家庭訪問先から見えるひきこもりの世界
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家庭訪問先から見えるひきこもりの世界

「ひきこもり」からとりあえず関東自立就労支援センターの面接室まで脱け出てきた人、引っ張り出されてきた人の訴えや叫びに耳を傾けてみたいと思います。

 

 

 

 

 

彼らにとって、最初は、面接室も外の世界です。安全な場所なのかを慎重に確かめながら、ポツリポツリとあるいは一気に今までのことを語り始めます。

 

 

 

 

 

そして面接室が安全な彼らの心の器になった時、今までの苦しみと、これからの不安を明かしてくれます。

 

 

 

 

 

時には激しい感情が襲いかかりますが、なんとか、面接室という空間とカウンセラーとの間で創る関係でできた心の入れ物の中に納めることを成し遂げます。

 

 

 

 

 

彼らが訴えること、彼らの心が叫んでいることは大きく乱暴にくくってしまうと、強い人間不信と自己否定感のように感じられます。

 

 

 

 

 

さまざまな背景や経緯ですっかり自信をなくしてしまい、小さく弱々しくおびえている姿があります。

 

 

 

 

 

その眼差しで人や世間を見上げたら、それはそれは怖いだろうなと思わずにはいられません。

 

 

 

 

 

自分を続けるためには、社会から身を引くしかなかったのだろうと想像できます。

 

 

 

 

 

物理的にも閉じこもった姿もあれば、いろいろな意味で闘いながら物理的には外に出続けていた姿もあります。

 

 

 

 

 

どちらの姿も本当の意味では自分を守りきれるわけではありませんでした。

 

 

 

 

 

これ以上社会に身をさらしていると自分が壊れてしまうと感じ、学校や職場、あらゆる人間関係から離れたとしても、対人不安や恐怖から逃れている事ができるのはわずかの間だけなのです。

 

 

 

 

 

孤立してしまうと、ますます人間不信は強まり、自己否定の暗い闇を掘り下げていってしまうようです。

 

 

 

 

 

その苦しみや不安からなんとか脱出すべく、面接室を訪れ、新たな展開を繰り広げていく姿も壮絶です。

 

 

 

 

 

ひきこもらざるをえない背景はさまざまですが、ひきこもることの意味と、ひきこもることと引き換えに手にしてしまった苦しみや失ってしまったものを打ち明け始めます。

 

 

 

 

 

この記事が彼らの気持ちを映す鏡として、また同時に応援歌になればと思います。

 

 

 

 

いじめによって人間不信に陥り、ひきこもった青年をなぐさめていたのは、幼い時から暮らしを共にしてきた飼い犬でした。

 

 

 

 

 

彼は飼い犬を「犬の顔をした人間」と言い、自分をいじめた対象を「人間の顔をした犬畜生」として過去に葬ろうと苦渋しています。

 

 

 

 

 

飼い犬のことを語るとき、彼の笑顔はいじめられた過去をひと時忘れ、25歳のやわらかな青年の顔になります。

 

 

 

 

 

わたしが家庭訪問する家々には犬、猫、鳥、熱帯魚、時にはイグアナなど意外な同居人がいます。

 

 

 

 

 

対人関係に怯えひきこもる彼らが、これら動物たちには心開くのを垣間見るとき、かわいがる動物たちはけっして「犬畜生」などではなく、「チクショウ!」と言えないやりきれなさを受けとめてくれる唯一の友達であることに気づかされるのです。

 

 

 

 

 

「わたしの体はここにありますが、わたしの心はすでに死んでいます」この言葉からは重篤な症状も連想されます。

 

 

 

 

 

多くのひきこもる青少年は、いつかきっと「社会的死」を迎えてしまう不安に怯えています。

 

 

 

 

 

ひきこもりは「旅立ちがうまくいかない防衛」として、社会的課題となりつつも、一方では、世間の目にさらされる岐路にも立たされています。

 

 

 

 

 

ひきこもりの「旅立ち」や「社会性」が、遠く世間で再検討されるたびに、「生きるしかばね」と嘆いていた少年の声に耳を傾けてくれた、隣近所のマスターの「バイトやってみるか?」のひと言が、カウンセラーの聴く態度やひと言を超えて、生きる勇気を与えたことを忘れてはならないと想い出すのです。

