不登校・ひきこもりの心の崩れ
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不登校・ひきこもりの心の崩れ

2018年04月03日(火)8:08 AM

 

子供が不登校・ひきこもりになっていく過程で、子供の周囲の環境や対人関係に大きな変化が見られます。

 

 

 

 

 

本人は、「たいしたこと(大きな変化)ではない」という場合もあり、その問題については無視しがちです。

 

 

 

 

 

しかし、周囲にいる家族らは、「環境の変化になかなかなじめなかったようです」とか「友達がなかなかできなかったみたいです」などの証言もよく聞こえてきます。

 

 

 

 

 

本人はただ単に無理をしていたか、意識できてはいなかったかもしれませんが、心身にとっては大変なことだった様子がうかがえます。

 

 

 

 

 

そうは言っても、転校したりクラス替えにあった子供がすべて不登校やひきこもりをするわけではありません。

 

 

 

 

 

不登校やひきこもりの人たちに聞くと、「家族や周りの人たちからほめられたことがなく、困った時でも助けてもらったことはない」というような言い方をします。

 

 

 

 

 

家族や教師たちは、「結構ほめてきたし、自分で何でもやるし、できる方だから、助けを必要としていたようには見えなかった」と言います。

 

 

 

 

 

おそらくどちらも本当のことを言っているのです。

 

 

 

 

 

違う点を探せば、不登校の子供も、ひきこもりの人たちも周囲の人たちから絶賛されないとほめられたような気がしなかった人たちだということです。

 

 

 

 

 

また、社会から自分に降りかかるいやな出来事について、親たちによって絶対的に守られているという実感がなかった人たちです。

 

 

 

 

 

それゆえ、不安になってしまい、親や教師たちなど本来保護する立場の人たちの言動を疑い、自分自身の心を動揺させてきた人たちだったということです。

 

 

 

 

 

これらの現象とか反応は、『心の構造の崩れ』として見ていくと案外分かりやすいものです。

 

 

 

 

 

それまでは普通にできていたのに、何か問題が起こったり環境や関係が変化しただけでうまく機能しなくなります。

 

 

 

 

 

そのことから心の構造は物理的な構築物ではなく、流動的な構成であると考えることができます。

 

 

 

 

 

心の構造ないし構成は、精神医学とか神経学とか心理学などの総合的な見地から理解しなければ、偏り過ぎた解釈しか生まれないものと私は考えています。

 

 

 

 

 

不登校やひきこもりの人たちの心に混乱が起こりやすいという視点で見ていきますと、自己心理学の立場での説明が納得しやすいものとなります。

 

 

 

 

 

成長発達過程での心の崩れが、どの程度の崩れかを理解しやすいのが自己心理学です。

 

 

 

 

 

自己心理学とは

 

 

 

 

 

コフート(ハインツ・コフート)が創始者です。

 

 

 

 

 

精神分析派の流れの中で生まれてきたひとつの学派です。

 

 

 

 

 

フロイトのような自我を強めるという自立は考えません。

 

 

 

 

 

自分の心の相手(自己対象)に対して持ちつ持たれつの相互依存関係を豊かにしていく能力が自立であるとします。

 

 

 

 

 

相手と書きましたが、コフートがいう自己対象とは、直接かかわる人だったり、自分の身体であったり、自分が抱えている症状などの客観的な対象です。

 

 

 

 

 

その客観的な対象と自己との関係やつながりが崩れてしまい、様々な反応になって現れてきます。

 

 

 

 

 

自己対象がうまく自己に受け入れられるようになって、自分の心に残り、心の機能として働くことができるようになる状態を「変容性内在化」と言います。

 

 

 

 

 

この変容性内在化が起こると、それまでの問題であった心の混乱が解決していくといいます。

 

 

 

 

 

分析派としては珍しく、「共感」を重視し、よく使います。

 

 

 

 

 

子どもは成長過程で体験した心の経験を、その子供の心の構造に積み重ねるとします。

 

