統合失調症と引きこもり
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統合失調症と引きこもり

統合失調症には、10代後半から発症するタイプがあり、ひきこもりをそれと誤ってとらえられてしまうケースがあります。

 

 

 

 

当然ながら、この2つはまったく異なるもので、取るべき対処を混同してしまうとたいへんな事態を招きますので、細心の注意を払う必要があります。

 

 

 

 

統合失調症の見分け方は、まず幻聴があるかどうかです。その場にいないひとの声がリアルに聞こえるといった症状があるのであれば、統合失調症の可能性が高くなります。

 

 

 

 

また、独り言を言う、空笑いをする、誰もいないのに誰かと話している、明かりを消して部屋の真ん中でじっとしている、あるいは「テレビニュースで自分のことを放送している」「アナウンサーが自分に合図している」など、ありえないことを実際のことのように感じるといった形で現れることもあります。

 

 

 

 

しかし、こういった症状が出たからといって確実に統合失調症であるというわけではないので、簡単に判断することはできません。

 

 

 

 

統合失調症の場合、医師とよく相談したうえでの治療が必要となりますが、問題なのは、親がそうした子どもを「超能力を持っている」とか「霊感が強い」「特別な才能を持っている」などと思い込んでしまう場合があるということです。

 

 

 

 

こうした場合、子どもは適切な治療を受けられず、いつまでも部屋にこもりっぱなしになるため、症状が進行してしまい、後々深刻な事態を招く可能性をはらんでいます。



 

 

統合失調症の発生頻度は、あらゆる時代と国を通じて、ほぼ0.5~1.0%を前後する一定の値を示し、それほどの変動はないとされています。

 

 

 

 

精神医学の教科書を開けば、どこにでも出ています。つまり、人口のおよそ100人に1人の割合で統合失調症の患者が現れるということが、精神医学上の定説なのです。

 

 

 

 

しかし、統合失調症はその定義や診断基準が極めてあいまいで、単一の疾患単位であるかどうかすら疑われている「精神病」です。

 

 

 

 

中井久夫によれば、統合失調症だけに見られる特有な症状は存在しないといいます。

 

 

 

 

基盤となる身体生理学的な異常も、むろん何一つ発見されていません。

 

 

 

 

こうした統合失調症にまつわる状況の不透明さにもかかわらず、統合失調症の発生頻度はあらゆる時代と民族に約1%と一定であるとされる背景には、やはり「内因性の神話」が見え隠れしています。

 

 

 

 

未知の身体的な疾病過程が真実のものであるならば、統合失調症は文化や時代にかかわりのない生物学的レベルの事実です。

 

 

 

 

したがってそれは、あらゆる民族に共通して不変の発生頻度を示すはずである、という仮説は、「内因性の神話」からごく自然にみちびかれてきます。そして、いま神話はその土台を崩されようとしています。

 

 

 

 

あるハンガリーの研究者によれば、ブロイラーが分裂病(当時)という名称を提案した前年にあたる1910年、首都ブタベストの分裂病者たちは、その半世紀後に比べて、より多彩な症状を呈していました。

 

 

 

 

しかも、当時支配的であった見解とは対照的に、ほとんどの分裂病は、いわゆる分裂病性の荒廃を残さず、比較的良好な経過をたどったとされています。

 

 

 

 

このことは、たいへん暗示的です。この1910年という時代は、西欧の周縁の地ブダベストには、いまだ、人格荒廃へといたる不治の病としての分裂病という物語が、さほど浸透していなかったことを示しています。

 

 

 

 

物語の流布する以前の19世紀なかばの西欧では、のちに分裂病者と呼ばれることになる人々は、1910年のブダペストの病者たちとよく似た状況にあったのです。

 

 

 

 

あるいは、現代文明から疎隔された台湾の原住民には、分裂病の有病率が台湾在住の中国人に比べてはるかに少ない、と報告されています。

 

 

 

 

しかも、彼らの精神病の特徴は、急性に発病し、その病相期は短く、再発や重篤な荒廃に陥る例はまれです。分裂病には再発例がまったくなかった、といいます。

 

 

 

 

