子供の問題行動と夫婦の関係
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子供の問題行動と夫婦の関係

2019年06月02日(日)5:53 PM

我が子の問題行動をきっかけに気がついたら何年かぶりで「抜き差しならない」ほどの深い対話を交わしている夫婦、そのような面接にときにめぐりあいます。

 

 

 

 

 

そしてそんな面接に同席していると、ふっと日常生活を疎んじていたわが身のおぼつかなさに冷や汗をかくこともあります。

 

 

 

 

 

それはあまりにも当たり前の生活に根ざし、向き合ってこなかった父親たちが妻や我が子から突きつけられる寝耳に水という「三行半」でした。

 

 

 

 

 

夫、52歳、妻、48歳。二人は共に大学を卒業後、就職して同僚になりました。

 

 

 

 

 

そして1年半の付き合いを経て職場結婚しました。配属は別々になりましたが、「仲のよいカップル」として社内でも評判でした。

 

 

 

 

 

「冷やかすと絵になる二人」とよく言われていました。それから2年後、夫の転勤を機に妻は退職しました。

 

 

 

 

 

第一子を身ごもったからでもありました。それから平均3年毎の転勤になりました。

 

 

 

 

 

27歳のとき次男が誕生すると、二人にとって「社宅住まいの身では男の子二人でもう十分」という心境でした。

 

 

 

 

 

長男が高校生になると、父親は単身赴任を「誰にも相談することなく」選びました。

 

 

 

 

 

家族には精神的な負担をこれ以上かけたくないとの父親なりの思いやりでもありました。

 

 

 

 

 

次男が高校に入学すると、本店の幹部として落ち着いたこともあり、家を新築しました。

 

 

 

 

 

それから3年後、子どもから手が離れたこともあり、妻はパートとして私立高校の非常勤講師になりました。

 

 

 

 

 

不安な気持ちを抱きながら就いた教員という職業でしたが、「厳格な校風」のなかで子どもたちはおとなしく、彼女には十分な手ごたえがありました。

 

 

 

 

 

そして2年経つと正職員に欠員が生じ、校長からの誘いもあったので、フルタイムのチャンスにかけることにしました。

 

 

 

 

 

彼女は自分でも不思議なくらい、学生時代に身につけた能力が開花したといいます。

 

 

 

 

 

子どもたちがアルバイトで夕食を一緒にとることが少なくなると、彼女は「母」であることに気を抜き、学校で教材研究に没頭できました。

 

 

 

 

 

そして夕食をとるかどうかもわからない夫を「妻」として食卓で待ち続ける生活が不自然に思えました。

 

 

 

 

 

また、尋ねても夫は気まぐれだったといいます。いつのころからか、夫が「鍵っ子」になっていました。

 

 

 

 

 

さらに朝の慌しさのなかで、一番先に玄関を背にするのは妻の彼女でした。

 

 

 

 

 

そのような日々の中で、次男の「挙動不審」と留年が決まりかけ、慌てた両親が相談に見えられました。

 

 

 

 

 

口もきかず、顔を会わすことも、面接に来ることもできない状態にある次男を思うと、父親は苛立つ気持ちを妻にぶつけるしかありませんでした。

 

 

 

 

 

だからあの時(パートをやると決めた日)俺は反対したんだ。別に俺はおまえに働いてくれと頼んだ覚えはないぞ。

 

 

 

 

 

金(給料)で家族に心配をかけたことはないと思うよ。いや、一度もないと俺は断言できるよ」

 

 

 

 

 

父親は右脇に腰掛ける妻に向かって「おとなしく」ささやきました。

 

 

 

 

 

「わたし、お金のことであなたに何も言ってないわ」うつむき加減にしていた妻は顔を上げると、夫の目線を自分にひきつけました。

 

 

 

 

 

「なんでも家のことは妻を信頼して立てていたことがよくなかったんですね。わたしももう少し自分の意見をはっきり言っていれば、こんな”変わった子”には子ども(次男)もならなかったかもしれませんね。

 

 

 

 

 

だいたいがいつもこんな関係になるんです。いや、わたしがそうさせてしまったんですね。

 

 

 

 

 

わたしにも責任があります」夫は自分が出入り口で、妻が奥にいることの位置関係を家の力関係に置き換えていました。

 

