自分の感情を直視する
ホーム > 自分の感情を直視する

自分の感情を直視する

2018年05月18日(金)10:36 PM

辛いから、という理由で現実を直視することを避けてばかりいると、「何をしたいのか」という、人間にとってもっとも根本的なことがわからなくなってしまいます。

 

 

 

 

 

その結果、「どうするべきか」という義務感でしか行動をしなくなります。

 

 

 

 

 

確かに、義務を果たしてさえいれば、人からの大きな批判を免れることができます。

 

 

 

 

 

でも、義務を遂行することばかりをしていると、生きている実感がしなくなります。

 

 

 

 

 

自分の存在すら、幻のように見えてきます。

 

 

 

 

 

さて、幻想とは想像の世界です。空想したハンバーガーのようなものです。

 

 

 

 

 

空想のハンバーガーをいくら食べてもお腹はいっぱいにはなりません。

 

 

 

 

 

現実を直視しない人というのは、空想のハンバーガーばかりを追い求める人のことです。

 

 

 

 

 

これでは、生きている実感がしなくて当然です。喜びも得られません。

 

 

 

 

 

現実をしっかり見つめて、現実の中から喜びを得ている人は、幻想を追いかけたりはしません。

 

 

 

 

 

しかし、幻想を現実だと思い込んでいる人は、現実の喜びが幻に見えてしまうのです。

 

 

 

 

 

そのため、現実の世界でしっかり生きている人は、一度幸せをつかんだら離しませんが、幻想の中で生きている人は、幸せを手放してしまうのです。

 

 

 

 

 

ニセモノだと思って手離してしまうのです。

 

 

 

 

 

そういう人に限って、「ああ、幸せになりたい」と言います。

 

 

 

 

 

不幸な人というのは、みずから幸福を手放している人のことなのです。

 

 

 

 

 

さて、現実で生きている人は、誰が現実で生きている人で誰が幻想で生きている人なのか、その区別がつきますが、幻想の中で生きている人にはその区別がつきません。

 

 

 

 

 

むしろ、現実で生きている人のほうがニセモノに見えます。

 

 

 

 

 

そして、ニセモノの人をホンモノと勘違いして近づいていってしまうのです。

 

 

 

 

 

友人も恋人も、すべてがこんな調子で選んでいます。

 

 

 

 

 

幻想を追いかける人は、つまらないものを見ては感激し、心を満たさないものに執着してしまっているのです。

 

 

 

 

 

幻想から現実に戻るためには、自分の感情(喜怒哀楽)を直視することです。

 

 

 

 

 

傷つくことが怖くて自分の感情を見ることを避けると、知らぬ間に幻想の世界に堕ちてしまいます。

 

 

 

 

 

「これ以上傷つきたくない」と思って自己防衛していると、人を傷つけてしまう

 

 

 

 

 

これ以上惨めになりたくないと思っている人は、プライドという鎧を着けて、自分が傷つくことから守ろうとします。

 

 

 

 

 

ところが、プライドという鎧で自分の身を守ろうとすると、知らぬ間に自分の体から拒絶のサインが出てしまいます。

 

 

 

 

 

困ったことに、その拒絶のサインが、もっとも自分に愛を注いでくれる人をもっとも傷つけてしまうのです。

 

 

 

 

 

そのため、心あたたかい人ほど、遠ざかってしまいます。

 

 

 

 

 

こんなことを繰り返しているので、自分の身の周りにはろくでもない人しか集まらなくなるのです。

 

 

 

 

 

世の中ろくでもない人しかいないなあと思っている人は、みずから心ある人を遠ざけている人なのです。

 

 

 

 

 

さて、逆説的ですが、実は「人を愛する」ことで自分の身を守れます。

 

 

 

 

 

愛するとき、人は無防備な状態になっていますが、しかし、相手の怒りよりも強い力で愛すれば、自分の身を守ることができるのです。

 

 

 

 

 

しかし、愛の少ない人にとっては、それはたいへん危険な行為に見えます。

 

 

 

 

 

なぜなら、愛するという行為は、無防備な状態になるため、相手の攻撃をモロに受けてしまうからです。

 

 

 

 

 

確かに、心を開いた量に比例してボロボロにされることは事実です。

 

 

 

 

 

でもここにジレンマがあります。

 

 

 

 

 

心に愛のない人は心を開かないので、自分の愛を相手に伝えることができなくなりますし、また、相手からの愛をもらうこともできなくなります。

 

 

 

 

 

心を開くために愛が必要なのに、プライドという鎧で愛を拒絶しているので、愛が入らないのです。

 

 

 

 

 

人間不信の強い人は、「うっかり人前で心を開いて、相手から攻撃されたら深く傷ついてしまう。そんな危険なことはできない」と思っているのです。

 

 

 

 

 

そして、傲慢にも「自分を決して傷つけないと宣言してくれたら、あなたに心を開いてあげてもいい」と考えているのです。

 

 

 

 

 

でも、そんなことを宣言して愛してくれる人はこの世にはひとりもいません。

 

 

 

 

 

プライドの高い人は、そんな傲慢な条件を人に突きつけておきながら、愛してあげたい人がいない、と不平不満を言ってこのジレンマから抜け出せない人なのです。

 

 

 

 

 

慰めは三日しかもたないが、励ましは一生使える宝

 

 

 

 

 

三日坊主とはよくいったもので、通り一遍の慰めや傷のなめ合いは、いくら慰めても元気や意欲は出ないのです。

 

 

 

 

 

人から同情されてうれしくなったとしても、しかし、その同情された時の安心は三日ともちません。

 

 

 

 

 

同情や慰めでは、元気のエネルギー源にはならないのです。

 

 

 

 

 

生きる意欲や元気は、励ましによってしか得られません。

 

 

 

 

 

励ましの基本は共感です。

 

 

 

 

 

共感と同情は似ているようで実は違います。

 

 

 

 

 

同情は見下しの心でするものです。

 

 

 

 

 

また同情は、自分が優越しているという快感が得られるからこそできる行為です。

 

 

 

 

 

一方、共感は、その人と一心同体になっていますので、相手の痛みは自分の痛みですし、逆に相手の喜びは自分の喜びとなります。

 

 

 

 

 

ですから、相手の幸せを願わざるを得ない状況になります。

 

 

 

 

 

相手が痛い思いをしていると、自分も痛くなるからです。

 

 

 

 

 

これが共感しているという状態です。

 

 

 

 

 

だからこそ、100%純粋に相手の幸せを願えるのです。

 

 

 

 

 

そして、それが最高の励ましになるのです。

 

 

 

 

 

心のこもった励ましの言葉をもらったら、それを一生の宝として胸に抱いて生きることができます。

 

 

 

 

 

ホンモノの励ましの言葉は、愚痴や弱音を言いたくなった時、しっかり自分を支えてくれます。

 

 

 

 

 

そんな励ましをしてくれる人間関係なんて信じられない、という人は、まだ本気で人を好きになったことがない人です。

 

 

 

 

 

人を好きになる行為とは、人に生きる希望や夢をもたらすとっても素敵な行為なのです。

 

 

 

 

 

互いの夢や希望を応援し合うことが励まし合いの姿なのです。

 

 

 

 

 

それが人を好きになる、という姿でもあるのです。

 

 

 

 

 

共感と励ましと好きになる行為は、イコールなのです。

 

 



メニュー

過去の記事

団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-424-7855
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援