社会的ひきこもり事例の紹介
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社会的ひきこもり事例の紹介

母親の面接を中心に支援を行った事例

 

 

 

 

 

(1)母親の来談

 

 

 

 

 

A君の母親が関東自立就労支援センターを訪れたのは、その年の9月の終わり頃のことでした。都会的で服装も趣味の良い人でしたが、普通の主婦よりは個性的な感じがしました。

 

 

 

 

 

話し方は淡々としていて、どこか孤独の影がありました。主訴は「次男が高校入学後、不登校になりひきこもって2年半になる。親としての対応を知りたいと思う」というものでした。

 

 

 

 

 

また、家族は父母と兄一人の核家族で、その構成は次のとおりです。

 

 

 

 

 

父  53歳  大企業の技術系サラリーマン

 

 

 

 

 

母  52歳  主婦

 

 

 

 

 

兄  21歳  大学3年生(家族と別居)

 

 

 

 

 

本人(A君)  18歳  無職

 

 

 

 

 

母親は本人の生まれたときからの話をしてくれましたが、来談のきっかけになった最近の家出後の話になると「長男の友だちに世話になっていたらしいのですが、帰ってきてからは本当に様子がおかしくて心配しました。

 

 

 

 

 

少し落ち着いてきたので、やっぱり専門の方にご相談しようと思ってうかがったのです」と不安な表情になり、その説明はもうひとつ状況がつかみにくいものでした。

 

 

 

 

 

(2)来談までの経過

 

 

 

 

 

乳幼児期

 

 

 

 

 

A君は、乳幼児期には体がやや弱いことと、中学生まで夜尿があったこと以外は特に問題はなく、おとなしい手のかからない子どもでした。

 

 

 

 

 

4、5歳のころは、近くの雑木林にカブトムシを父親ととりに行ったり、昆虫の好きな少年でした。母親も兄の出産は初めてでもあり難産だったので不安も強かったのですが、A君のときはゆとりがあったと語っています。

 

 

 

 

 

ただこに時期に目立ったことは、0歳から5歳までの間に、父親の5回の転勤、6回の転居、幼稚園の転園1回していることです。

 

 

 

 

 

A君は4歳違いの兄にいつもついて歩き、仲のよい兄弟でした。

 

 

 

 

 

小学校時代

 

 

 

 

 

初めはスポーツが得意でしたが、4年生になって体育の成績が落ち、その他の科目は中ぐらいで、特別塾にも行かず目立たない生徒でした。

 

 

 

 

 

どちらかというと内向的で、たとえばミニカーを集めるとか、釣りに凝るとか、そういうところは兄と対照的でした。

 

 

 

 

 

母親はなぜかこの兄に対しては、イライラして叱ることが多かったということです。「兄は子どものくせに憎らしいくらいよくしゃべるし、なにか育てにくい子どもでした。

 

 

 

 

 

今になってみると悪かったなあと思います」

 

 

 

 

 

幼児期から今日に至るまで、A君の大きな特徴といえば「無口だった」ということでしょう。父親も外ではともかく家の中ではかなり無口な人で、母親もカウンセラーとの相談の場で沈黙することはありませんが、話し方は静かに淡々と話す人です。

 

 

 

 

 

A君の無口の原因は、この兄がおしゃべりで、何かにつけて代弁してくれることによるところが大きかったと思われます。

 

 

 

 

 

中学校時代

 

 

 

 

 

中学は公立に進学し、成績は中ぐらいでしたが、中2になるころから成績は親に見せなくなりました。このころ学校で親友が一人できました。

 

 

 

 

 

この子とは、その後もずっとつきあっているようです。中3になると、まわりは高校受験とさわぐなかで受験勉強らしいこともせず、三者面談のとき、担任が、「私立を単願で受けたら」と勧めた時に、いやいやながら従いました。

 

 

 

 

 

本当は、兄の出身校に進学したかったらしいのですが、偏差値から見て無理だったようです。

 

