母子家庭と不登校
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母子家庭と不登校

 

 

 

 

とどまることなく変わりゆくのが人間関係です。それは向き合う者同士の心の変化とともに、その背景にある多くの人間関係がなんらかの影響を与えているからです。 

 

 

 

 

その意味で人生とはめぐり合わせ、人と人との組み合わせであり、光と闇の繰り返しです。

 

 

 

 

 

でも、いくら変わりゆく関係とは思っても、闇の身はつらいものです。せめて闇の「納期」がわかっていれば耐えることもできるかもしれませんが、世間はそれほど甘くはありません。

 

 

 

 

 

わかっているのはただ一つ、みんな誰もいつかは老いて寿命の尽きる日がくることです。

 

 

 

 

 

さて、だからといって闇の「納期」をあなたまかせにしておけるほど、人は悠長ではいられません。

 

 

 

 

 

硬直したなかでも人間関係の距離をとったり、もう一度信頼のメッセージを投げかけたりしてあきらめることを踏むとどまる努力を重ねています。

 

 

 

 

 

その努力の一つに”枠組み(フレーム)”の再構築があります。これをリフレーミングといいます。

 

 

 

 

 

過去と他人は変えられないと思えば、関係に対するこちらの見方、受け止め方を再検討するしかありません。

 

 

 

 

 

闇の状態を否定的にみていた”枠組み”をいったん外して「自分を生かすために(足元を見つめさせるために、人の道をこれ以上踏み外さないために)、あえてこの闇の関係を相手はつくってくれた」と肯定的な枠組みに築き直していくことです。

 

 

 

 

 

すると現実の意味も変わり、生かされている自分に気づけるのです。

 

 

 

 

 

肯定的な関係の見方は、相手にも肯定的な感情(陽性)を生み出す可能性があります。

 

 

 

 

 

相談室にたびたび通い、やっと少し光が見えてきた親御さんが、ふっとわが身と子どもとの関係を振り返ったとき、「子どもの悩みが深ければ深いほど、いまになって思えば親らしくさせてもらえました。

 

 

 

 

 

何度親をやめたいと思ったことか・・・・。でも子どもはやめさせてくれませんでした。そのおかげで”人並み”の親になれた気もします」

 

 

 

 

 

とつぶやくことはけっして珍しいことではありません。ところがこのように思えるのは、今、子どもとの関係が落ち着きだしたからです。

 

 

 

 

 

心の余裕が語らせているのかもしれません。それだけに、闇の渦中にあって「生かされている」心境になることを期待されるのは、「世間」に生きている身にとって酷な話です。

 

 

 

 

 

それでもそこをあえて承知でリフレーミングに心がけてみると、意外に他の課題に光が当たり、その反射で闇が明けてくることがあります。

 

 

 

 

 

母一人子一人でA子さん(中学3年生)を育ててきた母親(44歳)は、同居する実母(76歳)に向かって”甘える”ように責め立てました。

 

 

 

 

 

「お母さんは何でもA子の要求どおりに物を与え、わがままにしてきたからこうなったのよ。だからわたし、何度も言ったでしょ。ないしょでお小遣いを与えないでって」

 

 

 

 

 

すると、面接室の隅に身をかがめておとなしくしていた実母が、娘である母親のつらさを受け止めつつも嘆きました。

 

 

 

 

 

「あの子がやっぱり不憫でね。わたしだって孫を困った人間にしようと思って小遣いをあげたわけじゃないのよ。

 

 

 

 

 

あの年齢になれば、父親とおまえが生き別れか死に別れかぐらいきっと察しがつくのよ。でもあの子は、そのことに一言も触れはしない。だからつい・・・・」

 

 

 

 

 

A子さんの父親と母親は、彼女が2歳のときに離婚しました。婿入りした父親は、根は優しい人でしたが感情の抑制がきかず、ときどき家族に暴力を振るっていました。

 

 

 

 

 

そんな関係に自分も耐えきれなかったのか、ある日、わびるメモを残して出て行きました。

 

 

 

 

 

