家庭内暴力とどう向き合うか
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家庭内暴力とどう向き合うか

ここでは家庭内暴力とどう向き合えばいいかについて、考えていきたいと思います。

 

 

 

 

実際に家庭内暴力に苦しんでいる親御さんは、それを解決するにはどうすればいいのでしょうか。

 

 

 

 

あるいは、そもそも暴力が起こらないような家庭や子どもにするには、子育て段階からどんなことに気をつければいいかについて、それぞれ述べていきたいと思います。

 

 

 

 

家庭内暴力について考えるとき、なにより大切な点は、どんな家庭でも現在、家庭内暴力とは無縁ではいられないという事実を、まずは直視することです。

 

 

 

 

いま暴力に苦しんでいる親御さんのなかで、最初からその危険性を予測していた方なんて、まずいません。

 

 

 

 

「普通の家庭」の「普通の子」が暴力をふるっているわけですから、「うちは普通だから大丈夫」ということは絶対にありません。

 

 

 

 

もし、どこかの歯車がなんらかの形で狂ってしまえば、いつ何時、あなたのお子さんも暴力をふるうようになるかもしれません。

 

 

 

 

まずはそのことを、くれぐれも忘れないでおいてほしいのです。たしかに、すべての家庭で暴力が起こりとは限りません。

 

 

 

 

たとえば、子どもの暴力を生み出す背景にあるものとして、「勝ち組教育」と「友だち親子」などが指摘されたりします。

 

 

 

 

しかし、では「勝ち組教育」に邁進する「友だち親子」の家庭であっても、そのすべてで家庭内暴力が起こるかというと、そんなことはありません。

 

 

 

 

それぞれの家庭環境や人間関係、あるいは社会状況によっても、危険な要素が消えることだってあります。

 

 

 

 

その子自身の運もありますし、親の運もあります。ただ、家庭内暴力が起こった家庭を分析すると、「勝ち組教育」や「友だち親子」が子どもを暴力に駆り立てているのは、否めない事実です。

 

 

 

 

現に、そういった家庭で子どもが親に暴力をふるうケースは、間違いなく増えています。

 

 

 

 

いまの日本の多くの家庭を、この「勝ち組教育」と「友だち親子」がおおってい以上、家庭内暴力と無縁でいられる家庭は、まずありません。

 

 

 

 

これだけ原因が家庭の中にも社会の中にもそろっているわけですから、絶対に暴力が起こらないと断言できる家庭はありません。

 

 

 

 

いまの日常がどこかで何か少しでも狂えば、ある日突然、自分の家庭でも暴力が生まれるかもしれない・・・・そう考えておく必要があると思います。

 

 

 

 

脅しのように聞こえるかもしれませんが、現実から目を背けてもどうにもなりません。

 

 

 

 

まずはその現実を直視して、「自分の問題」として、この家庭内暴力を考えてほしいのです。

 

 

 

 

だからこそ、大切になってくるのは、家庭内暴力が起こったときの対処法です。家庭内暴力が起こること自体は、あらゆる家族にとって、偶然だったり、避けられないところもあります。

 

 

 

 

どれほど「完璧」な子育てをして、どれほど「立派」なご両親で、いまは子どもがどれほど「いい子」で、親子関係が長年どれほど「健全」だったとしても、子どもがニートやひきこもりになったり、家庭内暴力をふるうようになる可能性を、現代において完全に拭い去ることはできません。

 

 

 

 

だからこそ、もし暴力が起こってしまったらそのときどうするか、あるいは起こりそうになったときにどうするかが、大切になってくるのです。

 

 

 

 

もし親子関係が悪化しはじめたときに、子どもと正面から向きあうことを避けて腫れ物に触るように接してしまったら、「家庭内冷戦」、あるいは、実際に暴力が始まってしまった時に、暴力に怯えるあまりに子どもの要求になんでも応えていたら「親の奴隷化」、どうなってしまうかは、みなさんすでにご承知のはずです。

 

 

 

 

暴力はどんどん長期化、悪質化してしまい、状況も家族関係自体も悪化して、取り返しがつかなくなってしまいます。

 

 

 

 

「勝ち組教育」も「友だち親子」も、それがうまくいっている間はいいのです。しかし、何かのきっかけで子どもがつまずいた時、親子関係が一気に危機に陥る可能性は充分にあります。

 

 

 

 

その時にご両親は、これまでの自分の人生を問われることになるのです。立ち止まっている子どもに自分なりの解決策を示すときには、これまでの人生で培ってきた経験や知恵、人脈のすべてが試されることになります。

 

 

 

 

何かを決断するときには、自分の勇気や覚悟、あるいは価値観が問われることになります。

 

 

 

 

自分のこれまでの生き方と、長年にわたって築いてきた子どもとの関係の実態が、危機によってさらされることになるのです。

 

 

 

 

ニートやひきこもり、あるいは家庭内暴力というのは、子どもの問題であると同時に、親の問題でもあります。

 