 

 

 

 

心の構造に積み重ねられた経験が、状況に見合う必要性に合わせて様々な種類の反応として現れてきます。

 

 

 

 

 

コフートがいう心の中心的な機能とか役割を果たすのが中核自己です。

 

 

 

 

 

日常生活や対人関係や状況の変化に適応できる力の根源となる「心の芯」です。

 

 

 

 

 

スターンという人は、中核自己感という言葉で心の芯を表し、新生自己感とか、言語自己感などというように細かく自己感の成り立ちを説明しています。

 

 

 

 

 

いずれにしても心の芯が不安定で、構造化されていない場合は、神経や精神の病を考えます。

 

 

 

 

 

子供たちも不登校やひきこもり状態になると、神経症(身体表現性障害)や精神疾患の人と似た現象を示します。

 

 

 

 

 

しかし、不登校の子供たちの多くは、学校を休みはじめるまでは一応は対人関係ができていて、日常生活もそれほど混乱することなく送っています。

 

 

 

 

 

その時はまだ心の構造が崩れてはいないのです。

 

 

 

 

 

不登校の子供の場合、環境や関係が大きく変化する時期(思春期・青年期前期)までに、中核自己が、その年齢に起こる出来事に対応しきれるほどには強く構造化されていなかった可能性もあります。

 

 

 

 

 

自己心理学では成長発達過程の幼い時期に、自分の言動に関してかかわっている重要な相手(自己対象)から褒められたり支えられたりして、依存できる相手の印象(複数の部分的対象関係)が心に明確に積み重ねられてきたかどうか(全体的対象関係ができているかどうか)を重視します。

 

 

 

 

 

精神分析派の一人で対人関係療法(対象関係ではなく)を確立したサリバンの発想に従えば次のように言えます。

 

 

 

 

 

幼児期、小児期の成長発達過程で自分自身の心身の安全を統制する自己組織が環境や関係の影響で歪んだ場合、次の成長段階で影響力がある人とのかかわりで、その歪みが修正されるか、されないか(影響力がある人の存在の有無)の方向性ができるといいます。

 

 

 

 

 

サリバンは子供の成長段階での歪みが修正できるほどのいい影響を与える相手と対人関係ができれば、後の社会参加は豊かなものになっていくといいます。

 

 

 

 

 

コフートがいう対象関係のことです。

 

 

 

 

 

フロイト流に言えば、不登校やひきこもりの状態は自己愛が強すぎて、他者理解や他者愛にまでは自我が成長していなかったことになります。

 

 

 

 

 

だから頑張って自我を強くしなければならないという理屈になります。

 

 

 

 

 

イギリスの精神分析学者のマーラー(子供の精神医学研究誌の各論文(健全な自閉状態)風にいえば、もともと赤ちゃんは母親とは健全な依存状態で生まれてきて、生活をしているといいます。

 

 

 

 

 

そのまま共生関係状態が続くと自立へは進まなくなる可能性があるので、厳しく育てて母親から離れるようにし、自我を強めなければならないといいます。

 

 

 

 

 

不登校やひきこもりの人たちに対してマーラー流に厳しくしつけると、彼らの賞賛や保護願望は崩れ去り、心身反応が強くなります。

 

 

 

 

 

フロイト流で自我を強めるために自己愛を放棄するように指導すると、彼らは他者愛の方向へ進むのではなく母親や家(居場所としての家)への依存を強めていきます。

 

 

 

 

 

中核自己の周辺の崩れ、揺れ

 

 

 

 

仮に中核自己がその年齢にふさわしい程度にはできていたとしても、そのときに起こった環境や関係の変化への対応に子供が混乱し難儀しているとき、支援者や依存できる自己対象がいなかったり自覚できなかった場合、あるいは、子供の依存する能力が低かった場合、構造化されてきた自己感は崩れます。

 

 

 

 

 

 

自己対象(心の相互依存対象・相手)がいたとしても、その相手から本人がとても負いきれないほどの負担をかけられていた場合も一部の自己感は崩れます。

 

