中学生等の不登校の事例
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中学生等の不登校の事例

2019年05月08日(水)4:15 PM

事例

 

 

 

 

 

8年前、中学1年の娘は、クラブ活動で神経がピリピリしていました。無理をして登校しているように見えたので、「休んでもいいよ」と言いました。

 

 

 

 

 

でも、いざ子どもが休みだすとわたしは、「学校へ行きなさい」と言ってしまいました。

 

 

 

 

 

先生が子どもを無理やり学校に連れて行った日、娘は帰ってきてから「とてもつらかった」と泣き出しました。

 

 

 

 

 

泣いている姿を見てわたしもつい「もう行かなくてもいいよ」と言いました。

 

 

 

 

 

そのときはしばらく休めばまた行けるようになるだろうと思っていました。

 

 

 

 

 

児童相談所に行ったとき、ケースワーカーから「子どもがいったいどうなればいいと思っているのか」と聞かれ、わたしは「ちゃんと社会人になれれば」と答えました。

 

 

 

 

 

でも、いま考えれば本心からの言葉ではなかったように思います。

 

 

 

 

 

その後、娘は週1回児童相談所に通い、わたしはパートの仕事を続けていました。

 

 

 

 

 

娘は中学3年の始業式には出かけましたが、親としてはかなり無理をしているのではないかと心配でした。

 

 

 

 

 

それからぽつぽつと登校し、修学旅行にも参加しました。ですが、その後、「学校はもういい」と言い、まったく行かなくなりました。

 

 

 

 

 

卒業前に学校から、「このままでは卒業が難しいので、卒業式までの間登校したらなんとか卒業させましょう」と言われました。

 

 

 

 

 

でも、娘は一日も登校できませんでした。「春休み中でも登校したら考えましょう」との先生の言葉に、春休みにがんばって何日か登校しました。

 

 

 

 

 

一応、卒業を認めましょうということになりましたが、結局卒業証書はもらえませんでした。

 

 

 

 

 

娘にとって、このことはとても重たいことだったようで、通信制高校の入学手続きのさいに、卒業資格が取れている事が確認できるまで、すごく引け目を感じていたようです。

 

 

 

 

 

父親は、娘のことに関して、わたしを通して知識は持っていたので、頭では理解していても感情的についていけず、娘とぶつかることが続きました。

 

 

 

 

 

しかし、今では反発しながらもいい関係になりつつあります。

 

 

 

 

 

現在、娘は働いており、親子共々こうした道を選んでよかったと思っています。

 

 

 

 

 

事例

 

 

 

 

 

子どもはまもなく19歳になる男の子です。中学1年の夏休み明けから学校に行かなくなりました。

 

 

 

 

 

校則と管理が厳しく、運動部顧問の体罰も数多くありました。

 

 

 

 

 

部活の変更も認められず、学校不信、人間不信となったようですが、それに加え、親も教師も無理やり登校させようと責めたりもしました。

 

 

 

 

 

その結果、頭痛、腹痛、言葉の暴力等ありましたが、不登校になって1年半後、関東自立就労支援センターを知り、通うようになりました。

 

 

 

 

 

関東自立就労支援センターでは勉強、友人づくりなどですっかり元気になりました。

 

 

 

 

 

義務教育も終わり、通信制高校の生徒となり、また以前から、中学を卒業したら早く働きたいとの本人の希望もあったので、すぐアルバイトを探してきました。

 

 

 

 

 

自分でネットで求人情報をチェックし、面接に行き、アルバイト先を決めてきたときは、どこにそんな行動力があったのかとたいへん驚きました。

 

 

 

 

 

18歳以上という条件の多いなか、16歳でも可、というところは案外少なく、まず近所のコンビニで7ヶ月働きました。

 

 

 

 

 

「働く」という初めての経験と、同じような年代の人たちと働くという条件のなかでは、本人はたいへん緊張していたようです。

 

 

 

 

 

次に探してきたアルバイト先は、ビルの清掃会社でした。こちらには1年お世話になりました。

 

 

 

 

 

ここでは18歳以上はロープ1本でビルの窓拭きをするのですが、危険なため、わたしは大反対をし、18歳になったころそこをやめました。

 

 

 

 

 

その後、自動車教習所に通い、車の免許を取り、すぐ自分で車を買ってきました。

 

 

 

 

 

ローンの額も自分で決め、今も支払っています。現在はスーパーで働いていますが、初めてアルバイトをしたころの緊張感もほぐれ、人間関係にもすっかり慣れて仕事も楽しそうにやっています。

 

 

 

 

 

熱心に働くため、信頼されているようすで、将来は何か自分のお店を持ちたいと思っているようです。

 

 

 

 

 

車を買ったため、早朝のアルバイトも始めたりと親はハラハラしたり心配したりと振り回されていますが、「自分のやりたいこと」が見つかれば一生懸命やっていますし、だんだん年齢が高くなるにつれて仕事内容も今までの経験から自分に合ったものを探すようになっています。

 

 

 

 

 

アルバイト先は何ヶ所も変わりましたが、職場を変わることも現在の息子にとっては将来への社会勉強ですし、それらが蓄積されて自信につながってくれればと思います。

 

 

 

 

 

事例

 

 

 

 

 

19歳になる娘は、現在アルバイトをしながら絵の勉強をしています。小学6年のとき、クラス担任が3年間も同じ先生で、家に帰るなり「もうあきちゃった」と言いました。

 

 

 

 

 

そのころから、学校へ行かせようとすると原因不明の熱が出るようになりました。

 

 

 

 

 

わたしは、そんな様子に危機感を覚え、学校を休ませました。それ以来、中学卒業まで学校へは行きませんでした。

 

 

 

 

 

父親は教師で、母親も教師の経験があるので、いろいろな意味で子どもに辛い思いをさせてしまったと思います。

 

 

 

 

 

中学校は比較的よい対応をしてくれ、最後まで登校を期待しましたが、娘は結局行けませんでした。

 

 

 

 

 

でも中2、3年の先生は、「人にはいろんな生きる道があるということがわかったし、これからもつきあっていけると思う」と言われました。

 

 

 

 

 

その後、通信制高校を希望したのですが、「大学受験の科目は、今のわたしには必要ない」と悩んだ末、やめました。

 

 

 

 

 

そして、今あまり嫌じゃないものをと考え、英語の専門学校を学校案内で見つけ、入学しました。

 

 

 

 

 

それまであまり外に出た事がなかったので、ずいぶん勇気がいったと思います。

 

 

 

 

 

あとで娘は、皆の視線が気になったが、意識しないように努めたと言っていました。

 

 

 

 

 

出席したり休んだりしながら、初級を3回やりなおし、3年間通いましたが、中級になったところで「これ以上は、目的が見い出せない」とピリオドをうち、次に絵の通信教育を始めました。

 

 

 

 

 

ビデオで授業を受けたり、いろいろな企画やアタックが刺激になるようで、今もアルバイトなどをしながら絵の勉強を続けています。

 

 

 

 

 

親の思いとして、高校へ行ったから、高卒認定試験を受けたから、アルバイトをしたからそれでよいという問題ではないのだと思います。

 

 

 

 

 

休んだ4年間、娘が持ちえた人間関係は家族と学校の先生だけでしたが、人間や社会をしっかりと見つめ、批判することもできるようになりました。

 

 

 

 

 

今、過去を振り返ってみると、不登校とは生き方や哲学的な問題だと思うようになりました。

 

 

 



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