 

 

 

 

皮肉った様子もなく「すべての責任は、わたしが妻を甘やかしたからです」といった感じで”冷静”に話す夫に妻の表情が一瞬強張りました。

 

 

 

 

 

「あなた、本気でそんなことを言っているの。お金だけが欲しくて、わたしが教師になったと思っていたの。

 

 

 

 

 

そんなふうにしかわたしを理解していなかったの。”変わった子”って、あの子のどこが変わってるのよ。

 

 

 

 

 

あなたのほうがよっぽど変わってるわよ。そうよ、父親なのに父親らしい話なんか一度も子どもたちに言っていないじゃないの。

 

 

 

 

 

ただ、”がんばっているか”、”しっかりやれよ”それだけじゃないの。

 

 

 

 

 

そして突然、わけもなく”うるさい”と言って怒鳴りだすと、テレビのスイッチを勝手に切って、黙って2階に上がってしまう・・・・・。

 

 

 

 

 

そんなことを子どもたちにやっておいて、『たまの休み、みんなそろってるのになぜ、いっしょに夕食をとらないんだ』それはないでしょう。

 

 

 

 

 

緊張してまで食事をとりたくないわ、わたしだって。でも、”専業主婦”だから夫を立ててと思って、わたしはあなたといつも食事をいっしょにとっていたわ。

 

 

 

 

 

”変わった子”って言うけれど、わたしもそうかもしれないけれど、あなただって”変わった父親”よ。

 

 

 

 

 

立ててるって、みんな立ててるのよ、みんな心配しているのよ。あの子たち、いつから”親父”って言おうか、と相談していたこと知ってる?

 

 

 

 

 

『いつまでも”お父さん”じゃ、お父さんも心細いよね』って、上の子がわたしに相談していたこと。

 

 

 

 

 

『お父さんとお母さんが話をしていると、僕はつい寝坊しちゃうんだよね。今度、お父さんが家にいる日にバイト代で夕食をごちそうするから、どこかに二人で行ってきなよ』って、下の子も二人(夫婦)のことをいつも気にしていたのよ。

 

 

 

 

やっぱりね、だからわたしだって・・・・・」

 

 

 

 

 

わたしは妻の夫へのあきらめと、”捨て身”をどこかで感じ取っていました。

 

 

 

 

 

「ご主人、いいですね、優しい家族ですね」わたしは心の中で父親に、素直に「気がつかなかった」と言ってください、と懇願していました。

 

 

 

 

 

この母親の「妻」を捨てる”覚悟”を回避する道は、強がりと”言い訳”に気づいた父親が、ありのままの(小心さの)自分を表現するしかないのです。

 

 

 

 

 

だからわたしは”誘い水”をかけました。ですが、企業戦士で生きてきた父親の分厚い鎧はそう簡単にははずせませんでした。

 

 

 

 

 

人は一人では生きていけません。甘えるしか術のない自分を表すことも大切な生きざまの一つです。

 

 

 

 

 

「なにが”やっぱり”なんだ」すると、妻が背筋を伸ばしてこう言いました。

 

 

 

 

 

「わたしを信頼していたから、自分の意見を控えていたなんて、ごまかさないで。

 

 

 

 

 

たんに家族の一員であることから逃げていただけじゃないの。あなたは会社で”部長”の前に一人の”夫”であり”父親”だったのよ。

 

 

 

 

 

だからわたし、そんなあなたが見えなくなって不安で、寂しくて、自分のこれからの人生を真剣に考えるしかなかったの。

 

 

 

 

 

あなたが食卓につくと”会議室になる”ってあの子(次男)が言った意味、まだあなたにはわかっていないでしょうね」

 

 

 

 

 

冷め切った相談室を、父親の失意のつぶやきが虚しく包みました。

 

 

 

 

 

「”うかつ”でした」そのとき母親の肩がわずかに下がりました。でもそれは一瞬のことでした。

 

 

 

 

 

再び毅然とする母親が、痛々しくも美しく見えました。

 

 

 

 

 

「お父さん、家のこと何も知らないのね」妻のこのひと言に出会うたび、わたしは熟年離婚の”うかつ”さを思い返すことにしています。

 



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