無理強いしない、でも待つだけでも社会復帰は難しい
ホーム > 無理強いしない、でも待つだけでも社会復帰は難しい

無理強いしない、でも待つだけでも社会復帰は難しい

引きこもりをしている子どもには、その子なりの主張もあり、その子なりの考えもあります。

 

 

 

 

そして、その子なりに自分の将来像を持っています。もちろん、漠然としているででょう。

 

 

 

 

親が期待するような将来像ではないかもしれません。でもそれは、その子のもっている自分の将来像なのです。

 

 

 

 

私たちは、そのことを忘れてはいけないと思います。どうしても周りの人は、その子に対して「なぜ『引きこもり』をしているのか」と聞きたくなります。

 

 

 

 

なぜ「引きこもり」をしているのか言ってくれなければ、親としてあるいは周りのものとして、どうしてあげたらよいかわからないという思いが、その子にこのような問いかけをしてしまいます。

 

 

 

 

でも子どもたちは、なぜ「引きこもり」を始めたのか、なぜ「引きこもり」をしているのかをなかなか説明しません。

 

 

 

 

それは、説明してもわかってもらえないという気持ちがあるためでもありますが、それよりも問いかけられた「なぜ」に答えられないからというのが、本当のところだと思います。

 

 

 

 

「引きこもり」に入るということは、そう簡単な理由からではないし、また、そう簡単にまとめることができないほどの思いが交錯しているからです。

 

 

 

 

そうしたことをあまり考えないで、親や周りの人たちが、「人は一生勉強なのだから、やはり学校へ行くようにしなさい」「誰だって嫌なことはあるが、それに耐えられなければだめだ」

 

 

 

 

「友達は大切なものだ。大人になったらわかる。だから友達を失うようなことはしてはいけない」と言い、さらに「おまえのことを思って言っているんだ」というような押しつけをして、子どもを無理に引き出そうとすることや、押し出そうとすることは得策ではありません。

 

 

 

 

なぜなら、心の育ちと「引きこもり」は深い関係にあるし、心が傷つかないようにという無意識の防衛としての心理的な働きであることもあるからです。

 

 

 

 

では、「引きずり出す」ようなことはしてはいけないし、「押し出す」ようなことをしてはいけないというなら、「放っておけ」ということなのかと言われそうです。

 

 

 

 

実際、私がこのようにお話をすると、必ずこうした質問が寄せられますし、懸念を露にされる方がおられます。

 

 

 

 

もちろん私は「放っておけ」と言っているのではありません。私は、いつも「待つ」ことの大切さについてお話しするのですが、それも「放っておけ」ということと誤解されてしまいます。

 

 

 

 

実は「待つ」ということは、とてもたいへんなことなのです。私たちは「待てない」から、何かをはじめてしまうのです。

 

 

 

 

それは「待つ」よりも、何かをしているほうが楽だからです。私たちは、楽なほうを選択しているということなのです。

 

 

 

 

そのことは、子育てを省みるとよくわかります。「待つ」ことが下手だったから、子どもにやってあげてしまったのです。

 

 

 

 

子どもが自発的に何かをし始める前に、やってあげてしまったのです。いえ、やってしまったというよりは、やるように仕向けたり、「やれ」と言ってしまっていたのです。

 

 

 

 

大切なことは、こうした自分の子育てや教育の内容を自分で省みることなのですが、それが「待つ」ことでわかってくると私は思っています。

 

 

 

 

だから、「放っておけ」と言っているのではないのです。「待つ」ことはとても苦しいことです。

 

 

 

 

子どもが長いトンネルをくぐって出てくるのを「待つ」のは、とてもたいへんなことです。

 

 

 

 

トンネルの中にもぐって引きずり出したくもなりますし、トンネルの中で立ち往生していると思うと、かわいそうで引き出してあげたいとも思います。

 

 

 

 

でも、待たなければいけないのです。それは自分のためですし、子どものためでもあるのです。

 

 

 

 

でも、ただ「待つ」だけでもだめとも言えます。そこが難しいところですし、工夫のしどころというわけです。

 

 

 

 

ここまでくると、その子その子に特有な問題もありますから、一般論では言えなくなります。

 

 

 

 

でも、どのようなときでも、親や周りの人は「待つ」ことを忘れてはいけません。

 

 

 

 

「待つ」ことができないから行動するというのでは、それは逆効果になるでしょう。

 

 

 

 

では、親として「引きこもり」をしている子どもの周りにいるものとして、「待つ」しかないのかと問われれば、私は親としてというより、一人の人間として、常に「夢」を持ちたいものだというように答えています。

 

 

 

 

自分の「夢」を持つことが現実の苦しさをやわらげてくれることは、経験的にご存じでしょう。

 

 

 

 

私たちは、苦しいときほど「先を見る」必要があります。それは逃げているということとは違います。

 

 

 

 

たとえば、親は「引きこもり」をしている子を見ながら、「この子が自分の周りがよく見えるようになってほしい」と思うでしょうし、「現実の見える子どもに育てたい」とも思うでしょう。

 

 

 

 

こうした「現実」にとらわれている自分をちょっと見直して、「先を見る」ことが重要だと言っているのです。

 

 

 

 

こう言うと、「先を見ているからこそ、現実にこの子が『引きこもり』をしていることが嘆かわしいのだ」と言われそうですが、そこでもやはり「現実」が顔を出していることに気づいてほしいのです。

 

 

 

 

私たちは、確かに「現実」から足を洗うことはできません。「夢」の中で生きることはできないからです。

 

 

 

 

でも、その「現実」に足を置きながらも、「夢」を持たなければ「先が見えない」こともまた確かなのです。

 

 

 

 

だからこそ、「夢」を持ち「夢」を語ってほしいと言っているのです。その「夢」を語り合える仲間を持ってほしいのです。

 

 

 

 

大人は、「夢」を語りましょう。大人が「夢」を語れるようになれば、子どもたちも「夢」を語ってもいいと思えるようになります。

 

 

 

 

子どもたちは、いま、「夢」を語れない状況にあるのです。「夢」を語れば、すぐに「現実」を押しつけられてきたからです。

 

 

 

 

だから、子どもたちは「夢」を自分の世界の中だけで語るために、「引きこもり」をしているのです。

 

 

 

 

大人が「夢」を語れるようになれば、子どもたちも「夢」を語ってもいいと思うようになります。

 

 

 

 

こうして子どもたちは、「現実」の世界に恐る恐る出てきて、そして安全を確かめ、「現実」の世界に生きようとするはずです。

 

 

 

 

まわり道のようでも、これが「引きこもり」からの脱出につながると私は思います。

 

 

 

メニュー

過去の記事

団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-439-4355
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援