優等生の不登校
ホーム > 優等生の不登校

優等生の不登校

2018年05月21日(月)9:46 AM

不登校の類型に、「優等生の息切れ型」というタイプ名があります。

 

 

 

 

 

この名称は、70年代に、東京都立教育研究所(現在は廃止)が、不登校を類型化したときに用いた名称です。

 

 

 

 

 

東京都立教育研究所では、不登校のタイプを大きくAタイプ、Bタイプに分け、前者を「優等生の息切れ型」、後者を「甘やかされ型」と呼びました。

 

 

 

 

 

Aタイプ、つまり「優等生の息切れ型」は、まじめに課題をこなし、教師や保護者の覚えめでたい「学級委員タイプ」の子供のことです。

 

 

 

 

 

このような子供が、思春期に入るころに不登校になります。

 

 

 

 

 

これが、「優等生の息切れ型」の代表的なイメージです。

 

 

 

 

 

一方、Bタイプ、つまり「甘やかされ型」は、がんばれず、課題や問題から逃げだす子供のことです。

 

 

 

 

 

つらいことに向き合わないので、自信がありません。また、何かに挑戦しようという感じが乏しいです。

 

 

 

 

 

このような場合、学校生活のちょっとした挫折から、不登校になります。

 

 

 

 

 

これが、「甘やかされ型」の代表的なイメージです。

 

 

 

 

 

この東京都立教育研究所の類型化は、わが国の不登校研究の中では、70年代を代表する研究でした。

 

 

 

 

 

それは、当時の不登校事情に見合ったもので、大きくこの二つのタイプでくくられる不登校の子供たちが実際に大勢いたからです。

 

 

 

 

 

当時は、高度経済成長の名残がありました。

 

 

 

 

 

頑張ること、耐えることが今よりも大事な価値を持っていました。学校でも、その色彩が強かったのです。

 

 

 

 

 

その価値に合わせることが苦手な「甘やかされ型」と、価値に合わせ過ぎる過剰適応の「優等生の息切れ型」が生み出されやすかったのです。

 

 

 

 

 

70年代までは、学歴が将来を約束するものでした。

 

 

 

 

 

学校に向かう力、向かわせる力も、今よりも強かったです。

 

 

 

 

 

したがって、この二類型は、学校への適応という点で問題を起こしやすかったのです。

 

 

 

 

 

「優等生の息切れ型」は、学校の価値に順応した結果、自分を見失って生じたものです。

 

 

 

 

 

「甘やかされ型」は、学校の価値に合わないために生じたのです。

 

 

 

 

 

類型化の意味

 

 

 

 

 

そもそも、不登校に限らず問題を類型化するのは、問題に応じた対応策を得るためです。

 

 

 

 

 

どのような問題であれ、対応策がワンパターンで済むならば問題を分類する必要はありません。

 

 

 

 

 

問題解決に役立たなければ、その分類はどうでもよい話です。

 

 

 

 

 

古くは、不登校は「怠学」として扱われていました。

 

 

 

 

 

その中に、「学校に行きたいけれども行けない」という神経症的な子供が見いだされました。

 

 

 

 

 

1940年ころのアメリカの話です。

 

 

 

 

 

日本では、60年代から注目を浴びるようになりました。

 

 

 

 

 

これが「学校恐怖症」あるいは「登校拒否」と呼ばれたものです。すなわち、「学校恐怖症」や「登校拒否」も、一つの類型です。

 

 

 

 

 

彼らは、「学校が嫌だから、行きたくないから行かない」というのではありません。

 

 

 

 

 

学校に行く意思がありながら、登校に不安や恐れを感じているのです。

 

 

 

 

 

子供自身が、「学校に行きたいけれども行けない」と感じている点に特徴があります。

 

 

 

 

 

ここで、「怠学」と「学校恐怖症」や「登校拒否」ををわざわざ分けたのは、不登校の問題の解決に異なったアプローチが必要だったからです。

 

 

 

 

 

「怠学」では、「学校に行きたくない」という動機にアプローチします。

 

 

 

 

 

ですが、「登校拒否」や「学校恐怖症」は、「学校に行きたい」という考えと、「学校に行けない」行動を一致させることが重要になります。

 

 

 

 

 