 

 

 

 

母親の言葉によると、兄は中学から高校にかけて反抗期があったのに、下の子にはそれもなく、心ひそかに「何か起こらなければよいが」と思っていたそうです。

 

 

 

 

 

高校進学

 

 

 

 

 

試験も終わり、高校合格の知らせもきましたが、A君はあまり嬉しそうでもなく、制服の注文にデパートへ行った時、母親との待ち合わせに2時間も遅れたのを見て、母親は非常に不安になりました。

 

 

 

 

 

3月の説明会の日、会場へ入って母親はびっくりしました。700人の子どもと同じくらいの人数の父母、それまではこじんまりとした学校と思っていたのに、急に応募が増えて学校側も慌ててプレハブ校舎を建て増ししたということでした。

 

 

 

 

 

A君は急に不機嫌になり、学校で使う運動靴の注文もしようとしませんでした。中3ですでに意欲がなかったところへ、この高校の圧倒的な生徒の数は、A君にとっては大きな脅威だったと思われます。

 

 

 

 

 

不登校

 

 

 

 

 

4月、入学式の日、息子が出かけたあとから母親も式に参列しましたが、A君は式場に姿を見せませんでした。

 

 

 

 

 

母親が家に戻ったA君に問いただすと、口をおさえてトイレへ飛び込むありさまに、その日は何も言えませんでした。次の日から、両親は朝になると息子を起こして登校させようとしましたが、1日も行かず、1学期は全休しました。

 

 

 

 

 

学校側は、担任がクラスメートにこの子について相談をして、クラスの代表の女の子が電話をかけましたが、A君は受話器を持ったまま終始無言、そのままの状態で1学期は終わってしまいました。

 

 

 

 

 

7月になり本人の承諾のもとに、A君は退学しました。

 

 

 

 

 

ひきこもり

 

 

 

 

 

その年の4月から2年余り、A君はひきこもりました。この年、兄は大学に入学しました。母親は友だちの多いその町から引っ越せば、外へ出やすくなるかもしれないと思い、東京へ引っ越すことにしました。

 

 

 

 

 

引越しは喜んだものの、本人の生活に大きな変化はありませんでした。窓ガラスに紙を貼り、ふすまに棒をかけて外から開かないようにし、テレビ、インターネット、ラジオ、雑誌を見ながら毎日を送り、食事も二食になりました。

 

 

 

 

 

入浴も着替えも週1、2回で、引越しの前より近所へ出るのが少し増えただけでした。母親は息子が不登校しているという事態が最初はのみこめず、夫に訴えても強く叱ってもくれず、「わたしひとりの子どもみたい」と夫を恨んだり、涙にくれたりしていました。

 

 

 

 

 

やがて、母親は不登校について書かれた本を読んだり、講演を聞きに行ったりするようになり、A君が毎日長い時間寝ているのを見ても、「これは、人生のなかの休養の時期だな」と思えるようになりました。

 

 

 

 

 

小さな家出

 

 

 

 

 

ひきこもりを始めてから2年が過ぎ、家族と別居してアパート住まいをしている兄は大学2年生になり、以前からやっていたロックに熱中して、友だちとバンドを組んでコンサートをするようになりました。

 

 

 

 

 

ある日、兄が「来ないか」と誘ってきたので、本人にそのことを伝えると「行きたい」と言うので、母親はおにぎりをたくさん持たせてやりました。

 

 

 

 

 

それ以前にも兄のところへは2、3回行ったことがあるので、兄の友だちとも顔見知りになっていたのです。それから3週間、A君は家に帰ってきませんでした。

 

 

 

 

 

兄の言葉によれば、「僕の友だちのところで世話になっているらしい。アルバイトをして、お金を貯めて自立するっていってるよ」とのことでした。

 

 

 

 

 

その間、一度帰ってきて大荷物を持っていきましたが、本人は張り切っているようで顔が引き締まって見えたそうです。両親もほっとして喜びました。

 