 

 

 

そしてもちろん、社会の問題でもあります。家庭の危機にどのように対処するのか。

 

 

 

 

それに親としての真価が問われるのです。では、家庭内暴力が始まってしまったときには、親はどのように対処すればいいのでしょうか。

 

 

 

 

具体的なプロセスについては、後ほど「家庭内暴力を解決する3ステップ」で詳しく考察しますが、その前に、まずは大切な「5つの心構え」がありますので、それをご紹介したいと思います。

 

 

 

 

1、現実逃避をしない。

 

 

 

 

2、過去の話をしない。

 

 

 

 

3、いたずらに悲観しない。

 

 

 

 

4、特効薬は求めない。

 

 

 

 

5、リスクのない解決策はないことを知る。

 

 

 

 

具体的な対処法も大切ですが、まずはこの「5つの心構え」がきちんとなされていないと問題解決に向かうことすらできません。

 

 

 

 

これは、いわば「前提」となるものです。一見、回りくどく思われるかもしれませんが、ニートやひきこもりの子を抱える親御さんにも共通する要素なので、注意しながら読んでみてください。

 

 

 

 

現実問題として、相談にみえる親御さんのなかには、これができていない方が数多くいらっしゃいます。

 

 

 

 

1、現実逃避をしない・・・・家族関係が悪化すると、父親は家を建てたがる

 

 

 

 

まずひとつ目は、当たり前のことですが、「現実逃避をしない」ということです。子どもがつまずいてひきこもりはじめたとき、あるいは家庭内で暴力が始まったときに、その現実と正面から向き合えない親御さんが、少なからずいらっしゃいます。

 

 

 

 

「いつか、なんとかなるだろう」

 

 

 

 

「元はいい子だったから、大丈夫」

 

 

 

 

そんな根拠のない楽観論にすがって、ニートやひきこもり状態を放置したり、子どもの激しい暴力にじっと耐えてしまう母親もいます。

 

 

 

 

問題の根源に目を向けず、ひたすらいまの状況を受け止めてしまうのも、それは立派な現実逃避です。

 

 

 

 

あるいは父親の中には、「子どものことは、お前にまかせていたはずだぞ」

 

 

 

 

「もう子どもじゃないんだから、本人に任せるしかない」

 

 

 

 

と、子育てそのものから逃げてしまう方もいらっしゃいます。現実ときちんと向きあわない限り、状況を改善できるはずはありません。

 

 

 

 

にもかかわらず、あまりにも現実がつらいために、また現実を認めたくないがために、見て見ぬふりをしたり、問題そのものから逃げてしまう親御さんが、少なからずいるのです。

 

 

 

 

それに関して「象徴的だな」と思うことがひとつあります。それは子どもとの関係、夫婦間の関係が悪くなりだした時に、それを食い止めようとして家を新築する父親が、少なからずいるということです。

 

 

 

 

父親が家を新築するプランを提案すると、ほとんどの場合、母と子は素直に喜びます。

 

 

 

 

「ここはわたしの部屋にして」

 

 

 

 

「お母さんにも一部屋ちょうだい」

 

 

 

 

そうやって話し合い、新しい家をめぐって家族の会話が弾むようになります。その時、どんなに親子の仲、夫婦仲が険悪だったとしても、その提案で一時的には穏やかな空気が流れます。

 

 

 

 

このときだけは、母と子が父親に従順になることも多く、父親も「父性の復権」ができたような錯覚に陥り、喜びに浸りがちです。

 

 

 

 

しかし実際に家を建てたとしても、それで事態がよくなるわけでは、もちろんありません。

 

 

 

 

「前の家が悪かったから、家族関係も悪くなった」

 

 

 

 

「家を新しくすれば、家の中の雰囲気もいい方向に変わるに違いない」

 

 

 

 

心のどこかでそう信じたくなる気持ちもわかりますが、それで事態が好転することは、まずありません。

 

 

 

 

むしろ家を建てた後に家族関係がさらに悪化したというケースは、決して珍しくありません。

 

 

 

 

皮肉なことに念願だったカギつきの自室ができることによって、子どもはいままで以上にひきこもりやすくなってしまいます。

 

 

 

 

イライラして物にあたるとき、新築の家だと親の怒りは倍増します。それに、家が新しくなっても何も変わらない現実に遅かれ早かれ気がつくわけですから、そのとき親子共々、以前よりもずっと苛立ちを感じることになります。

 

 

 

 

ですから、家庭の状態が悪くなってきた時に家を新築するというのは、家族関係の崩壊に拍車をかけるようなものなのです。

 

 

 

 

2006年の5月に千葉県で大学生が両親を刺し殺した事件が起こったのも、両親が家を新築してからわずか3ヶ月後のことでした。

 

 

 

 

家族の関係が悪いからといって、家を建てることに逃げてはいけません。ひきこもる子ども、家庭内暴力の子どもの家は豪邸が少なくないのですが、その内側は本当に荒れ果てています。

