引きこもりからの旅立ち
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引きこもりからの旅立ち

異論はあるかもしれませんが、子どもたちが学校や職場に行くか行かないかは、それはその子の選択の自由であり、誰も侵すことはできないとわたしは思います。

 

 

 

 

二度とないかけがえのない人生をどのようなスタイルで生きていくかは、その子の意志が最大限尊重されなければならないからです。

 

 

 

 

親だから「子どものためだから」と言っていつのまにか、子どもの願いを、大人の「あてにならない常識」で押しつぶしていることは多いものです。

 

 

 

 

一方、勉強や仕事は好きになれないが、友達や同僚は大好きだという子どもの思いを「学校」「企業社会」の「管理性」だけで否定していく、親の押しの強さもわたしには気になります。

 

 

 

 

どこでどう生きていこうが人は人を求め、心の癒される帰属の場を探し続けています。

 

 

 

 

わたしはこの過程を「優しさ探しの旅」だと思っています。街中にある小さな生活空間である相談室を信じ訪ねてくる子ども、若者、親御さんと出会い、思わずうなずくのは「この不安を安心して語る場を、分かち合える仲間がほしかった」と帰属の場を得られず過ごしてきたその心細さにです。

 

 

 

 

とりわけ、この空間に思いを寄せてくる親子の多くは、仲間集団における人間関係の取り結び方に戸惑い、傷つき体験を重ねてきているのです。

 

 

 

 

絡まってしまった人間関係の渦の中から、ひとまず離れ、疲れ果てた心と体を癒す必要があります。

 

 

 

 

そして、学校や職場の人間関係でも、「せめぎ合って(感情の交流)」、「折り合って(歩み寄る、合意の形成)」、「お互いさま(相互信頼)」と手を取り合って生きていきたいと願っているのです。

 

 

 

 

「喧嘩して仲直り」できることへの希望と術をつかみたいのです。

 

 

 

 

「太陽の下でおもいっきり友だちとサッカーボールを蹴りたい」し「あなたがいないと会社がうまくいかない。と言われるほど同僚や上司に信頼される人間になりたい」と思っています。

 

 

 

 

ところが、訪ねてくる子どもたちは意に反して、複雑な人間関係から自己防衛するためにやむを得ず、登校・就職拒否(ニート)しているのです。

 

 

 

 

本当は、同一世代と同一時代を同一空間で生きる学校や職場に寄せる思いは深いのです。

 

 

 

 

だからこそ、同一世代と「安心して群れる場(帰属の場)」が学校や職場以外にも見つかれば、水を得た魚のように嬉々としてくるのです。

 

 

 

 

学校復帰、職場復帰ではなく、同世代へ復帰し、帰属する場を心底探し求めていたように、わたしは子どもたちの顔を見るたびに思うのです。

 

 

 

 

人間関係に傷つき登校、就職拒否(ニート)をきっかけに「引きこもり」続ける子どもたちがいます。

 

 

 

 

彼らのある子は、人間への信頼の回復と同世代復帰へのチャンスが得られず、人間関係の輪の中に足を踏み入れることにすくみ、「不登校その後」を引きずって生きています。

 

 

 

 

相談室を探し求めて訪ねる子どもたちの多くは30代を迎え、「髭の生えた不登校」と自称し、「僕みたいにこの年齢になっても引きこもっている人はいるんですか」とつぶやきます。

 

 

 

 

その悩みは、「友だちがほしいのに、人と触れ合いたいのに、触れ合えない」「もう一度、輝いて生きたい」と共通しています。

 

 

 

 

そこにしのばせている心理は、やはり同世代からの「置き去り感」と社会や親から感じている「見捨てられ感」です。

 

 

 

 

そして、その長引く不安な日々が「僕って何者なんですか(自己同一性)」とささやかせ、「大切な人ほど傷つけてしまう(感情抑制」と依存と攻撃を繰り返させているのです。

 

 

 

 

引きこもりは誰もが抱く心のありさまであり、そんなライフスタイルも当然あっていいと思います。

 

 

 

 

ただわたしが、相談に見える親子と語り心を痛めるのは、20歳を迎え「引きこもりから旅立ち、友だちがほしい」と願っても、「大人としてのプライドが足かせになっている」ことなのです。

 

 

 

 

さらに、10代なら「不登校の仕組みをマスター」してくれていた親(特に父親)が20代に入ると「手のひらを返すように変貌し、いつまでブラブラしているんだ」と子どもを責めているのです。

 

 

 

 

そして親は「励ます言葉が傷つける言葉」になっていることもわからず、狼狽しているのです。

 

 

 

 

この子どもたちや若者たちが抱えていた本質的なテーマは「学校」ではなく「友だちの作り方がわからない」といった集団における人間関係づくりだったのです。

 

 

 

 

彼らはそんな心情に、心の奥底から親や周りの人々に理解と関心を向けて欲しいとあえいでいます。

 

