「何をしたらよいのかわからない」不登校やひきこもりの人たち
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「何をしたらよいのかわからない」不登校やひきこもりの人たち

2018年04月13日(金)9:09 AM

何を頼り、何を自分でやるか

 

 

 

 

 

不登校やひきこもりの人たちの多くは、「自分は何をしたらよいのかわからない」し、「誰に何を依存したらいいのかわからない」状態におちいります。

 

 

 

 

 

子供の気持ちが落ち着かないときに、通常はできることでも、親や教師たちにやってもらいたいと頼んだ場合、「それくらいは自分でやりなさい」と言われたり、家事など通常はあまり手伝わないことでも、興味があって自分でやっていたら、「そんなことはお母さんがやるから、あなたは勉強をしていなさい」と言われたりします。

 

 

 

 

 

このような親子間での行き違いが多くなってくると、子供は親や教師には何を依存し、自分は何に手をつけたらよいのかがわからなくなるものです。

 

 

 

 

 

自分ではできないから人をあてにすると、「人を頼ってはいけない。自分でやりなさい」と言われ、自分で努力していると、「そんなことはお前はやらなくてよい」と言われたのでは、子供の自己の存在から生じてくる自己役割分担や責任感や積極性という意欲が不鮮明になってしまいます。

 

 

 

 

 

根本的には自己感情が不安定になり、相手の感情も理解できなくなります。

 

 

 

 

 

親や教師の中には、「子供を甘やかしていたのでは、自発的なことは何もできなくなる」「いつも依存するようになってしまうのではないか」「自立できなくなる」と不安に思う人もいます。

 

 

 

 

 

そういう人は子供の感性は無視して、「何事にも積極的に自分から挑戦しなさい」という激励をしがちです。

 

 

 

 

 

基本的には子供の生きる姿勢(獲得してきた成長発達課題)とは無関係に激励してしまう人もいます。

 

 

 

 

 

子どもの自発性(内発性)がある生き方を信頼していない人たちです。

 

 

 

 

 

ある時期から子供には欲望が明確に自覚できるようになります。

 

 

 

 

 

自分自身をより良くしようという意志を持つということです。

 

 

 

 

 

子供が活動しやすい関係や環境を作れば、子供は自発的に物事に取り組むようになると考えている人もいます。

 

 

 

 

 

このような人たちは、子供はもともと意欲を持っている存在であると信頼している人たちです。

 

 

 

 

 

子供の生き方を信頼していない人たちに対しては、子供たちは拒否的・否定的な依存をしがちです。

 

 

 

 

 

子供の生きる姿勢に温かいまなざしを向ける人たちに対しては、子供たちは素直に欲望や意欲に結び付く依存(肯定的依存)をしていきます。

 

 

 

 

 

親や教師とはひと味違う生き方をしている不登校やひきこもりの人たちの生き方に、温かいまなざしを向けてみる気はありませんか。

 

 

 

 

 

大人としての人生観も変わるかもしれません。

 

 

 

 

 

人間の機能や能力や技術には限界がある

 

 

 

 

 

不登校やひきこもりの人たちの意識には、「絶対にいい人でいたい(そう思われていたい)」「いつもいいことをしていたい」「悪い人にはなりたくない(悪者だと思われたくない)」「間違ったことは絶対にしたくない」という願いや気持ちが強くあります。

 

 

 

 

 

他人にはよい人だとか正しい人だと思われたいというこだわりもあります。

 

 

 

 

 

ほとんどの人たちはそこそこ良い人でとか、正しい人でいたいという程度なのに、彼らは理想や願望をまるで宗教の修行僧のように真剣に追い求めます。

 

 

 

 

 

いくら頑張っても現実の生活(特に学校生活)の中ではその理想や願望からは大きく外れていきます。

 

 

 

 

 

健気にも孤立してまでも正義を追求する場合もあります。

 

 

 

 

 

