子どもたちを追い込んできた強迫社会
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子どもたちを追い込んできた強迫社会

2019年05月05日(日)4:39 PM

わたしが引きこもりの子どもたちと向き合い始めたのは、今から約20年前のことです。

 

 

 

 

 

そのころは、いじめ、不登校、校内暴力が子どもたちをめぐる問題として注目されていた時期でした。

 

 

 

 

 

その後、10年くらい前から少年による殺人事件や引きこもりの増加に関心が向けられ、ここ数年は小学校の学級崩壊やいじめ、大卒者の無就労・無業者の増加など、次々と新しい問題がマスコミを賑わせています。

 

 

 

 

 

こうした子どもたちをめぐるさまざまな現象は、何の関係もなく起こっているのでしょうか。

 

 

 

 

 

わたしには根源的なところで、どこかつながり合っているように思えます。そして、これらの問題の背景を理解するためには、戦後日本社会が形成してきた人間関係づくりや文化・教育のあり方に目を向ける必要があるとわたしは思っています。

 

 

 

 

 

昭和40年以降、日本社会は高度経済成長の中で産業構造と社会構造を大きく変化させてきました。

 

 

 

 

 

高度経済成長は、効率や業績、生産性や速度といった「結果・納期」を最優先させる行動を大人たちに要求しました。

 

 

 

 

 

こうした「強迫社会」は否応なしに子どもたちの生活にも変化をもたらします。

 

 

 

 

 

企業社会の論理が学校や家庭の中に持ち込まれ、業績は「偏差値」という姿に形を変えて、子どもたちを一元的な競争社会へと追い込んでいきました。

 

 

 

 

 

子どもたちは親が期待する「いい子」を「納品」しようとわき目もふらずに「東大合格」へと突っ走っていきました。

 

 

 

 

 

つまり、誰もが一流大学、一流企業を目指して競い合う競争社会が形成されていったのです。

 

 

 

 

 

この一元的な競争秩序では、子どもたちの多様な欲求や生き方を肯定することはありません。

 

 

 

 

 

偏差値というひとつの尺度だけが「いい子」を判定する基準となります。

 

 

 

 

 

そのため、「いい子」の枠にとどまりきれない子どもたちは、親や周囲の期待と自分自身の内面にある評価との乖離に苦しむことになります。

 

 

 

 

 

「いい子」の枠におさまりきれない子どもたちがストレスを抱えて、「ムカつく」ことを余儀なくさせられてきたのです。

 

 

 

 

 

一方、あくまでも「いい子」の枠でがんばり続ける子どもたちは、「納期」を守るために無駄を排除していきました。

 

 

 

 

 

子ども同士の遊びや地域社会での交流、そして最後は家族との触れ合いまでも、「いい子になる」ために切り捨てていきました。

 

 

 

 

 

その結果、十分に人と関わる時間を持つことが許されず、手間隙かかる人間関係づくりを放棄してきた子どもたちが、今「コミュニケーション不全」というかたちで悲鳴をあげています。

 

 

 

 

 

テストの点数では推し量れない人間関係の「あいまいさ」、「アバウトさ」に耐える力を持たずに育ってしまった子どもたちが「ムカつき、キレる」行動に出ることで、社会や教育のあり方に警鐘を鳴らしています。

 

 

 

 

 

今、子どもたちはこの強迫社会が要求する「いい子になること」、「いい子であり続けること」に疲れきっているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

価値観が揺らぐ状況を生きる

 

 

 

 

このようにして子どもたちを「いい子」の枠に押し込んできた強迫社会も、ここへきて行き詰まりを迎えています。

 

 

 

 

 

「一流大学」を出て、「一流企業」に入れば安定した豊かな生活が保証される、という時代は過ぎ去りました。

 

 

 

 

 

高度経済成長時代の「会社に忠誠を尽くして努力すれば出世していく」という価値観が崩壊しているのです。

 

 

 

 

 

いわば、「努力しても必ずしも報われない」時代が到来しています。

 

 

 

 

 

こうした社会の変化に子どもたちは敏感です。自分たちの親のように、がむしゃらにがんばってみたところで、結局のところ「リストラされて、会社から捨てられる」のではないかと「達観」しているような気がします。

 

 

 

 

 

子どもたちは「お父さんのように努力したところで、たかが知れている」、「『いい企業に入れ』って言うけど、お母さんのころとは違うんだ」と感じています。

 

 

 

 

 

現代の強迫社会を支えてきた価値観そのものが、根底から揺らいできているのです。

 

 

 

 

 

こうした閉塞した状況の中で、子どもたちはまずますやり場のない怒りや不満を溜め込んでいます。

 

 

 

 

 

強迫社会が作り出した一元的競争秩序は、「いい子」の枠に収まりきれない子どもたちを、不登校や引きこもりという形で淘汰していきました。

 

 

 

 

 

ところが、そうしてたどり着いた現代社会も、閉塞した社会状況により、「いい子」の枠にとどまろうとすることの無意味さ、報われなさを露呈させているのです。

 

 

 

 

 

社会全体の価値観がその根底から揺らいでいる状況の中で、わたしたちはどう生きればいいのでしょうか。

 

 

 

 

 

社会全体がストレスを抱えている環境で、どのように子どもを育てればいいのでしょうか。

 

 

 

 

 

不安定な状況になると、人は「確かなもの」、「安定したもの」を求める傾向が強くなります。でも、立ち止まって考えてみましょう。

 

 

 

 

 

現代日本社会の抱える問題は、高度経済成長が追及してきた一元的競争秩序にその大きな原因があります。

 

 

 

 

 

だとするなら、わたしたちの選択すべき道は、これとは別の多様な価値観を肯定し多様な欲求を実現できる社会や生き方ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

子どもたちが自分の内面と向き合い、自らの意思で社会と関わり合い、人と触れ合う中で生きる喜びを享受できる、そんな社会にすることではないでしょうか。

 

 

 

 

 

人は人なくしては生きてはいけません。社会は、人と人との協力なくしては成立しません。

 

 

 

 

 

ですから、多様な価値観を認める社会とは、つきつめると、人と人が互いを肯定し合い、協力し合う営みを大切にする社会のことです。

 

 

 

 

 

言い換えるなら、手間隙かける人間関係づくりをおろそかにしないことが、これからのわたしたちには必要なのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

そして、そうした人間関係づくりの基本は、「せめぎ合って(感情交流)、折り合って(合意形成・歩み寄り)、お互い様(相互扶助・信頼)」です。

 

 

 

 

 

ストレスに負けない子どもを育てるには、心の歪みをもたらすストレスが充満する、現代社会の価値観に流されることなく、人間関係づくりの基本を子どもたちに継承していくことだと思います。

 

 

 

 

 

わたしはこうした営みを、「心を耕す」と呼んでいます。手間暇かけて心の田んぼを耕せば、子どもたちに大きな実りがもたらされます。

 

 

 

 

 

そもそも文化とは、その語源からもわかるとおり、人と人が協力し合いながら、手で土を耕すように手間暇かけて自然や生命と結びついた価値を創造することです。

 

 

 

 

 

わたしたちは、こうした文化の持つ意味を子どもたちに伝えることが必要ではないかと思います。

 

 



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