家族の風景
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家族の風景

2019年05月19日(日)5:51 PM

幼い子どもにとって、父親は「何でもできて頼れる大好きなお父さん」です。

 

 

 

 

 

父親も幼い子の微笑みには努力して応えていました。たとえ仕事で疲れていても、子どもの笑顔の前では張り切りざるをえませんでした。

 

 

 

 

 

ところが子どもが小学生になり、だんだんと自我が育ち始めると、父親は目に見える成長(体力・成績)だけに反応してしまいがちになります。

 

 

 

 

 

母親もそのことを自分の”成果”として父親に報告します。

 

 

 

 

 

それが「専業主婦の役割」を認められることにもなりました。「何でもできて頼れる大好きなお父さん」から「何でも期待しているお父さん」へ、いつのまにか父親が変身しているのです。

 

 

 

 

 

そのとき父親は子どもにとって「よく分からない遠い存在」になっていくのだと思います。

 

 

 

 

 

俺が子どものころ、父親は”スーパーマン”でした。でも、いつのまにか”宇宙人”になっていました。親父、それでいいのかよ。

 

 

 

 

 

「宇宙人」を「大仏」と表現する子どももいます。

 

 

 

 

 

ある少年の父親は、茨城県の新興住宅地から片道3時間近くをかけて都内に出勤していました。

 

 

 

 

 

少年は父親が帰宅する時間は部屋で勉強し、出勤する時間はまだ深い眠りについていました。

 

 

 

 

 

家族は父親の「気にしなくていいから」の言葉に甘えて「いってらっしゃい」と玄関に立つことはありませんでした。

 

 

 

 

 

ですから、少年が父親の顔を見るのは日曜日の夜だけでした。でも、やはり家族なのです。

 

 

 

 

 

少年は、父親のことが気になっていました。ある日、都内で模擬テストがあった日、少年は朝早くに家を出ていつも父親が乗り換えている駅(常磐線・日暮里駅)のホームで、朝食代わりに”立ち食いそば”を食べました。

 

 

 

 

 

そのとき、お父さん、いつもここで(JR日暮里駅・常磐線ホーム)朝食をとっているんだ。”立ち食いそば”を

 

 

 

 

 

と思ったといいます。父親はずっと会社人間だったといいます。父親に甘えることができなかった今年25歳になる若者は、小さい頃、父親が「ウチの会社は・・・・」と語るたびにいつもこんなふうに思っていたそうです。

 

 

 

 

 

お父さん、定年になっても「ウチの会社」ってしか言えないんだね。「ウチの家族」っていつになったら言えるの?

 

 

 

 

 

その父親にしてみれば、会社はわが家同然です。就職したときは「子ども」で、中堅の係長で「長男」になり、出世街道の課長は「夫」で、いよいよ部長で「父親」になったわけです。

 

 

 

 

 

実際に、定年を前にして部下からほんとうに「おやじさん」と親しみを込めて呼ばれるようにもなりました。

 

 

 

 

 

テレビコマーシャルが流れると、「ウチの会社だ」と家族を呼び寄せ、大騒ぎしたのも父親でした。

 

 

 

 

 

我が子の運動会には来ないで”ウチの会社”の運動会には張り切って参加していました。部下は家族同然だと言ってね。

 

 

 

 

 

でも、本当の家族の僕はずっと寂しかったのです。そのことにお父さんはまったく気づいていませんでした。

 

 

 

 

 

その後、定年を迎えた父親は、今でも「ウチの会社は・・・・」と言っているそうです。

 

 

 

 

 

親父は一生、会社人間であり続けるかもしれませんね。寂しくないのかな・・・・。

 

 

 

 

 

と青年は心配しています。そして青年自身も思いっきり父親に甘えた記憶がないことを心の奥で寂しく感じていました。

 

 

 

 

 

彼は、とにかく勉強すれば将来が約束され、人から尊敬されるような「うちのお父さん」になれると母親から何度も聞かされてきました。

 

 

 

 

 

確かに父親は母親が言うように誰が見ても「いつもりりしく」立派で、作家の「司馬遼太郎」の世界に出てくるような人でした。

 

 

 

 

 

そして母親もNHKの大河ドラマの時代劇に出てくるような隙のない人でした。

 

 

 

 

 

彼は両親の願いどおりに一流大学に入りましたが、気になることがありました。

 

 

 

 

 

それは高1のとき、クラスの友人たちから「スマップも知らないで、お前、ほんとうに生きているのか」と言われたのです。

 

 

 

 

 

そして「北島三郎と都はるみなら知ってる」と言うと、耐え難い笑いがそこに起こりました。

 

 

 

 

 

彼には、そのことがずっと心に引っかかっていたのです。

 

 

 

 

 

その心の引っかかりを、父親や母親がいうように、勉強さえできていればスマップは知らなくても大丈夫だと信じてきました。

 

 

 

 

 

でも、大学を卒業してそれが間違いだと気がついたのです。

 

 

 

 

 

「勉強ができて、いい大学を出れば就職してからは何も心配いらない」って言っていたお父さん。

 

 

 

 

 

僕はお父さんにだまされました。人間関係につまづいた僕には、学歴は何の役にもたちませんでした。中学で高校の勉強を終わり”スマップ”も知らないまま大学生になってしまいました。

 

 

 

 

 

面接室で、彼は悔しそうに語りました。「勉強一直線」の彼は、幼い頃から父親の薫陶を受けて育ちました。

 

 

 

 

 

「お父さんの言う通りにしていれば、お父さん(一流企業の取締役)のようになれる。

 

 

 

 

 

うそじゃないぞ。お父さんがいい見本だ」そんなふうに言われ続けたのです。

 

 

 

 

 

彼にとって、父親のこのような励ましは”家宝”でもあったようです。

 

 

 

 

 

すべてに”一流”であった父親は、子どもにとっても憧れだったのです。

 

 

 

 

 

でも彼が大事にしてきた”家宝”が、彼にとっては偽物であることが就職してすぐに判明してしまったのです。

 

 

 

 

 

入社してすぐに45度頭を下げて挨拶するようにと教えられましたが、できませんでした。

 

 

 

 

 

ぎこちなかったのか、みんなから笑われてしまいました。”あいつは頭はいい(学歴)が、社会性はゼロ”と言われました。

 

 

 

 

 

自分としては、非常に恥ずかしい思いをしました。

 

 

 

 

 

彼はそのような意味のことを面接室で口にしました。彼は現在、有名な大学を出たことさえ悔やんでいるのです。

 

 



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