカツク」「キレる」の表現になり、周りに伝わらない無力感が「引きこもり」というコミュニケーション不全を引き起こし、不信という澱みが「強迫性障害」をつくり出しているとわたしには思えます。

 

 

 

 

 

それだけに、いまどきの思春期の「普通の子」で「ムカツク」も「キレる」も使ったことがないという子どもを探し出すとしたら、これは至難のわざです。

 

 

 

 

 

ただ現状を思うと、思いやりのスキルを育てられなかったのは戦後の団塊の世代であったのだと感じます。

 

 

 

 

 

生きる命綱とも言える自己肯定感が、もっとも獲得できる一瞬とはどんなときでしょうか。

 

 

 

 

 

「中学ではダイヤモンドだった僕は、高校生になったら石っころになっていた」

 

 

 

 

 

これは進学校に入学したある高校1年生の少年のつぶやきです。

 

 

 

 

 

人は努力して報われるときもありますが、めぐり合わせや人と人との組み合わせの中で努力しても報われないときがあります。

 

 

 

 

 

実は、人が人の心をもっとも求めるのは、その「報われない」瞬間です。

 

 

 

 

 

自分は何も変わらないのに、巡り会わせで石っころにもなります。また組み合わせで「報われる」ときもあります。

 

 

 

 

 

でも、いくら人生は光と闇の繰り返しだと思っても、石っころのときは非常につらいものです。

 

 

 

 

 

このとき人が求めるのは、慰めでもなく、励ましでもなく、アドバイスでもありません。

 

 

 

 

 

もちろんあきらめでもなく、その悔しさ、悲しさ、娑婆のつらさをただ誰かに聞いてほしいのです。

 

 

 

 

 

励ます前に「泣いていいんだよ、弱音を吐いていいんだよ」とまず「いたらないわたし」を肯定してほしいのです。

 

 

 

 

 

わたしはこの肯定される瞬間の思い出、そして人、空間を「還る家」と呼んできました。

 

 

 

 

 

人は還る家があるから社会でのつらい出来事に耐えていけます。我が子に、わたしに、還る家はあるでしょうか。

 

 

 

 

 

いままさに父親が取り組まなければならないことは、まず、人とつながることの心地よさを子どもたちに提供することです。

 

 

 

 

 

そのためには子どもに弱音や愚痴をはいてもらえる環境を作ることです。

 

 

 

 

 

また、大事なことは父親自身が、心の底から自分の「弱点」「急所」「いたらなさ」「小心さ」を「言い訳」にしないではくことです。

 

 

 

 

 

相互の「還る家」はそのときに生まれます。父親の弱音が「荒ぶる子」の心を鎮めるのです。

 

 

 

 



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 学習 支援、生活訓練
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