母親の体験記~子供の不登校を振り返って~
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母親の体験記~子供の不登校を振り返って~

2019年06月03日(月)6:33 PM

わたしの家族は、小学校の教師をしている夫と長男、長女、次女とわたしの母の6人です。

 

 

 

 

 

3年前に中学2年だった長女の不登校についてお話します。

 

 

 

 

 

3人の子どもは山口で生まれ育ちましたが、長女が小学校6年生のとき、夫の転勤で広島に転校することになりました。

 

 

 

 

 

そこで子どもたちは、2年間をたいへん楽しく満足して過ごしました。

 

 

 

 

 

しかし、長女の受験のことや、残してきた母のことを考えた結果、夫を残して山口へ帰ることにしました。

 

 

 

 

 

長女は中学2年生の4月より山口の学校に通い始めたのですが、友だち関係がとても複雑で、なかなか馴染めず、適当に利用されていたようです。

 

 

 

 

 

仲間に入れてもらうためにずいぶん無理をして付き合っていたらしく、とてもつらかったそうです。

 

 

 

 

 

しかし、わたしにはそんなことはわかりませんでした。だんだん登校する足取りが重くなり、何度も立ち止まっていました。

 

 

 

 

 

朝起きるのも、制服に着替えるのも時間をかけるようになりました。そんな状態が1週間くらい続きました。

 

 

 

 

 

ある日わたしは、「あなたのために帰ってきたのに、そんなことでどうするの。もっとがんばらなくっちゃ」と叱りました。

 

 

 

 

 

娘は、「お母さんは何もわかってくれない」と言って激しく泣きじゃくり、そのときから声が出なくなったのです。

 

 

 

 

 

声が出ない状態が3日間も続いたので、このままでは学校に行っても困るだろうと思い、「ちょっと休んでみる?」と聞いてみました。

 

 

 

 

 

すると、娘は明るい顔をしてくれました。わたしは、これが不登校っていうのかな、本当だったらどうしようと思ったことを覚えています。

 

 

 

 

 

2週間くらい経って、夫と一緒に学校へ相談に行きました。

 

 

 

 

 

担任は開口一番、「家族がいっしょでないのがいけないのですよ。広島へ帰られたらどうですか。

 

 

 

 

 

もし不可能でしたら学校としてもなんとか考えてみましょう」と言うだけで、困った親が相談できる雰囲気はまったく感じられず、まるで厄介者を背負ってしまったという態度でした。

 

 

 

 

 

娘は5月の連休からまったく学校へ行かなくなりました。それでも本人は、「転校すれば行けるかもしれないので、私立受験のための家庭教師を頼んでほしい」とわたしに言ってきました。

 

 

 

 

 

わたしはなんとか家庭教師を探してきたのですが、結局長続きはしませんでした。

 

 

 

 

 

そして、そのころから昼夜逆転が始まり、イライラは増すばかりでそのはけ口を妹や祖母に向けるようになりました。

 

 

 

 

 

襖は破るし、寝ていても蹴られ、深夜のドライブはさせられるわで、家中が長女に振り回されるような状態でした。

 

 

 

 

 

つい、「こんな親不孝娘はもういらないから出て行きなさい!」と何回も大声で罵ったりしました。

 

 

 

 

 

そんなとき、長女の救いとなってくださったのがかつてピアノを習っていた近所のお姉さんでした。

 

 

 

 

 

朝はやさしく起こしてくれたり、買い物にいっしょに行ってくれたり、夜遅く訪ねてもいやがらず、コタツに入れてしっかり話を聞いてくださったそうです。

 

 

 

 

 

本当に助かりました。わたしは夫に泣きながら何度も苦しさを訴えました。

 

 

 

 

 

そんなわたしに、「おまえがそんなに苦しいのなら、仕事を変えてもらって側にいてやろう」と言ってくれました。

 

 

 

 

 

わたしは、つらさを夫に受け止めてもらったことで少し楽になることができました。

 

 

 

 

 

不思議なことですが、わたしが楽になると子どもの目の輝きが戻ってきたのです。

 

 

 

 

 

6月ごろ、「わたし、暇だから学校にでも行こうかな」と言いました。「ひまつぶしのために学校に行くの?」と聞いてみましたら、「学校以外にどこがあるの?」と言いました。

 

 

 

 

 

以前から行きたがっていた、横浜に住むわたしの妹のことを思い出したので、「横浜のおばちゃんの家はどう?」と聞きましたら、大喜びで「行く」と返事が返ってきました。

 

 

 

 

 

初めての一人旅でしたが、年上の姪や甥のあいだで23日間過ごし、土産話を持って帰ってきました。

 

 

 

 

 

夏休みも残り少なくなったころ、ふと「自分と同じ体験をしている子どもたちといっしょに過ごしたい」と言いだしました。

 

 

 

 

 

教育研究所に相談しましたところ、情緒障害児短期治療施設を紹介され、寮や校内を見学しました。

 

 

 

 

 

しかし、本人は、キチンと整理整頓された部屋の様子や一日のスケジュール表を目にしたとき、とてもついていけないと思ったらしく、自分には合わないと言って入所を断りました。

 

 

 

 

 

もっと気楽で自由な時間と場所を求めていたのだと思います。わたしは他の施設を知りませんでしたので、その施設に入所するように娘を説得しました。

 