 

 

 

 

 

高校時代「暗いなあ、おまえもギャグの一つでも言ってみろ!」と言われ、少年はひきこもりました。

 

 

 

 

 

「なんで自分のことを話すと、暗いといじめられるんだ!」という嘆きは、次第に「顔がひきつる」という体の症状として現れていきました。

 

 

 

 

 

テレビに映るギャグやコントをまねて、「笑わせてくれるなあ」という関係モードは、仲間づくりの一つの作法として新たな時代を反映しています。

 

 

 

 

 

世界が「不安でムカつく」モードに近づけば近づくほど、わたしたちは明るく元気で悩まない世界を親密に求めるものです。

 

 

 

 

 

本音が語れず、胸の内が風船のように膨らみ続けてしまえば、いつか明るさごっこはその世界を破裂させてしまうでしょう。

 

 

 

 

 

明るく元気で悩まないコミュニケーションを押し付けあうのではなく、ゆとりの生まれる風通しのよいコミュニケーションが、彼らにも必要なのです。

 

 

 

 

 

思春期から青年期にわき起こるさまざまな胸の内の「おかしさ」について向き合い始めた高校時代、その答えが見つからないまま少年は、卒業するとひきこもり、専門書をあさり己を殺し続ける「考える青年」になっていました。

 

 

 

 

 

「モラトリアム」「アパシー」「パラサイト」・・・・・。若者の変貌ぶりや「おかしさ」は、さまざまな周囲の言葉で取り上げられ、意味づけされ、名前をつけられます。

 

 

 

 

 

こうした言葉に型どられる以前、青年は立てこもり、自ら大人への「おかしさ」を訴える舞台を作り出そうとしました。

 

 

 

 

 

しかし、暴力になりかわったおかしさの主張は、折り合えぬせめぎ合いもあることを時代に刻みつけました。

 

 

 

 

 

「ひきこもり」として取り上げられる青少年の「おかしさ」は、内にこもりがちでわかりづらいものです。

 

 

 

 

 

今やとらえきれない「おかしさ」は、突然キレる時代となってしまいました。

 

 

 

 

 

中1の2学期から不登校となった少年は、卒業を前に、担任から「卒業式だけ出ても構わないよ」と勧められましたが、「僕は下級生に見送ってもらう資格はありません」とつぶやき静かに校門を後にしました。

 

 

 

 

 

ひきこもると「申し訳ない」という、不登校やひきこもりにまつわる罪悪感が起こりやすいものです。

 

 

 

 

 

この感情は誰かに謝れば整理のつくものではなく、現実世界を具体的に変化させられない時にさいなまれやすいのです。

 

 

 

 

 

学校という「集団」や職場への「帰属」は「働かざるもの食うべからず」に象徴されるように、深刻な言葉であり、一人になるとわたしたち日本人が感じやすい独特の罪悪感と密接に関わっています。

 

 

 

 

 

罪悪感は自傷行為といわれる孤独な懺悔にも結びつきやすく、この「気のすまなさ」の存在に気づくことが、ひきこもる悲劇の防止に役立つと考えられます。

 

 

 

 

 

テレビ、ゲーム、パソコンに囲まれた生活をしていた青年は、ひきこもる生活が長期化する中で、床が抜けるほど雑誌を抱え込んでいました。

 

 

 

 

 

「内側」(家)にこもる彼らにとって「外側」は、あたかも突き落とされる海のような存在でもあります。

 

 

 

 

 

ドアの向こうはイメージのまま収めておきたい場所ともいえます。しかし、わたしたちも渦巻く情報化社会の中で、「あらかじめわかっていること」に重点を置きすぎ、「知ること」や「知っておく」ことですませてしまい、「味わう」経験が少なくなっているのも事実ではないでしょうか?

