離婚とひきこもり
ホーム > 離婚とひきこもり

離婚とひきこもり

2019年03月23日(土)2:34 PM

ひきこもりは、本人が自ら好んで起こしている現象ではありません。ひきこもらざるをえない状況の中で、仕方なく起こっているものです。

 

 

 

 

 

本人はもちろん、その父母、同胞ら家族たちにとっても非常に大変な状態です。

 

 

 

 

 

しかし、その大変さの持つ意味には、本人とその父母、同胞ら家族とで違いがある場合が少なくありません。

 

 

 

 

 

この差異の意味を考えていくことは、いずれは本人と父母や同胞らの関係性を考えることになり、お互いが理解をし合うということにつながっていくことになります。

 

 

 

 

 

ただ、本人自らが自分の意思で、相談機関に足を運ぶことはあまりありません。

 

 

 

 

 

あるいは、相談に来た父母の説得で、本人が相談機関を来談することも珍しいです。

 

 

 

 

 

そこで私たちが最初にできることは、父母が勇気を出して相談機関を訪ねてきた現状、これまで何とか本人によくなってもらおうと思い、重ねてきた苦労をしっかりと受け止めて労うことです。

 

 

 

 

 

この経過に寄り添うと、私たちも相談者もこれまでの本人のひきこもりの意味と、それに伴い努力してきた父母ら家族の努力の意味と、その大変さ、すさまじさが徐々に理解できるようになってくる、という協働ができるようになってきます。

 

 

 

 

 

そしてそのプロセスを経て、本人や家族たちがすでに持っている力が、改めて発見できることも少なくありません。

 

 

 

 

 

それらはうまくいかなかったことがほとんどであったかもしれません。

 

 

 

 

 

しかし、これまでのいろいろな試みの中には、場合によっては、少し他の試みとは違う意味を持っていることもあったかもしれません。

 

 

 

 

 

ここで、私がかつて受けた相談事例を紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

ひきこもる本人(36歳)の母親(65歳)が最初の相談者でした。その夫である本人の父親(69歳)とも面談をしました。

 

 

 

 

 

最初は各々と面談をし、3回目には夫婦同席で面談しました。

 

 

 

 

 

代々伝統的な織物を伝承してきたある地方の名家がありました。母親はその家に嫁ぎました。

 

 

 

 

 

その家は、父親と父方祖父母、父親の兄弟が住む大家族でした。父親は、父方祖父と共に織物業を営んでいました。

 

 

 

 

 

母親は父親との間に2人の子どもを設けました。長男(本人)、長女(33歳)でした。

 

 

 

 

 

父方祖父が生存する間、家業はうまくいっていました。しかし、父方祖父が亡くなった後、何かが変わりました。

 

 

 

 

 

父親は職人気質で経営があまりうまくありませんでした。その分、母親が苦労しました。母親が意見を言っても、父親は一切取り入れませんでした。

 

 

 

 

 

父親はワンマンでした。母親は、父方祖母との嫁姑関係でも苦労しました。母親は、心身ともに疲れ果て、家にいることが苦痛になりました。

 

 

 

 

 

何度か家を出たいと飛び出しました。そのたびに父親に連れ戻されました。しかし父親は一向に態度を変えませんでした。

 

 

 

 

 

母親は、「子どもが一人前になるまでは・・・・・・・」と頑張りました。

 

 

 

 

 

長男(本人)は高校を卒業後、家業を引き継ぐために県外に修行に出ました。

 

 

 

 

 

6年後、長男は無事に修行を終えて帰宅しました。その後、兄の帰りを待っていたかのように、間もなく長女は家を出ました。

 

 

 

 

 

長女はやがて結婚して、県外に居を構えました。長男は、父親の後継者となるために仕事に励みました。

 

 

 

 

 

しかし、昔とは時代が変わり、織物職人として家業を継承するのは厳しく、父親とも考え方が合いませんでした。

 

 

 

 

 

長男が修行を受けてきた織物の技術は、父親にはなかなか認めてもらえませんでした。

 

 

 

 

 

やがて長男は、織物職人としての自信をなくし、自室にひきこもるようになりました。

 

