母親の手記~私の息子について~
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母親の手記~私の息子について~

2019年05月30日(木)5:10 PM

支援者とのつながりと安心感

 

 

 

 

 

私の息子は40歳近くなって、仕事に就き結婚もしました。やっとこの頃、安心して見ていることができるようになりました。

 

 

 

 

 

中学校を出てから、20代のあのすさまじかった生活を思えば、今の生活は平穏そのものです。

 

 

 

 

 

でも、まったく不安がないわけではありません。「いつかまた何か起こすのでは」と、不安がかすかですがいつも心の中に揺らいでいます。

 

 

 

 

 

この気持ちは、いつまで続くのでしょう。

 

 

 

 

 

何かあったら関東自立就労支援センターの相談室を訪れる、これが私の安全保障、安心保証です。

 

 

 

 

 

息子が関東自立就労支援センターのスタッフの方と、いつもつながっていると思うだけで安心できます。

 

 

 

 

 

支援者とのつながりこそ、どんな困難でも「耐える・見守る・援助する」を支える力になります。

 

 

 

 

 

対人関係の困難とトラブル

 

 

 

 

 

息子の状態が特に不安定で激しかったのは、20代前半の頃です。いや、10代後半もたいへんでした。

 

 

 

 

 

10代後半の高校を出たり入ったりした頃の困難は、ひとことで言えば「対人関係」です。

 

 

 

 

 

女性の友達との関係、それを巡って寮の管理者や下宿のオーナーなども混じっての軋轢、部活や仲間とのいがみ合い等々が絶えませんでした。

 

 

 

 

 

遠い学校でしたから、学校の要請や本人からの呼び出しで、時間をやりくりして飛んでいきました。

 

 

 

 

 

寮の管理者もまわりの先生方も、若者の指導に情熱と愛情を持った正義感の強い人たちでしたが、説明や対応のなかに、息子とはどことなくずれているという感じがいつもありました。

 

 

 

 

 

もっともなことで反論できず、私たちは長く滞在できませんので、気持ちを十分に伝えられない心残りのまま帰宅していました。

 

 

 

 

 

高校の1年目は進級もできず、2年目になりましたが、もめごとは続きました。

 

 

 

 

 

夏休みが終わってからだったと思いますが、「苦しい、死にたい」という息子からの電話に驚いて飛んでいき、病院で抑うつ症と診断されました。

 

 

 

 

 

神経症の荒れと癒し

 

 

 

 

 

家連れ帰ってから20代前半まで、息子は苦しみの絶頂にあったように思います。

 

 

 

 

 

初めのころはまだ、外出できました。それがまた問題で、何回も事件に巻き込まれそうな事態を引き起こしました。

 

 

 

 

 

数ヶ月すると、その反動か、再びうつ症状が始まりました。

 

 

 

 

 

家に戻った頃にも利用した、当時評判だった大学病院で診察を受けながら、居場所に通う計画をたてました。

 

 

 

 

 

なかなか本人だけでは行けませんので、母親の私がいつもいっしょでした。、

 

 

 

 

 

担当の医師は、「一人で歩かせたほうがいい」と言われますが、一人では外に出ようとはしません。

 

 

 

 

 

しばらくして、外出途中で過換気症を発し、路上で倒れこむことが起きました。

 

 

 

 

 

これがきっかけでいっそう外出が困難になり、いつか部屋に閉じこもりました。

 

 

 

 

 

そこからもまた大変でした。部屋から出歩くことができない不安や不満がストレスとなり、そのうちそれが溜まって爆発してしまいます。

 

 

 

 

 

多額の金銭を要求し、母親を脅してそれを持って外出し、世間には言えないような行動をときどき起こします。

 

 

 

 

 

困ったときは、関東自立就労支援センターの相談室に行ってアドバイスを受けていました。

 

 

 

 

 

息子もまた、相談室に行っていました。

 

 

 

 

 

援助とスローステップ

 

 

 

 

 

数年間の閉じこもりか動き始めたのは、関東自立就労支援センターのスタッフの方の何回目かの訪問からでした。

 

 

 

 

 

どんな誘いに共感したのでしょうか。それとも機が熟したのでしょうか。

 

 

 

 

 

居場所に行き始め、すぐに対人トラブルを起こすなど、私には以前と同じように見えましたが、居場所のスタッフの方は、変わってきていると見られていたようです。

 

 

 

 

 

その後のことは、うまく言い表すことができません。息子が成長できたのは、数えきれないほどのたくさんの人との関わりと、スローステップの積み重ねだと思います。

 

 

 

 

 