 

 

 

 

 

彼らが読み込んでいる雑誌は、けっしてここにあるはずもないSFやアニメばかりではなく、意外に「サッカー」や「ツーリング」など、どこかに出かければ出会える「リアル」や「スリル」でもあります。

 

 

 

 

 

外に出始めようとした「うずき」に呼応するためには、日常のさまざまな情報に敏感であることも大切です。

 

 

 

 

 

内にこもらなくてもよい外に飛び立てるイメージ(情報)さえ外側に発見できれば、ドアの向こうはスリルに変わっていくものなのです。

 

 

 

 

 

家庭訪問し続け出会えない青年に、「今日で終わりにしたいと思います」と、ドアの前で告げたとき、「カサカサ」とかすかに音が聞こえてきました。

 

 

 

 

 

ガラス越しの世界に住む彼の居場所はキッチンでした。

 

 

 

 

 

いつまでたっても応答のない訪問は、わたし自身を不安にさせました。不安だったわたしは、彼にドア越しに語ることを勧め、わたしは彼の内なる世界を察しつつも、的外れになるかもしれない話し言葉に躊躇しながら訪問を続けました。

 

 

 

 

 

キッチンにあるであろうポリエチレンの袋を、とっさにコミュニケーションの手段に使った彼の反応に感心しながらも、わたしはただ床を「コンコン」と叩き、「もう少しお邪魔させてください」と反応するのが精一杯でした。

 

 

 

 

 

ひきこもる世界に話し言葉だけで橋渡しすることは、周囲の独りよがりになることも多いものです。

 

 

 

 

 

彼ら自身が架けようとする今にも切れてしまいそうな手探りの吊り橋を、いっしょに創り支えることも大切なのだと考えさせられる出会いでした。

 

 

 

 

 

Aさんは、「まだ面接室でもなかなか安心できないでいる」と言います。毎回、カウンセラーであるわたしの顔色をうかがってしまうのです。

 

 

 

 

 

わたしの出迎えに「本当は、僕との面接は嫌なんでしょ」と重い口を開きます。

 

 

 

 

 

「何やら怒っているように思えるけれど・・・・」と恐る恐る声をかけるまで、黙っていたのです。

 

 

 

 

 

わたしのことで怒っていたのかと自分の能天気さに呆れつつ、参ったなあという思いと同時に、人に対して簡単には安心できないというのは本当にきついだろうなあとつくづくと感じました。

 

 

 

 

 

その後も「迷惑に思っているのでは」と確認せずにはいられないようです。

 

 

 

 

 

わたしの返す言葉やかけた言葉も、わたしの意味したことは違う否定の言葉に響いてしまい、「前回の面接では僕のことを責めた」と、一週間ずーっとそのことを考え、腹を立てたり落ち込んでしまっていたのでした。

 

 

 

 

 

来所したときに出会う他のスタッフに声をかけられても、突然でびっくりして返事ができません。

 

 

 

 

 

そのスタッフはきっと無視したと怒っていると思い続け、次に会ってもさらに避けてしまいます。

 

 

 

 

 

だから本当は怒ってなんかいないのに確かめようもありません。「もう嫌われた」とそのスタッフを恨みたくさえなるのです。

 

 

 

 

 

Aさんは、幼稚園の時から口数の少ない子だったとお母さんは話していました。

 

 

 

 

 

一人で遊ぶのが好きな子で、いつも最初は何人かと遊んでいても、いつの間にか一人遊びをしていたそうです。

 

 

 

 

 

お母さんは、公園に遊びに連れていっても同じ年頃の子に近づかないのが気になって、他の子たちのほうに押しやるのですが、動かなかったようです。

 

 

 

 

 

Aさんは「遊んでらっしゃいと押し出されても、友達になれるわけがない」と幼いその時に思ったと言います。

 

 

 

 

 

「なぜ、お母さんも一緒にその子と遊ぼうとしてくれなかったのか」と不満げに話しました。

 

 

 

 

 

もうすでに「人づき合いができない」と3歳頃には感じていたようです。

 

 

 

 

 

「きっと生まれたときから対人関係能力が欠落していたのだと思う」のだそうです。

 

 

 

 

 

「だからこそ、小さい時からなんとか手助けしてほしかったのに」と途方に暮れています。

 

 

 

 

 

Aさんは、中学生の頃になるとまったく学校のクラスの人とはしゃべらなくなりました。

 

 

 

 

 