 

 

 

 

2、もう過去の話はしない・・・「親も子も出来損ない」から始める

 

 

 

 

「過去の話はしない」というのも、大切な心構えのひとつです。ひきこもり自立支援センターに来る親御さんは、いつも次のようなことを言われます。

 

 

 

 

「こんなはずじゃなかったんです・・・・・」

 

 

 

 

「あんないい子が、どうしてこうなってしまったんでしょう・・・・」

 

 

 

 

そうつぶやきながら、子どもが暴力を振るう原因を「過去」に探ろうとするのです。

 

 

 

 

「自分の育て方が悪かったんです・・・・」

 

 

 

 

「小さいときに、わたしが子どもに辛くあたることが多かったので・・・・」

 

 

 

 

そうやって過去の話ばかりをして、自分自身を責めています。

 

 

 

 

「離婚して父親がいなかったのは、この子にとって申し訳なかったと思っています・・・・・」

 

 

 

 

離婚家庭のお母さんは必ずそんなことを言いますし、共働きのお母さんなら、「この子は、小さい頃から保育園でしたから・・・・」というようなことを必ず言います。

 

 

 

 

それだけが原因であるはずがないのに、母親はそうやって自分を責めてしまうのです。

 

 

 

 

たしかに若者の中にも、いつまでも過去の話をしたり、親を恨んでいる子もいます。

 

 

 

 

「あの時、親が喧嘩ばかりしていたから」

 

 

 

 

「親がいつも、勉強ばかり強制してきたから」

 

 

 

 

そうやって、行き詰っている原因を親のせいにしている若者も少なくありません。

 

 

 

 

暴力を受けている親御さんの中にも、子どもにそう言われて、何も言い返せなくなっている方もいるかもしれません。

 

 

 

 

しかし、いまさらそんな話をしても仕方がありません。「確かに、お前の親は出来損ないかもしれない」

 

 

 

 

そんなとき、いつも決まってわたしは、若者にこのように言います。「だけど、お前も出来損ないなんだし、俺も出来損ないなんだ。

 

 

 

 

出来損ない同士、みんなでなんとか、うまくやっていくしかないんじゃないか」

 

 

 

 

親も子も、両者とも完全なものではありません。「人間はみな不完全だ」と開き直るところから、話を始めよう、というわけです。

 

 

 

 

確かに、ほとんどの親は出来損ないです。ある日いきなり親になったわけですから、どの親も試行錯誤の連続だったでしょう。

 

 

 

 

だけど、それは子どもも同じはずです。完璧な親や子、人間なんているはずがありません。

 

 

 

 

あらゆる人間が出来損ないなのです。「親も子も出来損ないなのです。いまある状況は偶然の産物にすぎない」このスタンスに立つことによって、はじめて犯人探しから逃れることができます。

 

 

 

 

親はいたずらに自分を責めなくなりますし、子どもも親のせいにするのをやめます。

 

 

 

 

「過去のこれが悪かったから」という部分的な分析をしても、そこからは何も生まれません。

 

 

 

 

同じように育てた結果、兄弟でまったく違う結果になる場合もありますし、同じ子どもでも、もしあと10年早く、あるいはあと10年遅く生まれていたら、まったく違った人生を歩んでいた可能性は充分あります。

 

 

 

 

だから、過去に「犯人探し」をしても意味がありません。大切なのは、いまどうするか、今後どうするかのはずです。

 

 

 

 

今、目の前にいる子どもが暴力を振るっているという現実。でもこの子は、これから何十年も生きていかなければいけません。

 

 

 

 

このままでいいはずはありません。自分も子どもも不完全で出来損ないの人間だけど、いまこの問題だけは、なんとかしなければならない。

 

 

 

 

そんな「現在と未来」こそが、大切なのです。

 

 

 

 

3、いたずらに悲観しない・・・・暴力をふるっているうちがチャンス

 

 

 

 

家庭内暴力が起こったとき、その現実に打ちのめされてしまって、いたずらに悲観してしまう親御さんも少なくありません。

 

 

 

 

絶望的な気持ちになって、心身ともにくたびれ果て、自ら命を絶とうとするお母さんも少なからずいらっしゃいます。

 

 

 

 

そうならないために、家庭内暴力が起こったなら、まずは次のように考えてほしいのです。

 

 

 

 

「子どもが暴力をふるっているうちが、助け出すチャンスなんだ」

 

 

 

 

家庭内暴力というのは、子どもにとって「正当防衛」のようなものかもしれません。

 

 

 

 

「友だち親子」によって「勝ち組路線」を歩まされてきた子どもたちは、その事実にある時気づき、「自分の人生を、自分の足で生きるんだ」という当然の主張を、暴力というゆがんだ手段をとりながらも、しているわけです。

 

 

 

 