これは、台湾の原住民という特殊性を示すものではありません。さまざまな研究の成果によって、わたしたちは未開社会では分裂病は少なく、あっても非定型(物語が浸透していないためか?)で、慢性化する例はめったにありません。

 

 

 

 

統合失調症は、さまざまな刺激を伝え合う、脳をはじめとした神経系が障害される病気です。詳しいところまでわかっているわけではありませんが、緊張ーリラックスをつかさどる神経系や、意欲やその接続に関連する系列、情報処理の調節に関する何らかの系統にトラブルが起きているといわれています。

 

 

 

 

当事者の感覚としては、「眠れなくなり、神経が敏感になり、まわりが不気味に変化したような気分になり、リラックスできず、頭の中が騒がしく、やがて大きな疲労感を残す」というような体験です。一度障害を起こすと、そこからの回復過程は緩やかであり、充分な時間を必要とします。

 

 

 

 

世界各国で行われたさまざまな調査が示していることは、統合失調症の頻度に地域による差、文化による差があまりなく、だいたい100人に1人は罹患した体験を持っているということです。これは、統合失調症が奇病の類ではなく、誰しもが体験しうる病気のひとつであるということを示しています。

 

 

 

 

「遺伝が関係する」とは、遺伝子のなかにたとえば「統合失調症」の発病因子といったものが組み込まれていて、その因子を有する人には統合失調症が発症し、ない人には絶対に統合失調症は発症しないということをいいます。

 

 

 

 

現在のところ統合失調症についてこのような因子は証明されていません。また、子育てが正確形成に影響を与えることは確かでしょうが、それがそのまま病気の発症につながるともいえません。

 

 

 

 

すなわち、遺伝や子育てが病気の直接原因であるといった証拠は何もないわけです。それでは、どのように考えたらよいのでしょうか。

 

 

 

 

人は、それぞれに生物としての「もろさ」をどこかしら持っています。もろさは遺伝や育児環境といったことだけが決め手になって生じるといった単純なものではなく、多くの要因が複雑に絡み合って形成されると考えられています。もろさは人によって、また時期によって、その程度が異なります。PAK24_morinonaka1227500_TP_V1

 

 

 

 

そして病気とは、その人のこうむるストレスが、その人のもろさの限界を超えたときに転ずる状態と考えられています。

 

 

 

 

もろさを持たない人などどこにもいないわけで、こう考えると、統合失調症は特別なごく一部の人に起こる問題ではなく、誰にでもおきる可能性のある病気といえるわけです。

 

 

 

 

統合失調症は10代や20代に発症することが多い慢性の病気ですから、病気を抱えながら生活するうちに、人生の折々の事件に遭遇する機会も多く、それだけにストレスから危機に陥りやすくもあります。

 

 

 

 

危機の状態に陥ったときに生じやすい現象は再発のサインとまとめることができます。

 

 

 

 

サインに気がついたら無理をせず、休息がとれるようにして自分をかばうことができると、再発は最小限にとどめることもできます。

 

 

 

 

また、病気を抱えているうちに病気のために苦手なこと、思うようにいかぬことも生じてきます。対人関係や仕事の練習の場を確保し、スタッフや当事者同士が互いに支えあいながらおこなうリハビリテーションは、回復の力を増すのに役立ちます。

 

 

 

 

残念ながら療養は長丁場です。ときとして、当事者にもご家族にも疲労がたまります。また偏見などのため、しなくてもよい苦労がふりかかることもあります。

 

 

 

 

病気の療養を上手に行うためには、負担を抱え込みすぎず、使える社会資源は充分使い、医療機関のみならず、福祉や保健のさまざまな相談相手も活用していただくとよいです。

 

 

 

 

病気を抱えていても、それなりに楽しい生活を送る権利が当事者にもご家族にもあるわけで、楽しくなるための工夫、楽に暮らすための工夫を重ねることがよいのです。

 

 

 

 

次に統合失調症の急性期の状態について説明します。ここでいう急性期とは、発病初期や再発増悪期にみられる、幻覚などの激しい時期のことをいいます。

 

 

 

 

この時期には、当事者の行動やご家族への態度ががらりと変わってしまうために、身近な人たちはとても驚かれます。

 