無口な彼のことを「何を考えているのかわからない。気持ち悪い」とささやく女子生徒も出てきました。

 

 

 

 

 

「針のむしろのような毎日だった」と、Aさんは吐き捨てるように言いました。

 

 

 

 

 

高校になって心機一転、友達をつくろうと1年のときもクラスが変わった2年のときもがんばってみたけれど「誰にも相手にされなかった」のです。

 

 

 

 

 

もうすっかり他人とコミュニケーションをとることをあきらめました。

 

 

 

 

 

大学で勉強するにも、仕事をするにも人とコミュニケーションがとれないとやっていけないことは彼自身が一番よく知っています。

 

 

 

 

 

つまり、とても「生きていけるとは思えない」まま、大学受験をする形で浪人を続け「ひきこもり」になりました。

 

 

 

 

 

4年間のひきこもりはAさんを抑うつ状態に追い込みました。長い間の孤立は強い自己否定感を生みます。

 

 

 

 

 

どうせ自分は疎外されるだろうという不安は、あっという間に「自分は醜いから外に出たくない」「自分は臭いから人に会うと迷惑になる」などという思い込みに変わり、それにとらわれるようになってしまいます。

 

 

 

 

 

Aさんの心にもこのこだわりが巣食い、わたしの目の前に座ると「醜い姿をさらしているようでいたたまれない」と訴えます。

 

 

 

 

 

安心なんてできるはずがないのでした。

 

 

 

 

 

他人とのコミュニケーションを断ってしまうと自己否定感が高まり、ひきこもることによって得られる仮の安定はあっという間に破綻し、より身動きがとれなくなります。

 

 

 

 

 

でもこのことは、周囲からなかなか理解されません。Bさんのご両親もわが子の心の中で何が起きているかさっぱりわかりませんでした。

 

 

 

 

 

だから「怠けている」としか思えず、Bさんを激しく叱責してしまいました。

 

 

 

 

 

一方、Bさんにはわかろうとしないように思えました。家族から理解を得られず責められてしまうのであれば、家族からひきこもるしかありません。

 

 

 

 

 

Bさんは自室にひきこもり、夜中家族が寝静まった頃、そっと階下の台所に下りていく生活になりました。

 

 

 

 

 

この苦しみは9年にも及んでしまうのでした。やっとの思いで、「死んじゃうから助けてくれ!」「どこかへ連れていって!」と両親に頼んだのです。

 

 

 

 

 

そんなBさんと会ったのは3年前のことでした。その頃を振り返って、また改めて話してくれました。

 

 

 

 

 

その時は、食べるのも嫌だし、食べられなくなっていました。かろうじて口にできるのは豆腐とはんぺんだけだったそうです。

 

 

 

 

 

真夏の暑さの中でも電気代を自分に使うことはできません。動けない中で、衰弱していくのが自分でもわかりました。

 

 

 

 

 

ずーッと横になったまま2~3週間過ぎていき、「たぶん俺はこのまま死ぬんだろうな」そして「まあいいか、このまま死んでも。そのほうが楽なんだろうな」と思いました。

 

 

 

 

 

するといろいろなことが思い出されました。「あちこち旅に出かけたなあ」「あそこは良かったなあ」・・・・・。

 

 

 

 

 

すると、「もう一度行かなくていいの?」「まだ行ってないところたくさんあるのに、このまま死んでもいいの?」という問いが出てきました。

 

 

 

 

 

「生きたい!」と思ったんだろうとその時の気持ちをたぐり寄せています。

 

 

 

 

 

自分から親に言いました。「このままじゃ死んじゃう!」今までお願いしたことはなかったと言います。

 

 

 

 

 

「助けて!」と本当の気持ちを言うのに、「どこかへ連れて行ってくれ!」と甘えることができるのに27年かかったことになります。

 

 

 

 

 

今でも何で言えたのか不思議に思うといいます。死にたくなかった、死にたくないという気持ちが残っていたんだと思い返しています。

 

 

 

 

 

「ここに行きたい!」と自分の命をかけて声にしたのでした。

 

 

 

 

 

今はご両親も「ひきこもり」のときによく見られる言動や状態、回復までの必要なプロセスを知り、わが子への理解が進みました。

 