親とコミュニケーションで歩み寄る道も絶たれた若者たちは、自分を主張するため、そして自分を守るために、暴力に走るしかなかったのです(だからといって、暴力を肯定しているわけでは、もちろんありませんが)。

 

 

 

 

いつもマイナスの意味合いで語られる家庭内暴力ですが、そう考えると、「若者たちが自分の人生を取り戻そうとする意思表示だ」というプラスの意味合いも持っています。

 

 

 

 

「暴力をふるっている時が、家から出すチャンスです」

 

 

 

 

ひきこもり自立支援センターの家庭訪問のスタッフも、みんなそのように言います。

 

 

 

 

暴力をふるうのは何かを求めている証拠ですから、働きかけやすい、外へ出すきっかけをつくりやすいというのです。

 

 

 

 

逆に、暴力もふるわず、おとなしく10年以上もひきこもっているような若者のほうが、動かしにくいといいます。

 

 

 

 

彼らはもう、人生をあきらめてしまっている節があるからです。そう考えると、若者が暴力をふるっているというのは、ある意味、「ビッグチャンス」なのです。

 

 

 

 

もちろん暴力を受けている親御さんはたいへんだと思いますが、本当に子どものことを考えたなら、それがとんでもない状態であっても、それはチャンスなのです。

 

 

 

 

もし彼らが未来や自分自身に対してあきらめてしまい、暴力さえふるわなくなったら、彼らを動かすのは本当に難しくなります。

 

 

 

 

 

暴力は、「自分の足で歩きたい」という意思表示です。若者の「何かしたい」というエネルギーの爆発、「自分を何とかしてくれ」という親への叫びなのです。

 

 

 

 

暴力をふるっているうちがチャンスです。暴力に耐えたり逃げたりするだけでなく、またいたずらに現状を悲観するだけでなく、そう前向きに考えることで、この問題と向き合っていただきたいと思います。

 

 

 

 

4、「特効薬」は求めない・・・・「魔法」のような解決策は存在しない

 

 

 

 

ひきこもりやニートを治す特効薬はないことを知るというのも、大切な心構えです。

 

 

 

 

子どもの家庭内暴力で悩まれている親御さんは皆、子どもの暴力がおさまり、以前のような「いい子」に戻ってくれることを切実に願っています。

 

 

 

 

だからついつい、いまの現状がたちまちよくなり、問題が根本から解決するような「特効薬」を求めたがります。

 

 

 

 

すかし残念ながら、そんな特効薬はありません。何年もかけてねじれてしまった親子関係を、短期間に改善する「魔法」のような解決策など、あるはずがありません。

 

 

 

 

もちろん、家庭内暴力を表面的・一時的に解決しようと思えば、それは簡単です。親と子を引き離せば、とりあえずは暴力はなくなるわけですから、そういった意味での一時的な解決は可能です。

 

 

 

 

しかしそれは、あくまで「休戦」であって「解決」ではありません。家庭内暴力を真に解決しようと思ったら、その根底にある「若者の未来が見えない不安」や親子関係自体を改善する必要があります。

 

 

 

 

もちろんそれには、それ相応の時間がかかります。そもそも家庭内暴力というのは、社会的な要因に加えて、親子の間に長年積もりに積もった心のドロドロや、複合的な親子関係の行き詰まりから生まれてくるものです。

 

 

 

 

だからそれを真に解決するのには同じくらいの年月がかかるものだ、ぐらいの気持ちでいてほしいのです。

 

 

 

 

短期間でよくなる特効薬など、けっして存在しません。安易に特効薬を求めてしまうと、「薬で解決しよう」とする病院か、「体罰で解決しよう」とする戸塚ヨットスクールのような団体しかなくなってしまいます。

 

 

 

 

あるいは、「自分が死ぬか、この子が死ぬしかない」というような安易な結論しか、見えなくなってしまいます。

 

 

 

 

まずは、特効薬はないことを知りましょう。それによって、はじめて現実と直面し、解決に乗り出すことができるのです。

 

 

 

 

5、「リスクのない解決策はない」ことを知る・・・・100%の安全はない

 

 

 

 

そして最後の大切な心構えは、「どの解決策にも必ずリスクが伴う」ことを知る、ということです。

 

 

 

 

親御さんを見ていると、こちらが何か解決策を提案しても、そこに少しでもリスクがあると、それを恐れて決断できない方が数多くいらっしゃいます。

 

 

 

 

「また、ひきこもらないか心配です・・・・」

 

 

 

 

「食事や洗濯など、ちゃんと生活できるかどうか・・・・」

 

 

 

 

たとえば、子どもの一人暮らしを提案しても、そうやって反論するご両親が必ずいます。

 

 

 

 

どこか外部の機関に助けを求めることをすすめても、「あそこの施設では、自殺者が出たことがあると聞いたので・・・・・」

 

 

 

 

「どうにもならなかった子もいるみたいですし・・・・」と言って躊躇する方が必ずいます。

 

 

 

 