 

 

 

 

ところがある日突然、A君は帰ってきました。無表情でぼうっとして目は焦点があわない、話しかけても目をパチパチして首を振って答えるだけです。

 

 

 

 

 

すべてのことに関心がなく、しばらくはひたすら寝ているばかりでした。母親は「これはたいへんだ。精神科へ行かなければいけないかな」と思い、つとめて話しかけるようにしました。

 

 

 

 

 

1ヶ月ほどしてA君は口数も少し増え、落ち着きを取り戻していきました。しかし、母親は息子が帰ってきたときの様子に不安をぬぐいきれず、知人の紹介を受けて関東自立就労支援センターに相談に来たというわけです。

 

 

 

 

 

(3)来談後の経過

 

 

 

 

 

経過の振り返り

 

 

 

 

 

初めのうち、母親はそれまでの経過を語り、「兄の反抗期の頃、主人やわたしが怒ったので、あの子はなるべく怒られないようにしていました」。

 

 

 

 

 

高校を中退したとき、「これが、今までに溜まった反抗だったのかなと思いました」と言いました。家出から帰宅して2ヶ月ほど経つと、A君は明るさを取り戻し、中学時代の親友と映画を観に行ったり、兄のコンサートへ行くようになりました。

 

 

 

 

 

といっても、これは1、2ヶ月に1回で、外出はほとんどそのときだけでした。

 

 

 

 

 

コミュニケーションの回復へ

 

 

 

 

 

カウンセラーが息子との会話をメモしてくるようにいったところ、母親はとにかく前から無口で親子の会話らしい会話がないことを改めて痛感したようでした。

 

 

 

 

 

その前の年、ある晩の夜遅くに居間に出てきたので「紅茶飲む?」と聞くと「うん」と言うので入れてやりましたが、飲み終っても立ちません。

 

 

 

 

 

何か話があるのかなと思い「どうするつもり」と聞きましたが、「それでも返事はありませんでした」と嘆きました。

 

 

 

 

 

それは、会話というより言葉以外のコミュニケーションという感じだと思います。

 

 

 

 

 

「無口な人は言葉にはならないけれど、体全体の雰囲気とか、ちょっとした表情で何かをしゃべっているのです」などとカウンセラーは説明し、母親に少しずつわかってもらうようにしました。

 

 

 

 

 

無口な人には無口になる理由があるのです。家族の場合、言いたいことを感じ取って母親が、「こうなんでしょ」というと「うん」と答えます。

 

 

 

 

 

それですんでしまうような習慣がついていることもあります。

 

 

 

 

 

女の子との交際

 

 

 

 

 

そのころ、母親が気がついたことはA君が誰かと長電話をしているということです。電話の向こうは女の子で、しかも相手は2人らしい、そのどちらかとはメールのやりとりもしているらしいということでした。

 

 

 

 

 

兄の話では女の子たちは兄の友だちのようでした。電話のときはA君もわりとよくしゃべっているとのことでした。日常生活も、食事、入浴などもそのころには元に戻っていました。

 

 

 

 

 

兄の存在

 

 

 

 

 

そのころのA君の生活については、この兄をぬかしては考えられません。最初のうち、兄は「母は弟を甘やかしている」と批判していました。

 

 

 

 

 

しかし、例の家出事件以来、焦ってもだめだと思うようになったようです。兄の性格は弟と反対で明るく社交的で、自己中心的で神経質なところはありましたが、音楽の作詞作曲の才能がそれをカバーしていました。

 

 

 

 

 

父親の性格

 

 

 

 

 

父親は国立大学を卒業した優秀な人で、正義感が強く、まじめで社交は苦手なので、それを酒のつきあいで補っていました。家に帰るとかなり無口になり、子どもの不登校の話を妻が始めると顔をしかめるので、夫とそういう話し合いが行えない不満に妻はじっと耐えていました。

 