 

 

 

その歳月が「優しさ探しの旅」なのです。

 

 

 

 

①不安・・・・・・僕の将来はどうなるんだろう

 

 

 

 

多くの戸惑いに苛まれていたとしても、「誰もが当たり前に思っている」学校や職場を拒否することは、勇気とやむにやまれぬ追い詰められた事情があったにほかなりません。

 

 

 

 

仮に気晴らしのつもりでも、群れから離れていく孤独感は日ごとに増し「不登校の原因が不登校になっていく」状況すらあります。

 

 

 

 

「大学検定があるさ」「この高校を出ても中卒と同じさ。ドカチン(土方)で親方を目指すんだ」と明るく高校中退を選んでも「新しい生き方にはパワーがいる」と言います。

 

 

 

 

「不登校でも中学生なんだ。そしてクラスの一員なんだ」「不登校でも高校へ行きたい」と同世代のことが気になります。

 

 

 

 

先が不透明であればあるほど、独り不安でたまらないのです。

 

 

 

 

そして大切なことは、この不安(悩み)を生起させたのは自分であると子どもたちは心底思っていることなのです。

 

 

 

 

この状況も自分の選択の結果と心得ているのです。誰の責任でもない自分の問題だと思うから、不安を独りで背負い、悩みを深めているのです。

 

 

 

 

この不安な感情に共鳴し声をかけてくれたり、タッチされることで、心は癒され、不安は軽減されるのです。

 

 

 

 

だから「お母さんのどこが悪いの、どう変わればいいの」と親から問い詰められると、子どもは逆に苦しくなってしまうのです。

 

 

 

 

この時期に素直さが消えるのは、不安を打ち消そうとあえいでいるからです。

 

 

 

 

②怒り・・・・・・今の自分のこの状況は、僕だけの責任なのか、それでも親かよ!

 

 

 

 

不安を自ら抱え込みながらも、その悩みを受けとめてくれることへの、親のもどかしさに出会うと、「最後の砦」としての親に、「この苦しみは自分独りでは背負いきれない。

 

 

 

 

しばらく親が悪かった、親の責任としてあずかってほしい」と心で願います。その共有する時間を子どもたちは求めているのです。

 

 

 

 

ところが、その切なる思いを拒絶されたとき、「本当に今ある自分は、僕だけが背負わなければならないものなのか」と納得いくまで、親を眠らせることなく問い続けるのです。

 

 

 

 

子どもは今の混乱した自分をつくったのは自分だ、とわかりすぎるほどわかっているからこそ、苦しみ、自傷することさえあるのです。

 

 

 

 

だからこそ、その心の奥深くわかってもらえない親に対し、「それでも親かよ!」と叫んでいるのです。

 

 

 

 

子どもたちは1日も早く「本来の自分を取り戻したい」と必死になっている自分を親に信じてほしいのです。

 

 

 

 

悪態を平気でついたり、親を平気で傷つけようと思っている子どもは一人もいないのです。

 

 

 

 

怒りは願いなのです。

 

 

 

 

③取引・・・・・・まだわかってくれないのか!

 

 

 

 

自分への理解と関心を求めて「親探し」する子どもたちがいます。そして親の「わが子への無償の愛」を精神的に確認できないとき、子どもはあえて必要もない品物を買ってくれ(無理難題の要求)とか、神業のような頼みごとを要求することがあります。

 

 

 

 

目に見える形での親の愛情を確認しなくては不安でたまらないのです。

 

 

 

 

だから、いくらその要求に応えても子どもの心は癒されないのです。

 

 

 

 

そこで要求は高まっていく一方なのです。子どもが本心で求めているものは、品物を買ってくれたりすることではなく、「心にもないことを言わせてしまうほど、おまえの心細さを受けとめきれていないんだね」という親のひと言を待っているのです。

 

 

 

 

子どもの琴線に触れたとき、何事もなかったかのように取引は消えていきます。

 

 

 

 

④拒絶・・・・・いくら話してももう駄目だ

 

 

 

 

子どもたちは、世界中の誰もが自分を見捨てても親だけは必ずこの自分を見守り、仕切りなおして旅立つ日を信じて待ってくれていると思い続けて、「親探し」を模索しています。

 

 

 

 

ところが、「悪態をついてまで親に惨めな訴えをせざるをえなかった」つらさに思いを寄せず、「ゴクつぶし、弱虫、小心者」等と言われたとき、子どもは親に「親子の縁を切ってほしいほど」の失望感を抱き、多くは口を閉ざしてしまいます。

 

 

 

 

親を見限って「家出」を繰り返す子どもがいる一方で、家の中に「要塞」をつくり「六畳一間の退屈しないもう一つのわが家」を築こうとする子どももいます。

 

 

 

 

そして、それはいすれの子どもにしても、置き去り感と見捨てられ感との戦いの日々なのです。

 

 

 

