触れ合い刺激
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触れ合い刺激

2019年04月12日(金)12:06 PM

関西に住むA君(18歳)は中学2年のころから、いわゆる「不良グループ」に入っていました。

 

 

 

 

 

彼は体力的には弱かったのですが、教師に対しては注意されると激しく反発していました。

 

 

 

 

 

それは不良グループに対する自分の存在をアピールするような行為でした。

 

 

 

 

 

人は小心さを見透かされてしまうと、逆に、ツッパッてみたくなるところがあります。

 

 

 

 

 

とくに打って出るようなアクティブなコミュニケーションの苦手な子どもは、その意識が強い傾向があります。

 

 

 

 

 

だから極端に強さの「人格改造」を試みたりします。

 

 

 

 

 

引きこもる若者の中には、意外にも元ヤンキーの若者もいたりします。

 

 

 

 

 

世の中が活動的で、父性的コミュニケーションがもてはやされるほどに気後れ気味で、母性的コミュニケーションになりやすい子は、肩身が狭く思えたりして、いきなり無謀な行動に走りやすいのです。

 

 

 

 

 

A君は、5人兄弟の三男で、父親はトラックの運転手でした。

 

 

 

 

 

そんな彼が引きこもったのは、先輩にカツアゲされたことにはじまります。

 

 

 

 

 

三男だったこともあり、親との関係が希薄だった彼は、そのことを親に相談できず、祖母に頼んでお金をもらいました。

 

 

 

 

 

脅せば金を持ってくることに味をしめた先輩は、A君に対する恐喝を繰り返しました。

 

 

 

 

 

そして、その要求はますますエスカレートしていきました。

 

 

 

 

 

耐えかねたA君は、学校をしばしば休みだしました。

 

 

 

 

 

中学3年生になると、小心さをもうごまかすことができずに、完全不登校になりました。

 

 

 

 

 

登校刺激(登校するように働きかけること)をする先生の声を聞くだけで、「すくみ反応」を示すようになりました。

 

 

 

 

 

行動的で活発だったわが子がすくむ様子を見て、両親も驚きました。

 

 

 

 

 

学校を休んでいる間でも、外に出て人と交わってほしいとの気持ちもあって、悪いとはわかっていましたが、母親はA君にこづかいを与えていました。

 

 

 

 

 

A君はその金で成人を装ってパチンコに凝りましたが、1年ぐらいであきてしまいました。

 

 

 

 

 

中学を「形式卒業」して1年後の16歳のとき、オートバイに夢中になりました。

 

 

 

 

 

それをきっかけに再び不良グループと知り合い、付き合うようになってしまいました。

 

 

 

 

 

ですが、腕力の弱い彼はここでも小間づかいをさせられました。

 

 

 

 

 

暴走行為をしているときも、いちばん危険な先頭を走らされました。

 

 

 

 

 

やがて、自分の惨めさに耐えられなくなったA君は、グループから離れる意味で、家に「籠城」するようになりました。

 

 

 

 

 

グループからはたびたび電話がかかってきましたが、彼は居留守をつかいました。

 

 

 

 

 

両親はグループと付き合わなくなったことを喜び、彼が家に閉じこもり続け、外に出なくなっても、不良グループを恐れてのことだと自然に思っていました。

 

 

 

 

 

閉じこもったA君の生活は、昼夜が逆転していきました。

 

 

 

 

 

もちろん床屋には行かず、頭髪は伸び放題でした。一日中部屋の中にA君がいても、両親にとっては非行への不安もないことから、気になることはなかったようです。

 

 

 

 

 

いつのころか、彼は祖母以外の人間とは話をしなくなっていきました。両親、兄弟とのコミュニケーションもありませんでした。

 

 

 

 

 

部屋に鍵をかけ、誰も入れず、そこに閉じこもるようになっていきました。

 

 

 

 

 

母親はそれ以来2年ほど、子どもの部屋の中を怖いという気持ちもあって、のぞく気が起きませんでした。

 

 

 

 

 

彼は家に来客があるときは、部屋からまったく出ようとはしませんでした。客が帰ってから、少し顔を出す程度でした。

 

 

 

 

 

グループに入っていた頃の生気を失った彼は、家庭内で暴力を振るう力も残っていませんでした。

 

 

 

 

 

父親はそれまでの親子のコミュニケーションが不足していたのではと考え、A君に声をかけました。

 

 

 

 

 

そして半年ほどトラックの助手席に乗せて働かせてみましたが、彼にとっては助手の仕事はきつく、苦痛でしかありませんでした。

 

 

 

 

 

母親は居間で寝ているA君の姿が「子どもの存在が影のように『ボワーッ』とした感じで、吸い取られそうな、死を待っているお年寄りのように見えた」と言います。

 

 

 

 

 

A君は、「自分は力もないし、頭がおかしいから、こういうふうにボーッとしているのがいちばんいいんだ」と言うしかありませんでした。

 

 

 

 

 

そして、「20歳になったらなんとかするから、それまで働けとか言わないでくれ」と言いました。

 

 

 

 

 

ですが、20歳を過ぎても働くことはありませんでした。

 

 

 

 

 

「俺みたいな気の弱い人間は、いつも誰かに命令されているしかないんだ」と、捨て鉢になるしかありませんでした。

 

 

 

 

 

コミュニケーションを完全に断ち、引きこもる子どもにいわゆる「刺激」を与えてはいけないという話もあります。

 

 

 

 

 

訪問したり、誘いかけてはいけない、じっと「待つ」ことが大切だという人もいます。

 

 

 

 

 

基本的にはわたしもそう思います。コミュニケーションをとろうとする自立心の成長を待つ必要があると思うからです。

 

 

 

 

 

A君のように自分の弱さを認めてきたのは、その時期に向けて歩もうとしている場合であり、エネルギー補充中と考えたいです。

 

 

 

 

 

またプランも見えず、1年2年と引きこもる場合でも、口には出しませんが、本心では援助を待っていることもたしかです。

 

 

 

 

 

だから、声かけだけは忘れないでほしいと思います。

 

 

 

 

 

それは「あきらめてはいないよ」という支援のメッセージだからです。

 

 

 

 

 

言えることは互いが「懐いている」関係を確認できるならば、その状況の中で「刺激」することを恐れることはありません。

 

 

 

 

 

ともあれ、子どもたちが求めているのは、関わりから「逃げない」という名の「触れ合い刺激」なのです。

 

 

 



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