観察力が養われると、混乱から早く脱出できる
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観察力が養われると、混乱から早く脱出できる

2018年03月06日(火)11:02 AM

感受性豊かな人の内面心理を深く理解するためには、より具体的な事例があった方がわかりやすいでしょう。

 

 

 

 

 

せっぱつまった問題ほど、子供たちの実際の生の声をお聞きいただいた方が理解しやすいように思います。

 

 

 

 

 

しかし、いかんせん大変で激しいケースほど、実例を紹介するには忍びないものがあります。

 

 

 

 

 

そこで実際の事例に限りなく近い「私自身の体験」をお話ししながら、解説していくことにします。

 

 

 

 

 

私は、現代の子供たちほどの能力はないものの、普通の人よりは「心を読む能力」を持って生きてきたように感じます。

 

 

 

 

 

私と非常に似通ったことを、現代の敏感な子供たちも感じています。

 

 

 

 

 

ですから、私の体験談を単なる「変わった感受性を持った人の体験談」として読み流してしまわず、日ごろのお子さんの言動に重なるものがないか、振り返りながら読んでいただければ幸いです。

 

 

 

 

 

ところどころ、読むのがつらく感じる描写もあるかもしれません。でも、あえて激しい表現を使わせてもらったのは、子供たちがなかなか口にできない言葉や気持ちをしっかり代弁して、親御さんたちに正面から向き合ってもらいたいという私の願いがあってのことです。

 

 

 

 

 

強い問題行動に出る子供たちほど、言葉にできないだけで私以上に心の中に激しい葛藤を抱えています。

 

 

 

 

 

その激しさに恐れをなして、親が逃げ出してしまったら子供はさらにうろたえるばかりです。

 

 

 

 

 

どんなときにも味方になってもらえるはずの親から、目をそむけられた子供は、どのように生きて行ったらいいのかわからなくなってしまいます。

 

 

 

 

 

ですから、子供たちが抱えている心の中の葛藤や感情を怖がらずに、子どもと正面から向き合ってあげてください。

 

 

 

 

 

そうすることで、子供の心に「自分の心をしっかり見つめる力」が養われてきます。

 

 

 

 

 

私が現代の子供たちと同じような感性を持ちながらも、混乱したままで終わらず、脱出する道を自力で見つけだせたのは、「自分と他人の心を客観的に観察する力」が強かったためのようです。

 

 

 

 

 

つまり、感受性豊かな人は、「観察力」を養うことで、問題行動から早く脱出することができるとも言えるでしょう。

 

 

 

 

 

そうした力をサポートできるような「子供への声のかけ方」なども合わせてご紹介していきたいと思います。

 

 

 

 

 

幼稚園に入るころ、私は自分自身のことを、「未開発国から来た外国人」のように感じていました。

 

 

 

 

 

大人たちに一生懸命、自分の考えを伝えようと努力するのですが、いかんせん、語彙が少ないうえ、感じていることにギャップがあるので思いが伝わらず、もどかしい思いでいっぱいだったからです。

 

 

 

 

 

「適切な判断材料を提示されれば、私だって自分で判断できる。大人にも、子供の時代があったはずなのに、なぜ子供のことがわからないのだろう?」そうした疑問が、私の心の中にはいつもありました。

 

 

 

 

 

子供というものは、体が小さく経験もありません。

 

 

 

 

 

少ない語彙を使って、純粋に自分の感じてる世界だけを表現します。

 

 

 

 

 

そんな子供の姿は、大人からは異質に感じられ、「子供は未熟で、何もわかっていない」と考えてしまいがちです。

 

 

 

 

 

しかし、子供も大人と同じような思考をし、同じような判断力を持っています。

 

 

 

 

 

よく親御さんから、「同じように育てたのに、なぜ、3人の中でこの子だけが問題を起こすのでしょう」という質問を受けます。

 

 

 

 

 

実は、子供は一人前に成長するために必要な「愛情」の量と形は、子供の性質によって違います。

 

 

 

 

 

敏感な子には、普通の子以上の豊かな愛情と細やかな配慮が必要です。

 

 

 

 

 

そのため、普通の子よりも育てるのが難しく、兄弟同じように育てても違ってしまうのです。

 

 

 

 

 

私自身も、そうした「育て難い子」でした。

 

 

 

 

 

私が5歳のとき、両親は転勤のため住み慣れた土地を離れました。

 

 

 

 

 

見知った人もなく、言葉の通じぬ土地で、私を筆頭に3人の幼な子を抱えての生活は、母親にとってどんなにつらいことだったでしょうか。

 

 

 

 

 

その苦労は想像するに難くありません。

 

 

 

 

 

しかし、当時の私には母を思いやる余裕もなく、自分自身のことだけで精いっぱいでした。

 

 

 

 

 

それまで、祖父母や叔父叔母からむけられていたたくさんの愛情を一気に失ったことでパニックになり、不満のすべてを母親に向けたのです。

 

 

 

 

 

甘えたり、すがったり、反抗したりと何とか母親の愛情を得ようとしがみつく私の欲求を、すべて満たす余裕が母親にあろうはずがありません。

 

 

 

 

 

私を疎ましく思う母と、必死にすがりつく私の間で虐待の日々が始まりました。

 

 

 

 

 

