引きこもりと自意識
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引きこもりと自意識

思春期の心理的変化の中で、もっとも顕著なものの一つは、自意識が高まることです。

 

 

 

 

 

中学生の子どもたち、特に、女の子はこの時期、鏡の前にいる時間が長くなります。

 

 

 

 

 

顔、髪、服装などを入念にチェックするようになります。男の子の中にも、しきりに鏡に向かうようになる子がいます。

 

 

 

 

 

 

彼らは髪型、前髪の長さ、シャツの襟の折れ方が気になって、何度も直しては映り方を試します。

 

 

 

 

 

目や鼻の形、皮膚の色、あるいは太っているとか痩せているとか、体の特徴を気に病む子たちも少なくありません。

 

 

 

 

 

自分の姿が気になるということは、人の目に自分がどのように映っているかを気にかけるということです。

 

 

 

 

 

女性は、この頃から始まってその後ずっとほぼ一生にわたって自分の容姿を気にするようになります。

 

 

 

 

 

男性では、この思春期がもっとも容姿を気にする気持ちが強いでしょう。

 

 

 

 

 

わたしの子どもたちも、この年代のとき、長い時間を鏡の前で過ごしていました。

 

 

 

 

 

髪の長さ一ミリが気になるようで、「誰も君のことなんか、見てないよ」と言ってもだめなのです。

 

 

 

 

 

主観的には、みんなの視線が自分に注がれているように感じるのが思春期の感じ方です。

 

 

 

 

 

自分の容姿への過剰な関心は自意識の一つの現れです。自意識とは、自分自身を対象化してみる心のはたらきで、当然ながら、ある程度の知的発達が必要です。

 

 

 

 

 

こうした能力は、人間以外の動物にはほとんど見られないといわれています。

 

 

 

 

 

例えば、猫や犬に鏡を見せると、そこに映っているのが自分の姿だとは気づかず、他の個体がいると思ってほえたり逃げたりするそうです。

 

 

 

 

 

人間以外の動物の中で比較的知能の高いチンパンジーは、鏡を見せると初めは猫や犬と同じ反応をしますが、慣れてくるとそれが自分だとわかるようになるそうです。

 

 

 

 

 

人間では、二歳くらいで鏡の中の自分を認知できるようになるといわれています。

 

 

 

 

 

このように、自己を対象化するには一定以上の知的水準が必要になってきます。

 

 

 

 

 

ただし、思春期の人たちがしきりに鏡を見るようになるのは、単に、自己対象化の能力が高くなったためだけではありません。

 

 

 

 

 

そこには、鏡で自分をチェックしたいというもっとも積極的な動機づけがあります。

 

 

 

 

 

それは、「自分がどういう人間なのか、知りたい」「自分には、どんな魅力や価値があるのか知りたい」という願望です。

 

 

 

 

 

みんなが自分を見ている?

 

 

 

 

 

人間にはみな、自分自身を知り、その価値を確認したいという欲求を持っています。

 

 

 

 

 

子どもの頃は、こうした自己関心は弱いのですが、それが思春期の頃から強まってきます。

 

 

 

 

 

いやむしろ、この時期、自己関心は急激に高まって人にもよりますが思春期は一生のうちでもっとも強いと言えます。

 

 

 

 

 

思春期の自己評価の特徴の一つは、それが他者評価に強く影響されることでしょう。

 

 

 

 

 

この時期の子どもたちは、自分が人からどう思われているか、人の目に自分がどう映っているかをとても気にします。

 

 

 

 

 

ですから、鏡に向かって自己を見つめているとき、それは、他の人が見るような目で自分の姿をチェックしているといってもいいでしょう。

 

 

 

 

 

髪型や服装におかしなところはないか、容貌・容姿はどうかを人の目になってチェックします。

 

 

 

 

 

人目を気にするというのは、「きょろきょろしている」とか「落ち着きがない」など、世間ではよくない振る舞いのように思われています。

 

 

 

 

 

