不登校児童生徒とのかかわりの変遷
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不登校児童生徒とのかかわりの変遷

2018年03月13日(火)9:36 AM

1980年代後半、不登校児童生徒の数が増加するにしたがい、「不登校(当時は登校拒否という言葉が主流)についてもっと理解しよう」という空気が生まれてきました。

 

 

 

 

 

反対に不登校は怠けであるという論調も強く、家族や教育現場の人々の間でも、理解や対応に混乱が生まれたのはちょうどそのころです。

 

 

 

 

 

一般的には、子供たちが回避したくなるほどの強い登校刺激をする人が多く、温かい理解的なかかわりをする人はほとんどいない状態でした。

 

 

 

 

 

1970年代、80年代は、不登校児童生徒にかかわる心理カウンセラーたちは極めて少数でした。

 

 

 

 

 

その少数のカウンセラーたちの働きによる子供の心理理解が一般に知られることはほとんどない状態でした。

 

 

 

 

 

長い年月を経て、徐々にではありましたが心理学的な理解は浸透してきたというのが現状です。

 

 

 

 

 

不登校児童生徒の復学という現実的な視点においては、心理カウンセリングは親や教師が期待するほど短期間では解決せず、長い時間が必要でした。

 

 

 

 

 

しびれを切らせて「あのやり方ではだめだ」「甘やかしていてもはじまらない」という教育関係者や一部の教育機関の人々も出現しました。

 

 

 

 

 

そのような要求にこたえる形で「根拠を叩き直す」という乱暴で強引な人まで現れました。

 

 

 

 

 

民間のそのような施設やトレーニング機関で、傷害事件、死亡事件、死亡事故、行方不明者が続出しました。

 

 

 

 

 

すべて犠牲者は子供たちです。

 

 

 

 

 

そのような事件や事故が起こっても、子供の心の成長に丁寧にかかわろうとするよりは、厳しく訓練して「早く治そう」という強引で大きなお世話が一部ではまかり通っていました。

 

 

 

 

 

それは現在も行われています。

 

 

 

 

 

たとえ同学年ではあっても、一人ひとりの子供によって心身の成長のペースは異なるのに、無理に均一化し画一化するやり方がもてはやされる風潮はいつの時代にもあります。

 

 

 

 

 

非科学的で独善的主観主義的な技法が、一部のマスコミでもてはやされてきたことも事実です。

 

 

 

 

 

他方、心理学的な理解を広げようという運動はわずかではありますが続けられてきました。

 

 

 

 

 

回復までに時間がかかりすぎるカウンセリングだけではなく、さまざまなやり方が工夫されてきました。

 

 

 

 

 

また、親たちが子供の心を理解するようにというキャッチフレーズで心理学セミナーもはやり始めました。

 

 

 

 

 

一部にかなり怪しいマルチ商法的なものもありました。

 

 

 

 

 

たいがいはアメリカで流行した心理学セミナーを持ち込んだものでした。

 

 

 

 

 

ひどいものになると「不登校(登校拒否)・ひきこもりは食べ物で治る」式の健康食品販売目的の商売もありました。

 

 

 

 

 

子供の夜の不眠が不登校の原因だから「この安眠ベッドを買って子供を寝かせれば不登校は治る」などと主張する大学の教員もあらわれました。

 

 

 

 

 

やがては大学が心理学セミナーの公開講座を開設するようになり、それぞれの心理学派による不登校理解はアカデミックに展開されてきました。

 

 

 

 

 

心理学派が多彩過ぎたために、多くの講座を渡り歩く受講者は「どれが正しいのか」「どれがよいのか」「どれがふさわしいのか」と混乱する傾向もありました。

 

 

 

 

 

「とにかく何も言わないで黙って相手の言い分をすべ て聞きなさい」「子供の言うことはすべて受け入れて共感しなさい」というものもありました。

 

 

 

 

 

「その意味を解釈して本人に伝えなさい」「日常生活だけは崩さないようにさせなさい」など、指示したり解釈するように勧めるものもありました。

 

 

 

 

 

