青年期の反社会性
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青年期の反社会性

大人たちに青年時代のことを聞くと特に男性の場合、ほとんどの人がその当時、非行とか反社会的行動とみなされることをしています。

 

 

 

 

 

たとえば授業をさぼったり、飲酒や喫煙をしたり、万引きや自転車盗(路上に停めてある自転車を勝手に使う)などです。

 

 

 

 

 

まったくそうした行為をしなかったという男子のほうが少ないかもしれません。そういう意味では、軽い反社会性は、青年期の正常な発達的現象と言えます。

 

 

 

 

 

この時期に急速に増え、一般の健康な青少年にも見られる非行や不良行為を専門家は青年期型反社会的行動と呼んでいます。

 

 

 

 

 

その特徴は不連続性と状況依存性です。たとえ非行を行っても、ほとんどの青年は小学校まではほとんど事件を起こしたことがありません。

 

 

 

 

 

また、彼らの多くは20代になるとすべての犯罪や非行から手を引くようになります。文字通り、青年期限定の非行パターンです。これが不連続性という特徴です。

 

 

 

 

 

状況依存性とは、「店では万引きをするが、学校では規則を守る普通の学生として振る舞う」といったふうに、ある場面だけで反社会的行動をすることを指します。

 

 

 

 

 

青年期の非行は、自分から進んでというよりも、友人たちの影響を受けて行われるという事情を表しています。根っからの不良ではないので、学校や家庭では規則を守って暮らしており、友だちづきあいのなかでは不良行為が行われます。

 

 

 

 

 

こうした特徴を状況依存症といいます。不連続性や状況依存性は、青年期の正常な発達現象としての非行に見られる特徴です。そうではないタイプの非行少年もいます。

 

 

 

 

 

彼らはもっと以前から、小学校の頃から盗みや暴力があります。また、青年期を過ぎて大人になっても、非行がやまないという連続タイプの人もいます。

 

 

 

 

 

さらに、家庭でも学校でも状況にかかわらずトラブルを起こしているといったタイプの子どもには人格的な問題があると考えられます。

 

 

 

 

 

青年期限定ではない非行パターンは、しばしばプロの犯罪者に結びつきます。また、正常な発達現象とは言えないような重大な事件を起こす可能性もあります。

 

 

 

 

 

ですから、非行の経緯をよく調べてそれが青年期心理による限定的なものかどうかを見極める必要があります。

 

 

 

 

 

青年期に暴力などの反社会的行動が増えることは、日本を含め先進諸国で特に顕著です。そこから考えると、この現象は単に思春期の発達的心理のせいだけではないかもしれません。

 

 

 

 

 

現代社会の中で青年が置かれている立場についても考える必要があります。社会が近代化し、産業化が進むにつれて、「青年期」と呼ばれる期間が長くなる傾向があります。

 

 

 

 

 

江戸時代には、男の子だったら10歳くらいから、大店(おおだな)、今でいう会社に見習いとして奉公を始めます。この丁稚と呼ばれる見習い期間を無事に数年勤めると手代という地位に昇格します。

 

 

 

 

 

10代後半ですが、この段階で一人前の職業人と認められ、店の中でも責任のある仕事が任せられるようになります。

 

 

 

 

 

技術職を志す者も同様で、10歳前後から親方のところに見習いにはいり、数年間の修行を経て一人前の職人と認められるようになります。

 

 

 

 

 

武士の子弟は、おおむね16、17歳前後に元服式をあげて成人としての扱いを受けることになっていました。女性も同じ頃に結婚し、10代の間に子どもを生んで母親になる女性も少なくなかったのです。

 

 

 

 

 

「青年期」とは何かということですが、確かにこれは生物としてのひとつの発達段階です。しかし同時に、社会文化的な意味もあります。

 

 

 

 

 

青年期とは、一人の人間が子どもの段階から大人の段階に至る過渡期を表すものです。大人とは、その社会の中で人に頼らず一人で生きていける技能や知識を身につけていることを指します。

 

 

 

 

 