提示された解決策のなかに少しでもリスクがあると、実行しようとしないのです。まるで、「100%安全だったら実行するが、少しでもリスクがあるならやらない」といわんばかりです。

 

 

 

 

しかし、考えてもみてください。「リスクのない100%の安全」など、この世の中にあるはずがありません。

 

 

 

 

たしかに、家の外に出ると、交通事故にあったり、危険な目にもあうかもしれません。

 

 

 

 

しかしずっと家にいても、地震で家が倒壊するかもしれませんし、階段から落ちて怪我をするかもしれないのです。

 

 

 

 

「100%安全な場所」など、どこにもありません。どんなに親が安心するような一流企業の正社員になっても、ある日突然リストラされてしまうかもしれませんし、人事異動や職場の人とうまくいかずにうつ状態になるかもしれないわけです。

 

 

 

 

「どんなことにも失敗はつきものだ」

 

 

 

 

「失敗したら、またやり直せばいい」

 

 

 

 

そう開き直ることができれば、どれほど楽になるだろう、と思う親御さんはたくさんいます。

 

 

 

 

そんな親御さんは、リスクを考えるあまり、現状を変えるチャンスまでをも失っているのです。

 

 

 

 

そもそも、親にとっての最大のリスクは、子どものニートやひきこもり状態、あるいは家庭内暴力の状態が長期化することのはずです。

 

 

 

 

にもかかわらず、現実には、完璧な解決策を模索するだけで結局何もしないまま、子どもを結果的に「手遅れ状態」に追い込んでしまう親御さんが少なくないのです。

 

 

 

 

「少しでもリスクがあると、実行できない」そんな親御さんは、「心配性」というよりも、たんに決断力がないだけだといわれても、仕方がないとわたしは思います。

 

 

 

 

これまで、ひきこもりやニート、家庭内暴力の問題解決に向かうための心構えについて、長々と述べてきました。

 

 

 

 

それをわざわざしてきたのは、この段階ですでにつまずいている親御さんが、驚くほど多いからです。

 

 

 

 

「なんとかしたい」とは思っているけれど、この「5つの心構え」さえできていないという家庭が、けっして少なくないのです。

 

 

 

 

子どもの家庭内暴力で、あるいはニートやひきこもり状態で悩んでいる親御さんは、自分自身に一度問いかけてみてください。

 

 

 

 

現実を直視せず、「いつかよくなる」と甘い期待を抱いてはいないでしょうか?

 

 

 

 

過去の話ばかりをして自分を責めたり、いたずらに悲観して前向きな姿勢が失われてはいないでしょうか?

 

 

 

 

「特効薬」を求めるあまりに空転してはいないでしょうか?リスクのことばかり考えて、子どもの可能性まで奪ってはいないでしょうか?

 

 

 

 

「前提」となる心構えがわかったところで、今度は実際に、我が家で家庭内暴力が始まったときにはどう対処すればいいかについて、考えていきたいと思います。

 

 

 

 

まず、最大にして最初の一歩は、「家族以外の第三者に助けを求める」ということです。

 

 

 

 

もし暴力が起こったら、それを家族だけで抱え込もうとせずに、あるいは家族内だけで解決しようとはせずに、家族以外の第三者に打ち明けて、助けを求めてほしいのです。

 

 

 

 

第三者に助けを求めること、それはいわば、「親が家族の密室を壊す決断をする」ということです。

 

 

 

 

家庭内暴力は、家庭という「密室」の中だからこそ起こるもの、閉じた家族関係の中で起こるものだからこそ、まずはその閉じた「密室」を壊し、家族を開くことから始めてほしいのです。

 

 

 

 

では、助けを求める「家族以外の第三者」とは、具体的に誰をさすのでしょうか?

 

 

 

 

それは、相談所や保健所といった公的な機関やカウンセラーだけに限りません。それにこだわる必要はありません。

 

 

 

 

兄弟や親戚、友人や近所のおじさん、おばさんなど、「信頼のおける他人」であれば、誰でもいいと思います。

 

 

 

 

むしろ、誰に頼むかというよりも、できるだけ子どもと長く付き合ってくれる人を探すことのほうが大切だとわたしは思います。

 

 

 

 

たった1時間、たった1回の相談だけで、事態が改善することは、、まずありません。

 

 

 

 

何度でも相談にのってくれたり、実際に子どもを外に連れ出してくれるような第三者を見つけることのほうが、何倍も大切です。

 

 

 

 

その人が、世間で言われる「勝ち組」ではなく、人間的に面白くて幅のある人であれば、なおいいです。

 

 

 

 

このときこそ、親は自分のこれまでの人生で築いてきた人脈を思い出し、それを活かしてほしいのです。

 

 

 

 

「親にできることはもう何もない」そう悟って、家族以外の人間に助けを求める決断をすること、これが最初にして最大の一歩です。

 

 

 

 

しかし、ここでひとつ注意してほしいことがあります。「第三者に助けを求めてください」

 

 

 