すねたり、意固地になるA子さんはどこか父親に似ていました。母親は内心、その性格がとても気になり、そんな場面が生活のやり取りの中で出てくると厳しく叱ったりもしました。

 

 

 

 

 

「強情で頑固なんだから、その性格を変えないとお友達から嫌われ、いつか一人ぼっちになってしまうよ」

 

 

 

 

 

「不満や嫌なことがあったら、本人にまずきちっと言ってごらん。気が小さいんだから」

 

 

 

 

 

友だちにからかわれやすい子だったA子さんは、小学校5年生あたりから「言われっぱなし」の自分に決別しようと努力しました。

 

 

 

 

 

いじわるする男の子には胸をなぐり、女の子には砂をかけました。でもそれは、A子さんにとってはかなりの勇気でした。

 

 

 

 

 

「多少は不安でも、人に自己主張できるようになった娘」に母親は”成長”を感じていましたが、A子さんは「悲しみを話す相手」としての母親を失くしていったといいます。

 

 

 

 

 

中学入学をきっかけに、A子さんは母親と寝ることをやめました。そのころ、学校から帰宅して「安心しておばあちゃんにねだる」ことが、彼女の息抜きになっていました。

 

 

 

 

 

そして女性管理職の道を歩む母親に、A子さんの寂しさを受けとめるゆとりはありませんでした。

 

 

 

 

 

中学1年の3学期、幼なじみの”知的ボス”が「A子の暴力を討論する会」を”意地悪く”担任に提案しました。

 

 

 

 

 

彼女は「好きな先生のためにも」拒絶はしませんでした。でも翌日から学校を休み、自宅に引きこもる生活になりました。

 

 

 

 

 

そして中学3年生になると、母親を口汚くののしるようになり、ときには祖母にも手をあげるようになっていました。

 

 

 

 

 

実母は娘(母親)の苛立ちを受けつつも、面接終了間際になって悔しさを語りだしました。

 

 

 

 

 

「おまえは朝家を出て、夜帰ってくればいい。それは忙しい立場だから遅くもなるだろう。でも、学校にも行けない子といっしょに昼間も夜もずっといっしょに過ごしているのは心細いものだよ。わたしは、いくらお金をつんでもらっても母親にはなれないんだよ」

 

 

 

 

 

すると母親が、崩れるように言いました。

 

 

 

 

 

「わたしだって、気楽に過ごせた日は一日もなかったわ。あの日(離婚)以来、強く生きるしかなかったの。再婚だって何度も考えたけど・・・・。それに、あの子に父親の影を見るとつい不安になってしまって・・・・」

 

 

 

 

 

実母は手元のバッグから手ぬぐいを取り出すと、泣き顔の母親に差し出しました。

 

 

 

 

 

「お母さん、わたし、まだ子どもだね」

 

 

 

 

 

「当たり前じゃないか。いくつになっても親にとっては子どもだよ」

 

 

 

 

 

「わたし、お母さんに甘えていいんだ。食事を作っておいてもらうだけが甘えじゃないんだね」

 

 

 

 

 

かみ締めるようにわたしの前でささやく母と娘を見て、わたしは「絆」とは「おかげさま」、謙虚に気づくことであるとあらためて学びました。

 

 

 

 

 

「わたしは夢中で働いてきました。誰からも後ろ指をさされないようにと、しっかりしなきゃと生活してきました。でもそれは、不安や失敗を家庭の中に入れたくなかったからなんです」

 

 

 

 

 

娘の現実を「”純粋培養”から”たくましさ”への分岐点」とリフレーミングできた、母親の一言でした。

 

 

 

 

 

このゆとりが、実母と母親との間に潤いの親子関係を築かせる泉となりました。その働きがA子さんの心に影響しないはずがありません。

 

 

 

 

 

恨みを恨みでは消せません。わたしの母親もしつけには厳しかったです。でも、今がよければ心に少し余裕もあるので、どんなに傷つけられた過去でもすべて善しと思えます。

 

 

 

 

 

今が悪ければ、どんなに大切にされた過去でも汚れたものに思えてしまいます。

 

 

 

 

 

やはりリフレーミングは、闇の中にあっては容易なことではありません。

 

 

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