引きこもりは一つの状態
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引きこもりは一つの状態

2017年12月03日(日)10:37 AM

自宅に引きこもって学校や仕事に行かない引きこもりについて、全国の保健所などに年間多数の相談が寄せられていることが、厚生労働省から発表されています。

 

 

 

 

 

そのうち、21歳以上の人の相談例が 6割近くあり、5年以上ひきこもっている例も 3分の1を占めるなどの深刻な実態が報告されています。

 

 

 

 

 

しかし、実際の現状はその何倍もの人が引きこもりで苦しんでいると考えられています。

 

 

 

 

 

そしてその対策として、引きこもりの対応ガイドラインが厚生労働省から都道府県に配布されました。しかし、このガイドラインは場当たり的な対応に終始しており、引きこもりを一つの状態像と見なしてはいるものの、その引きこもりの当事者の引きこもる意味についての解釈は全く与えられていません。

 

 

 

 

 

また、引きこもりが一種の社会現象として、引きこもりという言葉が独り歩きしているかのような印象があります。そして、そのため少しでも自宅に引きこもっていたり、会社に出かけずにいたりすると、引きこもりと本人や家族が自己診断をしたり、統合失調症やうつ病などのために「自宅から出られなくなっている」状態なのに、引きこもりと早合点して治療や支援が遅れてしまうケースがしばしば見られるようになりました。

 

 

 

 

 

引きこもりは、一般的に「社会的引きこもり」とか、「非精神病性引きこもり」と呼ばれています。

 

 

 

 

 

「社会的引きこもり」というのは、字義どおり社会から撤退していることを指しています。この意識的にせよ、無意識的にせよ、社会参加を拒否するという心性の歴史的な変遷をたどれば、次のような心の病が順を追って社会問題となっていき、それらの心の病いはそれぞれの自我理想の在り方が存在していました。

 

 

 

 

 

すなわち、1960年代は対人恐怖症が問題化していて、対人恐怖症の人は理想的な自我を求めて、理想的な自我と現実の自我とのギャップに苦しんでいました。

 

 

 

 

 

70年代は登校拒否という言葉が登場して、登校拒否の人は自分が本当にしたい事が母親によっておさえられていると感じていて、自分の自我理想が抑制されることに束縛感を感じていました。

 

 

 

 

 

80年代には退却神経症(スチューデント・アパシー)と呼ばれる人たちが出現して、自分の理想的な自我が傷つくことを恐れて正業に就くことができませんでした。

 

 

 

 

 

そして、90年代になるといよいよ「引きこもり」という人々があふれ出てきました。

 

 

 

 

 

「引きこもり」の人は、自宅からほとんど出ずに、社会から全面的に撤退しひどく現実離れした自我理想を抱いています。

 

 

 

 

 

彼の現代の理想的な存在、例えば有名なタレントや作家やスポーツ選手と自分を同一化して、現実離れした理想を自分自身に描いたりすることが多いという印象があります。

 

 

 

 

 

引きこもりの人はどうしてこのような高邁とも思える自我理想を描くのでしょうか。非常に難しい問題です。

 

 

 

 

 

「引きこもり」のわかりづらさ

 

 

 

 

 

引きこもりと不登校は何が違うのでしょうか。不登校と引きこもりは状態としては似ているのですが、私自身は内面的には違ったものであると考えています。

 

 

 

 

 

その理由は、私自身が学校が苦手だった経験によります。

 

 

 

 

 

中学時代の私は毎日頭痛に悩まされていて、そのたびに保健室へ行っていました。当時は、どうして学校に行くと頭が痛くなるのかが全く理解できませんでした。

 

 

 

 

 

休みの日には、頭痛は全く起こらなかったのです。高校時代は、高校二年生の二学期ごろから登校するのが苦痛になり、特に午前中の授業をよく休むようになりました。

 

 

 

 

 

高校三年生では二年生よりもっと多く休むようになり、科目によっては出席 日数がぎりぎりになるような状況でした。

 

 

 

 

 

どうにか卒業はしたものの、当然、大学受験には失敗しました。今、社会人として働いていて自分自身の中学・高校時代を振り返ってみて思うことは、自分は本当に学校が苦手でそこにいなくてはいけない、あるいは、ここではこうしなくてはいけないというような規範通りの生活を繰り返すこと、つまり、自分自身がそれほどそのことを意識していたわけではないと思うのですが、体制に「拘束されている」「縛られている」と感じることを我慢することが困難であったと考えられるのです。

 

 

 

 

 

そしてそのことで、「頭痛」があったり「不登校」であったのだと思います。当時、不登校だった私は何をしていたのかというと、日々「自分は何のために生まれてきたのか」「生きていく意味は何なのか」というようなことを考え、いわゆる青年期の課題に悩んでいたと思います。

 

 

 

 

 

そして、このままの状態では自分はだめになるんじゃないかという焦りもいつも持っていました。

 

 

 

 

 

一方、現在の不登校は、私のような青年期の課題に悩む不登校ももちろん多いのですが、それほど悩んでもおらず、いわゆる「にこにことした」不登校もたくさん見られます。

 

 

 

 

 

しかし、それでも彼らにはやはり「束縛されること」への抵抗感はみてとれます。

 

 

 

 

 

私自身は働くようになってから、やはり組織の一員としての束縛感はあるものの、あくまでも「自己責任」のもとで自らを生かしていくという点で、中学・高校時代の自分にとっては甚だ無意味であると思えた束縛から解放されて、精神的にはとても楽になったように感じています。

 

 

 

 

 

子供時代に大人たちからよく聞かされていた「学生時代は自分のことしか考えなくていいから本当に楽だ、大人になったらそういうわけにはいかないんだ」という言葉は、実は、私のような不登校児には全く当てはまらなくて、学生時代の「束縛」こそが私にとっては重荷であったと今は確信できます。

 

 

 

 

 

現在、私はたくさんの引きこもりの人や元引きこもりの人とお付き合いしているのですが、彼らには「束縛」されることへの不安はあるものの、学校を卒業したあと、特にさしたる理由もなく引きこもりになっていきます。

 

 

 

 

 

彼らにとって「束縛からの解放」は「社会に出る」ことにはつながらず、意識はしていないものの、彼らの理想的な「自己実現」が達成されなかったことが引きこもりの理由となっているように私には思えます。

 

 

 

 

 

不登校経験者の私から見ても、彼らが社会から引きこもってしまう理由はもう一つピンとはこないのです。

 

 

 



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