失敗やトラブルは、援助によって学習・訓練になったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

紹介された事業所でもそれは続きました。理解があって、援助してくださるスタッフの方がおられる職場が、息子には絶対に必要でした。

 

 

 

 

 

わずかでも給料が出るようになりました。こうなるとますます成長が早くなるようで、親の目から見てもしっかりしてきたと見えるようになりました。

 

 

 

 

 

これまで、まわりの方がよく息子の言動に我慢してくださったものだと思います。

 

 

 

 

 

今では、配送の部署で正規の社員として働いています。

 

 

 

 

 

発達障害は性格

 

 

 

 

 

病院では、どうして抑うつ症になったのか分からないと言われます。

 

 

 

 

 

小学校3年のとき、担任の先生から「友達関係がうまくいかない、いじめも受けている」と知らされました。

 

 

 

 

 

養護学級(支援学級)の担任の先生が「どうもみんなと違う。検査してみてはどうか」と言われました。

 

 

 

 

 

医療機関で診断を受けた結果、「発達障害で、3年ぐらいの遅れがある」と言われました。

 

 

 

 

 

親から見て、言葉や動作が他の子と特別違っているとも劣っているようにも思えなかったし、何をどうすればよいかの説明や指導もなかったので、3年の遅れというのは、3年ぐらいで追いつくのだろうと考えていました。

 

 

 

 

 

今思うとまったく何も知らず、愚かでした。その後、宿題や学習することを促したり、急かしたりということをいっそう強めたと思います。

 

 

 

 

 

どうしても独りよがりに陥りやすい性格、まわりの空気を読む能力の低さなどは、友達関係のなかでストレスを作り、高学年に進むほど彼の心を傷つけたに違いありません。

 

 

 

 

 

中学3年の頃には、いじめ・いたずらグループの中に入り、その手先として走りまわっていました。

 

 

 

 

 

満たされない心を、動き回ることで補い、なんとか平静を保っていたのかもしれません。

 

 

 

 

 

卒業が迫った高校受験の頃から苛立ちが目立ち、学校選びでもめて親や先生を困らせました。

 

 

 

 

 

高校に入ってからは、朝から深夜までのアルバイトに熱中し、20万円を越えて得たお金は全部使ってしまうような状態でした。

 

 

 

 

 

付き合う人とは、さまざまな事件を起こし、命にかかわるような危険にも何度かあいました。

 

 

 

 

 

支援者にめぐり合って、新たな高校へ進みましたが、心の困難は増すばかりだったのでしょう。

 

 

 

 

 

「高校へ行きたいのはご両親の気持ちで、本人の気持ちとは違うでしょう」と言われたことを思い出します。

 

 

 

 

 

そしてついに、10代の後半にパニックを起こしました。筆舌に尽くせない苦しみは、10年以上の年月を経てやっと癒されたのです。

 

 

 

 

 

しかし、その性格と永年蓄積されたストレスからの後遺症は、今でも引きずっているかもしれません。

 

 

 

 

 

この意味でも、いつまでも支援者とのつながりを持っておくことが必要だと思っています。

 

 

 

 

 

学校と行政へのお願い

 

 

 

 

 

「誰でも必ず役に立つ能力を持っている」といわれます。

 

 

 

 

 

発達障害者であればなお、役に立つ能力を大切にしこれを伸ばすこと、併せて生活力を高める丁寧な援助が必要だということが、こんなに苦労して、今になってやっと少しですが知ることができました。

 

 

 

 

 

発達障害は、病気ではないが病気を生じやすい障害、障害というより性格、個性ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

今になって思い出すのですが、3歳健診のときも「多動性気味、でも心配することはない」と言われたのでした。

 

 

 

 

 

それに関しての説明も、その後の注意もありませんでした。

 

 

 

 

 

障害があるかどうかを注意していましたが、親では見つけることはできません。

 

 

 

 

 

障害とは、他の人とはっきりした違いがあって、それが見えるものと思い込んでいたのです。

 

 

 

 

 

だから、そのうち忘れてしまいました。身体の健康だけでなく、心の発育状態をしてくださる社会制度、保健所や学校があってほしいと思います。

 

 

 

 

 

親はどうしても正しい判断ができません。学校はこのような子どもと親を、根気よく指導してください。

 

 

 

 

 

それに発達障害という言い方は、子どもの心を傷つけ、意欲を削いでしまいます。

 

 

 

 

 

それだけではなく、親や教師の指導、子育てのあり方を誤らせることになるように思います。

 

 

 

 

 

子どもや親を励ますような言い方がないでしょうか。

 

 

 

 



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