 

 

 

 

父親が家にいる間は、まったく自室から出なくなりました。父親が外出しているときだけ自室から出ていました。

 

 

 

 

 

その間に食事をし、風呂に入っていました。そしてこのような状況の中、母親も、この父親と一緒に生活をすることに限界を感じていました。

 

 

 

 

 

母親は、おもいきって県外に家出をし、夫から逃れようとしました。約12年間、父親に見つからないように身を潜めてきました。

 

 

 

 

 

父親はよく心臓発作を起こしました。日常生活はなんとかできましたが、近いうちに大きな手術をする必要がありました。

 

 

 

 

 

父親の気持ちは沈んでいました。このような状況で、行方不明の母親から、父親と離婚するにはどうすればよいかという私への相談依頼がありました。

 

 

 

 

 

母親は、今後の自分の人生を、夫と離婚して自立して余生を過ごしたいと考えていました。

 

 

 

 

 

母は、父親と離婚がしたいのですが、話し合いができないことがわかっていました。

 

 

 

 

 

そこでどうしたらよいのか相談を受けてみたいと思ったようです。私が父親に連絡したところ、父親は来談しました。

 

 

 

 

 

父親は、満身創痍であるうえ、長男の世話をしています。母親は、当然家に戻るべきであると主張しました。

 

 

 

 

 

しかし、母親は、はっきりとその父親の要求を断りました。もちろん、母にとっては、長男のひきこもりはとても深刻な問題でした。

 

 

 

 

 

母親は、長男を置いて自分だけが夫から逃れてきたことに罪の意識を感じていました。

 

 

 

 

 

しかし、この夫と今後も夫婦として生活していくことは、何よりも苦痛で困難でした。

 

 

 

 

 

父親は、長男のことでは本当に困っていました。3人くらいの精神科医に相談をしました。そのうちの1人に頼み、長男を精神科病棟に入院させてもらったこともありました。

 

 

 

 

 

しかし、約1ヶ月間の経過を見て、息子が不憫に思えてきて退院させたというエピソードを話しました。

 

 

 

 

 

どうしたら息子のひきこもりは治せるのかと真剣に悩んでいました。

 

 

 

 

 

最後の夫婦同席の面談は次のとおりでした。

 

 

 

 

 

母親は、はっきりと父親に離婚の意思を伝えました。しかし父親は、母親の主張に対して聞く耳を持ちませんでした。

 

 

 

 

 

父親は最後まで、母親に「早く帰ってくるべきだ」という表現しかできませんでした。「帰ってきてほしい」という表現はできませんでした。

 

 

 

 

 

母親は、この後、家庭裁判所に離婚調停を申し立てると言いました。私は、この段階までしか関われませんでした。

 

 

 

 

 

この父母のやりとりは、長男の耳には入っているのでしょうか。長女から間接的に長男の耳に入ることはあったのでしょうか。

 

 

 

 

 

この長男のひきこもりは、長女が家を離れ、夫婦が空の巣状態になろうとしていた時から始まったと見ることもできます。

 

 

 

 

 

しかし、誰もそのことを意識している人はいないようです。

 

 

 

 

 

長男は、そのことをどこか無意識で感じているかもしれません。ただ父母は夫婦としては向き合えず、母親はその強烈な夫の元から逃れていきました。

 

 

 

 

 

母親は、どこか長男も逃れればよいと陰ながら密かな期待を持っていたのではないかと思います。

 

 

 

 

 

父親の前から行方をくらませ、所在不明となっていた母親が、あえて自分から父親との離婚調停を申し立ててきたという事実、そして父親がいくら強く主張しても、母親が離婚の意思を変えなかったという事実をもしも長男が把握すれば、長男のスタンスに変化が生じる可能性があるかもしれません。

 

 

 

 

 

このように、ひきこもりという現象を考えていくと、その渦中にいる人には見えない、それ相当の意味というものが存在することがあります。

 

 

 

 

 

そしてそのことは、家族にとってどこかタブーになっていることなのかもしれません。

 

 



メニュー

過去の記事

団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援