 

 

 

心配のあまり、「どうしたの」と近づこうとすると、当事者は「なんでもない」と言ったりして近づいてくるのを避けようとします。

 

 

 

 

ときには、「俺の悪口を言いふらしているだろ」と理由のわからない反発をしてくるため、「なぜこんなふうにいわれなくてはならないんだ」と家族としては切なくなり、しばしば手をこまねいているだけになってしまうこともあります。

 

 

 

 

では、この時期に当事者にはどんなことが起きているのでしょうか。世界中で多くの精神医学の研究者がこの問題に取り組んでいます。

 

 

 

 

まだ、すべてが明快にわかったと言える段階ではありませんが、それでもいくつかの納得しやすい仮説が立てられています。

 

 

 

 

そのひとつに、脳内のドーパミンという物質を介して働く神経が活動しすぎている状態になっているのだという仮説があります。

 

 

 

 

この仮説にしたがいますと、ドーパミンによって作動する神経が活動しすぎになったときに、人は「過覚醒」の状態になるといいます。

 

 

 

 

「過覚醒」とは神経が張り詰めすぎて、かえって思うように働かなくなってしまった状態をいいます。「あがる」とか「舞い上がっている」とかいう状態がもっとひどくなった様子と考えるとよいのかもしれません。

 

 

 

 

こうなると頭のなかはぐるぐるいろいろな考えが渦巻いているのに集中力や注意力は落ち、まとまった行動がとれなくなります。

 

 

 

 

火事や洪水に見舞われて、落ち着いているつもりでもどこか気が動転していて、貴重品の代わりに枕を抱えて右往左往しているなどというときは、過覚醒の状態といってよいと思います。

 

 

 

 

このようなときには、神経のネットワークを情報が駆け巡りすぎているのです。刺激としてある情報が多くなってくると、神経系は覚醒レベルをあげてそれに対処しようとしますが、ときに失敗し破綻をきたします。

 

 

 

 

情報は調節や処理をされ損ない、混乱した神経をより消耗させてしまうのです。このあたりの事情を、ちょっと別の見方で説明したものにフィルター理論があります。

 

 

 

 

たとえば宴会の席のような騒がしいところでも、わたしたちは話し相手の言っていることがわかります。これは意識を話し手のほうに集中することで、周囲の雑音をフィルターが選択的にカットしてあまり気にならないようにしているから、と説明できます。

 

 

 

 

テレビを見ているときに、一緒に見ている他の人の振る舞いや部屋の外での出来事が気にならないのも、同じ働きによるといえます。

 

 

 

 

統合失調症の急性期状態というのは、当事者が知らないうちにこのフィルターの破れ目ができ、意思とは無関係な情報が流入してくる状態にたとえる事ができます。

 

 

 

 

こうなりますと、たとえばふだんなら気にとめないで済む音に妙に敏感になったり、まわりの人のしぐさや表情などもやけに気になったりするわけです。

 

 

 

 

「何か特別の意味があるからあの人は笑っているのではないか?」「何かのサインがどこからか送られているのではないか?」などと疑い深くなり、自然と考えてしまうのです。

 

 

 

 

さらに意識を集中しようとしてもよけいなことが頭をよぎったり、思ってもみないような心配がわいてきたりして、考えがまとまりません。

 

 

 

 

これらはフィルターの破れ目から不必要な情報がどんどん流れ込んできて、神経の働きが混乱してしまうためだと説明できます。

 

 

 

 

この状態は、当事者にしてみると不安を掻き立てられる恐ろしい体験です。

 

 

 

 

わたしたちは予期せぬときに強烈な、しかも多量の情報にさらされると、圧倒され整理がつかなくなって取り乱してしまうものなのです。

 

 

 

 

このような状況では人はどうにかして情報の氾濫から身を守ろうとします。部屋に閉じこもりラジオもテレビもつけず、布団のなかでじっとしているのはそのような意図の表れともいえます。

 

 

 

 

また、何とか事態を納得しようと理屈を考えることもあります。「盗聴器がどこかにつけられている」とか「スパイに狙われている」という訴えは、このような体験を自分なりに納得するための理屈のひとつなのです。

