いじめについて~外からの歯止め~
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いじめについて~外からの歯止め~

2019年03月16日(土)3:26 PM

いかなる社会規範でも、内面の歯止めだけでは不十分であり、どうしても外からの歯止めが必要となります。

 

 

 

 

 

つまり、いじめ加害者の周りの人たちからの反作用による抑止力が不可欠です。

 

 

 

 

 

いじめ問題のように、秩序や安全の確保を私的責任に委ねている場合、加害側の内面に多くを期待できないならば、構成員相互の働きかけに期待せざるをえないからです。

 

 

 

 

 

いじめ事件が発生すると、私たちは「いじめた子」と「いじめられた子」に注目し、何が原因かを探り出そうとします。

 

 

 

 

 

しかし、実際には、直接の当事者のみによって、いじめが発生したり解消したりしているわけではありません。

 

 

 

 

 

いじめであれ、犯罪や非行であれ、およそ逸脱行動といわれる現象は、周りの人たちの反応の仕方によって、現象の発生、逸脱の程度と内容、ターゲット、継続性などが異なってきます。

 

 

 

 

 

フランスの社会学者のE・デュルケムは早くからこのことを指摘していました。

 

 

 

 

 

私たちの日常生活のルールは法律だけでなく、慣習、道徳、習慣などの規範の束によって保たれています。

 

 

 

 

 

これらは特定の場面で、どのように判断し、どう振る舞うべきかの準則を示すものです。

 

 

 

 

 

私たちが他者の行動に接する場合にも、規範に照らして望ましい行動であれば、これを是認し、ときにはその行動を推奨します。

 

 

 

 

 

望ましくない行動であれば、これを否認し、事態は抑止される方向に動いていきます。

 

 

 

 

 

前者を肯定的反作用、後者を否定的反作用と呼んでいます。およそ集団と言われるものは、学級であれ職場であれ、こうした反作用によって保たれています。

 

 

 

 

 

外部からの危機介入は、このシステムの限界を超えたときに限られます。

 

 

 

 

 

人々の反作用は、目の前で起きている問題に直接対処するためだけではありません。規範を内在化するのも重要な働きです。

 

 

 

 

 

このことは、子どもを例に考えれば容易に理解できます。子どもが望ましくない行動をすれば親がたしなめ、望ましければ褒めます。

 

 

 

 

 

こうして子どもは、望ましくない行動を外からの声によって抑制するとともに、それが望ましくないことを知り、内なる良心の声として定着させていきます。

 

 

 

 

 

この場合、親の反応が「反作用」です。親子関係に限らず、私たちの生活とはこうした「行為と反作用」の繰り返しからなっています。

 

 

 

 

 

この積み重ねが、人々を社会人として成長させ、結果として社会の秩序維持につながっていきます。

 

 

 

 

 

デュルケムは、社会や集団の中で逸脱が発生した場合、否定的な反作用が適切に発動されるならば、その社会や集団は正常な状態にあり、適切に作動しない状態にあれば、社会や集団は病んだ状態にあると考えました。

 

 

 

 

 

デュルケムは、そこから「犯罪は正常現象である」という命題を導き出しています。

 

 

 

 

 

犯罪を個人の行動のレベルで見れば、正常な現象とは毛頭いえません。しかし、視点を個人から社会や集団のレベルに移行させてみると異なった姿が見えてきます。

 

 

 

 

 

そもそも犯罪という現象は、それが発覚し、逮捕され、起訴され、有罪判決が出て初めて犯罪となります。

 

 

 

 

 

現代のような依法社会では、この一連の司法過程が社会の反作用メカニズムの作動するプロセスとなります。

 

 

 

 

 

もし、社会の反作用力が脆弱であれば、犯罪は社会の表面に現れません。反対に、反作用力が強すぎる社会では、冤罪も含めて過剰に犯罪が生み出されます。

 

 

 

 

 

したがって、正常な社会とは、犯罪に対する適切な反作用力を備え、一定数の犯罪を生み出すことのできる社会といえます。

 

 

 

 

 

異常に少なすぎても、多すぎても病んだ社会の状態の証となります。

 

 

 

 

 

このことは、いじめにも当てはまります。

 

 

 

 

 

誰もいじめた子を制止しようとしない学級は、いじめに対する反作用力を欠いた集団です。教師が介入しない限り、学級自体で抑止力を発揮できない状態にあります。

 

 

 

 

 

しかも、こうした反作用力の衰退した学級は、いじめの周りに壁を張り巡らせており、教師がいじめを発見することすら容易ではありません。

 

 

 

 

 

デュルケムになぞらえて表現すれば、まさに「病んだ学級集団」といえます。

 

 

 

 

 

なお、これらの反作用は、曖昧になっている逸脱性の境界を明確にする働きも備えています。

 

 

 

 

 

そもそもいじめ問題では、何がいじめにあたるかについての境界が曖昧になりがちであり、加害意識の弱さもそこからもたらされています。

 

 

 

 

 

集団のなかで、いじめに対して反作用が現れなければ境界はますます不明確となり、加害意識はいっそう希薄化します。

 

 

 

 

 

反対に、適切な反作用が加えられれば、集団内の認識の枠組みが固まります。いじめに対して適切な反応がなされることによって、正義が貫かれ、集団の秩序も回復します。

 

 

 

 

 

反作用は、集団のなかにこうした一種の正のスパイラルを巻き起こしていく導火線でもあります。

 

 

 

 

 

傍観者も加害者である

 

 

 

 

 

いじめにおける反作用の担い手は、当事者を取り巻く周囲の子どもたちです。周りの子どもたちは、さらに二層にわかれます。

 