人は正しいことだけで生きていけるほどは強くはないのです。その結果、子供たちは苦境に立たされます。

 

 

 

 

 

一部の大人は、人間はいくらでも努力ができる、若いうちに鍛えれば才能は無限にのびる、だから怠けるなと子供に熱心に説きます。

 

 

 

 

 

影響力がある大人からそのように言われ続けた結果、子供にはいつも努力し続けなければならないというこだわりができます。

 

 

 

 

 

一般的にいうと、「成せばなる、何事も」式です。

 

 

 

 

 

うまくできなかった子供に対しては、「お前の希望が実現しないのは、お前の努力が足りないからだ」という批判や評価が下されます。

 

 

 

 

 

そのような大人から得た言動でつくる子どもの側の意識(感情)は「自分はだめな人間である」という低い自己評価です。

 

 

 

 

 

飛躍して「悪者」とか「怠け者」とか「できない子」という意識も獲得してしまいます。

 

 

 

 

 

たくさん頑張りすぎるほどの努力をした結果、うまくいかなくなり、自己の意識が悪人であるという罪意識を作ってしまった子供には、救済の手段が必要です。

 

 

 

 

 

救済の手が差し延べられなければ、子供は「すべてをあきらめて無気力な生活を送る」ようになります。

 

 

 

 

 

これは子供が希望した選択ではありません。

 

 

 

 

 

そのような風潮が社会的にあり、子供は追い詰められるのです。

 

 

 

 

 

子供の意識としては、「今を生きることをあきらめ」なければなりません。

 

 

 

 

 

でも、心の底には「希望を抱きつつ明るく生活したい」欲望はあるはずです。

 

 

 

 

 

自分がこれだけ一生懸命に努力してうまくいかなかったのだから「誰かに頼ってみようか・・・・・・」という思いは本来的に自然な思いです。

 

 

 

 

 

大人たちが、そのような希望を子供がいだいたことを受け入れれば、子供の不登校・ひきこもり状態は大きく改善されます。

 

 

 

 

 

ところが、子供のそのような依存的な救済願望を無視して「もっと努力しなさい」と言う大人たちがいかに多いかは、現実が示しています。

 

 

 

 

 

「とにかく依存は悪いこと」ときめてかかる大人が多すぎます。子供にとっては必要な依存もあるのです。

 

 

 

 

 

不登校やひきこもりの人たちは、誰かに頼りたい(救われたい)のに頼りになる相手とかかわれなかったのです。

 

 

 

 

 

対人不信が強くなると、自分で何とかしなければならないという気持ちを抱くようになります。

 

 

 

 

 

一人きりで今までにやってきた過去の出来事について、「これでよかったのだろうか」と思い悩みます。

 

 

 

 

 

そうこうするうちに時の変化(今、ここでという実存的な生活)から外れていきます。

 

 

 

 

 

周囲の人たちとの生き方がずれて、自分の相手(家族や友人)が遠い存在になっていきます。

 

 

 

 

 

孤立し、自己の内部での思考で、「あの時ああしておけばよかった」というような後悔ばかりが多くなります。

 

 

 

 

 

仮に信頼できる相手がいれば後悔だけではなく、慰めやいたわり(例えば「よく頑張った自分」)もあるはずです。

 

 

 

 

 

過去におこった出来事にしても、自分の言動にしても、良い面もあれば悪い面もあって当然です。

 

 

 

 

 

挫折体験は、「つらかったから、体験しなかった方がよい」だけではなく、「その体験があったから感じることができ、理解できるようになった」面もあるはずです。

 

 

 

 

 

挫折体験は、心の豊かさに貢献した可能性もあります。

 

 

 

 

 

反対に傷もできたかもしれません。

 

 

 

 

 

どちらの影響を強く受けるかは支える人によって変化するはずです。

 

 

 

 

 

必要な時に依存できる支えとなる人の存在は、子供の生き方さえも大きく左右します。

 

 



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