 

わたしがそのような言い方をすると、かなりの親御さんは、子どもを病院に連れていこうとします。

 

 

 

 

現に、いま家庭内暴力の子どもに対してとられている対策としては、「病院の精神科に入院させる」というものがもっとも一般的です。

 

 

 

 

ひきこもり自立支援センターへ来る家庭内暴力の子も、3割近くが病院の精神科を受診した経験があります。

 

 

 

 

「精神的な病気ではありません」しかしその大半が、そこでそういわれて帰ってきています。

 

 

 

 

もちろん、長い間ひきこもっているために、精神病を発病してしまう若者もいますが、それはほんの一部です。

 

 

 

 

なかには、両親に無理やり、病院に連れて行かれたあげくに「異常なし」という診断を得て、診察後、より激しい暴力を親にふるうようになった子もいます。

 

 

 

 

無理に病院に子どもを連れて行くことで、事態が悪化したケースは山ほどあります。

 

 

 

 

たとえば2006年8月に、家庭内暴力をふるう21歳の娘を、就寝中に両親が刺殺するという東京都町田市で起こった事件など、まさにそのケースだったと思います。

 

 

 

 

娘のあまりにひどい暴力に耐えかねた両親が病院に連れて行くと、最初は「統合失調症」と診断されました。

 

 

 

 

しかし後ほど、それが誤診で、じつは「異常なし」ということがわかりました。それを知った娘は、いっそう激しく両親に暴力をふるうようになったといいます。

 

 

 

 

しかし両親は、「娘を病院に無理やりに連れていった」という負い目から、その後いっさい、娘に抵抗できなくなってしまいました。

 

 

 

 

それでますます追い詰められ、凶行に及んでしまった、というのが真相のようです。

 

 

 

 

これまで何度も説明してきたように、家庭内暴力をふるう子というのは、別に病気ではありません。

 

 

 

 

さまざまな家庭環境や親子関係、それに社会状況といった構造のなかで、やむを得ずに暴力に駆り立てられているにすぎないのです。

 

 

 

 

だけど、親はそうは考えたがりません。事件が起こったときには「あの家庭は異常だから」と考えたがるのと同様に、暴力をふるっているのは「この子が病気だから」と考えたがるのです。

 

 

 

 

それで安心・納得したがるのです。しかし、考えてもみてください。病気でない子が、病院の精神科や精神病院に連れて行かれたら、どんな気持ちがするでしょうか。

 

 

 

 

無理に受診させられるのは、本人にとって、どれだけ屈辱的なことでしょうか。嫌がって暴れたとしても、それは当然の反応ではないでしょうか。

 

 

 

 

だけどそんな反応も、「異常行動」と病院ではみなされてしまいます。時には、手足をベッドにロープで縛りつけ、薬を与えて強制的におとなしくさせてしまうことだってあります。

 

 

 

 

もちろん、なかには本当に病気の子どももいます。だから、病院に連れて行くこと自体を否定しているわけではありません。

 

 

 

 

それに、家庭内暴力の構造を理解したえうで、親御さんと子どもを引き離すことを目的に入院させ、具体的な解決方法にまでつなげてくれるような病院だってあります。

 

 

 

 

しかし残念ながら、そんな病院はまだ一部にしかすぎませんし、なにより問題なのは、大半の「病気ではない普通の子」まで病院に連れて行かれているという、いまの現状です。

 

 

 

 

繰り返しますが、家庭内暴力は病気ではありません。病院で治療を必要とするようなものではありません。

 

 

 

 

病院に入院させることによって、かえって子どもの状態が悪くなることは多々あります。

 

 

 

 

だから、安易に子どもを病院に連れて行ってほしくはないのです。「病院では結局、何も変わらなかった」

 

 

 

 

「薬の副作用だけが残って、失敗でした」

 

 

 

 

「正常と診断されたあと、ますます暴力がひどくなった」

 

 

 

 

そういって、ひきこもり自立支援センターに相談に来られる親御さんが後をたたないのを見ていると、それだけでは言っておきたいと思います。

 

 

 

 

それからもうひとつ、どうしても言っておきたいことがあります。それは、「子どもを殺してはならない」ということです。

 

 

 

 

家庭内暴力を解決する、あるいは終わらせる手段のひとつとして、親が子どもを殺すという行為が最近、続発しています。

 

 

 

 

先ほど紹介した町田で起こった事件もそうですが、2006年4月に名古屋で、そして9月には平塚でも、家庭内暴力に苦しむ親御さんが子どもを手にかける事件が起こっています。

 

 

 

 

「あの地獄から逃れるには、こうするしかなかったんです・・・・」

 

 

 

 

「もう子どもを殺すしか、解決の道はなかったんです・・・・」

 

 

 

 

そんな親御さんの気持ちも、理解できなくはありません。警察や児童相談所、それにカウンセラーや病院と、あれこれ手を尽くされたあげくの決断だったと思います。

 

 