 

 

 

 

一つはいじめをはやし立てて面白がって見ている子どもたち(観衆)であり、もう一つは見て見ぬふりをしている子どもたち(傍観者)です。

 

 

 

 

 

教師はともすれば、「いじめた子、いじめられた子」という関係に目を奪われて、犯人捜しや、いじめられた子の事情を調べることに終始しがちです。

 

 

 

 

 

もちろんこうした作業が間違っているわけではありません。しかし、私たちは、周囲の人たちの反応によって、歯止めがかかるかどうか左右されることを忘れがちです。

 

 

 

 

 

周りで見ている子どもたちの中から、「仲裁者」が現れる、あるいは直接止めに入らなくても否定的な反応を示せば、「いじめる子」への抑止力となります。

 

 

 

 

 

この場合、いじめはいったんクラスからなくなるか、続くとすれば新たないじめの方法が導入されたり、標的を変えたりすることも起きます。

 

 

 

 

 

逆に、周りの子どもたちが面白がったり、見て見ぬふりをしたりしていれば、いじめる子は図に乗ります。

 

 

 

 

 

「観衆」は直接手を下してはいません。しかし、ときにははやし立てることによって、いじめの炎に油を注ぎ込む存在です。

 

 

 

 

 

いじめる子にとって、彼らの存在はいじめを積極的に是認してくれる層です。その意味では「観衆」も加害者側に立っています。

 

 

 

 

 

「観衆」の中には、いじめのきっかけを作っておいて、いざいじめが始まると自分は手を下さず、周りで見ながらほくそ笑んでいる「仕掛け人タイプ」も含まれています。

 

 

 

 

 

これに対して、「傍観者」は、知らぬふりを装い、一時的に日頃の人間関係を断っている子どもたちです。

 

 

 

 

 

彼らが冷ややかな反応を示せば、いじめを抑止する存在となります。

 

 

 

 

 

しかし、見て見ぬふりをする態度の背景には、他者の抱えている問題への無関心さ、自分が被害者になることへの恐れ、優勢な力に対する従順さ、集団への同調志向などが横たわっており、この層の大部分は、実際にはいじめを抑止する力とはなりえません。

 

 

 

 

 

傍観者的な態度は、かえっていじめている子どもを支持する存在となります。

 

 

 

 

 

私たちの調査では、傍観者は加害者や観衆と異なり、自分勝手な行動には出ず、学級の活動にも協力的ですが、これらは彼らの同調志向の高さからもたらされたものとも解釈できます。

 

 

 

 

 

またこの層には、成績も比較的良く、将来の大学進学を考えている子どもたちが多く、教育制度をはじめとする社会の仕組みへのつながりに意味を見い出している子どもたちが多く見られます。

 

 

 

 

 

傍観者は普段の日常生活では、きわめて状況適応的な態度を示しています。

 

 

 

 

 

しかし、いったんいじめの場面に出くわすと、それが友人であっても救いの手を差し伸べず、傍観者を決め込んでしまいます。

 

 

 

 

 

指導マニュアルなどで、「傍観者も加害者である」という考え方が示されることがあります。

 

 

 

 

 

この考え方は、この反作用モデルから導き出されたものです。

 

 

 

 

 

傍観者層の子どもたちは、「いじめに加担したつもりはない」「被害を与えるようなことは何もしていない」と考えています。

 

 

 

 

 

確かに、個人の行為に着目すればその通りです。しかし、反作用が何も起きなければいじめを助長します。

 

 

 

 

 

したがって、傍観者は、彼らが考えているように中立とは言えません。さらに、傍観者の存在は、いじめという力の乱用に対する服従の構造を広げ、それが集団圧力となって、「止めに入る子」をためらわせます。

 

 

 

 

 

まさに、傍観者も加害者なのです。いじめ被害の多さは、学級内のいじめている子どもの人数や観衆の人数よりも、傍観者の人数と最も高い相関を示しています。

 

 

 

 

 

しかし、観衆と傍観者は固定された役割ではありません。常に「被害者」にまわる可能性があり、「加害者」に変身することもあります。

 

 

 

 

 

「加害者」も例外ではなく、常に「被害者」へと落とし入れられる可能性を含んでいます。あるいは、「加害者」であり「被害者」でもあるという子どももいます。

 

 

 

 

 

こうした「立場の入れ替わり」が、学級集団の中に、「被害者」へ陥ることの不安感を蔓延させ、誰もが口を閉ざし、教師に知らせようとしない雰囲気が醸成されます。

 

 

 

 

 

以上のように、現代のいじめ集団の構造は、「加害者」「被害者」「観衆」「傍観者」という四層から成っています。

 

 

 

 

 

いじめの性質は、加害者だけでなく、周りの子どもたちの反応によっても決まります。

 

 

 

 

 

いわば教室全体が劇場空間であり、いじめは舞台と観衆との反応によって進行するドラマです。

 

 

 

 

 

多くの傍観者の中で、いじめが進行していく状況は、抑止力を欠いたまま学級が四層へ収斂していく過程であり、子どもたち自身による歯止めを失った状態は、集団の自己制御機能が脆弱化した証です。

 

 

 

 

 

この状態は、「集団のインファンティリズム(退行的原初化)」とも呼ばれ、集団の「共同性」が瓦解したことを意味します。

 

 

 

 

 

共同性を欠いた学級内の人間関係はますます希薄になり、子どもたちを孤立させます。

 

 

 

 

 

「四層化」とは、いじめられた子どもを孤立させ、追い詰めていくことでもあります。

 

 



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