 

⑤重圧・強迫感・・・・・・孤島で静かに生きたい、どうしてこんな行動をしてしまうのか

 

 

 

 

「何ひとつ悪いことをしていない自分が、どうしてこのようなむごい孤独な仕打ちを受けなければならないのか。

 

 

 

 

神や仏にも見捨てられた」と厄除けのお札を黒くマジックで塗りつぶした子がいます。

 

 

 

 

そして、躁状態(重症)に入り「死にたい」ともらす子どももいれば、不安の原因さえわからなくなり、ただただ沸き起こる不安感を不合理な「儀式(強迫)」にこだわることで、なんとか精神的安定を保っている子どももいます。

 

 

 

 

この段階になると、親の学校や職場へのこだわりはなくなり、「生きて笑顔でいてくれれば、他は何も望まない」と子どもへの親の無条件の肯定が生まれ、無欲となるのです。

 

 

 

 

⑥休息(受容)・・・・・子どもに親を殴らせないでくれ

 

 

 

 

親がありのままの「今」を肯定すると、子どもは心が安らぎ、休息をやっとかなえられるのです。

 

 

 

 

これが受容であり、子宮に帰り生まれ直しとなるのです。受容を得られた子は「親にもう一度、理解と援助の期待をかけても裏切られないか」と悩みます。

 

 

 

 

親に見捨てられたくない、という思いが押しとどめても沸き起こり、その葛藤した心理が家庭内暴力と幼児化という形で現れてくる場合もあります。

 

 

 

 

いちばん自分を理解してほしい人に暴力は向けられ、母親に「赤子のように駄々をこねること」で、子宮に帰り生き直したいと願うのです。

 

 

 

 

いずれにしてもこの時期、かけがえのない自分が認められたことで、子どもも安堵します。

 

 

 

 

そして、帰る家が見つけられると旅に出て、そのつらさにも耐えていくのです。

 

 

 

 

⑦自己否定(嫌悪)・・・・・・迷惑ばかりかけて

 

 

 

 

複雑な心理をもてあまし、自分にとって大切な人(親)ほど傷つけてしまう子どもたち・・・・。そしてその「愚かさ」に苦悶しています。

 

 

 

 

独りでは背負いきれない不安を再びすべて抱え込み、自己否定していきます。

 

 

 

 

「自分はなんてひどい人間なんだ。わがままな奴だ」「俺が親だったらこんな子どもは許さないと思う。見捨てていたと思う」と自らをなじるのです。

 

 

 

 

このとき、このように自己否定し自らを死に追い詰めていく子どもが出てきます。

 

 

 

 

その一方で、第三者(他人)から社会的に認められること(頼りにされる、当てにされる、必要とされる)で、人との関係に目覚め、生きる希望がわいてくる子どももいます。

 

 

 

 

また今の自分を素直に肯定できる子どももいます。

 

 

 

 

⑧夢探し動き出し・・・・・・僕でもまだ大丈夫ですか?

 

 

 

 

親以外の第三者の添え木を求め始めていきます。今の自分の現実を受け入れて、将来への可能性を信じて行き直しに付き合ってくれる人です。

 

 

 

 

その中であきらめ、忘れていた「小さな夢」が現実化できるかのように子どもから語られてきます。

 

 

 

 

その夢は周りの人からは現実離れしたものであったり、あまりにも小さなもので夢とは思えないものであったりします。

 

 

 

 

そして、この夢を長く持続させることが希望となり、現実検討を支えるエネルギーとなっていくのです。

 

 

 

 

⑨同世代復帰・・・・・あいつ、今頃何してるかな

 

 

 

 

何歳になろうと、あの止まってしまった同世代に戻って歩みたいと思い始めます。

 

 

 

 

止まってしまった「精神的」年齢、そしてこの年齢になるまでの空白期間・・・・。

 

 

 

 

この間、ムダに生きてはいなかったと自分で証明できる日を迎えると、同世代復帰できるのです。

 

 

 

 

そのために同世代からズレてはいないかというもう一つの証明を「具体的」に探し求めていくのです。

 

 

 

 

⑩仕切り直しの旅立ち・・・・・・あの街で生まれ変わりたい

 

 

 

 

「生まれ変わった新鮮な自分」と出会いたいと子どもは願います。旅立つ日を決めてカレンダーを気にする子どももいます。

 

 

 

 

過去を振り返って、将来へ希望を抱く子どももいます。

 

 

 

 

「焦らず、慌てず、あきらめず」この街を離れ、あの街で生まれ変わりたいのです。

 

 

 

 

そして「心が毎日新しくなると、あの街でなくても、この街(地元)でよくなれそうです」と29歳の青年は苦笑いし、アニメ作家を目指し始めています。

 

 

 

 

子どもの悩みが大きいほど、親は親らしくなれる、出会う親子との関わりの中からわたしはつくづくそう思うのです。

 

 

 

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