掃除機の棒でたたかれたり、裸のまま髪を掴まれて引きずり回されたり、柱に縄で縛られたり、ハサミを持って追いかけられ髪を切られたり・・・・・・・・・。

 

 

 

 

 

気の強い私は負けじと戦い、呪詛や黒魔術の本を読んで、母の藁人形や呪符を作ったことすらありました。

 

 

 

 

 

母にしてみれば、こんな問題児でもわが子だけに放り出すわけにもいかず、まさに地獄へ突き落とされたような気分だったにちがいありません。

 

 

 

 

 

近所の人に、「一番私に似ている子が、一番憎らしい。こんな子、産まなければよかった」と愚痴をこぼしていたこともありました。

 

 

 

 

 

一般に、「虐待」と聞くと「愛情がない」ととらえられがちです。でも、愛情がなければ何の後ろめたさもなく、育児を放棄できるはずです。

 

 

 

 

 

子供に向き合う愛情があるからこそ、「何とかちゃんとした子にしたい」という思いが「虐待」に走らせるのです。

 

 

 

 

 

母は強い愛情と育児へのポリシーを持った人で、とても感受性の強い人でもありました。

 

 

 

 

 

そのため、この時期、私たち親子はお互いに愛憎感情の音叉が鳴り続け、共鳴の泥沼から抜け出せなくなっていたのでしょう。

 

 

 

 

 

殺すか、殺されるかの死闘の末、ついに私は包丁を母親に向け、「あんたを殺して、私も死んでやる!」とわめいたのです。

 

 

 

 

 

この時の肝の据わった母の対応は、後々の私に大きな力を与えてくれました。

 

 

 

 

 

まさに、この時の母の対応こそがパニックや暴力を起こしている人と向き合う時に、一番効果的な方法だったからです。

 

 

 

 

 

包丁を差し向けるわが子を前にして、母は、「やれるもんなら、やってみなさいよ!どうせ、そんな勇気はあんたにはありゃしないんだから!」と開き直って叫びながらも、目には大粒の涙を光らせていました。

 

 

 

 

 

この時、母はもしかすると、「この子に殺されたら、この地獄の子育ては終わる」と思っていたのかもしれません。

 

 

 

 

 

幼な心にも、必死で真正面から向き合ってくれる母の悲しみが痛いほどにわかりました。

 

 

 

 

 

私は、包丁の刃を自分の方に向きかえました。しかし、何が命を救うかわかりません。

 

 

 

 

 

この時私の脳裏をよぎったのは、一歩間違えば子供心にはトラウマになってしまいそうな「隣家で起こった自殺事件」でした。

 

 

 

 

 

その体験で得た「自殺するとたくさんの人に迷惑がかかる」という教訓が、かろうじて私をとどまらせました。

 

 

 

 

 

この事件がきっかけで、私は大切なことに気づきました。

 

 

 

 

 

「たぶん、私と母との『争い』が、国と国に発展したものが『戦争』なのだろう。ならばいくら『戦争反対!争いをなくそう!』と叫んでも、人の心から『憎しみ』『競争』『エゴ』がなくならない限り、必ず争いは生まれてくる。

 

 

 

 

 

戦争や争いをなくすためには、『争わないで済ませる方法』を考えるのではなく、一人一人の人間が、『自分の心の中にある憎しみ』と向き合う必要がある」ということです。

 

 

 

 

 

しかし、小学生の私にわかることすら、ほとんどの大人がわかっていないことに私は絶望を感じました。そして、こんなふうに思うようになったのです。

 

 

 

 

 

「こんな状況では、平和に充ち溢れた世界なんて作りえない。だったら、核爆弾で何もかも吹っ飛んでしまえばいい!」

 

 

 

 

 

こうした考え方は、特殊な危険思想のように思われるかもしれませんが、問題を起こす子供たちの多くが心の中にひそかに抱えている思いなのです。

 

 

 

 

 

ただ、周囲の人の目が怖くて、気持ちを言葉にできないだけです。そして、言葉にできない思いが降り積もるうちに暴力行為に走ることになるのです。

 

 

 

 

 

また、問題行動を起こす子供の多くは、私と似たような虐待、いじめ、暴力、孤独などの深いトラウマとなる記憶を持っていることが多いようです。

 

 

 

 

 

そしてまた、そのつらい記憶を受け止めてもらい、癒してもらいたいと思っています。

 

 

 

 

 

ところが、多くの場合、こうした子供の記憶は両親の記憶とはズレがあります。

 

 

 

 

 

そのため親は「私にはまったく覚えがない」といって、「どちらの記憶が正しいのか」という論争に終始してしまうことが少なくありません。

 

 

 

 

 

記憶というものは本人にとって、印象的な部分のみが残るものであり、時としてすり替えが起こることもあります。

 

 

 

 

 

そのため、真偽を確かめることには意味がありません。

 

 

 

 

 

間違った記憶かもしれませんが、子供の心にはつらい記憶がすでに存在しています。

 

 

 

 

 

そのことをまず認め、真偽を論争するのではなく、まずは子供自身がいま現在もっている「辛い記憶」に耳を傾けてください。

 

 

 

 

 

そして、正面から向き合う覚悟をきめましょう。

 

 

 

 

 

まずは、そこから始めることが大切な第一歩です。

 



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