このように、支援の場でタイプ分けをするのは、そのタイプに応じた対応を明らかにし、対応策を共有するためです。

 

 

 

 

 

東京都立教育研究所の研究は、その不登校の中に二つのタイプがあり、そのタイプに応じた対応が必要だとするものでした。

 

 

 

 

 

当時、「優等生の息切れ型」の対応では、登校刺激を手控え、「そっと見守る」ことが強調されました。

 

 

 

 

 

また、このような事例は、支援の場に登場する場合が多く、子供も学校に行こうとする気持ちが強いです。

 

 

 

 

 

そこで、学校に向かえないことへの葛藤を表現してきます。それだけに、カウンセリング向きです。

 

 

 

 

 

子供の辛さに受容、共感し、子供の存在価値を強めるかかわりを行えば、一定の時間が経過すると子供は劇的に変身して学校に戻っていきます。

 

 

 

 

 

カウンセラーは、周囲の登校圧力を弱めること、「登校を働きかけない」かかわりを、自信をもって進めればよいのです。

 

 

 

 

 

子供に目立った行動上の変化がない中で、かかわりを手控えることはエネルギーと勇気がいます。

 

 

 

 

 

ですがその結果、子供が生まれ変わった時には、カウンセラ冥利に尽きる事例となります。

 

 

 

 

 

このような「優等生の息切れ型」は、70年代には多かったのです。

 

 

 

 

 

そして、その変化はドラマチックなものだったので当時の事例研究や著書では、このタイプの事例が取り上げられ、そこから導き出された対応策が強調されることが多かったのです。

 

 

 

 

 

「優等生」概念の変化

 

 

 

 

 

その後、「優等生」に対する価値観に変化が生じてきました。

 

 

 

 

 

今、「優等生」と言われてもピンときません。

 

 

 

 

 

70年代の後半には、「真面目」を揶揄する「ぶりっ子」という言葉が、中・高校生の間に広がりました。

 

 

 

 

 

80年代には、「ネアカ」「ネクラ」が流行語になりました。

 

 

 

 

 

高学歴化に伴って、学校の価値も相対的に低下しました。

 

 

 

 

 

現代は、学歴があるからといって将来が約束されるわけではありません。

 

 

 

 

 

しかし、高学歴社会になったがゆえに、学歴がなければ大きなハンディを持ちます。

 

 

 

 

 

つまり、学校教育は一握りの高学歴を強迫的に求める一群と、学歴競争から一歩遅れ、人並みではあるがそこからこぼれるのを恐れる大多数を相手にした教育へと変化を遂げました。

 

 

 

 

 

そのため、学校の価値に合わせることや、我慢することや頑張ることは格好悪いことになりました。

 

 

 

 

 

努力や根性は見苦しく、「モーレツ」は過去の遺産になりました。

 

 

 

 

 

経済的に満たされ、「自己実現」「自立」が社会のテーマとなりました。

 

 

 

 

 

個々人が自分の幸せを探し、自分で価値と方向性を定めて進まなければならない時代になりました。

 

 

 

 

 

つまり、学校の価値は相対的に低下しました。

 

 

 

 

 

学校の中では、昔の学級委員タイプ、「優等生」は仲間から受け入れられにくくなりました。

 

 

 

 

 

そこで、学校への適応には、周囲の子供たちのまなざしが重要になりました。

 

 

 

 

 

学校で仲間からの受けがいいのは、発言力があり、明朗、闊達で、学級の世論を作り上げることができる子供です。

 

 

 

 

 

妙に真面目でもなく、頑張っている姿を周囲に見せません。しかも、いざとなると他に追随を許さない技能や学力があります。

 

 

 

 

 

ソーシャルスキルが豊かで、他者のまなざしに自分を合わせる器用さが仲間集団の適応で大事になるのです。

 

 

 

 

 

要するに、仲間から見て、「格好よく」なければなりません。

 

 

 

 

 

今、このような時代の中で、誰からも「よく」思われようとしたら大変です。場面場面での顔を器用に変えなければなりません。

 

 

 

 

 

家では真面目に学業や手伝いに勤しみ、先生の前では明朗闊達に仲間をまとめ、学業も運動も頑張る姿を見せずに成果を上げながら、仲間とは広くにこやかに接して、敵を作らない、それはまさにスーパーマンです。