 

 

 

 

自己感が崩れている人の場合、通常できることでもできなくなっている場合が多いために、周囲の人たちの要求にはほとんど応えきれなくなっています。

 

 

 

 

 

この自己感の崩れを普通、心の 崩れというように解釈します。

 

 

 

 

 

支援者や援助者が子供の心の構造の揺れや崩れを理解しきれない場合に、このようなことが起こります。

 

 

 

 

 

だからといって子供の要求を完璧に満たすことが正しいとは言えません。

 

 

 

 

 

コフートらは子供の欲求を完全に満たしてしまうよりは、その子供が乗り越えられる程度の自己負担(不満や不足)はかえって子供の心の成長のプラスになるといいます。

 

 

 

 

 

だから、「要求はそこそこ満たしていればよい」のです。

 

 

 

 

 

構造化されてきた自己感がどこまで崩れたかによって、起こってくる反応は異なります。

 

 

 

 

 

仮に中学三年生の二学期終わりまでは普通に登校していた子供の場合、進路選択の悩みにはある程度対応できていたものと考え、現実検討能力は少しはあったと判断します。

 

 

 

 

 

進路のことが悩みで(支える相手がいなくて)、徐々に学校を休み始めた子供であれば、現実検討能力が崩れてしまい、自己決断できない状態にあるという見方をします。

 

 

 

 

 

小学校一年生で、校門まで母親と一緒にやって来ていた子供が、教室に一人で行けない場合、母親の存在が身近からいなくなることへの強い不安で混乱しています。

 

 

 

 

 

自分を支えてくれるはずの母親像が不安定な形でしか構造化されていない可能性があります。

 

 

 

 

 

あるいは部分的自己対象しか構造化していない可能性があります。

 

 

 

 

 

部分的自己対象とは、自分が家にいるときの母親イメージだけしかできていないということです。

 

 

 

 

 

何らかの刺激、あるいは日常性の中で、母親の自分に向けられる安定した印象が崩れ、自己感は混乱していると理解します。

 

 

 

 

 

例えば登校を焦らせる母親の気持ちがわからないとか、自分が学校にいる間に母親がどうにかなってしまうのではないかという不安が生まれる状況です。

 

 

 

 

 

心の構造が未成熟

 

 

 

 

 

コフートらはフロイト理論(端的には自己愛を成長させ他者愛にまでたどり着く。自我を強くする)とは違い、子供が持っている自己愛は、後々成長していく過程でも自己愛として人間には必要であるとします。

 

 

 

 

 

自己愛の他に他者愛も、積み重ねられる心の構造の必要な部分であると位置付け、他者愛ができたからといって自己愛を放棄する(消滅させる)ものではないとします。

 

 

 

 

 

人間が他者を愛する時には(神様仏様ではない限り)相手にも相応の見返りを求めるのは当然、自然です。

 

 

 

 

 

だから自己愛はそのまま残していてもよいといいます。

 

 

 

 

 

むしろ自己愛をなくせば、他者も 愛せなくなる危険性はあるでしょう。

 

 

 

 

 

例えば不登校の子供が、「もうどうなってもいい。放っておいて・・・・・・・」という自暴自棄の部分に、自己愛も他者愛も感じられない心の構想の崩れを見ます。

 

 

 

 

 

その年齢にふさわしい崩れ方を示します。

 

 

 

 

 

心に積み重ねられ構造化される多様で多彩な自己感の内容は、自己対象となる人たちとの関係から得られる印象(イメージ)によって獲得できます。

 

 

 

 

 

心の自己感や心の構成の用に足りる人は、対人関係療法のサリバンが言うように、「その人の心に影響力を持つ人」で、さらにコフートがいう「快い対象関係の人、快い印象が心に残る人」です。

 

 

 

 

 

快い自己対象関係の人との間に共感的な良い印象(自己イメージも含む)ができることは大切です。

 