 

 

 

 

たまに妻が不満を爆発させると夫は烈火のごとく怒り、結局、物別れになってしまうのが常でした。

 

 

 

 

 

母親が弟に対しては「つい弱いので、かばってきて」気持ちが近いとすると、父親は兄のほうを好み、母に内緒で別居しているアパートの家賃や小遣いを送金していました(この家では、経済はすべて父が握っていました)。

 

 

 

 

 

父方の祖父も国立大学を出て、エリート・サラリーマンだったので、父親はこの兄に期待していたのでしょう。

 

 

 

 

 

母親の育ち

 

 

 

 

 

A君が落ち着いてくると、母親は面接のなかで自分のこれまでの人生や、夫の実家の話に触れるようになりました。

 

 

 

 

 

母親は関西生まれで、その父は中小の会社や店を持ち、商売と遊びに忙しく、ほとんど家に帰りませんでした。

 

 

 

 

 

その母は地味な家のなかで裁縫をしているような人で、相談者であるA君の母がいつも祖母の愚痴を聞くことになっていました。

 

 

 

 

 

来談当初、母親に感じた孤独感は、小さなころから大人の間で心を痛め、「わたしは誰にも甘えることができずに育ったのです」という言葉からその由来を見ることができます。

 

 

 

 

 

父親の家は武士の家系で、優秀で几帳面、母親が「自分の育った家とまったく違うところがよいと思った」と言っているように対照的な家庭でした。

 

 

 

 

 

(4)援助の展開

 

 

 

 

 

援助方針

 

 

 

 

 

A君は母親からの分離ができず、自分の生きる目標としてきた兄の出た高校にも入れず、青年期にふさわしい自立した自分らしさを確立することができずに挫折した、未成熟な状態にあるとわたしたちは判断しました。

 

 

 

 

 

そこで援助のやり方としては、まず母親の不満や葛藤をじっくりと聞き、共感することで母親を支え、葛藤を解決することによっていま少し芽生え始めている母親の社会人としてのはっきりした生き方を確立することを目指しました。

 

 

 

 

 

母親が変わることで、ひきこもりの本人も母親から離れやすくなり、自立するように仕向けるという方針を定めました。

 

 

 

 

 

母子コミュニケーションの活性化

 

 

 

 

 

関東自立就労支援センターのスタッフと面接するようになって、母親はひきこもりの子どもを見守っているだけではなく、何とかこれまでより家族、特に息子と心の交流をしたいと思うようになりました。

 

 

 

 

 

たとえば、兄のコンサートに行った日に、次の朝、「昨夜、遅かったわね。何時に帰ってきたの?」と聞くと、「今朝、帰ってきた」、「どこへ行っていたの?」と聞くと、もう返事がないのです。

 

 

 

 

 

息子が以前退学したときに、「学校、行かないんだったら、仕事しないとね」と余計なことを言ったことがありました。気安く返事をしたりすると、またあんなことを言われるのではないか、と息子は警戒しているのかもしれないと母親は後悔していました。

 

 

 

 

 

不登校になる前は、こんなにしゃべらないことはなかったと母親は深刻に考え込んでいました。そこでわたしは母親に「以前、こんなことを言った覚えがあるけれど、あのころお母さんは何もわかってなかったんだね」というような話題をきっかけに話し合いができるのではないかと勧めました。

 

 

 

 

 

次の面接のとき、母親は「息子と少し話しができました」と言いました。「学校のことも、仕事のことも、今はちょっと棚上げにしようよね。今、急ぐことはないと思うよ」と言うと、息子は何も答えず母親の顔を見たそうです。

 

 

 

 

 

でもその後、何となく話がしやすくなってきたようです。うちのなかのこわばった空気が和らいできたこと、それは確かに少しずつ家族のコミュニケーションの変化の兆しが見えてきたことを感じさせるエピソードでした。

 

 

 

 

 

変化の兆し

 

 

 

 

 