体力的な面だけを見ると、男子も女子も16、17歳頃には大人に引けを取らない段階に至ります。しかし、どんなに体は大きくても、職業人としての技能、ルールなどの社会的知識を身につけていなければ一人前とはみなされません。これが「青年期」です。

 

 

 

 

 

そして社会が近代化し、高度化するにつれて生物学的には大人であっても、社会的にはまだ大人ではないという中途半端な状態、すなわち「青年期」が長くなる傾向があるのです。

 

 

 

 

 

その理由は、一人前になるために必要な社会的知識や職業的技能の水準が高くなったことです。現代の日本を見ると、ほとんどすべての子どもが高校に進学し、中卒で就職する人はわずかです。

 

 

 

 

 

高校を出て、さらに大学に進む人は全体の50%に及んでいます。その先、さらに大学院に進学する人も増えています。学校は子どもたちに一人前の大人になるために必要な知識や技能を教えるところです。

 

 

 

 

 

修学期間がどんどん延びて、その分、実社会に出る時期が遅れています。平均すると、現代の日本において子どもたちが職業社会に入るのは20歳前後でしょう。

 

 

 

 

 

法律もこうした状況を反映して、20歳未満を「未成年」と呼んで、成人には認めている自由や権利を制限しています。たとえば、選挙権がないとか、飲酒や喫煙は禁止するといったことです。

 

 

 

 

 

ですから、10代後半の子どもたちは、体は成熟し、大人と同じような体格になったとしても社会的にはまだ大人とはみなされないのです。

 

 

 

 

 

このように生物学的成熟と社会的成熟がずれることを、専門家は「マチュレーション・ギャップ」と呼んでいます。「成熟のずれ」といった意味でしょう。

 

 

 

 

 

こうしたずれは、日本のような高度産業化された社会において特に大きいといえます。こうした社会では、青年は生物学的には大人であっても、社会的には半人前とみなされ大人には許される多くの魅力的な行動が制限されています。

 

 

 

 

 

たとえば学生ですから、お金を自由に使うとか高価なものを買うということはできません。多くの青年たちがバイクや自動車に興味を持ちますが、免許を取るには年齢制限があるし、お金もかかるので、ほとんどの青年にとってこれらを自由に乗り回すことはできません。

 

 

 

 

 

飲酒や喫煙はもちろん法律で禁じられていますし、性行為も大人のように自由にはいきません。中学生や高校生では、夜遅くまで遊ぶとか、友達のところに泊まるとか、そうした生活の自由もかなり制限されます。

 

 

 

 

 

「大人には許されていることが、なぜ自分たちにはできないのか」。青年期の子どもたちの多くがこうした不満を持っています。これはマチュレーション・ギャップに対する不満です。

 

 

 

 

 

すでに述べたように、この時期の子どもたちは、自由や自律性に対する強い欲求を持っています。大人に対する反抗心と相まって、マチュレーション・ギャップは、青年期の子どもたちの心の中に、大人や大人が決めた種々のルールに対して反発する気持ちを生み出します。

 

 

 

 

 

この時期に、非行や不良行為など、反社会的行動が多い一つの理由がここにあります。マチュレーション・ギャップにも個人差があります。これを強く感じる子どもとそうでない子どもがいます。

 

 

 

 

 

早熟で大人びた青年ほど、大人びた興味や欲求を持ち、大人と同じような振る舞いをしたいと思うでしょうから、マチュレーション・ギャップを強く感じるでしょう。

 

 

 

 

 

つまり、早熟な青年ほど、大人や社会のルールに対して強い反発を持ちやすいと思われます。確かに、不良がかった青年の中には、服装や行動の大人びたものが見受けられます。

 

 

 

 

 

早熟な青年が皆、そうだというわけではありませんが、専門家の調査でも早熟な青年に問題行動が多いことが見いだされています。

 

 

 

 

 

そうあいた点からすると、この時期、早熟すぎることも本人にとってはストレスなのかもしれません。

 

 

 

 

 

この時期の青年たちがみな反社会的傾向を持つといっても、実際には犯罪を犯したりするのはごく少数です。彼らの反社会性というのは主に内面的なもので、実際に行動に表れる場合も軽微な逸脱行動に過ぎません。

