思春期の子供の自分探し
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思春期の子供の自分探し

2018年11月04日(日)12:51 PM

昔の生産水準の低い社会は、大人の体に成長した人間を働かさずに養っておくだけの生産性を持っていませんでした。

 

 

 

 

 

ゆえに体が大人になればすぐに働き、一人前の社会人としての責任を負わされました。

 

 

 

 

 

言い換えれば、子供から直ちに一人前の大人にさせられたのです。

 

 

 

 

 

そのような社会では、「自分探し」などと悠長なことは言っていられなかったことでしょう。

 

 

 

 

 

今日の日本のように生産性の発展した社会になって初めて、体も頭も大人並みの成熟や発達をとげていながら、一人前の社会人として働き、責任を負うことを猶予される期間としての「思春期」、言いかえれば、もう子供ではないけれどまだ一人前の大人でもない、中間的な時期としての「思春期」というものを多くの若者が享受できるようになりました。

 

 

 

 

 

他方、このような猶予期間を与えられたとしても、自分の将来や進路というものが決定されていて選択の余地がなければ、自分を問題視し、自分を探索することはないでしょう。

 

 

 

 

 

「自分探し」をするのは、自分の生き方や進路を選択する可能性があるからです。

 

 

 

 

 

その意味では、身分や家、血筋によって一生が決められ、個人の選択の余地がなかった封建制の社会では、今日の若者たちのように、自分を問い自分を探索するようなことは起こり得なかったはずです。

 

 

 

 

 

また、戦前の絶対主義的天皇制のもとで、忠君愛国の思想や価値観を権力によって強制された時代にも、今日のようにいろいろな考え方や価値観を選択する自由を曲がりなりにも保障されている民主制度のもとにおけるような「自分探し」は困難であったことでしょう。

 

 

 

 

 

このように見てくると、自分を問い、自分を探索する「思春期」は、高度の生産力と民主的な諸制度を備えた社会が発展してくる中で、初めて誕生してきたものであることがわかります。

 

 

 

 

 

そういう意味では、高度の生産力と民主的な諸制度を備えた社会に甘えて、思春期の「自分探し」ができるのだと言うことも可能ではあります。

 

 

 

 

 

しかし、今日の思春期の子供の「自分探し」が、日本の生産力や民主的な諸制度のまともな発展のうえに、十全に開花させられているかといえばそうではありません。

 

 

 

 

 

大企業の生産第一主義は、労働者の権利の抑圧の上に長時間過密労働や「過労死」をもたらし、子供との人間的な触れ合いのゆとりを奪っています。

 

 

 

 

 

また、学校が企業のための人材養成機関と化していく中で、思春期の子供の進路や生き方を求めての「自分探し」は、競争と管理によって抑圧され、ねじ曲げられていかざるを得ない状況があります。

 

 

 

 

 

そういう中での思春期の「第二の誕生」と、自立に向けての「自分探し」は、「難産」にならざるを得ない面があるのです。

 

 



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