幼児期から体験する競争社会
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幼児期から体験する競争社会

2018年05月25日(金)9:34 AM

女性が一生の間に出産する子供の数を推定する際に用いる「合計特殊出生率」という人口統計上の指数があります。

 

 

 

 

 

これによりますと、戦後間もない第一次ベビーブームのころは、四人をいくらか上回る数値でしたが、その後の一〇年間で約半減して二人になりました。

 

 

 

 

 

この二人というのは、男女二人のペアが二人の子供をもうけることになるので、人口がそのまま維持される水準を示しています。

 

 

 

 

 

この後、この合計特殊出生率は、さらに下がって二人をきり、少子化が人口政策上の問題になるのですが、少子化傾向は既に昭和二〇年代後半に始まっていて、少なく産んで経済的に豊かに育てるという価値観が、その頃急速に波及したことが裏づけられます。

 

 

 

 

 

その背景には、戦後に「産児制限」あるいは「家族計画」と呼ばれた避妊による出産調整の思想と手段の普及活動が功を奏した事実があります。

 

 

 

 

 

これによって、かつて「貧乏人の子だくさん」と呼ばれた社会問題が解決し、その後の経済成長と相まって、物質的に豊かな社会が築かれますが、反面、そのことが親の育児態度に大きな変化をもたらします。

 

 

 

 

 

その一つは、少ない子どもを立派に育てる方針から生まれた「完全主義」であり、もう一つは、妊娠という子どもの存在にかかわる決定が、一〇〇%親の意思にゆだねられることによる無意識の「支配性」ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

その後、「子どもができた」という自然の摂理を喜ぶ表現よりも、「そろそろ子どもをつくろうか」という人為的な表現がもちいられる機会が増したことが、この間の事情を示しています。

 

 

 

 

 

これが前者の完全主義と結びついて、子どもを親の思い通りに養育しようとする無意識の支配的態度が生まれたといえば、ある程度納得していただけるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

このような傾向と相まって、わが国の産業界は事業規模の拡大と量産の時期に入り、伝統的な手工業的手法がすたれて新しい機械技術が尊重され、小規模の町工場にもこれまで必要でなかった管理部門の仕事が加わり、これらの変化を背景に、親たちの間に知的高学歴志向の風潮が生まれてきます。

 

 

 

 

 

その結果、まず、大学の入学試験競争が激化し、次いでそれが高校の受験戦争となり、さらに大都市では、有名私立中学、有名小学校の入試競争から有名幼稚園の入試競争へと展開するなど、競争社会の低年齢化が進んだことは皆の知るところです。

 

 

 

 

 

この傾向は、有名幼稚園への入学を競う一部の階層の親の問題に止まらないで、団地に住む母親たちが、一、二歳の幼児を連れて公園の砂場で近所の子どもたちと遊ばせるときにも、発達の遅い早いやどちらがうまく遊び道具を使いこなせるかなどを、ついつい比較して見てしまうという競争心理を作り出していきます。

 

 

 

 

 

こうした競争原理は、多くの場合絶対評価ではなく相対評価ですから、友達一人をけり落とせば自分の順位が一人分上がるというものです。

 

 

 

 

 

このような原理が、あまりにも早い時期から子どもたちの人間環境を支配するようになると、同年齢の者への信頼感の形成や友人のために一肌脱ぐという愛他的な関係に大きな影響を与えることが想定されます。

 

 

 

 

 

「情けは人の為ならず」ということわざの「親切は、他人のためだけではなく、巡り巡って自分のためにもなる」という肯定的な意味合いが、すでに二、三〇年前から若い人の間では、「情けをかけるのは、人を甘えさせるので、その人のためにならない」という否定的な意味合いに変えられています。

 

 

 

 

 

そして、友達がいじめられていても、自分が不利になるようなことには手出しはしないのが当たり前になり、今日のいじめ文化がつくりだされていきます。

 

 

 

 

 

ここでいういじめ文化とは、いじめっ子といじめられっ子の 二者関係ではなく、クラスの大多数が自分がいじめられる側になることを避けるために観客となり、善良な抑止機能が働かなくなる状況を指しています。

 

 

 

 

 

このような文化の中で育つと、思春期に不安を抱いても、それを打ち明けて心の安らぎを得るような「親友」を持つことを避けてしまうなどの弊害が出始めます。

 

 

 

 

 

今日、精神的に健康と認められる大学生の中に、結婚しても相手の心の中には踏み込まず、ある程度の距離を保ち、お互いに相手のすべてを知ろうとしないことが望ましいと考える人が少なからず認められます。

 

 

 

 

 

また、相対評価での下では、評価の軸があらかじめ決められていて、その子が生まれながらに持っている器用さとか、優れた感覚的な弁別力とか、明るさや人なつっこさなどの人柄は評価の対象になりにくく、せっかくの長所が見い出されないまま宝の持ち腐れとなりがちです。

 

 

 

 

 

そして、受験の際の評価の基準が親の関心事となって親の期待をつくり、その充足度が子どもの評価の基準になるので、子どもの自然の姿の中から長所を見い出して、それを伸ばすという態度が後退していきます。

 

 

 

 

 

そして、評価の基準が、多くの場面で知的能力中心に傾きがちなので、知的能力に劣る子どもは、親から肯定的な評価をもらえる機会が少なくなり、親に喜んでもらう機会も少なくなってしまいました。

 

 

 

 

 

一方、ある程度知的能力に恵まれた子どもたちは、親の期待に合致するように努力し、成果が出れば褒美を得ることができます。

 

 

 

 

 

しかし、失敗すれば否定され、ためな自分を意識することになるので常に追われていて、安定した自己肯定感は得にくいことになります。

 

 

 

 

 

その結果、能力に恵まれた人は成功し続けることが義務づけられるようになり、挫折した時のショックは思いがけないほど大きくなります。

 

 

 

 

 

それは、愛されているという感覚のように、自分という「存在」についての肯定ではなく、常に「結果」が肯定されているにすぎないからです。

 

 

 

 

 

このような状況の下で、親や周囲の期待に自分を合わせることに努めてきた子どもや、親がすべて先回りして成功をおさめさせてきた子どもは、思春期になって自己を確立しようとするとき、確立すべき「自分がない」と感じるようになることがあります。

 

 

 

 

 

もし、相対評価だけではなく、例えば、子どもの成長に伴って、これまでできなかったことが一つずつできていくことを評価するとか、親が子どもの成長を楽しみ、自然の力に敬意を抱くようであれば、子どもは結果を出すことではなく、成長する自分という存在について肯定感をいだくことができるようになるでしょう。

 

 

 

 

 

これが本来の育児というものの視点なのではないでしょうか。

 

 



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