 

 

 

 

 

しかし、中にはほんとうの不良少年もいます。こうした少数の少年たちは、しばしば青年期の逸脱という範囲を超え、本格的な犯罪者の道をたどることがあります。

 

 

 

 

 

こうした本当のワルは、他の一般の青年たちにとっては恐れの対象で、敬遠されることが多いのですが、しかし一方で、彼らは尊敬と憧れのまなざしを向けられる対象にもなります。

 

 

 

 

 

一般の青年たちは、ワルに対して恐れと憧れという2つの相反する気持ちを持ちます。それはなぜかと言うと、ワルたちは一般の青年たちからみて自分たちがひそかに持ちながら断念している欲望を堂々と満たしているからです。

 

 

 

 

 

ワルたちは学校をさぼり、女の子とデートし、禁じられている盛り場に出入りします。盗んだり脅し取った金を自由に使い、酒やタバコを飲み、規則を無視して自由に振る舞っています。

 

 

 

 

 

マチュレーション・ギャップという欲求不満を抱えている普通の青年たちから見ると、これらワルの青年は、一見、彼らがひそかに望んでいるものをみな手に入れているように見えるのです。

 

 

 

 

 

冷酷で乱暴なところは男らしくさえ見えます。ワルたちが青年期の憧れの対象であることは、青年たちの間でよく消費されている映画やマンガを見るとよくわかります。

 

 

 

 

 

そうした青年文化の中では、ワルたちは文字通りヒーローとして描かれています。一般の青年たちも飲酒や喫煙、隠れて盛り場に行くなど、軽度の反社会的行動をしますが、それはこのワルたちをモデルにその行動を真似て行われます。

 

 

 

 

 

実際にワルたちと接触し、一時仲間に加わって行動を共にすることもあります。危険で悪の香りのする行為に手を染めることは、自己価値の不確実感に悩むこの時期の青年にとって、一種の存在証明の試みともいえます。

 

 

 

 

 

そうした点からすると、青年期の一時的反社会性は、彼らが大人になるための通過儀礼であり、自己を確立するために彼らがもがく姿でもあると言えます。

 

 

 

 

 

青年たちは、このように多かれ少なかれ、一時的に反社会的傾向を持ちますが、しかし、10代の終わり頃にはみな落ち着きを取り戻し、学校や職場等、合法的社会に回帰して普通の社会人に育っていきます。

 

 

 

 

 

しかし少数ですが、合法的社会に回帰することができず、本物の犯罪者の道を歩む人たちがいます。それは前述したワルと呼ばれる非行少年たちですが、それはいったいどんな青年たちなのでしょうか。

 

 

 

 

 

マチュレーション・ギャップはほとんどの青年にとって悩みの種です。しかし多くの青年はそのギャップを抱え、悶々としながらもこの不安定な状況の中で青年期を生きようとします。

 

 

 

 

 

しかし、中にはこのギャップを本当に乗り越え、解消してしまおうとする人たちもいます。彼らは大人の規制や社会のルールを堂々と無視し、禁止されていることを平気で実現してしまおうとします。

 

 

 

 

 

飲酒や喫煙はもちろん、女性とデートし、バイクを乗り回し、欲望を思い通りに満たそうとします。違反行為を隠れてこそこそやるうちは目こぼしもあるでしょうが、目に余るようになると周囲から本当の不良、非行少年とみなされるようになります。

 

 

 

 

 

遊興にふけって、勉学のほうがおろそかになると学業は遅れがちになり、学校では落ちこぼれと見なされるようになります。

 

 

 

 

 

彼らの中には、自分の欲望を満たすためにお金が必要なので、盗んだり脅し取ったりということをするような人もいます。これは明らかな犯罪なので、警察に逮捕されるといった重大な事態に発展します。

 

 

 

 

 

このように、非行の度合いが進むと、彼らは地域内で「不良」というレッテルを貼られ、また、学業不振のために学校内でも不適応になってしまいます。

 

 

 

 