 

 

 

 

その人のイメージが心に構成されることで、変容性内在化が起こり自分に降りかかる多少の困難は、自分の心の機能に取り入れた対象により乗り越えられるようになります。

 

 

 

 

 

自己対象との安定したかかわりで、少しくらいの外部刺激では崩れない中核自己や多様で多彩な自己感が形成されるのです。

 

 

 

 

 

現在、不登校やひきこもりになっている人たちに、そのような依存対象がいたかどうかも注目する必要はあります。

 

 

 

 

 

その子供の成長モデルになるような安定した理想の自己対象は必要です。一般化された対象ではなく、身近にいて、現実の生活の中で
恒常的にかかわることができる相手です。

 

 

 

 

 

本人の現状や成長の経過を写し出してくれて、「それでもいいんだよ、私もそのようであった」ことを知らせてくれて、生きる基準になる自己類似対象も必要です。

 

 

 

 

 

自分の気持ちが混沌としてまとまりをつけられない時に、まとまりがつくようなかかわりをしてくれて、あいまいで混沌としていた自己感を鮮明にしたり区切りをつけたり形づくったりするのに手助けをしてくれる、コーディネーター的自己対象も必要です。

 

 

 

 

 

とくに言語が未熟で感情表出が拙い子供たちには必要な自己対象です。

 

 

 

 

 

心の崩れ

 

 

 

 

 

心に構成された思考や言動や感情の基盤になる心の最小単位(ユニット)があります。

 

 

 

 

 

社会参加に必要な複数のユニットの組み合わせが中核自己(心の主要な部分)を形成します。

 

 

 

 

 

支援やほめ言葉があれば、様々な快い出来事が中核自己に積み重ねられます。社会適応していくために必要な心の要素(自己感)が、体験を通して獲得されます。

 

 

 

 

 

環境や関係が本人にとってあまりにも不快なものであれば、心の構造は崩れます。心の構造が崩れた場合には、次のようなことが起こります。

 

 

 

 

 

A構造化された心の要素のうち、その年齢にふさわしい社会適応のための秩序が連続欠如(統括・統合できない)状態に陥る。

 

 

 

 

 

Bそれまで積み重ねてきた構成が断片化し、安定性が失われる。

 

 

 

 

 

C構造化されたあるひと塊(まとまり)の部分的な崩れ(揺れ)により、できることとできないことのバランスが悪くなる。

 

 

 

 

 

Dひと塊のユニットそのものが分解されて崩れ(破壊され)ると、ある部分ではその年齢にふさわしくないほどの退行を引き起こす。

 

 

 

 

 

不登校やひきこもりの人たちが現す現象によってそれは明らかになってきます。

 

 

 

 

 

ある日には実行困難だったことが、環境や関係が良くなれば困難ではなくなるようなら、心の構成がただ断片化しているだけでユニットそのものまでは壊れていないと判断してもいいでしょう。

 

 

 

 

 

相手次第、環境次第では正常に反応したり、危うい状態が起こるなら、構成全体が揺れ動いているだけだと考えます。

 

 

 

 

 

環境や関係とは無関係に、非日常的で社会性がない反応が表出される場合は、断片化したユニットそのものが破壊され、

 

 

 

 

 

構成そのものも崩れている(散乱している)可能性を示します。
具体的に言うと、休み始めると「朝起きることができない」状態にはなりますが、楽しいことのためなら「早朝でも自分から起きてくる」状態は、心の構成の断片化程度の崩れであると判断します。

 

 

 

 

 

「どうしても時々、お母さんに抱っこをしてもらいたくなったり、ネンネをしてもらいたくなる」のは、同じ断片化でもかなり幼児期の部分までの断片化であると判断できます。これを退行とも言います。

 

 

 

 

ユニットそのものの一部が崩れている可能性もあります。

 

 

 

 

 

幼児性よりも後の小児期とか児童期にできたはずの心の構成も崩れている可能性を示しています。

 

 



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