さまざまなものがありましたが、どちらかというと「親は何も言わずに黙っていなさい。子供の言い分をすべて聞き、すべてを受け入れなさい」という方法が、一般には受け入れられていました。

 

 

 

 

 

民間のフリースクールも、1970年代の後半から徐々につくられてきました。

 

 

 

 

 

当時は、塾の空き部屋を昼間に活用するという程度でした。

 

 

 

 

 

1980年代の後半になり、多数の不登校児童生徒のためのフリースクールができました。

 

 

 

 

 

一部に教育行政に反対するフリースクールもあり、復学を希望する子供や親の間で混乱が起きたこともあります。

 

 

 

 

 

教育委員会レベルでは、1970年代後半から教師の不登校理解のための研修会を実施するところが出てきました。

 

 

 

 

 

1980年代になると、文部省(現在の文部科学省)から登校拒否への理解を求める指導書がつくられました。

 

 

 

 

 

そして、都道府県単位の教育委員会は、定期的に研修会を開催するようになってきました。

 

 

 

 

 

しかし、そのころは受講できる教員は少数でした。

 

 

 

 

 

やがて、各行政単位の教育委員会の教育相談機関が津々浦々にできました。できはしましたが、利用する親たちには大変不評でした。

 

 

 

 

 

「退職した校長が、親に説教をする」というもので、およそ、カウンセリングとは縁遠いやり方が多くおこなわれていたようです。

 

 

 

 

 

当時は文部省の指導書の存在すら知らない指導員が多かったのです。

 

 

 

 

 

1980年代後半に、不登校に詳しい「専任指導講師」を招き、スーパービジョン研修会を持つ教育委員会が多くなりました。

 

 

 

 

 

研修の回数は少ないのですが、画期的な出来事でした。

 

 

 

 

 

教育委員会自らが不登校を理解しようという姿勢を鮮明にしたのです。

 

 

 

 

 

それは文部省(当時)が指導書を発刊してからおよそ10年後でした。

 

 

 

 

 

教育相談機関と並行して「適応指導教室」が設けられ、不登校の子供が通う居場所や補習の場を提供するようになりました。

 

 

 

 

 

また、外出できない不登校児童生徒のために、教師やカウンセラーの派遣をする機関も出現しています。

 

 

 

 

 

自分の持ち味を生かして

 

 

 

 

 

私は親子や教師には、自分なりに納得ができるやり方を勧めています。

 

 

 

 

 

誰にでも自分のお気に入りの性格とか気質はあります。

 

 

 

 

 

自分なりの持ち味を生かしたやり方を親にも教師にも勧めます。

 

 

 

 

 

理由はその人の良さはたいがいの人にも快いからです。

 

 

 

 

 

反対からいえば、たいがいの人々が快く感じてくれるから、その人の良さが維持されているのです。

 

 

 

 

 

生真面目な人が無理にジョークを飛ばしても子供はもちろん周囲の人にも冷や汗ものです。生真面目さは、それはそれでいい面もあります。

 

 

 

 

 

普段からユーモアのセンスがある人は、子供が不登校・ひきこもりになってはいても、そのユーモアのセンスを捨てる必要はなく、むしろ生かして活用してほしいのです。

 

 

 

 

 

子育て要因の最も大切な部分は、「自分を大事にし、あわせて相手である子供も大切にする力を育てる」愛の精神です。

 

 

 

 

 

親が無理をして子供だけを愛し、自分のことはおろそかにしても、子供はあまり幸福感を抱けません。

 

 

 

 

 

親も自分を大切にし、幸せを感じながら、子供を愛していれば子供も充分に幸せを感じるでしょう。

 

 

 

 

 

私流のやり方では、一部の子供とは生活を共にします。

 

 

 

 

 

また、相談室で心理カウンセリングをすることもあります。

 

 

 

 

 

子供たちとの生活体験や相談室での面談から多くの情報を得ます。

 

 

 

 

 

そして、その情報をブログ等を通して多くの方に提供しています。

 

 

 

 

 

それは親等にも不登校・ひきこもりの理解力を高めてもらう意図があります。

 

 

 



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