しかし、心理学的に見ると、一概にはそうとは言えないと思います。人目を気にするからわたしたちは「悪いことをしてはいけない」とか「恥ずかしいことをしてはいけない」という気持ちになります。

 

 

 

 

 

人から批判されたり、後ろ指を指されたりしないよう行いをつつしみ、ルールを守って生活しようとします。

 

 

 

 

 

その意味で、人目を気にすることはわたしたちを「規範的」にします。

 

 

 

 

 

「規範的」とは、社会のルールや決まりごとを守って行動することを指します。このように考えると、子どもたちが大人社会に入る入り口のところで、とても人目を気にするようになるということは、重要な意味があります。

 

 

 

 

 

自分の様子や振る舞いが、他の人たちから良いとか悪いとか評価されるものであると気づくようになること、それを考慮しながら自分を整えていこうと努力することは、子どもが社会に適応していくうえで必要な心のはたらきだからです。

 

 

 

 

 

もしも、まったく人目を気にしない人がいたら、こちらのほうがむしろ問題でしょう。

 

 

 

 

 

自分のやりたいこと、好きなことをしほうだいといった傍若無人な態度では、周囲の人たちとの軋轢が頻繁に生じ、どこでもトラブルばかり起こすことになってしまうでしょう。

 

 

 

 

 

小さい子どものうちは、わがままな行為をしても「天真爛漫で、子どもらしい」といって受け入れられるかもしれませんが、中学生ともなればそうはいきません。

 

 

 

 

 

あちこちに守るべき約束事が増えてくるからです。学校では勉強をしたり部活をします。

 

 

 

 

 

家では体も大きくなったから、遊んでばかりでなく、手伝いもしてほしいと親は思うでしょう。

 

 

 

 

 

友達づきあいだって、自分勝手ではうまくいかないでしょう。人づき合いや社会の約束事を守らないと、周りから排斥されて何事もうまくいかなくなります。

 

 

 

 

 

だから、思春期に人目を気にするようになるということは。子どもが大人社会に入っていく際に、規範的態度や行動を身につけるうえで、有益にはたらく心の持ち方なんだろうと思います。

 

 

 

 

 

ただし、次に述べるように、あまり人目を気にしすぎること、強い自意識は思春期の子どもたちを苦しめるものともなります。

 

 

 

 

 

思春期は、子ども時代の自己中心性が残っているので、みんなが自分を見ているように思い、強い自意識にとらわれがちです。

 

 

 

 

 

青年期もあとになれば、そんなことはないということに気づくようになり、自意識も緩みます。

 

 

 

 

 

発達とは、本来そうなのでしょうが、ある性質(この場合には規範性というもの)を形成するために、子どもの心や行動は、一時期、その方向に極端に振れ、しばらくすると回帰してきてバランスの良いところに落ち着くという行きつ戻りつの行程を経て進んでいくものだろうと思います。

 

 

 

 

 

しかし、中には極端に振れたままで、その状態が固定され、なかなか中庸に戻ってこないというケースもあります。

 

 

 

 

 

それが思春期のトラブルの一因となります。

 

 

 

 

 

自意識というストレス

 

 

 

 

 

人目を気にすることの不都合な面は、当人にとって重荷であることです。

 

 

 

 

 

大人でもそうですが、人前に出ると自由に振る舞えなくなったり思ったことを言えなくなります。

 

 

 

 

 

変なことをして、人に笑われないかと心配するからです。

 

 

 

 

 

個人差はありますが、自意識によるこうした自己抑制は一般に若い人ほど強く、人前では堅くなりがちです。

 

 

 

 

 

思春期は特にそれが強く、家族や友達以外の人に向かっては、緊張してきちんとものが言えないという中学生もいます。

 

 

 

 

 

こうした自己抑制は精神的に負担なもので、誰でも多かれ少なかれストレスと感じます。

 

 

 

 

 

大人でも職場から帰宅し、人目から解放されると「ホッ」とするものです。

 

 

