「曖昧さに耐える我慢強さ」がないひきこもり
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「曖昧さに耐える我慢強さ」がないひきこもり

2019年05月24日(金)10:04 PM

関東自立就労支援センターに相談に来たA君のケースを紹介します。

 

 

 

 

 

大学受験に失敗して迎えた高校の卒業の日、A君は唐突に父親から将来(職業)について聞かれたといいます。

 

 

 

 

 

それまで一度も父親と将来について語ることなどなかったA君は、「今まで目の前のテストとか勉強だけに気をとられていたから・・・・」と、しばらく考えた末、「電車の運転手かなあ」と答えたそうです。

 

 

 

 

 

これに対して父親は、「幼稚園児じゃあるまいし、電車の運転手とは何だ!」と不満をあらわにしたのです。

 

 

 

 

 

(中学、高校と、今は勉強だけしていればいいんだ、と将来のことを話す機会を与えてくれなかったのに、急にそんなことを言われたって・・・・)。

 

 

 

 

 

そして「幼稚園児じゃあるまいし」という父親の言葉に、A君は後々まで釈然としない思いを持ち続けたといいます。

 

 

 

 

 

果たしてこれは、A君親子だけの特殊なケースなのでしょうか。

 

 

 

 

 

成績の善し悪しで将来を憂えることはあっても、大学受験にいたるまでのプロセスのなかで、本当の意味での将来を語り合った経験のある親子はどれほどいるのでしょう。

 

 

 

 

 

人は揺れながら、将来を、そして人生を考えるものです。

 

 

 

 

 

つまり、肯定的な感情、否定的な感情を繰り返すなかで成長していくのです。

 

 

 

 

 

ストップせずに揺れは続き、揺れが続くなかで子ども自身は現実を検討し、だんだんと現実と理想の折り合いのつけ方を見つけていきます。

 

 

 

 

 

そうなれば社会人になる選択をするときに、夢の部分だけが先行することなく、「電車の運転手になりたい」という以外の、プラスアルファーが出てくるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

こうした揺れながら考えるのに最も適した時期である思春期に、子ども達に揺れるほど将来を考える時間が与えられているのでしょうか。

 

 

 

 

 

たまたま成績がよくて何も将来のことを心配せず医学部に入学した青年が、医師として患者とのコミュニケーションに悩み、引きこもり始めた相談が以前ありました。

 

 

 

 

 

これは、学力至上主義の悲劇だと思います。

 

 

 

 

 

「机にかじりついたって、人間それだけで立派になれっこねえだろ」なんて、あの「男はつらいよ」の寅さんのように、スカッとすることを言ってくれる大人は、もはやどこを探してもいそうもありません。

 

 

 

 

 

偏差値至上主義の功罪が問われる今でも、やはりどこの家でも学校でも、「勉強しない子には将来は何もない」ということが一般的な常識になってはいないでしょうか。

 

 

 

 

 

そんななかで子どもは行き場のない不満や矛盾を抱えながらも、勉強以外のことはなかなか気楽に考えられない毎日を送っているようです。

 

 

 

 

 

民間の調査機関(くもんこども研究所)が、わが子の将来を考えて現在行っていることを、親に尋ねたアンケートを見てみると、息子には「体の鍛錬」「基礎学力の充実」「心を豊かにするのに役立つこと」の順で、娘には「心を豊かにするのに役立つこと」「基礎学力の充実」「体の鍛錬」という結果が出ています。

 

 

 

 

 

こうした思いが親にあることは確かでしょうが、しかし、ある時期からピタッと「心を豊かにするのに役立つこと」が親の頭の中から消えてしまっているのです。

 

 

 

 

 

そして、わが子が学力的に落ちこぼれないことだけが最優先課題になってくるのです。

 

 

 

 

 

でもこれは親の正直な気持ちだと思います。中3の娘を持つわたしにとって、まわりの「受験熱」のすごさに驚かされるのと同時に、その渦に巻き込まれないようにしているほうが不安になる、という感じになってくるから不思議です。

 

 

 

 

 

学校現場そのものに、将来や人生を考えさせるための「揺れチャンス」を期待することはなかなかできないでしょう。

 

 

 

 

 

現状では、父親と母親がつくってやらなければ、揺れるチャンスはどんどん遠のいていくのです。

 

 

 

 

 

そのために親ができることは、子どもと向かい合うときに、その時々の子どもの夢をつぶさないで、支えてやることだと思います。

 

 

 

 

 

夢こそ生きる希望になるのです。たとえ夢を実現できないことがわかっていても、話を聞いてやり、実現のために可能性のあることを言っていっしょに探してやることです。

 

 

 

 

 

そのとき、お父さん、いやお母さんもそうでしょうが子どもを前にした時に限って「ねばならない」という言葉を持ち出しませんか?

 

 

 

 

 

これを将来の夢を語るときに持ち出されたら、揺れはそこでストップです。「ねばならない」ではなくて「じゃないかな」くらいにしておくと、揺れは保たれます。

 

 

 

 

 

特に父親が「じゃないかな」という調子で子どもに接していると、将来のことだけに限らず、結果として子どもに「曖昧さに耐えられる強さ」も出てきます。

 

 

 

 

 

わたしが引きこもる子どもの話を聞いていて痛切に感じることは、この「曖昧さに耐えられる強さ」を持っている子どもが圧倒的に少ないということです。

 

 

 

 

 

「ねばならない」と白黒をつけてしまえば面倒くさくなく、「じゃないかな」はかえって煩わしいことを増やすことになりかねません。

 

 

 

 

 

しかし、わたしたち自身のこれまでを振り返ってみても、曖昧さを引きずってきたからこそやってこられたということがたくさんあるように思うのです。

 

 

 

 

 

すべてに割り切っていくことはとっても気分がすっきりすることもあるのですが、その一方で孤立への歩みでもあるのです。

 

 

 

 

 

そのあたりをぜひ実感していただけたらなと思います。

 

 

 



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団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
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住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援