 

青年期にいたって非行の度合いが進む子どもは、専門家によると一般の健康な子どもたちとは異なる特別な問題を持っていることが多いようです。

 

 

 

 

 

ひとつは、衝動的で自分が抑えられないという性格です。青年期には様々な欲望が高まってきますが、同時に、高校進学を控え、学業の圧迫も強まります。

 

 

 

 

 

この時期の青年たちはみな、欲望を自らコントロールして勉学に集中するという困難な心理的課題に直面することになります。それはマチュレーション・ギャップ同様、この時期の青年たちの大きなストレスです。

 

 

 

 

 

しかし、衝動的な性格を持つ子どもは、この課題をうまくこなすことができず、高まった欲望に突き動かされて、逸脱を犯してしまいがちです。

 

 

 

 

 

学校への適応はとても重要です。学校がおもしろくないと街をうろつき、非行仲間に加わったりする機会が増えます。また、成績が悪いと、「将来の進路だって、どうせ思い通りにならない」とやけになって、遊びのほうに流れてしまいがちです。

 

 

 

 

 

だから、この時期の子どもたちにとって、非行に深入りするかどうかという点からみても、勉強がある程度できるかどうかは重要な問題です。

 

 

 

 

 

専門家によると、非行少年の中にはある種の知的能力の低さが認められる子どもがいます。新しいことを学んでいく能力を知能と呼びますが、何種類かの知能の中に言語性知能と呼ばれるものがあります。

 

 

 

 

 

これは学校での勉強に特に関連した知能で、これが低いと学業がなかなか進みません。成績が悪いということで、学校をつまらなく思ったり学校に反発を持ったり、あるいは劣等感を持ったりします。

 

 

 

 

 

仲のよい友だちができなかったりすると、学校というところを居心地が悪いと感じたり、自分の居場所ではないと感じるようになるのでしょう。

 

 

 

 

 

非行だけではありませんが、学校に不適応であることは、青年期の問題行動の重要な原因になります。

 

 

 

 

 

このように衝動的で自分の感情や欲望が抑えられないとか、あるいは知的能力に偏りがあるなどの特徴を持つ子どもたちを専門家は「軽度発達障害」と呼んでいます。

 

 

 

 

 

発達障害といえば、知的な発達や言葉が遅れているとか、情緒障害があり、集団生活が難しいといった子どもたちがいます。障害が明瞭な子どもたちの場合には、周囲もそれを認識して特別なケアーや指導をします。

 

 

 

 

 

しかし、それが軽度な子どもの場合には、「障害児」とはみなされず、普通の子どもたちと同じような扱いを受けますが、彼らは学習が進まなかったり、学校生活についていけなかったりします。

 

 

 

 

 

それを、彼らの障害のせいであると認識して、親や教師が障害児と同じように保護的に扱ってくれればいいのですが、そのことに気づかず、怠慢であるとかわがままであるとみなして厳しく接したりすることがあります。

 

 

 

 

 

また、他の子どもたちも、「変!」といって仲間はずれにしたりいじめたりすることもあります。周囲の不適切な扱いによって、こうした子どもたちは劣等感や疎外感を強め、学校に対して不適応になったり、周囲の人に対して敵意や不満を持つようになることがあります。

 

 

 

 

 

早い時期から非行(盗む、嘘、暴力など)行動を示す子どもたちにしばしば見られる問題です。

 

 

 

 

 

健常な子どもたちと比べて能力や性格の面で、学校生活を送るうえで、不利な特徴を持つ子どもたちは確かにいますが、そのことが直ちに非行や反社会性の原因になるわけではありません。

 

 

 

 

 

それを周囲の人たちがハンディとみなし、障害児に接するように保護的に扱ってくれればそれを避けることが可能です。しかし、しばしば反対に厳しく接したり、仲間から排斥したりといったことになりがちで、そこから反社会的傾向が生じます。

 

 

 

 

 

子どもの反社会性は本人の性行だけでなく、周囲の対処のまずさの両方に原因があります。専門家はこれを「二次的障害」と呼んでいます。

 

 

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