 

 

 

 

いまでは、そこに行かなくて本当によかったと思いますが、当時は、これで娘は行くところがなくなったという思いから、わたしは4日間も寝込んでしまいました。

 

 

 

 

 

もしかして、わたしが死ねば長女も親不孝を反省して学校へ行くようになるだろうと思い、線路の上に立ってみました。

 

 

 

 

 

でも、下の子の笑顔が一瞬頭をよぎり、我に返ることができました。そのときは、子どもへの夢も希望も持てなくなったあわれな母親が、悲劇のヒロインになることで自分を正当化しようとしていたのだと思います。

 

 

 

 

 

自分を見失いかけていたころ、山口で不登校関連の講演がある事を知り、母と2人でワラにもすがる思いで聞かせてもらいました。

 

 

 

 

 

それまでのわたしは、いまの学校に対して漠然とした疑問は抱いていましたが、行かなくてもよいとは思っていませんでした。

 

 

 

 

 

いろいろ問題はあっても多くの子どもは行っているし、自分もつらいことはあったけれど努力して行ったので、行かないのはやはり弱虫でだらしない子なのだと決めつけていました。

 

 

 

 

 

しかし、講演を聞いているうちに、ひょっとして子どものほうが正しい道を選んでいるのかもしれないと思うようになってきました。

 

 

 

 

 

親が子どもを指導し助けるのは当然と思い込んでやってきましたが、この5ヶ月間の苦しみの中で、それは少し違うなと感じつつあったところを、この講演で素直にその間違いを認めることができました。

 

 

 

 

 

子どもは小さくても自分の意思を持っており、一個の人格を持った生き物である事、親はその子の生き方を認め、支えることが役目だと学んだのです。

 

 

 

 

 

それは同時に、わたし自身の生き方を認めるということでもありました。

 

 

 

 

 

いままでの価値観にサヨナラをし、気持ちが解放された感動に涙を流しました。

 

 

 

 

 

「目からウロコが落ちる」とはこういうことなのでしょうね。

 

 

 

 

 

講演を聞いて元気をもらったわたしは、10月に精神保健センターの親の会に出席し、長女も11月から子どもの会をスタートさせました。

 

 

 

 

 

その後も多くの問題にぶつかりましたが、親の会や子どもの会でお互いに学んでいきました。

 

 

 

 

 

その中で、思い出深い話を一つさせていただきます。

 

 

 

 

 

長女が飼っていたうさぎが、中学校を卒業して次のステップに向かうというときに突然死んでしまったのです。

 

 

 

 

 

死骸を3日間抱いて悲しんでいる娘に、わたしは「あなたに残してくれた思い出はこれからもずっと心の中で生き続けるでしょうよ。

 

 

 

 

 

あんまり悲しんではうさぎもつらくて死にきれないでしょう」という言葉で慰め続けました。

 

 

 

 

 

でも長女は、「わたしは何回も死のうと思ったの。でもここまでがんばれたのは、うさぎと一心同体だったから」と言って離さないのです。

 

 

 

 

 

思い悩んで保健センターの先生に相談しましたら、「お母さん、励ましや慰めの言葉はいらないのですよ。

 

 

 

 

 

子どもの今の気持ちをわかってあげて、一緒に悲しいねって言ってあげるだけでいいのですよ」と言われました。

 

 

 

 

 

そこで、わたしは励ましや慰めを言わずに、悲しいという素直な心を子どもに伝えました。

 

 

 

 

 

すると、固く抱きしめていたうさぎをそっとわたしに渡してくれました。2人できれいに体を拭いてやり、土に戻してやりました。

 

 

 

 

 

子どもの心をありのままに受け入れるということはそういうことなのだと、うさぎの死に教えられました。

 

 

 

 

 

長女とわたしに大きなプレゼントを残してくれたうさぎに、今でも感謝しています。

 

 

 

 

 

通信制の高校に入学したころのできごとでしたので、続けられるかなと少し不安でしたが、このことをきっかけにぐんぐん積極的に動き始めました。

 

 

 

 

 

通信制は校則もなく先生方もユニークだし、生徒も年齢に差があって自分に合っているようだと言い出しました。

 

 

 

 

 

夏から近所の店でアルバイトも始め、ピアノも手話もと意欲的になり、「お母さん、先のことばかり考えて不安を増すより、今が大切よね」と言って目を輝かせていました。

 

 

 

 

 

そして、二年次に進級したころから、17歳の誕生日に向けて「わたしの8月革命」を宣言しました。

 

 

 

 

 

「わたしはわたしであればいい。自分の思っている事が素直に言えるようになるのが、わたしの8月革命なんだよ」と教えてくれました。

 

 

 

 

 

もうあれから3年半が経ちました。長女の目は今でも輝いています。やりたいことがいっぱいあると言っています。

 

 

 

 

 

親というのは、子どもがうれしければうれしく、辛ければ辛さをわかろうとすることだけでいいように思います。

 

 

 

 

 

親が子どもを前のほうから引いたり、後を押したりしないでも、自分で動けるものです。

 

 

 

 

 

そんなことよりも、一緒に会話を楽しんだり、一緒にいる時間を楽しむほうが元気の素みたいなものが生まれてくるように思います。

 

 

 

 

 

子どもの不登校のおかげで、親としての幸せを味わっている今日このごろです。

 

 



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