 

 

しかし、それでもわたしは言わなくてはなりません。それでもまだ何か別の方法があったはずだ、と。

 

 

 

 

本当に恥も外聞も捨てて、子どものために走り回ってみたのですか、と。家族を「密室」にしてしまったのは、ほかならぬ親御さんご自身だったのではありませんか、と。

 

 

 

 

「子どもを殺すことは、親としての責任放棄でしかない」きついようですが、わたしはあえてそう言いたいと思います。

 

 

 

 

もちろん子どもの暴力はひどいものです。暴力をふるう彼らを、けっして肯定するわけではありません。

 

 

 

 

しかし子どものほうも、なにも親が憎くて、親を本気で殺そうと思って暴力をふるっているわけではないのです。

 

 

 

 

むしろ、「何とかしてくれ」「自分を助けてくれ」と親に訴えているのです。「充分、手加減している」

 

 

 

 

「ちょっと脅してやるだけ」という気持ちで、親に暴力をふるっている若者も、けっして少なくはないのです。

 

 

 

 

だけど、そんな子どもの気持ちがわからずに、本当に身の危険を感じてしまい、子どもを殺してしまう。

 

 

 

 

あるいは、それしか解決の道がないと最後の手段を選んでしまう。そんな悲劇を、親は絶対に起こしてはなりません。

 

 

 

 

殺すという手段をとるくらいなら、どうしてその前に一度でも、正々堂々とお互いぶつかり合うことができなかったのでしょうか。

 

 

 

 

子どもを殺す前に、親として子どもに言わなければならないことがたくさんあったはずです。

 

 

 

 

親と子が本気でぶつかりあえないまま命が絶たれてしまうというのは、本当に悲しいことではないでしょうか。

 

 

 

 

親子だけではどうしても埒があかない場合は、誰か第三者を連れてきてもいいわけです。

 

 

 

 

第三者の立会いの下で、話をつけたらいいのです。とっくみあいの喧嘩をしてもいいのです。

 

 

 

 

それをせずに、一方的に子どもの命を絶つというのは、あまりに短絡的すぎるのではないでしょうか。

 

 

 

 

お父さん、お母さん、解決への道はいくらでもあります。だから、どうか暴れるお子さんを殺さないでください。

 

 

 

 

そしてお子さんを殺したくなる前に、一日も早く外に向かって大きな声でSOSを出してください。

 

 

 

 

厳しい言い方になるかもしれませんが、それは親の責任だとわたしは思っています。

 

 

 

 

そして、もうひとつだけあります。絶対に、子どもに殺されてもいけません。最近発表された警察庁の統計を見ても、ここ数年、未成年の子どもによる親殺し(未遂も含む)が急増しています。

 

 

 

 

その動機としてよくあげられるのが、これまで指摘してきた、「成績や生活態度を叱責・注意された」という、家庭での「勝ち組教育」にまつわるものです。

 

 

 

 

しかし、いくらそれまでの親御さんの教育方針に問題があったとしても、子どもに殺されるという事態だけは絶対に避けなければなりません。

 

 

 

 

わが子に殺されるのは、親として最大の恥、最大の失敗です。ご自身の未来は当然として、子どもの未来までをも奪ってしまうことになるからです。

 

 

 

 

親はそれによって、自分の子どもを殺人者に仕立てあげてしまうことになるからです。

 

 

 

 

「まさか、うちの子はそこまでしないだろう」そうやって子どもを見くびってはいけません。

 

 

 

 

子どもの怒りは、親御さんが想像しているよりもはるかに強く、激しいものです。子どもの側に「マグマ」が溜まっていれば、親御さんのささいなひと言が命取りになることだって充分にあります。

 

 

 

 

「夏休みの宿題、きちんとやりなさいよ」そんなひと言がきっかけで、子どもに刺された親御さんだっていました。

 

 

 

 

子どもには、積もりに積もった親への怒りを、抑えられなくなる瞬間があるのです。

 

 

 

 

だから、お父さん、お母さん、もし少しでも身の危険を感じたら、どうか逃げ出してください。

 

 

 

 

少しでも危険を察知したら、すぐに子どもから離れてください。その段階まで来てしまったら、親にできることは、他人に助けを求めることだけです。

 

 

 

 

親ががんばっても、逆効果にしかならないのです。熱心な小学校教師だった母親が、仕事をやめてまでがんばってひきこもりの息子と向き合った結果、父親共々殺されたという茨城県の事件(2004年11月)を忘れてはいけません。

 

 

 

 

もう親では無理なのです。子どもの暴力が始まった時点で、「もう親の手には負えない」と早めに悟るべきなのです。

 

 

 

 

そもそも、子どもをそのようにしてしまった原因の一部は間違いなく親にあるわけですから、問題の原因をつくった張本人がいくらがんばったところで、簡単には修復できないのです。

 

 

 

 

