不登校とひきこもり~同世代からの置き去り感~
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不登校とひきこもり~同世代からの置き去り感~

2017年01月28日(土)1:47 AM

 

ひきこもりに悩む親子の相談を受けていて気になることは、不登校(登校拒否)、高校中退をきっかけに、仲間や同世代との関わりから距離を置きだし、数年後、今度は逆に求めだすのですが、自尊心ばかりが肥大化し、自然に打ち解けずに悩んでいる子どもや若者が多いことです。それでいて、年齢とともに同世代からの置き去り感が強まっていることです。同世代への違和感が生じているのです。

 

 

短期間(あるいは短時間)のひきこもりは、自立へのステップのひとつです。ですが、長すぎると追い詰められた心理状態を作ってしまいます。ひきこもりのきっかけとなりやすい不登校(登校拒否)や、高校中退をした子どもたちの相談を受けているとそれがよくわかります。そこで、ここでは不登校(登校拒否)について触れてみたいと思います。

 

 

「不登校(登校拒否)の原因は」と聞かれることが多いのですが、特別な場合を除いて、特定できるものはないように感じます。実際、本人から話を聞いても「なんとなく」と答えるケースが多いのです。にもかかわらず、「不登校(登校拒否)の原因は」と一刀両断のごとく原因追及してしまうと、当の親子は困惑し、かなり無理して「原因」をつくる(あるいはでっち上げる)ということにもなりかねないのです。

 

 

今日、多様な形で不登校(登校拒否)する子どもたちと触れ合っていると、何気ない「不登校(登校拒否)から「完全不登校(登校拒否)へ発展してしまうことも多く、単純にはいかないことがわかります。個人の性格、家庭環境、地域の環境、学校内のストレス状況、それらが複雑に絡み合っているものと思われます。ただ、ひきこもりとの関連で言えば、その子どもたちに共通している悩みは、一般に人間関係の問題から起きていることが圧倒的に多いです。

 

 

学校、大人への不信、友達関係がうまくいかない、などがあげられます。最近の不登校(登校拒否)の傾向である、低年齢、長期化、年長化はそのことを如実に教えています。

 

 

出社、就職拒否(ニート)に悩む青年も、基本的には不登校(登校拒否)と同じですが、彼らの中には、社会人になってはじめて「組織の一員」として、強烈に集団への帰属を意識させられたり、何らかのマイナス体験をしたために、「責任を持つ社会人」として不安になり、出社拒否になってしまうケースも目立ちます。

 

 

彼は小学・中学・高校生時代にたまたまひきこもりにならなかっただけで、人間の基礎工事の部分としての人間関係の取り結び方がわからない点は、共通しています。今、こうした人間関係の未成熟さを内に秘めた大人が、そして子どもたちが増加していることをわたしは心配しています。

 

 

さて、わたしたちは現在、登校拒否あるいは不登校といった言葉を普通に使っていますが、この言葉からイメージする態様には各々かなりの差があるのではないでしょうか。一般に言われる「登校拒否」なる用語を、文部省(当時)が正式に使用したのはなんと、1992年3月の文部省協力者会議の報告を受けてのことです。

 

 

公式には、「学校に行かなければならないとわかっていても行けない」不安や恐怖状態から、積極的に学校を「拒否して生きる」までを総称して「登校拒否」としました。言葉の定義が定まる以前は、登校拒否は「怠け」程度の認識から見られていたようです。それが学校に対して大きな不安を伴う「症状」と見られるようになっていきました。いわゆる「学校恐怖症」です。昔は「情緒障害児」と総称していた人もいました。

 

 

その後、子どもにとって学校自体が脅威の場であり、「管理教育」の台頭などから、素直にアレルギー反応を起こしているとの見解が現れると「学校アレルギー」と呼ばれました。そして現在では不登校と呼ばれています。このように認識は時代とともに大きく変化しています。ですが、言葉はどんどん変化しても、本質は同じで不登校児の心理は、学校に行きたくても行けないケースがいちばん深刻だと思います。

 

 

学校が心の居場所であれば、誰も仲間のいる空間を拒否することはないと思うのです。ただ、こうした経緯を見ても、不登校は社会病理現象であり、ひきこもりもその延長にあると思います。「学校に行かない」と一口に言っても、その中身は多様で複雑です。不登校の相談では、実に広い範囲でのアプローチを求められます。

 

 

非行、シンナー依存、病気、あるいは自己主張の行動の一つとして「学校を休んでいる」といった具合です。その中で、ひきこもりと比較的関連深いのが、先に触れた「学校恐怖症」とか、いわゆる「神経症的不登校」と呼ばれる子どもたちです。学校や対人関係に関して、心の中で葛藤や不安を起こしている点を特徴としています。

 

 