 

 

 

 

 

そのような子供は珍しいでしょう。

 

 

 

 

 

したがって、現代では昔ながらの「優等生の息切れ型」はそれほど多くはありません。

 

 

 

 

 

しかし、他者の評価に合わせ、他人から「よい子」「よい人」と思われることを大事にする子供は大勢います。

 

 

 

 

 

かつては、教師の評価、学校文化からの評価が重要でしたが、現代では仲間評価が学校生活の中では重要になり、一方で、相対的に各家庭が持つ価値観が大きな意味を持つようになりました。

 

 

 

 

 

そのため、「学校の仲間からどう思われるか」「保護者からどう思われるか」の双方を気にする子供が多くなるのです。

 

 

 

 

 

現代の「優等生」の芯の弱さ

 

 

 

 

 

では、「優等生」とは何でしょうか。

 

 

 

 

 

「優等生」を、身近の大人の価値に追随し、その価値に合わせ、その価値に合うようにふるまい続けられることであるとしましょう。

 

 

 

 

 

このような社会状況の中でも、「優等生」であり続けるのなら学校の持つ価値ではなく、家庭が持つ価値の影響が大きくなります。

 

 

 

 

 

すなわち、保護者の価値に合わせて子供が頑張り続けます。

 

 

 

 

 

これが、現代型の「優等生」タイプです。このタイプは、仲間受けはそれほどではありません。

 

 

 

 

 

ともかく、ただただ保護者にとっての「よい子」になろうとするのです。

 

 

 

 

 

また、現代では、かつての時代のように地域の子供の遊び関係の中で、社会性を学ぶ機会は少なくなっています。

 

 

 

 

 

そのため、優等生に限らず、総じて対人関係を結ぶ力は弱まっています。かつての「優等生」は、家庭でも学校でも評価を受けていました。

 

 

 

 

 

時には煙たがられるようなことや、羨望や嫉妬を受けることがあっても、仲間から一目置かれて一定の評価は受けました。

 

 

 

 

 

そのために、不登校のような挫折体験と出会っても、本当の意味で自分への自信を失ってしまうことはあまりありませんでした。

 

 

 

 

 

過去に仲間関係や複数の場でしっかりと支えてもらえた体験があるからです。

 

 

 

 

 

そして、「本当の意味で自分はひとりではない」という感覚もあります。孤独に悩む時期があっても、その孤独に向き合えます。

 

 

 

 

 

したがって、かつての「優等生の息切れ型」は芯が強く、「他者から評価を得るために生きてきた自分」に目を向け、孤独に自分探しをして、自分に見合った別の価値を追求し始めることができました。

 

 

 

 

 

「そっと見守る」だけで、子供は大変身を遂げられたのです。

 

 

 

 

 

現代の「優等生」のバーンアウトではそうはいきません。もちろん、現代の「優等生」がバーンアウトした事例でも、受容的に見守ることは基本になりますが、それだけで子供が立ち上がるのを期待するのは危うい話です。

 

 

 

 

現代の「よい子」への対応方法

 

 

 

 

保護者の価値に合わせるにしても、現代の保護者が重視する価値は様々です。例えば「お受験」などと言われ、学歴にこだわる保護者が一部にいます。

 

 

 

 

 

また、サッカーや野球、お稽古事などで子供に夢を託す場合もあります。あるいは、家族葛藤や家族に何らかの形でストレスが加わり、子供が子供として家族の中にいられない場合もあります。

 

 

 

 

 

父親の会社の倒産などの経済的な危機や、夫婦関係に危機などがある家庭では、家族にかかるストレスは非常に大きくなります。

 

 

 

 

 

そのため、子供が親を気遣い、保護者にとっての「よい子」になろうとすることもあります。

 

 

 

 

 

「事例」  誰にでも優しく気遣いする子

 

 

 

 

 

私のかかわった事例でこのようなものがありました。小学5年生の男の子です。

 

 

 

 

 

彼には重度の重複障害をもった妹がいました。

 

 

 

 

 

保護者の苦労、苦悩をずっと見てきたためでしょうが、保護者の目から見ても、「妹思い」の本当によくできた兄でした。

 

 

 

 

 