 

 

 

 

このようなときは、人とかかわると自分が見透かされたとか、馬鹿にされていると感じるために、つっけんどんな態度を取って人を遠ざけようとします。

 

 

 

 

ときには追い詰められたと感じると衝動的な行動に走ったり、興奮して怒りを表したりすることもおきてしまいます。

 

 

 

 

ひきこもりやニート・スネップのなかには対人関係が苦手だという人が多く存在します。しかし、人は対人関係のなかで暮らしている生き物です。対人関係なしには人生は成り立ちません。

 

 

 

 

病気であろうとなかろうと、人から「馬鹿野郎」呼ばわりされたら、誰でも悔しい思いをします。ときにはそういわれておびえてしまうかもしれません。

 

 

 

 

あるいは人に一日中まとわりつかれるとうんざりするということもあります。対人関係にはほどほどの距離というものが必要であって、誰でもたまには一人でいたくなるものです。

 

 

 

 

一方、「君のことを応援しているよ」の一言が、どんなにか気持ちの励みになるかは多くの人が経験するところです。何も言わなくてもそばにいてくれる人がいる。そのことがホッとした気分にさせてくれることもあります。

 

 

 

 

あらゆる人が、人の間で支えられながら、他方でときどき人との関係を負担に感じたりもしています。人との関係に喜びがあり、悲しみがあり、つらさ、安心感、ねたみ、なごみなどさまざまな気持ちがわきます。

 

 

 

 

胃が痛くなったり、食欲が出たり、眠れなくなったり、胸がどきどきしたりといったように、体も反応するのです。

 

 

 

 

つまり、対人関係は人の体や心に影響を与えます。対人関係は人をはぐくむこともあれば、ときとして強い有害なストレスとなることもありえます。

 

 

 

 

統合失調症という病気は、人をストレスに対してもろくします。健康なときには影響がなかったようなストレスが、病気になってからは結構負担になって、体調を崩してしまうことがあります。

 

 

 

 

ストレスには仕事や勉強上でのストレス、体の疲労などのストレス、予期せぬ出来事に遭遇したときのストレスなどいろいろありますが、人との関係で生じるじわじわしたストレスも無視できません。

 

 

 

 

「精神医学は対人関係の学問である」と述べた有名な精神医学者もいるくらいです。当事者と周囲の人々との間がうまく調整できて、互いに和める居心地のよい環境であればそれは病気のためにもよく、人の成長という観点からも好ましいことです。

 

 

 

 

ところが残念なことに、統合失調症の当事者と周囲の人々との関係は、往々にしてストレスの高いものになりがちです。これは誰の責任と一概には言えません。

 

 

 

 

まず統合失調症という病気自体が「予期せぬ出来事」として当事者・家族双方のストレスになります。症状のわかりにくさもストレスの元でしょう。

 

 

 

 

たとえば、幻聴という症状は、当事者には不愉快な内容が絶えず聞こえてくるので、それだけでもつらいことですが、周囲の人もたいていは体験がないので訴えられてもピンとこずにもどかしい思いをします。

 

 

 

 

「そんな声聞こえるわけがない」と言っても、当事者には実際に聞こえているわけですから、幻聴をめぐる会話はしばしば互いの意見が食い違ったストレスの高いものになります。

 

 

 

 

また、働き盛りの人が働くことができないことは経済の問題を生じて、「どうして働けないの?」という言い合いを生みやすいでしょうし、病気に対する社会の偏見があることや安心してかかれる医療機関が身近にないことなどもストレスを加重させます。

 

 

 

 

このような関係におかれる人はしばしばゆとりがなくなり、よけいに対人関係がぎくしゃくすることになります。一例をあげれば、当事者が一日中部屋にひきこもったきりだと、朝はちゃんと起きられないものか、たまにははつらつとしたところを見せられないものか、とご家族は思ってやきもきします。

 

 

 

 

そのため、つい小言が出たり、あるいは心配のあまり家を離れられなくなることもおきがちです。すると、そのことが当事者にとってはよけい負担となり、敏感な人は、「家族がこんなにピリピリしているのはまわりの人から狙われている証拠だ」と疑ったりしていよいよひきこもりを強め、またそのことが家族に失望を与えるという悪循環が生じるわけです。