家出から戻って2ヶ月ほど経つと、A君は月1回の兄のコンサートに行くようになり、3ヶ月過ぎた頃、コンサートの帰りに新しい靴を買ってきました。

 

 

 

 

 

それは兄のものと同じ高価な靴ですが、「親と別居する部屋を借りるための預金」を使ったようです。服装もますます兄に似てきました。

 

 

 

 

 

3ヶ月過ぎて、A君の生活は毎朝普通の時間に起きる昼型になり、外出もふえ、その相手は女の子もいたようです。自分の部屋の鍵もあまりかけなくなり、半年たってA君は少し長めだった髪の毛を自分で短く切りました。

 

 

 

 

 

たまに外泊することもありました。泊まる先は主に兄のアパートでした。

 

 

 

 

 

母親の内省

 

 

 

 

 

一方母親は、面接が進むにつれて、自分たちの結婚、家族のあり方などについてじっくり考えるようになりました。

 

 

 

 

 

「息子が不登校になるまで、わたしはうちの家族はそれなりにいい組み合わせだと思っていました。でもAが突然家出をしたとき、わたしは涙ばかり出てあんなに自立してほしいと思ってきたのに、いざいなくなったら考えもしなかったくらい淋しさが押し寄せてきました。

 

 

 

 

 

というのも、夫がわたしの話を聞いてくれない、何かこの息子のことに対してもいっしょに親身になって考えてくれるという手ごたえがまったく感じられないのです。

 

 

 

 

 

わたしと同じマンションに住む友達の家庭を見ていると、いろいろ考えてしまいます。家族みんながしっかり向き合っている感じで、あれがほんとうの家族なのかなと思います。

 

 

 

 

 

わたしには、今まで心やすまる家族の団欒の思い出がないので・・・・・。でも、わたしは主人に対しては底のほうで信頼しているのです。

 

 

 

 

 

まあ、うちはお互いが顔をあわせないように、外を向いて手をつないでいるといったらいいのでしょうか」

 

 

 

 

 

母親は、そう揺れる心のうちを語り、わたしも「いま、この人は生まれて初めて自分や自分の家族について、真剣に光をあてて考えようとしているな」とひたすら耳を傾け、共感していました。

 

 

 

 

 

目標ができて

 

 

 

 

 

家出から8ヶ月後のある日、兄から手紙がきました。兄はいくつものバンドに関係していたのですが、あるバンドで兄が抜けた後に弟に入らないかという内容で、本人も「やってもいい」とすぐ答えたので、母親は大学入学以来家にも帰らず、訪ねていかなかった兄に会いに行きました。

 

 

 

 

 

この話が決まらないまま1ヵ月後、A君は「運転免許取ろうかな」と言い出し、すぐに申し込みに行き、教習所に通い始めました。高校中退から3年余り経っていました。

 

 

 

 

 

それからA君は、朝早く起きるのも定期的になり、熱心な教習所通いで2ヵ月後には免許を取ってきました。このことは、家族をたいへん喜ばせ、将来への希望を持たせました。

 

 

 

 

 

生活上の変化

 

 

 

 

 

A君は外出が増え、出るときは「出かけるよ」と必ず言うようになっていました。それまで一日に一リットルも飲んでいた牛乳をやめて、チリメンジャコを毎日食べるようになり、パンはやめ、たくさん食べていた飴もいつの間にか食べなくなっていました。

 

 

 

 

 

口数も増え、母親にも友だちの話などをするようになりました。車を買う話も親から出しましたが、本人ははっきり断りました。

 

 

 

 

 

これは本人の意思が明確になり、それを言葉で表現できるようになった証拠とみられます。

 

 

 

 

 

教習所に通っている間、A君は兄のコンサートへも行かず、兄のバンドの話もいっこうに進みませんでした。

 

 

 

 

 

母と子の出会い

 

 

 

 

 

母親はA君が以前より気楽に話をするようになったのを、嬉しく思いました。

 

