ひきこもりと社会の壁
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ひきこもりと社会の壁

2018年06月02日(土)8:00 PM

今の社会はみんな平等(ということ)にされます。

 

 

 

 

 

落ちこぼれのない社会が、かえってひきこもりの若者たちを動きにくくしています。

 

 

 

 

 

どっちを向いてもいいとされる悪平等が子どもたちを蝕んでいます。

 

 

 

 

 

精神科医の斉藤環さんは、このことを「去勢の否認」という精神分析的な用語を用いて説明しています。

 

 

 

 

 

去勢不安とは、息子が父親(父性)という壁にぶち当たり、打ち負かされることへの不安を、象徴的に表現しているものです。

 

 

 

 

 

したがって、「去勢の否認」とは、それが否定される、認められないことを言います。

 

 

 

 

 

すなわち、今の子どもは、教育システムの悪平等主義をはじめとして、壁にぶち当たって砕け散るようなチャンスがない、自らの限界を思い知らされる体験が奪われてしまっているということになります。

 

 

 

 

 

本当にそうでしょうか。

 

 

 

 

 

それなら子どもの前に壁を設けてあげればいいということになるのでしょうか?

 

 

 

 

 

壁をいっぱい張り巡らせて、どんどんぶつかる体験をさせるといいのでしょうか?

 

 

 

 

 

私にはそうは思えません。

 

 

 

 

 

ぶつかる壁なんか外にも内にもたくさんあるではありませんか。

 

 

 

 

たとえば、理不尽ないじめ、なじめない学校、ついていけない勉強、期待し要求する大人の眼などの外側の壁があります。

 

 

 

 

 

さらに、自分のせいで周囲に迷惑をかけてはいけない、こんな自分ではダメだなどの内側からの壁があります。

 

 

 

 

 

どっちを向いても壁だらけです。

 

 

 

 

 

ひきこもりは単に社会との関係だけでなく、家族との関係、自分自身とのつき合い方などいろいろな要因がからみ合っており、そのいたるところにさまざまな壁があります。

 

 

 

 

 

たまたま、幸運にもあまりぶつからずにすんだら、何とか通り過ぎることができるかもしれません。

 

 

 

 

 

でも、多くの場合は否応なしにあちこちで壁にぶつかり、自らの限界を思い知らされてきています。

 

 

 

 

 

そして、あまりにひどく壁にぶち当たってしまったら、もはや自分を支え続けることが難しくなります。

 

 

 

 

 

そして、ときには傷だらけの自分を守るために学校に行かないようにしたり、ひきこもることがあっても当たり前のことです。

 

 

 

 

 

今までにも、たくさん壁にぶつかってきたのに、私はこれ以上多くの壁にぶち当たれとは言えません。

 

 

 

 

 

もっと打たれ強くなれなんて、とても言えないのです。

 

 

 

 

 

むしろ、ぶつかる壁のもっと少ない世の中になってほしいと願うばかりです。

 

 

 

 

 

「ひきこもりと向き合う」

 

 

 

 

 

「(今の社会は)若者が住める社会ではない。(中略)まるでブロイラーのように管理され、方向づけられ、お仕着せのエスカレーターに乗せられて自由な歩みが許されない。

 

 

 

 

 

(中略)これに忠実に従っていれば、非人間化し、感受性の強い子は自ずとアパシーにでもならざるを得ない」稲村博氏はその著「若者・アパシーの時代」(NHKブックス)の中でこのように述べています。

 

 

 

 

 

当時の状況に比べて、現在の状況のほうが若者にとってはるかに厳しいものとなっています。

 

 

 

 

 

かつてのアパシーと今日のひきこもりとでは、自ずと異なる部分がありますが、それでもこの一文に関してはアパシーをひきこもりと読み換えるだけで、現在でもそのまま通用するだろうと思います。

 

 

 

 

 

また稲村氏はこうした問題に対処していくのに、若者に理想と情熱をかき立てる社会づくり、人間としての基盤づくり、青少年にかかるプレッシャーの適正化をあげ、母子の心の絆づくりを提唱しています。

 

 

 

 

 

町沢静夫氏はその著「心の壊れた子どもたち」(朝日出版社)の中で、善悪を教える、心の交流をするなど、「七歳までに親がすべきこと」をあげていますが、今困っているのはすでにそうした年齢を過ぎてしまっている若者たちのことです。

 

 

 

 

 

この世をいったんリセットして、七歳児の世界からスタートさせれば、もはや問題が生じることはないということなのでしょうか。

 

 

 

 

 

私は、問題を根こそぎなくすような社会変革をしたいとは思いません。問題を根絶やしにすることがいいこととは思えません。

 

 

 

 

 

問題を抹殺しようというのはナチスの劣等者排除の思想にもつながるものであり、同意できません。

 

 

 

 

 

問題というものは、どんなにうまく解決しても、またいろいろと姿を変えて出てくるものです。

 

 

 

 

 

当事者(本人、家族)がこの問題といかに向き合っていくか、問題の中に自分なりのペースを見つけ出していくかが、もっとも大切なことになります。

 

 

 

 

 

そしてその周辺にいて、たまたま援助する側に立った我々にも同じことが言えます。

 

 

 

 

 

問題を消し去ろうというのではなく、どうしたらもっとうまく問題と向き合っていけるようになるか、そのことについて工夫することが求められているのです。

 

 

 

 

 

容認でもなければ、放任でもありません。

 

 

 

 

 

ひきこもりという問題の周辺にいる一人ひとりが自分なりのペースの中で、いわば力を込めない積極性を発揮していくことが大切なことです。

 

 

 

 

 

「映し出す鏡」

 

 

 

 

 

現在のこの混乱した先が見えない世の中で、ひきこもりの本人は自分なりのペースを探ろうとしています。

 

 

 

 

 

本人が決して安楽ではないひきこもりという状況の中で、自分と向き合い、ゆっくりと自分なりのペースを探ろうとするのを間近に見ていると、私たちも何か考えさせられるような気がします。

 

 

 

 

 

どこかごまかしながら生きている私たちに対して、<それで本当に自分らしいと思っているのかい?><本当に自分なりのペースで生きていると言えるの?>、そんな問いを投げかけられているように感じられてくるのです。

 

 

 

 

 

ひきこもりには、社会に対しても、社会が自らと向き合うことを求めて止まない何かがあるのかもしれません。

 

 

 

 

 

その意味で、ひきこもりは現在の我々のありようを映し出す鏡であり、あるいは自らを見失いつつある現代社会に向けた一つの警鐘と言えるかもしれません。

 

 



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