 

 

 

 

Bさんも家での居心地は少しずつよくなって、家族に支えられているのを感じています。

 

 

 

 

 

C子さんは、外に出るとお腹が痛くなると訴えています。面接に訪れるのにも、電車に乗ってくる途中何度も駅に降りてお手洗いに寄らざるをえません。

 

 

 

 

 

来はじめのころは、余裕を持って家を出ても、約束の時間に遅れてしまうことが続きました。

 

 

 

 

 

面接室に来るときの電車の中では、じっと下を向いて音楽を聴いているそうです。

 

 

 

 

 

といっても、音は聞こえてくるもののメロディを楽しむなんてことはできません。

 

 

 

 

 

「他の人が自分のほうを見て笑っているんじゃないか」と気が気でないのです。

 

 

 

 

 

周りを見回すことができれば、誰も自分なんかには特に関心を示すこともないと確認できるのですが、とても怖くて顔を上げることができません。

 

 

 

 

 

それなので、「みんなが自分を見ているんじゃないか」、そして「何か言ってるんじゃないか」という思いは膨らむばかりです。

 

 

 

 

 

必死でその恐れを紛らわすために音楽に集中しようとするのですが、周囲に向けてのアンテナが張り巡らされていきます。

 

 

 

 

 

緊張という無数の針がお腹にささっていくようなものですから、それはそれは痛くなるだろうなと想像できます。

 

 

 

 

 

やがて、面接の時間を待って座っている時はお腹がいたくなることはなくなっていきました。

 

 

 

 

 

またさらにC子さんは、夜眠ろうとすると腰が痛くてなかなか眠れません。ひどい時は、痛みで目が覚めてベットの上でうなっているというのです。

 

 

 

 

 

もちろん、病院での身体の検査は済んでいて、異常はなく、心理的なものだということです。

 

 

 

 

 

わたしは、眠りが妨げられるようなら、薬の力を借りるように勧めてしまいました。

 

 

 

 

 

するとC子さんは目に涙をためてわたしに訴えてきました。

 

 

 

 

 

「わたしから痛みを取らないでください。ひきこもったままで、どうしたらいいのかとか、人と話せるようになるのかとかを考えると不安でたまらないのです。

 

 

 

 

 

それよりも、痛くてうなっているほうが怖くないんです。だから痛みを取るなんて言わないで」

 

 

 

 

 

わたしは返す言葉もなく、C子さんの辛さを感じているしかありませんでした。

 

 

 

 

 

ひきこもることによって対人緊張、対人恐怖という対人関係のストレスを避けることはできますが、それと引き換えに、ひきこもることに起因する不安が高まります。

 

 

 

 

 

わたしたちの心は不安のただ中にいることは耐えがたく、その不安から逃れるために痛みを必要とするのです。

 

 

 

 

 

C子さんは、活発なお姉さんとは正反対に小さい頃から内向的な性格でした。

 

 

 

 

 

小学校3年生の時、可愛らしくコロッとしていたC子さんはクラスの男の子たちから「デーブ」「ブタ」とからかわれていました。

 

 

 

 

 

おとなしいC子さんは言い返すこともできず、学校へ行くのが嫌になってしまいました。

 

 

 

 

 

「学校に行きたくない」とお母さんに訴えることもできないまま、クラスで何か言われないかドキドキし続けていました。

 

 

 

 

 

人とちょっとでも違うことを恐れ、周囲の人たちに必死に合わせながら、学校に行き続けました。

 

 

 

 

 

教室での緊張は高まり、お腹が痛くなったり気分が悪くなったりもしながら、中学生活もなんとか終え、高校生活に入ったのですが、1年生の5月、もう限界がきてしまいました。

 

 

 

 

 

食事をすると余計お腹が痛くなったり、気持ちが悪くなるので、朝食もとらず、お弁当も食べられない毎日が続きました。

 

 

 

 

 

どうしてお昼を食べないかを聞かれるのも辛いし、食べないので体力もなく、フラフラになって家にたどり着くのでした。

 

 

 

 

 

学校へ行く力はすっかり尽きてしまい、連休が明けても学校へ行く気力は出てきませんでした。

 

 

 

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