 

 

 

 

ついには、このようなストレスに弱い患者さんは、神経の敏感さが高じて再発の危機に見舞われるということもあります。したがってお互いに和める居心地のよい環境を作るには、普段とは多少異なった工夫がいろいろ必要になりますし、それが役にたちます。

 

 

 

 

つまり、病気のために引き起こされたお互いのぎくしゃくを変えていくのに、病気の特徴をつかんだ上で、行動の仕方や、ものの見方をご家族がわずかにでも変えることができれば、それが対人関係の変化となってよい影響を当事者にも与えます。

 

 

 

 

たとえばいまの例では、当事者との関わりは食事や服薬をめぐる必要最小限の機会にして、当事者がひきこもることを保証して、見守りながらも少しお互いにのんびりできる時間をもつようにします。

 

 

 

 

このような工夫を積み重ねていくときの鍵となる言葉に「感情表出」という言葉があります。

 

 

 

 

ひきこもりやニート・スネップ・不登校状態で苦しんでいる人たちの中には、対人関係が苦手な人が非常に多いのですが、この対人関係のストレスを少しわかりやすく測定しようとする尺度に「感情表出尺度」というものがあります。TSU82_sougen500_TP_V1

 

 

 

 

「感情表出」の英語の頭文字(Expressed Emotion)をとってEE尺度と呼んだりしています。少々ややこしいのですが、このEE尺度からわかることについてお話をしたいと思います。

 

 

 

 

たとえば、Aさんが自分の子どものBさんのことをわたしに語ったとしましょう。そのときAさんはいろいろな思いとともにBさんのことを語ってくれるわけです。

 

 

 

 

Bさんに対する愛情、ともにいる喜び、あるいは心配、つらさ、悲しみ、いろいろな思いが聞き手である私に伝わってきます。

 

 

 

 

Bさんのことをいとおしく思う想いが強ければ、暖かい、やさしい気持ちが伝わってきます。

 

 

 

 

言うことをきかないので手を焼いているという想いが強いときは、不満な、困ったものだという気持ちが伝わってきます。

 

 

 

 

EE尺度はこういった気持ちのいくつかをチェックし、数値化して表そうとしたものです。

 

 

 

 

EE尺度では、話されている当事者にとってストレスになるであろうと考えられる感情は大雑把に言って2通りあると考えます。

 

 

 

 

ひとつは、批判的な敵意のある感情に属するものです。たとえば、相手が嫌いだ、相手のしていることに強い不満がある、あるいはもう顔も見たくないという拒否的な気持ちなどです。

 

 

 

 

もうひとつは心配のしすぎ、過保護、過干渉といったことに属するもので、たとえば心配のあまり側を片時も離れられないとか、ひどく自分の生活を犠牲にして相手につくしているといった内容や、話している途中から気持ちがこみ上げて泣いてしまう、などです。

 

 

 

 

そしてこれらの批判・敵意・心配のしすぎの感情があまりにも高い場合を高EE、低い場合を低EEの状態と名づけています。

 

 

 

 

統合失調症にかかると神経が敏感になりやすく容易に安心感が損なわれるため、周囲の人とのストレスが単なる気持ちの揺さぶりにとどまらず、症状の不安定さを引き起こしてしまうのです。

 

 

 

 

服用の具合と再発との関係を見てみますと、薬は、神経の敏感さを和らげる役目をするものですが、薬をきちんと飲んでいる人のほうが、安定しており、服用が不規則になってしまっている人は再発しやすいという研究結果も出ています。

 

 

 

 

つまり、対人関係のストレスが減るように工夫することと、薬を規則正しく飲むことは病気の養生のために大いに役に立つということになります。

 

 

 

 

統合失調症の薬について

 

 

 

 

きわめて大雑把にいって、抗精神病薬の主な作用は3つほどあると考えられます。それらは、

 

 

 

 

1、幻聴・妄想を和らげるのに優れている。

 

 

 

 

2、興奮状態を和らげ、気分の沈静化をはかるのに優れている。

 

 

 

 

