無力な子どもと親の愛
ホーム > 無力な子どもと親の愛

無力な子どもと親の愛

考えてみますと、子どもたちはこの世にまったく「無力」で生まれてきました。

 

 

 

 

親に何の条件もつけずに「親任せにして」誕生しました。

 

 

 

 

性別、能力、体格など、すべて子どもの願いは一度として聞かれることはなく、絶対無条件で生まれ、子どもはその自分を受け入れなければなりません。

 

 

 

 

これはその状態によっては、まったく子どもにとってやるせなく、くやしいものであります。

 

 

 

 

子ども自身に誕生の責任はないからです。

 

 

 

 

だから幼児であればあるほど、自己責任などないはずです。

 

 

 

 

ある若者は言いました。好きで「小心者」に生まれてきたわけではありません、好きで「背が低く」生まれてきたわけではありません、と。

 

 

 

 

にもかかわらず親は、「気が弱い子だ。もっと強くなれ」とか、「小さい子だ。もっと食べて運動しなさい。大きくなれ」と言います。

 

 

 

 

それは子どもが親に対して言い返したいことです。「なぜ臆病な気の弱い、小さな子に産んだのか」と。

 

 

 

 

この子どもの無念さを小さいうちから親は子に対して心をくだいてきたのでしょうか。

 

 

 

 

子どもはこの無念さを引きずりながら大人になっていかざるをえません。これが「娑婆の現実」なのです。

 

 

 

 

わたしのところに相談に来る若者の多くは、まさに「いい子」です。ところが、その若者たちはこの無念さを十代において親にほとんどぶつけていません。

 

 

 

 

いや、「いい子」であるために許されてこなかったとも言えます。

 

 

 

 

またそれ以上に親自身が、子の無念さにまったく気づいていないということも多いです。

 

 

 

 

そして、その果てに言う気力さえなくし、関係から身を引いて冷めている子どももいます。

 

 

 

 

わたしたちは子ども時代に、この誕生にあたって授けられた数々の無念な条件を、親には「てめえが産んだんだろう。俺の責任にするな」と言い、友達や先輩とは「やっぱり、どこの親も似たりよったりだ」となぐさめあって癒しあい、「許しがたい親だけど仕方ないか」「まあ、いっか」とこの身を受け入れ、気がついたら自分も親になっていたのです。

 

 

 

 

子は親になるまで、親に対して「俺に責任はない、俺は何も悪くない」と言いたいし、子は親に言ってほしいのです。

 

 

 

 

それを「いい子」にして言わせない(抑圧)で育てていくとき、子どもはいつまでたっても、第三者との関係がないかぎり大人として成熟できないのではないでしょうか。

 

 

 

 

親は子どもから、何度も何度もこの無念さを吐き出してもらわなければなりません。

 

 

 

 

また、そうなるための環境整備をしなければいけなかったのに、むしろ反対に「いい子」の上にあぐらをかいていたのではないでしょうか。

 

 

 

 

「とってもいい子だったのにって、ふざけるなよ。いつまで俺に甘えているんだよ!

 

 

 

 

おまえは親だろう。親なら親らしいことを言えよ」

 

 

 

 

この青年はこう言って、面接室でわたしを立会人にして号泣しながら両親の腹に蹴りを入れました。

 

 

 

 

大学卒業後、「どうにもならない状態」を迎えて、それまで親にとって「いい子」だった彼は、「悪い子」になりました。

 

 

 

 

無念さを成人になっても言わないではいられない彼の切なさと、親の怠慢に、わたしは気が遠くなることもあります。

 

 

 

 

あるときは、その親の役割を、傲慢な言い方かもしれませんが、わたしたちのような立場の人間が背負い続けなければ、その子が自分の生命を支えきれない場合もあります。

 

 

 

 

「それでもカウンセラーかよ」「善意の押し売りをしていい気になるなよ」「カウンセラーなら最後まで俺の面倒を見ろよ」と迫られても、「親」であることに耐えなければならないときもあります。

 

 

 

 

少なくとも「どうすることもできない親子」関係がないだけに、不幸な選択を防ぐことはできます。

 

 

 

 

ですが、血を分けた親子が向き合う限り、それを絶対に防ぎうる保証は何もありません。

 

 

 

 

わたしは今までに何度、刺し違えを試みた親子と出会ってきたでしょうか。

 

 

 

 

「もし子猫だったら、どこかに捨てることもできたかもしれない。でも、俺は人間なんだ。

 

 

 

 

まぎれもないアンタの子どもなんだよ。アンタが育てた息子なんだよ。その親の責任はどう取ってくれるんだよ。

 

 

 

 

俺はこれからどう生きていったらいいんだよ・・・・」

 

 

 

 

あまりにも悲しい魂の叫びを残して、ある若者はかけがえのない命を自ら絶ちました。

 

 

 

 

この若者も「いい子」でした。二十代後半になっても親を責めるしか自分の存在を確認できないでいたといいます。

 

 

 

 

この残酷さ、「もう自分にも責任がある」と言いたくても言えるまでに、十分に親に「弱音」を吐き、受け止めてもらえていないのです。

 

 

 

 

そしてそんな親を「見限ろう」と思っても、第三者との人間関係が作れないと、親に戻るしかありません。

 

 

 

 

子は親に十分依存し、受容されないと、自立(他人との関係をつなげること)できません。

 

 

 

 

とにかく「子どもは何も悪くない」、そのことを親は承知しなければなりません。

 

 

 

 

子どもに、「泣いていいんだよ、弱音を吐いていいんだよ」というひと言は、その覚悟の中でしか呼びかけられないとわたしは思います。

 

 

 

メニュー

過去の記事

団体概要
団体名
関東自立就労支援センター
理事長:
大橋秀太
理事:
大畑健太
理事:
杉下真理
住所
東京都東久留米市浅間町1-12-9
TEL
042-439-4355
メール
ki6jt7@bma.biglobe.ne.jp
活動内容
・若年者の就労支援、
 学習 支援、生活訓練
・共同生活寮の運営
・教育相談の実施
・各種資格取得支援