学校恐怖の子どもの心の中は、学校に行かなければならないという気持ちが強いです。本人は、行かなくてもいいなどとはけっして思っていません。特に義務教育期間中に、この気持ちは強いようです。それでも、どうしても行けないのです。わたしたちがよく言うところの「七時半の頭痛」とか、「七時半の腹痛」で、トイレに入って30分も出てこないことがあるのです。

 

 

そこで、親が「しかたないから学校は休んで病院に行きなさい」と言うと、「不思議」なことに登校時間がすんだころ、頭痛や腹痛は治まってしまいます。だから、こんな状態が何日か続くと親の心理としては「怠け」と判断したくなってしまいます。この症状に関しては、子ども自身もよくわかっていません。それで、初めはどうしてだろうと悩んだりします。

 

 

なぜ、学校に行く時間になると、こんなにたびたび体の調子が悪くなるんだろう、そしてなぜ、学校を休むことになったとたんに、それがすぐに治ってしまうのだろう、と。原因はとても簡単なことです。学校に行くことが不安なのです。そのために、頭痛や腹痛を引き起こすのです。

 

 

その不安が解消されると痛みも自然に引いてしまいます。対人関係や学校に対するなんらかの不安の体験が、緊張、恐怖、拒否感情を引き起こさせてしまうのです。そして、意欲はありますが登校できないという、苦悶の日々を強いられるのです。ところが、この不安と緊張の日々が意欲を喪失させてしまうことがあります。特にひきこもりへの初期段階にそれが見られるのです。

 

 

したがって、このとき「甘えている」とか「根性がない」あるいは「気が弱い」「怠け」など、言葉での叱咤はタブーです。なぜなら子どもを追い詰め、苦痛を増大させることになるからです。では、家族などは、こんなときどのような関わり方をしたらいいのでしょうか。

 

 

まずは、子どものいかなる話も十分に聞くということです。その場合、親の価値観と合わなくても、すべてありのまま受け入れることが大切です。このとき親としては「納得いかない考えは認められない」という感情が働きますが、納得とか、賛成とか同意ではなく、「この状況とこの子の性格からはこう感じるのだろう」と共感することです。

 

 

子どもの不安とその辛さを理解していくことで、本人は安心していくのです。この姿勢が初期にあるとないとがひきこもりの分かれ道となるようです。そのためには、不安の先どりをしないように、不安をはっきりさせることが大切です。そして慌てずに対応してほしいと思います。親が不安な表情を見せれば見せるほど、子どもはその事態をより深刻に考えてしまうのです。

 

 

ただ、こういう場合、夫婦の考えが一致しないときがあります。たいていは、父親が母親の子育てを批判し、母親が不安になり、本人がいちばん「のん気に見える」というケースがよくあります。一致しにくいときは、他の話題でもいいから「夫婦の仲の良さ」を子どもに見せて「お父さん、お母さんはどんなことがあっても大丈夫」と安心感を与えることが必要です。

 

 

ところで父親の見方の中に、「怠け、さぼり、仮病」があります。たしかに、学校外のことについては積極的な行動をとる子どももいます。しかし、それは学校に魅力がないだけで、全体の枠の中から離れた辛さはあります。そこに思いを寄せてほしいのです。その枠がその子にとって、魅力がなくなったのです。

 

 

親としては原因がわからないから「怠け」と片づけ、子どもの問題にしたいのです。そのほうが周りは楽なのです。仮に「怠け」と決めつけて何がかわるというのでしょうか。何も変わりません。本人に自身への失望を抱かせるだけです。

 

 

「自分はそんなに情けない人間なのか」と。「怠け」にも理由があります。そこをよく聞いて動機づけのしなおしをすればいいのです。話を戻しますと、こういった子どもたちの多くは、どちらかというと内気で、ものごとにこだわりやすく、神経質で些細なことが気になる性格という傾向があります。親が「そんなことぐらいで」と思うようなことにこだわりを持っていたりします。

 

 

さらに、そうした性格に加えて、ひきこもりになって顕著になりますが、柔軟性の乏しさ、妥協の苦手さ、そしてプライドが高くて依存心が強い、といった傾向があります。そのために、精神的葛藤を起こしやすく、ストレスは並々ならぬものがあり、神経症一歩手前の状態になって相談に来る子どもは多いです。

 

 

過去にこだわり、未来に不安を持ち、現状では引っ込み思案というパターンです。こういった子どもたちが、十数年前から不登校の多くを占めていたようです。ところが以前は現在と違って、こういう問題がクローズアップされておらず、周囲の理解もありませんでした。

 

 

いわば、親にも、学校にも見捨てられた格好で、子どもたちは成長し、現在大人になっているのです。親や教師から「仮病だろう」とか「根性がないんだ」と責められた子どもが多いです。当時、不登校の原因を個人の性格のみで判断し、その性格が変わればすべてよしという考えで対応していたようです。それほど、不登校はセンセーショナルなものであったのかもしれません。

 

 