3、意欲の低下・元気の出ない状態から気持ちを引き上げる賦活効果がある。

 

 

 

 

と、まとめることができます。これからそのひとつひとつについて少しくわしくお話しますが、その前に注意しておきたいのは、ひとつの薬がひとつの作用だけもっているわけではないということです。

 

 

 

 

現代の統合失調症の治療薬のほとんどが、開発の段階で幻聴や妄想を和らげることを目指しています。

 

 

 

 

幻覚や妄想といった統合失調症の急性期の症状はドーパミンの過剰伝達という状態と深くかかわっていると考えられるので、治療薬の多くがこの過剰伝達を何とかしようという目的を持っています。

 

 

 

 

しかし実際に出来上がったものを調べてみると、ほかの神経伝達物資の流れにも影響を与えるものがあって、鎮静効果に優れたものや賦活効果のあるものが生まれてくるわけです。

 

 

 

 

したがって、この3つの作用の間は明確に分けられず、ほとんどの薬に多かれ少なかれ重なり合った効果があるので、これから述べることは、傾向を示しているだけであるということを承知していただきたいと思います。

 

 

 

 

この作用に優れた薬が効果的に作用した場合は、誰もいないはずなのに話しかけてきたり、自分のことを噂していたりする声、つまり幻聴が和らいできます。

 

 

 

 

同時に、自分の考えがまわりに筒抜けになっているような感じや、盗聴器でもしかけられて自分の考えが知れ渡っているような感じ、あるいはテレビやラジオで自分のことが放送されているような感じなどが消えていきます。

 

 

 

 

この種の薬は、これらの症状が治まってからも、再発を予防するために飲み続けることが有効で、そのため急性期ばかりでなく慢性期、あるいは症状的にほとんど回復してからも服用がすすめられます。

 

 

 

 

この種の薬の仲間で代表的なのはハロぺリドールです。薬が効くときには、飲み始めて一~二週間ぐらいのうちにいま述べたような症状が徐々に弱くなっていく、気にならなくなっていく、というかたちをとることが多いようです。

 

 

 

 

またこのグループの薬は大量に用いると、鎮静効果もかなりあります。ハロぺリドールは採血によって血中の薬物の濃度が測れるので、治療では血中濃度を見ながら適切な投与量を決めていくというやり方もおこなわれています。

 

 

 

 

最近ではこの鎮静効果が少なくて幻聴や妄想に効果的なものや、副作用が少なくて主作用はしっかりあるものを開発しようという方向もあるようです。

 

 

 

 

この作用に優れた薬は、患者さんがイライラしている、怒りっぽい、まわりの物事に対して敏感になりすぎているといったときによく用いられます。

 

 

 

 

神経が敏感になりじっとしていられなかったり、ときに暴力的になってしまうときに、そのような敏感さを和らげ、行動を穏やかにするということが主な目的になります。

 

 

 

 

むろん、このような敏感さは、幻聴が聞こえたり、自分の考えがまわりに筒抜けになったり、といった体験と関連していることがたいていなので、幻聴・妄想を和らげるのに優れている薬と併用することもよくあります。

 

 

 

 

代表的な薬としてはクロルプロマジン、レボメプロマジンなどがあります。この種の薬は中等量以上を用いると眠気が出てきます。

 

 

 

 

統合失調症の急性期の状態が過覚醒状態であることを考えれば、この眠気は治療的でもあり、たとえば夜寝る前に服用することで良質の睡眠を確保できます。

 

 

 

 

しかし、回復期にある方にとっての過度の眠気は、ときとしてつらい副作用ですので必要最小限になるような工夫もします。

 

 

 

 

消耗期から回復期にかけての意欲の低下・抑うつ状態、あるいは慢性状態で続いている意欲減退やひきこもりなどの症状をいくらかでも和らげようとする薬です。

 

 

 

 

最近、日本でも使用量の増えている「非定型抗精神病薬」という薬のグループは、ある程度そのような効果が期待できます。

 

 

 

 

そのほかの薬では、スルピリドなどがあります。ところで、意欲の低下した状態からの回復に向けて、実際の臨床でよくおこなわれるのは、急性期後の消耗状態を、再発を予防しながら「時が解決するのを待つ」ことです。