 

 

 

 

ただ、友達とは2時間も話をするのに、うちではまだほんの一言、二言なので、あるとき「A,いつも電話だとずいぶんいろいろ話しているみたいね。

 

 

 

 

 

お母さんも、あんたに電話かけようかな」と言いますと、A君はニコッとして「マジ?」と言いました。

 

 

 

 

 

母親が「冗談冗談、電話しても、そんなに話すことないもんね。・・・・・・でもね、あんたが中3のころ、中学で何か嫌なことでもあったのかな、とか、いじめた子がいたのかな、なんて考えていたのよ」

 

 

 

 

 

と言うと、「うん、ちょっとね。ただ、僕は兄ちゃんと音楽聴いているほうが好きだったから、クラスの子と話が合わなかったんだ。兄ちゃんの友だちとばかり遊んでいたし・・・・・・・クラスでずっと変な空気はあったよ。学校に行くのが嫌だったな」と言いました。

 

 

 

 

 

母親は初めて聞く話に、「ああ、そうだったの」と心に響くものを感じました。「そう、お母さんちっとも知らなかった。話してくれてありがとう」。

 

 

 

 

 

これは、母と子が出会った瞬間だといえる話だと思い、わたしも思わず聞き入ってしまいました。

 

 

 

 

 

社会参加の第一歩

 

 

 

 

 

それまで親戚の集まりには一切顔を出さなかったA君は、父方の法事に出席し、法要の後の食事の席にも加わりました。これはひきこもりから出てくる第一段階で、親も親戚の人たちも驚きました。

 

 

 

 

 

夫婦関係の変化

 

 

 

 

 

A君に回復の兆しが見えてきて、母親のなかにもゆとりが生まれたように見えました。母親は父親が長生きして、いっしょに子どものことをこんなによくなったねと喜び合いたいと思うようになりました。

 

 

 

 

 

父親は家に帰るとすぐに、「A、今日はどうだった?」と母親に聞くようになりました。

 

 

 

 

 

初回面接以来、1年半が過ぎていました。これから先は、社会関係に左右されるところが大きく、親切な人との出会いなど、幸運を呼び込むまでの粘り強い努力が求められます。

 

 

 

 

 

(5)援助の仕上げ

 

 

 

 

 

アルバイト①

 

 

 

 

 

例の家出以来、1年7ヶ月、A君は自分で見つけてきたスーパーに働きに行きました。しかし、これは2日で終わりました。

 

 

 

 

 

アルバイト②

 

 

 

 

 

それから2ヶ月余り、今度はハンバーガー店に勤め、ここは週4回で2ヶ月あまり続きました。

 

 

 

 

 

初めての反抗

 

 

 

 

 

A君のほうはアルバイトをやめても落ち込むこともなく、長電話、外出、たまの外泊も普通にやっていました。このあたりで、A君は新しい仲間ができたようで、遅く帰宅したとき母親が何か言うと、初めて「うるせぇ!」と反抗しました。

 

 

 

 

 

母親よりも外の仲間のほうが大事だという感じが見えたということです。

 

 

 

 

 

アルバイト③

 

 

 

 

 

ハンバーガー店をやめたあと、警備保障の仕事をしていたらしく、会社から突然「息子さんが会社をやめたので、制服を返してほしい」と言ってきて、初めて母親は警備保障会社に勤めていたことを知りました。

 

 

 

 

 

テレビ出演

 

 

 

 

 

そのころ、A君はバンドの仲間と共に、テレビの素人バンドが競演するような番組に出演しました。父親も母親も後で知りびっくりしたそうです。

 

 

 

 

 

この仲間は女の子が多く、楽しい思い出となったのと同時に、A君が兄から精神的に自立する自信をつける大切な経験でした。

 

 

 

 

 

アルバイト④

 

 

 

 

 