そのためか、無理やり学校に子どもを連れて行きさえすれば、「甘えも治る」と考えた親も多く見受けられました。現在は、義務教育期間における不登校する児童・生徒の出席扱いはかなり弾力的で、進級、卒業は本人の希望によって、学校長の裁量でほとんど認められています。

 

 

1992年3月に、文部省(当時)は公式に不登校の民間施設での出席扱いを認める方針を決定しました。出席を建前とする義務教育制度を文部省(当時)自らが柔軟に対応せざるをえなくなりました。ところでかつては簡単に卒業証書を出しませんでした。「不登校は、本人の問題であり、それゆえ卒業は認められない」としていたからです。

 

 

卒業できなかった子どもたちは、夜間中学に通ったり中学卒業検定を受けたりしていたのです。しかし一方で、そのまま卒業認定もされずにその後の人生を生きている人たちもたくさんいます。義務教育である中学すらも卒業できなくなるかもしれないと、親は必死になって子どもを学校に連れて行こうとしました。

 

 

文字通り、縄で縛ってでも連れて行くといった具合でした。「すくむ」子どもを強制的に連れ出した話はよく聞いたものです。学校側も譲歩してか、最後の1日だけでも出席すれば、卒業を認めるといったところもありました。

 

 

1日だけでもいいから校門の中に足を踏み入れたら卒業させると言われれば、親はなんとかして子どもを学校に行かせようと思います。タクシーを呼んでは家の玄関に横付けさせ、子どもを無理やり乗り込ませ、学校に連れて行くのです。

 

 

今考えると滑稽に思えますが、当時の親は真剣でした。すべては、たった1枚の卒業証書が欲しいがためにです。それほど不登校児・生徒にとって卒業証書は得がたいものだったのです。学校に着くと、子どもは顔面蒼白です。心底学校を怖がっているのです。今考えるとまるで茶番ですが、親も教師も大真面目でした。

 

 

そして、子どもが校門に入ると、その「努力」を認めて、卒業証書が与えられたのでした。他にも、子どもを登校させるために、いろいろな登校刺激を与える場合がありました。

 

 

ですが、その登校刺激が逆に子どもを混乱させ、パニックを引き起こし、自殺してしまったり、死に至らないまでも、未遂で大怪我をするケースもありました。

 

 

そうした子どもたちは、ほとんど非常にナイーブな精神の持ち主でした。いや、こうした傷ついた経験の中で、ナイーブになっていったのかもしれません。やがて、この学校恐怖の子どもの数が急増し、学校側も対応に苦慮するようになりました。

 

 

さらに校内暴力、いじめ問題などから、「管理教育」が強まっていきました。すると今度は反対に、厳しすぎる校則や体罰などの問題がクローズアップされ、学校自体の体質までも問われるようになってしまったのです。

 

 

こうして、様々な問題が浮き彫りにされるなか、注目すべき事態が発生します。なんと今度は子どもがあえて意図的に登校を拒否し始めたのです。

 

 

「もう学校に教育はない。学校とは別の学ぶ場を見つけたい」と積極的な不登校に、革新的な親や識者は深い理解を示しました。学校の管理教育に問題があると言われ出し、学校に行かなくてもその子どもの将来を考えて卒業証書を出すという方向に変わってきたのは約20年くらいです。

 

 

このように不登校に対する学校側の態度の変化を背景にして、意図的に登校しない子どもたちが出てきました。学校に「行けない」のではなく、「行く必然性がない」のです。つまり学校を自ら「見限る」のです。

 

 

学校を自ら見限っていく子どもたちは、ことさら集団、対人関係に問題を持っているとは言えないので、気に入った空間があればどこにでも行くのです。私塾にも行きますし、フリースクールだって当然行きます。どこかに学ぶ場、すなわち生活の場があれば、そこに自らの意思で行こうとします。

 

 

また、場を作り出す親子も出てきました。「明るく元気に悩まない不登校」の生き方を元気に主体的に選択しているのです。こういった子どもたちは、エネルギッシュであまり心配はありません。

 

 

学校では限界を感じながらも、別の場所では生き生きと、本当に伸び伸びとやっていけるからです。彼らにとって学校は「行」けないのではなく「生」きる場になっていなかったというだけなのです。問題があったのは子どもたちのほうではなく、学校や家庭のほうだったことが、こうした不登校児によって証明されてしまったのです。

 

 

学校にはなじめなかった子どもたちが、場所を変えれば元気で勉強し生活できているのだから、それまでの学校はなんだったんだ、ということになります。その結果、不登校児は市民権を得、社会的にますます認知されるようになっていきました。

 

 

はっきり言って、現在、子どもたちにとって学校は、生活の場としてはあまり意味のない存在になってきているようです。学ぶ場が学校以外にできると、そこを気に入った子どもはいようと思えば、卒業することなくいつまでもその場にいることができます。

 

 

何年でも安住できるのです。5年、6年とフリースクールや生活共同体で過ごし、かつての自分と同じ境遇の子どもたちのために働こうとする若者も現れてくるようにまでなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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