 

 

 

 

ただそのときにもできる工夫はいくつかあって、患者さんの安定した状態を見届けて、薬の内容を次第に抗幻覚作用があり、かつ鎮静効果の少ない薬に置き換えることがこころみられます。

 

 

 

 

また、徐々に慎重に全体の薬物量を減らしていくのも過鎮静の状態からの回復のためにおこなわれることです。

 

 

 

 

「非定型抗精神病薬」が導入されてからは、急性期からこの種の薬を使うことで、消耗期の過鎮静をなるべく避けることができるようになりました。

 

 

 

 

また、急性期は幻聴・妄想を和らげるのに優れている種類の薬物を主たる薬として用い、消耗期からは意欲の低下・元気のない状態から気持ちを引き上げる賦活効果がある「非定型抗精神病薬」を主として使うという方法もこころみられています。

 

 

 

 

ところで、80年代の後半から、それまでの薬とは作用のやや異なる薬の開発が進んできました。

 

 

 

 

これらの薬は現在「非定型抗精神病薬」という呼ばれ方をしています。非定型抗精神病薬に共通しているのは、ドーパミンの受け皿に作用する働きのほかに、他の神経伝達物資にも影響を与えている可能性があることです。

 

 

 

 

そのために、いままでにない作用があることが確認されています。また、非定型抗精神病薬の使い方として、次の2点は研究者や臨床医によって大切とされています。

 

 

 

 

1、原則として、一種類の薬で処方し、同じような効き目の何種類もの薬を重ねて飲むような方法は取らないこと。

 

 

 

 

2、「ちょうどよい薬の量」があります。多すぎる量の処方は、副作用ばかりが増え、効果が増えるわけではないので、「ちょうどよい量」を検討するように気をつけること。

 

 

 

 

つまり、非定型抗精神病薬が上手に使えるようになると、一度に飲む薬の種類が減り、また量も少なくてすむようになることになります。

 

 

 

 

「山盛りいっぱいの薬を飲まされる」という皮肉をときどき聞くことがありますが、非定型抗精神病薬は、そのような薬の使い方をも変えていく可能性があるようなのです。

 

 

 

 

非定型抗精神病薬はこれから先の精神科医療に大きな影響を与えることが考えられます。

 

 

 

 

ところで、効果のあるよい薬が発売されますと、わたしたちはつい大きな期待をその薬に寄せてしまいがちですが、薬は決して「黙って飲めば、ぴたりと治る」というものではありません。

 

 

 

 

たとえば内科の胃潰瘍の薬でも、飲んでいるからといって不摂生のままでいたり、暴飲暴食を繰り返したのでは期待する効果はあげられません。

 

 

 

 

薬の効果と協力するような養生の仕方がもとめられるわけです。そのように考えると、今後、非定型抗精神病薬が広まっていく場合には、患者さんやご家族が薬の効果を知り、同時に患者さんの状態にあったリハビリテーションに取り組むことがより必要になります。

 

 

 

 

なぜなら、非定型抗精神病薬は従来の薬とは異なり、鎮静作用があまりありません。

 

 

 

 

また陰性症状の改善が期待できます。つまり、薬が理屈どおりに効けば、急性期を乗り越えた患者さんの活動性は、比較的早く現れてくるわけです。

 

 

 

 

 

そのときに患者さんが身近でできることが何もないと、せっかくのエネルギーを前向きに使えません。

 

 

 

 

生活を車の運動にたとえれば、エンジンはかかってきたけれど、運転に不慣れなままに動き始めてしまって、よたよたしてしまう、といった状態がおきるのではないかと懸念されます。

 

 

 

 

また、逆に動けることから、本人も回りも期待が先立ちすぎて、十分休息をとることができずに、アクセルをふかしすぎてしまい、疲れがまた、たまってしまうということもありえます。

 

 

 

 

出てきた意欲にあわせて、再び生活がスムーズに送れるよう、ちょっと時間をかけて練習する場や機会があってこそ、おだやかな社会復帰が可能であると考えてよいでしょう。

 

 

 

 

それがリハビリテーションの役割だと思います。

 

 

 

 

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