兄は大学を中退し、弟は別の道へ一歩踏み出しました。警備保障の会社をやめてから5ヵ月後、A君は洋服のメーカーの商品管理の仕事に就きました。

 

 

 

 

 

高校の不登校を始めてから、ここまでに5年を経ていました。この会社でA君はよい上司に恵まれ、2年間アルバイトとして働いた後、正社員として採用されました。

 

 

 

 

 

念願の一人住まいも果たし、長電話相手の女性と現在同棲中です。

 

 

 

 

 

母親の葛藤の解決

 

 

 

 

 

関東自立就労支援センターに来所後、2年を経て母親は親の会に入りました。この会で毎月同じメンバーと会ううちに、母親は服装のセンスの良いことでみんなの注目の的になりました。

 

 

 

 

 

「いま、編み物の教室に関係している」と言うと、皆はそれを仕事にしたらいいと勧めました。

 

 

 

 

 

もともと、母親のなかには2つの葛藤がありました。1つは自分の家族について、母としての自分、妻としての自分に疑問を持ち、悩んできました。

 

 

 

 

 

もう1つは職業人としての自分についてです。

 

 

 

 

 

これも来所前から、好きで習っていた美術的編み物を教える先生になりたい、でなければそうしたものを扱う店を開きたい、でもその機会もお金もないし、仕事を始めて失敗したらと迷っていました。

 

 

 

 

 

そこへ、ある地方新聞の主催するカルチャー・センターの話を教室の先生から持ち出され、決心がつきました。こうして、心のなかの葛藤が整理されました。

 

 

 

 

 

母親からの解放

 

 

 

 

 

その結果、A君に対して母親が自分の都合のよいようにしてきた支配関係が崩れて、A君は外の同年代の青年たちとつながる「自分の世界」を得ることができました。

 

 

 

 

 

母親からの執着が薄れることによって、自立しやすくなったものと思われます。

 

 

 

 

 

A君は母親自身の幼い頃からの不安をいつの間にか引き受けていて、不安を根強く持った子どもでしたが、母親の成長とA君の友だち関係と職場の上司から受けた信頼関係は、本人の心の成長を促し、安定させる結果となりました。

 

 

 

 

 

母親は「2人の息子が、ともかくそれぞれの道を歩んでいくのを夫と2人で見守りたいと思います」と言うとともに、教室開講認めてくれた夫に感謝の気持ちを語りました。

 

 

 

 

 

親と子の新たな信頼関係の成立

 

 

 

 

 

本来、家族としての親子や夫婦関係は、年を経ることによってごく自然に関係のあり方が変化していくものです。

 

 

 

 

 

子どもが育っていく過程で、学校や友だちとの結びつきによって子どもが親から離れていくという変化に親も子も耐えていきます。

 

 

 

 

 

それが親と子の新たな信頼関係といえましょう。

 

 

 

 

 

(6)まとめ

 

 

 

 

 

この相談事例では、個別相談は母親一人を対象として行いました。

 

 

 

 

 

不登校・ひきこもりの原因は、社会的要因、家族的要因が考えられますが、家族それも何世代にもさかのぼる問題は、要因の大きな部分を占めているケースが多いと思います。

 

 

 

 

 

この相談事例もまた、家族4人の間に自由なコミュニケーションの疎通が見られず、兄は父親の批判を避けて別居し、弟本人は母親との密着から自立できずにひきこもりました。

 

 

 

 

 

こうした場合、本人の個別相談を行うこともありますが、この相談事例では友人を得たことによる自信や、非常に粘り強く本人の職業指導を行い、しかも、要所々々できちんと叱ってくれた上司との出会いなどに助けられて、自立することができました。

 

 

 

 

 

「社会的ひきこもり」事例の回復期には、本人が多くの人々の助けを得て、社会へ出て行くケースが数多く見られます。

 

 

 

 

 

それは、単に医師やカウンセラーだけで成し遂げられるものではないことを強調しておきたいと思います。

 

 

 

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団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-439-4355
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援