自分を肯定してくれる人
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自分を肯定してくれる人

肯定されるとは、どういうことなのでしょうか。必要とされるということは、どういうことでしょうか。

 

 

 

 

「納得してくれなくてもいいから、ただ言いたい、やりたい気持ちを理解しようと聞いてほしかった」とある青年は言いました。

 

 

 

 

それはある意味で、自分は大切に思われている、という実感でもあります。

 

 

 

 

子供から相談事、悩み事、あるいは愚痴を聞いたとき、大人はともすれば、「解決策」を示さなければならないと思ってしまいます。

 

 

 

 

それが大人としてのつとめ、義務だと勘違いしている人も多い気がします。でも、それは少し違うように思います。

 

 

 

 

アドバイスや指導や励ましを、子供たちは望んでいるのではありません。そうではなくて、そうせざるを得ない気持ち、そういう問題で苦しんでいる気持ち、不安な気持ちをしっかりと受け止めてほしいのです。

 

 

 

 

受け止めるとは、しっかり聞く、聴くということです。この現実社会の中には、つらいことや悲しいことがいっぱいあります。

 

 

 

 

一生懸命に努力しているのに、報われないこと、ひどい仕打ちを受けることも多々あります。

 

 

 

 

当然の権利が通らなかったり、無視されたり、理不尽に扱われたり、悔しい思いをしたり・・・・とただ耐えるしかないことがあります。

 

 

 

 

それは大人も同じことです。いや、大人社会のほうが多いかもしれません。そういう場面に遭遇したとき、われわれ大人は、そういう苦しみに耐える術をなんとか学んできています。

 

 

 

 

でもそれは、そういうときに、「そういうこともよくあるよ。つらいよなあ」と、気持ちをわかってくれる人との巡り合わせがあり、救われた経験があればこそだと思います。

 

 

 

 

「こういう場合は、こうすべきですよ。それができないのはあなたの弱さです」などといったアドバイスばかり受けていたら、きっともっと苦悩していたはずです。

 

 

 

 

そんなことは百も承知で、しかし、それができないからこうやって苦しんでいるのです。

 

 

 

 

それは子供だって同じです。「言っても仕方がないとは思うけれど、ただ聞いてほしかった」と子供たちの多くは言います。

 

 

 

 

特に、自分の弱点があからさまになったとき、「逃げ場が見つからない子供」は、親や担任にその思いを強く持ちます。

 

 

 

 

子供たちは、わかりきった建前の説教や、理屈やあるべき姿を聞くために、愚痴をこぼすのではありません。

 

 

 

 

自分の気持ちを聞いてくれる、苦しい気持ちを理解しようとしてくれる人がいる、ということを確認するために、愚痴や弱音を吐くのです。

 

 

 

 

そしてその愚痴や弱音は否定しない信頼できる人にこそ、話しているのです。「心の居場所」という言葉があります。

 

 

 

 

安らげる、落ち着ける居場所です。肉体ではなく、心がくつろげる所が「心の居場所」です。

 

 

 

 

それは人間関係の中にあります。自然の美しい景色もいいかもしれませんが、自分のことをしっかりと受け止めてくれる人といっしょの場所なら、電車の中でも、雑踏でも、心は落ち着き、くつろぐことができます。

 

 

 

 

その「心の居場所」を、育てる必要があります。それは人間関係の中で「気持ちを語り」「気持ちを聴く」ことで豊かに創られていきます。

 

 

 

 

思うようにならない人生を、荒れることなく歩むためには「気持ちを聴いてもらえた」という実感を重ねていくしかないと思います。

 

 

 

 

わたしはそんな空間、人を「還る家」と呼んでいます。肯定感に満ちた「還る家」を見失ったとき、心は荒んでいくのです。

 

 

 

 

そして「こっちを向いて」という思いが増幅し、悲しい形で露になったのが、少年たちによる事件なのではないでしょうか。

 

 

 

 

「聴いてもらえないくやしさ」の反動が、昨今の様々な事件の背景にあるとしたら、われわれ大人は、まず吐き出せないよどんだ気持ちを汲みとり、聴くことから始める必要があるのではないでしょうか。

 

 

 

 

誰一人として生まれもって「悪い子」「問題児」になろうと、この世に誕生した子どもはいません。

 

 

 

 

聴いてくれる人との出会いがなかった、「還る家」を見つけることができなかった、その積み重ねが荒れる心を、子供の世界に呼び込んでしまったのではないでしょうか。

 

 

 

 

親子で感動を共有する

 

 

 

 

親子で感動を共有することが少なくなっている気がします。これは一家団らんが少なくなってきた弊害だと思います。

 

 

 

 

昔だったら、夕食後の団らんの場でいっしょにテレビを見て涙を流したり、笑い転げたりするのが普通の家族の光景でした。

 

 

 

 

そうやって喜怒哀楽を親子が自然に共有したものです。

 

 

 

 

「これからは感動をビジネスにする」

 

 

 

 

これはある大手企業の幹部の言葉です。感動がビジネスになる、それだけ感動が人々の日常生活から、得られにくくなっているということでしょう。

 

 

 

 

感動の共有は、相互理解の鍵です。たとえば、親の好きな音楽を子供に聴かせます。

 

 

 

 

子どももそれに感動します。たったこれだけのことで子どもは親を理解し、親も子どもを理解できます。

 

 

 

 

良いものを通じてお互いの理解が深まるのです。

 

 

 

 

ある不登校の生徒の話です。現在、高校一年生です。入学式が住んで一ヶ月ほどして不登校になりました。

 

 

 

 

親はあえてそれを容認しました。何も言わなかったのです。

 

 

 

 

子どもは最初は恐る恐るでした。親がどのような反応をするのかまったく読めなかったからです。

 

 

 

 

でも、親は何も言いませんでした。同時に日常の接し方にも特に変化はありませんでした。

 

 

 

 

これまでと変わらず食事も作ってくれるし、お小遣いもくれます。

 

 

 

 

彼は始めの頃は、自室にこもっていましたが、やがてアルバイトを始めました。

 

 

 

 

そして半年ほどで学校へ自ら復帰しました。その子は言いました。

 

 

 

 

「親は自分のことをけっこう信頼してくれているんだなと思えてうれしかった」

 

 

 

 

一方、親のほうは「息子の成長の節目と思って、静観していました」と言いました。

 

 

 

 

この家族の特徴、それは一家団らんのあることでした。

 

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