母親が疲れた表情でいると、肩をたたこうかと声をかけてきます。

 

 

 

 

 

妹の介護にも、よく気が回り、誰に対しても優しく穏やかな気遣いのできる子でした。

 

 

 

 

 

不登校は、5年生になって間もなく始まりました。

 

 

 

 

 

クラスに何人か元気のよい、しかし、わがままな子が数人いました。

 

 

 

 

 

その子たちの私語がうるさく、席が近くの彼は先生の話を聞き取れませんでした。

 

 

 

 

 

それがきっっけとなって、不登校が始まりました。

 

 

 

 

 

クラスを平穏に保てない担任も、彼は好きになれませんでした。

 

 

 

 

 

もともと友人が多いほうではなく、その後は不登校を続けながらかいがいしく妹の世話をしていました。

 

 

 

 

 

後で本人が母親に語ったことでは、仲間のわがままさに我慢がならなかったそうです。

 

 

 

 

 

本人は、殴りつけたくなるような怒りを感じたのだと言います。

 

 

 

 

 

それからふさぎこむようになって、学校に行く気がしなくなったのだそうです。

 

 

 

 

 

この事例では、保護者が何かの価値を押しつけたわけではありません。

 

 

 

 

 

子供が保護者の願うことを敏感に察し、「他者に優しく、自分を犠牲にして人のために尽くす」価値を追いかけて、そのことに自分自身がつぶされてしまったのです。

 

 

 

 

 

わがまま放題に振る舞う級友の存在に怒りを感じてしまう自分に驚き、「優しくあらねばならない自分」が怒りを感じることが認め難かったのです。

 

 

 

 

 

この事例では、この子自身が「だめだ」と感じていること、「努力をしていない」あるいは「たいしたことではない」と感じていることに注目し、それを積極的に評価することにしました。

 

 

 

 

 

 

学業に向かう気がしないことを、「それでよい。むしろ、その方がよい」「気持ちがふさぎ込んでいるときには、勉強しなくてもよい」としました。

 

 

 

 

 

そして、「学校に復帰するまで、勉強はしないでよい」と伝えました。そして、「できるだけゆったり過ごし、自分が楽しめること、
興味のもてることを探そう」と促しました。

 

 

 

 

 

一方で、妹の世話には「素晴らしいことだけど、学校に行っている時間は、妹の世話はしないようにしよう。その時間は、自分が心地よくいられる時間になるようにしよう」と伝えました。

 

 

 

 

 

また、母親には昼間の時間に本人とだけの時間を作り、本人がしたいことを一緒に何かするように促しました。

 

 

 

 

 

そして、機会があるごとに本人を外出に誘うように勧めました。

 

 

 

 

 

いわゆる「よい子」の不登校では、自分がしたいこと、ある程度わがままに過ごせる時間と空間を保障します。

 

 

 

 

 

そして、それまでその子供が追いかけてきた価値を強めず、それ以外に価値を見い出させてそれを大事にします。

 

 

 

 

 

上記の「勉強をしない」「妹の世話を必要以上にしない」とは、そのような意味を持ちます。

 

 

 

 

 

一方、カウンセリング場面では、日常生活の様々な場面で感じる不協和や不快な感情を大事にします。

 

 

 

 

 

その感情を感じてよいこと、それを表現してよいことを保障し続けます。

 

 

 

 

 

本人に「どう感じるか?」と尋ね、その子の表情からその子が感じている感情を読み取ります。

 

 

 

 

 

そして、「嫌だって思うよね」などと本人の感情を類推し、言語化して、「それでよい」という雰囲気とともに温かい口調で伝えます。

 

 

 

 

 

現代の「優等生」のバーンアウトにかかわるときには、実に様々な工夫が必要です。

 

 

 

 

 

特に、本人が「そんなことではだめだ」と思っている自己像に、思い切った肯定、是認を与えます。これが一番重要な処方箋なのです。

 

 

 

 

 

その処方箋は、本人が大事にしてきた価値をぬぐい去る作業なので、子供によって強調される価値は異なります。

 

 

 

 

 

以上のように、現代の「優等生」のバーンアウトでは、単にそっと見守るだけではなく積極的にかかわる必要があるのです。

 



メニュー

過去の記事

団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援