 

 

 

人目にさらされたり、人目を気にすることによって経験されるこのストレスにはふたつの側面があります。

 

 

 

 

 

一つは、今述べたように、緊張する、思い通り行動できないといった拘束感です。

 

 

 

 

 

これは誰もが経験するもので、比較的軽いストレスといってよいでしょう。

 

 

 

 

 

人目がもたらすもっと本質的で、ある場面には深刻な状態を招く別の問題があります。

 

 

 

 

 

それは、自己に対する否定的な評価です。人目を気にするとわたしたちは自意識を強めますが、これは、既に述べたように、自己を対象化してみる心の状態です。

 

 

 

 

 

わたしたちは、実は何に対してもそうなのですが、ものを見るときには、ただ単に見るということはしません。

 

 

 

 

 

ほとんど常に、「良い」とか「悪い」とかの評価をしながら見ます。

 

 

 

 

 

この記事を書いている今、窓の外を見ると春のやさしい日差しに木々が照らされています。

 

 

 

 

 

一本一本の木々が日差しを浴びて輝いています。こうした光景を見ると「美しいなあ」という気持ちが生じます。

 

 

 

 

 

目を下に転じて、通路や駐車場が日差しに照らされているのを見ると、「いい天気だな。たまには周辺を散歩でもするか」という気持ちになります。

 

 

 

 

 

わたしたちの心にはこうした「好ましい」「好ましくない」といった評価が自動的に生じます。

 

 

 

 

 

評価しようと意識しなくても、自然にそうなります。もともと、人間が見たり聞いたりするという心の働き(知覚といいますが)は、わたしたちが環境に適応するために必要な情報を収集するためのものです。

 

 

 

 

 

ですから、好都合か不都合かといった評価が伴うのはむしろ当然のことです。

 

 

 

 

 

こうした評価が自己を対象とした場合にも生じます。わたしたちは、自分の容姿、能力、性格などを振り返るときに、自動的に評価をしています。

 

 

 

 

 

「この点はよい」「これは苦手なところだ」などです。評価ですから、良い点も悪い点もあるはずなのですが、不思議なことに自己評価となるとわたしたちは自分の悪い点、至らない点に目を向けがちです。

 

 

 

 

 

「もっと目が大きかったら」「もう少し足が速かったら」「もう少し社交的だったら」と、自分の欠けている点、不足している点に目が向き、不備な点を拡大してしまいます。

 

 

 

 

 

その結果、自己評価は否定的になりがちです。ビデオに映った自分の姿は気恥ずかしくて見られないという人が多いでしょう。

 

 

 

 

 

録音された自分の声を聞くのも、あまり心地よいものではありません。

 

 

 

 

 

自分を対象化することに不快感が伴うことが多いのは、良い点より悪い点に目が向くせいです。

 

 

 

 

 

これは、どうしてなのでしょうか。一つは、わたしたちがいつでも、人に対して良い印象を与えたい、自分の優れた点を認めてほしいといった願望(認知欲求)を持っているせいです。

 

 

 

 

 

これがあるために、かえって自分について批判的に見るということをしてしまいます。

 

 

 

 

 

もう一つの理由は、「こうありたい」とか「ああなりたい」といった向上心です。

 

 

 

 

 

これを自己理想と呼んでいますが、これがあるからわたしたちは「今よりも、もっと上手になろう」とか「もう少しがんばろう」という前向きの意欲を持つことができます。

 

 

 

 

 

自分に満足してしまったら、努力することがなくなり進歩も止まってしまいます。

 

 

 

 

 

特に青年期は、学業でもスポーツでもあるいは人格面でも努力すればそれだけ成果が上がる時期です。

 

 

 

 

 

心身ともに柔軟で、集中力も高いので、もっとも伸びる可能性を秘めた時期だといえます。

 

 

 

 

 

自己批判的な姿勢は、積極的な行動と結びつけば、子どもたちの進歩や成長を促す原動力にもなります。

 

つづく

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