「自分いじめ」の果てに
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「自分いじめ」の果てに

2017年12月18日(月)11:59 AM

不登校といわれる状態となった子供の多くは、学校に行こうにも行くことができない自分の不登校を自分でも許すことができないので、その状態に安住しているものではありません。

 

 

 

 

 

登校を促すような働きかけをしなくても、不機嫌になってイライラして物にあたったり、自分が大切にしている品物を壊したり捨ててしまったりすることがよくあります。

 

 

 

 

 

また、家族に当りちらすこともあります。こうした場合に家族からは、「だれも学校に行けとは言っていないし、毎日、本人の好きなように寝たいときに寝て、起きたい時に起きるといった生活も大目に見ているのに、自分が気に入らないといって物や人にあたるなんてやはり不登校はわがまま者のすることなんだ」と誤解されますが、当人はわがままが言えるほど気持ちにゆとりなどあるわけはないのです。

 

 

 

 

 

それどころか自分が大嫌いで、自分が自分であることがいやでいやでたまらないのです。

 

 

 

 

 

小学校三年生から不登校となり、親から不登校をひどく責められ 20歳を過ぎた今でも引きこもりがちな生活を続けているある女性は、「自分の体も心もみんな嫌いです」といっています。

 

 

 

 

 

また、「自分の体を流れている血液さえいや」「生きていても仕方がない、死ぬしかない」という子もいました。

 

 

 

 

 

みんなは何事もないように登校している学校に自分は行けず、みんなが獲得するはずの学力も学歴も自分は得られないかもしれないことを考えると、どう見ても人より劣った人間だとしか思えなくなり、自分が情けなくみじめで将来のことを考えても不安ですが、それよりも、今現在、毎日を過ごしていることだけでもつらくなってくるのです。

 

 

 

 

 

家族は、「学校には行かなくてもいいから何かしたら」などと言いますが、つらい日々を暮らしている子供には、気持ちが落ち着かないので何かに興味を持ったり打ち込んだりする ゆとりさえもないのです。

 

 

 

 

 

劣等感にさいなまれ、それから抜け出す力も出ない自分が、意気地なし、能なしに感じられ、憎らしくなってきます。

 

 

 

 

 

ですから、自分で自分をいじめてやりたい、殺してしまいたい、そのようないたたまれない自分を否定する気持ちが外に向かって爆発すると、物や家族にあたることになるのです。

 

 

 

 

 

「荒れる心に付き合う」

 

 

 

 

 

不登校を中心にして生じてくるさまざまな状態の中で暴力は、一見ブラブラ、ゴロゴロしてなすところなく日を送る状態とともに、特に年長化した子供によく見受けられるので、一緒に暮らす家族にとっては時には耐え難い苦痛ともなるため、家族の方々からは問題にされがちです。

 

 

 

 

 

そこで、家族に対する暴力の実害が表面に出過ぎて、暴力をふるう当の子供の気持ちや立場はおざなりにされた対応がなされてもいます。

 

 

 

 

 

つまり、暴力化する子供は家族への加害者として取り上げられても、被害者としての彼らは暴力の陰に隠され見過ごされてしまうのです。

 

 

 

 

 

けれども家庭内で生じる暴力への本当の対応は、当事者である子供の気持ちや立場を知ることであり、また共感できることにあるのです。

 

 

 

 

 

とはいえ、現に日々暴力の対象にされている家族にとって、そのようなことは不可能なことなのかもしれません。時には殺されてしまうかもしれないと思えるほどの恐怖にさらされてることもあるからです。

 

 

 

 

 

しかし、まさにそのような家族の日々の苦悩、苦痛、恐怖こそが、当の子供の日々の気持ちであることを知っていただきたいのです。

 

 

 

 

 

もし家族の毎日が不安で生きた心地がしないのなら、それは子供の気持ちなのです。暴力は、不登校が理由で生じたものであれ、その他の事情から派生してきたものであれ、日々が、いや、過ぎていく時々刻々が身の置き所がないほど不安でつらいのだという気持ちの表現だと言えるでしょう。

 

 

 

 

 

「生れて来ない方が良かった」「生きていないほうがよい」「早く死んでしまいたい」など、計り知れないほどの深く思い自責と自己否定の念と不安とに、のしかかられている毎日なのです。

 

 

 

 

 

思わず叫ばないではいられないし、物や人に当たらないではいられない気持ちなのです。

 

 

 

 

 

こんな時、安易な慰めの言葉も不登校を正当化するような理屈も、容易に聞き入れられるものではありません。

 

 

 

 

 

自責で苦悩する子供の心をさらにあおるような気持ちを向けることなく、しばし荒れる心にただひたすら付き合うしかないのかもしれません。

 

 

 

 

 

「なぜ強迫症状が起こるのか」

 

 

 

 

 

家族に対する暴力行為は、精神病や神経症に際して見られることがありますが、不登校でも二次的にひきおこされた神経症、特に強迫神経症の場合にはしばしばみられます。

 

 

 

 

 

ところで強迫神経症といわれる神経症ですが、「脅迫」と勘違いしている方もおられるようです。「強迫」とは強く迫ってくるということなのです。

 

 

 

 

 

強迫神経症は、強迫観念と強迫行為とで成り立っています。強迫観念とは、自分でも不合理だと思うので振り払おうとしても強く迫ってくる考えのことで、そのために不安がともないます。

 

 

 

 

 

例えば、外出の時ガス栓を閉めて火を確かに消したのに消し忘れたのではと気になり始めると、いったん外出しても不安なので、また家に戻って確認したりガス栓を締め直したりしないわけにはいかなくなるでしょう。

 

 

 

 

 

それが強迫的になると、一回の確認では済まなくなり、何度も家に戻って確かめないわけにはいかなくなってしまいます。この行動が強迫行為なのです。

 

 

 

 

 

強迫神経症の一つである不潔恐怖は、例えば客観的には手が汚れているわけではないのに汚れているような気がすると、一度だけではなく何度も繰り返し手を洗わないと気がすまず、時には100回も数を数えて洗うということにもなってしまいます。

 

 

 

 

 

この場合、きちんと100回洗わないと不安になるので一生懸命数えて洗うのですが、途中で家の人から声を掛けられたりすると気が散って何度洗ったか分からなくなり、またやり直さなくてはならず不安になります。

 

 

 

 

 

こうして強迫神経症の人は強迫行為が完全にできないと不安になり、それがもとで興奮して暴れ出したり、行為の完遂を妨害したとか協力してくれないといって家族に乱暴することもよくあるのです。

 

 

 

 

 

ところで強迫神経症になる一つの理由として、自分で自分のしてることに確信が持てなくなっている、要するに自信が持てない状態にあるということが挙げられます。

 

 

 

 

 

不登校となった子供が不登校を否定的に見て引け目を持ち、自責する心が大きくなればなるほど自分を否定的に見て自信を失い、強迫的な状態に追い込まれても当然だと言えるでしょう。

 

 

 

 

 

強迫症状は、自責や自己否定の現れともいえるのです。

 

 

 



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