いじめについて~内からの歯止め~
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いじめについて~内からの歯止め~

2019年03月15日(金)1:23 PM

いじめは人間の動物としての攻撃性に根ざすものではなく、人間が社会的に作り出す関係性に潜む病理です。

 

 

 

 

 

そのために、私たち人間社会ではその発現を未然に防ぎ、起きたいじめに「歯止め」をかける知恵を集積しています。

 

 

 

 

 

この「歯止め」は、人間の内面に規範意識としてセットされている場合もあるし、問題に反作用する力が集団に埋め込まれている場合もあります。

 

 

 

 

 

それでも、いじめによる被害がかくも広まっているのは、子どもたちの内外両面からの歯止めが弱まっていることの現れだと考えられます。

 

 

 

 

 

まずは、子どもたちに内在化された規範意識がどのような状態か見てみましょう。

 

 

 

 

 

意識調査の結果では、ほとんどの子どもたちがいじめはよくないことだと認識しています。しかし、現実には、いじめはなくなっていません。

 

 

 

 

 

この傾向はずっと以前から変わっていません。たとえば、大学教授らの専門家たちが1984年に実施した調査結果にも既にこの傾向が顕著です。

 

 

 

 

 

この調査では、いじめの典型的な手口である「持ち物隠し」と「友達をからかう」ことについて、「悪い」ことだと認識しているかどうか尋ねています。

 

 

 

 

 

「持ち物隠し」では97%の子どもが「悪い」ことだと認識し、「友達をからかう」についても91%に達していました。

 

 

 

 

 

これを見ると、極めて健全な規範意識を身につけているといえます。

 

 

 

 

 

ところが、調査の結果、「友達をからかう」は全クラスで確認されており、「持ち物隠し」も44学級中、42学級で発生が確認されています。

 

 

 

 

 

クラスのほぼ全員がいじめは「悪い」ことだと認識していても、抑止力になっていないのです。

 

 

 

 

 

調査チームの島和博氏は、この矛盾を説明する一つのカギが、いじめを「面白い」と感じている点にあると分析しています。

 

 

 

 

 

「持ち物隠し」については「悪い」ことだが「面白い」という反応が2割強、「友達をからかう」では4割強でした。

 

 

 

 

 

この傾向は、「いじめている子」やいじめを周りではやし立て、面白がって見ている「観衆」層の子どもたちに顕著です。

 

 

 

 

 

善悪の判断が「理性知」の判断だとすれば、「面白い」という評価は「情動」のレベルで生じます。

 

 

 

 

 

「悪いことだが面白い」という状態は、規範が内在化されず、情動を抑制できない場合、あるいは「面白さ」を求める情動が「中和の技術」で行動を正当化してしまう場合、または、群集心理が発生する場合等が考えられます。

 

 

 

 

 

なお、ここでいう「中和の技術」とは、逸脱行動に対して道徳的な非難や制裁が及ぶ場合に、自分の行動を正当化するテクニックです。

 

 

 

 

 

心理学者のマッツァらは、「責任の回避」「危害を加えていないと考える」「被害がないと見なす」「非難や制裁を加えるものを非難する」「集団や社会への忠誠心に訴える」などのメカニズムを挙げています。

 

 

 

 

 

一方で、規範意識が内在化されない背景には、現代社会における規範意識の弱まりやコミュニケーション能力の低下を指摘する議論が多いです。

 

 

 

 

 

また、欲求の肥大化に伴う「コンサマトリーな行動」(欲求をあたかも消費するかのように即時達成的に行動へと移す傾向)、あるいは「今が楽しければよい」とする刹那主義が、感情や欲望の抑止力を欠き、問題行動を引き起こすという議論も多いです。

 

 

 

 

 

これらの議論は、いずれも誤りではありません。しかし、こうした傾向の背後には、現代社会の深層に潜む大きな構造変化があることを見逃してはなりません。

 

 

 

 

 

加害意識を弱めるもの

 

 

 

 

 

いじめは、基本的にグレイゾーンで発生します。そのため、ほとんどの子どもたちは一般論として、いじめを「許せない」と捉えることができますが、現実の行動のレベルでは加害意識を強く意識しないことが多いです。

 

 

 

 

 

そのことが、「悪いことだが面白い」という意識にもつながってしまいます。その要因の一つは、逸脱性の境界が不明確なことにあります。

 

 

 

 

 

一口にいじめといっても、からかい、ふざけ、あだ名呼び、非難の応酬、喧嘩、小突く、突き飛ばすといった日常的に起こりうる行為から、悪質なからかいやふざけ、誹謗中傷、暴力、仲間はずしまでさまざまであり、どこまでが許され、どこからが許されないものかという逸脱性の境界が、いじめの「乗り物」によって判断できません。

 

 

 

 

 

逸脱性の境界が曖昧であるということは、特定の行為がいじめにあたるかどうかの判断が、行為の状況や地域文化などによって、異なる場合があることを意味しています。

 

 

 

 

 

善悪の判断を子どもたちに尋ねた各種の調査結果で、いじめは「理由によっては悪くない」「わからない」という判断が少なからず現れることは、まさに境界の不明確さを示しています。

 

 

 

 

 

状況的誘因が加われば、逸脱性の境界は容易に溶解してしまいます。規範観念を醸成するにあたって注意しておかなければなりません。

 

 

 

 

 

加害意識を希薄化する要因は、実害が見えにくいことにも求められます。

 

 

 

 

 

いじめでは、自分の行為の加害性を相手の内面の苦痛によって推し量る必要が生じます。周りの者から実害が見えにくく、それだけ反作用も現れにくいです。

 

 

 

 

 

総体としての規範意識をいっそう脆弱化させてしまうことにもなります。

 

 

 

 

 

教師の威信の揺らぎ

 

 

 

 

 

もう一つの要因に、学校の秩序や教師の威信の揺らぎがあります。

 

 

 

 

 

文部科学省の調査でも、いじめの発生率の高い学級では、「正しいことが正しいこととして通らない」「正直者が馬鹿を見る」「先生が子どもたちにおもねる」傾向が見られます。

 

 

 

 

 

日本社会全般の規範や法秩序の揺らぎと、運用者への不信感も背景として重要です。

 

 

 

 

 

とりわけ大人が行う児童虐待、ドメスティック・バイオレンス、パワー・ハラスメント、セクシャル・ハラスメント、アカデミック・ハラスメントなどに対する日本社会の感性が鋭敏か否かは、子どもたちの規範感覚に少なからず影響を与えていることも見逃すことはできません。

 

 

 

 

 

いじめは比較的新しい問題行動であるだけに、規範観念も成熟しておらず、逸脱性の境界にも曖昧な性質があるため、子どもたちの道徳的な意味空間のなかに根を下ろしていないところが多々あります。

 

 

 

 

 

それでも、内面からの歯止めの育成なくしては、社会の秩序を担保できません。

 

 



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