子育てと既成概念
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子育てと既成概念

2017年12月14日(木)11:36 PM

子供が一日中、家のなかでパソコンにとりついていると、外に出さなくては体に悪いのではと考えたり、マンガやテレビに夢中になっていると、「少しは漢字や数学の勉強をしたら」と言いたくなるものです。

 

 

 

 

 

昼と夜が逆転した生活をしていると、こんなことでは社会に通用しないと考えて、なんとか朝早く起こそうとしたりします。

 

 

 

 

 

そして、心配で食事ものどを通らなくなったり、夜も眠れなくなるなど、家族のほうが神経症なのではと思われても仕方がない状態になってしまうことが少なくありません。

 

 

 

 

 

このような家族の不安が当の子どもに伝わると、子供自身、自分の現状や将来が不安になってくるので、二次的に引き起こされてくるさまざまな状態や症状をますます強めてしまいます。

 

 

 

 

 

家族のこんなに執拗な心配や不安はどこから生まれてくるのでしょうか。

 

 

 

 

 

ひと口で言えば既成概念、つまり、これこれはこうなるもの、それはそうならなくてはという型にはまった、いうなれば硬直した考え方にとりつかれているからです。

 

 

 

 

 

けれども世の中の現実は、それほど型にはまったものではありません。

 

 

 

 

 

大人は一般に、子供の言動を大人の価値観、つまり大人の立場や生活感情などで決めつけたり評価しがちです。

 

 

 

 

 

幼児が親のすることを単にまねしただけでも、たとえばそれが食器を片づけるなど家事に関することであればお手伝いができたと褒めることがあります。

 

 

 

 

 

そうかと思うと、不安で退行した子供が母親や女の人にベタベタすると、その子供が中学生でしかも男の子だと異性への関心によるものではないかと変な目で見たりするものです。

 

 

 

 

 

不登校状態となった不安から両親に何かと依存したい気持ちの表現として、あれこれ高価な品物を次々と要求すると、「わがままだ」と見てしまうことはよくあります。

 

 

 

 

 

学校の先生は特にそのような決めつけが目立ちます。不登校を「怠け」だの、「わがまま」などと決めつけて、学校があればどんな子供もこぞって喜んで参加できて当然と信じ込んでいるような発言をよくします。

 

 

 

 

 

子供にとっての本当の教育とは、学校に通うか通わないかといったことではなく、自分の行動や生き方を主体的に選択できるように援助することであり、そのためには子供を枠組みで規制することをやめ、自由に解放することが大切だというと学校の先生の中には、子供を自由にしたら何をするかわからないといった反論をする人も少なくありません。

 

 

 

 

 

学校は、国の権力によって国の政策を推し進めるための人づくりをする手段として制度化されたものですから、学校の先生の発言もそのような権力の上に立ったものになっても当然なのかもしれません。

 

 

 

 

 

そして、一般の人々も学校に参加させられればさせられるほど知らず知らずのうちに、学校の力の上にたったものの見方が身についていって、学校の示す枠組みなり価値観なりを絶対とし、そこからはみだす者を問題にするようになっていくのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

そこで、社会の中で子供よりも権力を持っている大人は、子供に対して一方的な決めつけをするということが起こるのではないかとも考えられます。

 

 

 

 

 

けれども力をもつものが、自分たちにとって都合の良い枠組みを作ってそれで力の弱いものを縛ろうとしても、人が生き物である限りそんな枠組みで縛りきれるものではありませんし、無理に縛りあげれば時として、縛られた側は存在しえなくもなるでしょう。

 

 

 

 

 

今、人間たちはさまざまな方面で高度な技術を開発し、その技術で自分たちの利益のために自然を変容させ始めています。そのため、自然の一部が開発という美名のもとで変えられつつありますが、自然の破壊につながり結果いろいろな面で、今度は人類の生存が脅かされるという状況さえ生じ始めています。

 

 

 

 

 

自分たちだけを中心にした身勝手な論理がいかに愚かしいことか、今、人々は省みる必要があると思います。

 

 

 

 

 

大人は、成長する過程で学校教育の洗礼を受け、その中で本来の自然の心を持つ人らしさから遠ざけられていますが、子供はまだそれが少ないだけ自然の生き物に近いので、子供の生き方にはまだまだ自然の原則に沿った部分がたくさん残されています。

 

 

 

 

 

そこで大人は、つい大人の方が偉いものとばかり一方的に子供のすることを問題にしますが、実は子供の方が生きものとしての本質的なものを持ってるのだと認識して、子供をあらためて見直してみることが、学校化された自らの愚かさに気づく近道ではないかと思います。

 

 

 

 

 

要するに、子供の持つ自然を大切にするというものの見方は、そのままこのかけがえのない地球を大切にするということにもつながる基本的な考え方だといえるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

数年前に、都内で高校生が母親を殺害するという痛ましい事件が起りました。母親の度重なる勉強督促が原因とされています。

 

 

 

 

 

「早く学校に行きなさい」「勉強しなさい」という両親の言葉は、一般的な日常語になっているようで、両親にしてみれば何でもないひと言なのでしょうが、子供はその一言で追い詰められたり心をひどく傷つけられたりするものです。

 

 

 

 

 

不登校状態の子供も登校督促によって安住の場であるはずの家庭が針のむしろとなり、家出や自殺を考えるようになるということも珍しくありません。

 

 

 

 

 

不登校に限らず子供が居場所を失った時に考えることは、家出、自殺そして親殺しです。

 

 

 

 

 

自分を愛してくれず窮状を理解してもくれないばかりか、さらに追いつめる大人であれば、たとえ親であっても憎悪の対象となり、殺意がかきたてられもするでしょう。

 

 

 

 

 

けれども子供にとって親を殺すことは自分の養育者を失うことでもあるので、結局、自分自身も生きる術を失うことになり、自殺を選ぶのに等しいものです。

 

 

 

 

 

家出志願は少なくありませんが、問題は受け入れ先です。また年少であれば経済生活を考えると簡単には実行できません。

 

 

 

 

 

そこで自殺ですが、安住の場を失い、自分自身の存在の意味も見失えば、生きる意欲も薄れ、ひたすら死を望むということになってもやむを得ないことです。

 

 

 

 

 

不登校状態の子供たちに尋ねると、その大多数が一度は死を考えたこがあるといいます。いくら生命の大切さを建前として説いてみても、生きていることの喜びを身をもって体験できていなければ、「生きている」ことは子どもにとって無意味なものでしかありません。

 

 

 

 

 

生き物であり人である子供が、生きることに喜びを感じ存在することに意味が持てるのは、決して登校すること、勉強すること、学歴を得ることによるのではありません。

 

 

 

 

 

子供が生きがいを感じ、将来に大志をいだくことができるのは、心の安住の場を持っているか否かによるということを改めて考えてみたいものです。

 

 

 



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