だから子どもに殺される前に、第三者に助けを求め、委ねてほしいと思います。身の危険を感じたら、子どもから一刻も早く離れてください。

 

 

 

 

その手段はなんだってかまいません。親御さんが子どもを残して家を出てもいいのです。

 

 

 

 

その際、お子さんに「お前を守るためだという強い決意を伝え、生活費を誰かに預けるなどのプロセスは必要です。

 

 

 

 

とにかく、子どもから離れることが重要です。「逃げるのは、親の責任放棄だ」「そんなときこそ、子どもを受け入れてあげるべきだ」

 

 

 

 

もちろん、それは「正論」です。しかし、家庭内暴力に至った経緯・構造をそれぞれみると、そんな「正論」こそが危険である場合が多いのです。

 

 

 

 

「親の責任を果たす」「子どもを受け入れる」ためには、一度親子が離れなければいけないときもあるのです。

 

 

 

 

自分の身を守るために、あるいは、子どもの未来を守るためにも、お父さん、お母さん、絶対に子どもに殺されてはなりません。

 

 

 

 

子どもに親を殺させないこと、これも親として、最低限の責任だとわたしは思っています。

 

 

 

 

前置きが長くなりましたが、そんな家庭内暴力を実際に解決していくための具体的な対処法について、これから述べていきましょう。

 

 

 

 

わたしは長年の経験から、家庭内暴力を解決するには、以下の「3つのステップ」が必要だと考えています。

 

 

 

 

1、休戦

 

 

 

 

2、多様な体験

 

 

 

 

3、自分の道探し

 

 

 

 

これが、「家庭内暴力解決のための3ステップ」です。この3つの段階を順番にたどっていくことで、暴力をふるっていた子どもたちは、ごく普通の若者として、自分の未来と向き合えるようになっていきます。

 

 

 

 

そのステップをこれから順にご紹介しますが、その際に注意すべき点や親御さんが陥りやすい点を「ポイント」として記しましたので、あわせて参考にしていただければと思います。

 

 

 

 

1、家庭内暴力を「休戦」する・・・・「家族の密室」を壊す

 

 

 

 

まず、第一のステップは「休戦」です。家庭内暴力が起こったら、まずは、いかにして「休戦」させるかが大切です。

 

 

 

 

いきなり「解決」しようとはせず、まずは暴力がおさまる「休戦」状態をいかにして作り出すかが重要になります。

 

 

 

 

それには、とにもかくにも、親と子が離れることです。家庭の中で、暴力を避けようと腫れ物に触るように子どもと接するのは、「冷戦」であって「休戦」ではありません。

 

 

 

 

親と子どもの距離を、物理的に離さなければならないのです。親に暴力をふるう子どもも、親以外の人間には暴力はふるいません。

 

 

 

 

だから、親子が離れることで、とりあえずの危険は回避できます。親子が離れるのが、最初にして最大の一歩なのです。

 

 

 

 

「休戦」には、以下の5つの手段があります。

 

 

 

 

1、子どもにひとり暮らしをさせる。

 

 

 

 

2、親が、子どもを残して家を出る。

 

 

 

 

3、家庭に、家族以外の第三者(親戚、友人、知人、)を入れる。

 

 

 

 

4、親戚、知人、友人の家に、子どもを預ける。

 

 

 

 

5、ひきこもり自立支援センターのような外部機関に預ける。

 

 

 

 

この5つの手段のどれかを選ぶかは、各家庭しだいです。大切なのは、親も子もいったんお互いに離れて、別々の世界で生きてみる、ということです。

 

 

 

 

息苦しい危険な「密室」からまずは抜け出してみましょう、広い世界に出て別の生活を始めてみましょう、ということです。

 

 

 

 

一気に解決しようとして泥沼にはまるより、いったん両者が「休戦協定」を結んで距離を置こう、と提案しているわけです。

 

 

 

 

ポイント1 家の近所で一人暮らしをさせてはいけない

 

 

 

 

「休戦」の5つの手段のうち、もっとも多くの家庭で選ばれるのが、「1、子どもに一人暮らしをさせる」という方法です。

 

 

 

 

これを選ぶ家庭が、圧倒的に多いです。その時に、せっかく子どもを一人暮らしさせたにもかかわらず、中途半端に家の近所に住まわせてしまう親御さんがよくいらっしゃいます。

 

 

 

 

しかし、それは「休戦」になりません。子どもは頻繁に家に帰ってきては暴力をふるうかもしれませんし、なにより子どもの中にある「親に対する依存と甘えと執着」を断ち切ることはできません。

 

 

 

 

現に、子どもの家に呼びつけられて、結局、同居と暴力が再開したという家庭は、いくつもあります。

 

 

 

 

心配のあまり家の近くに子どもを住まわせてしまうと、ひとり暮らしの効果は半減してしまいます。

 

 

 

 

「休戦」という以上、最低1年間は顔を合わせないくらいの覚悟でいてほしいと思います。

 

 

 

 

それくらい、子どもが親に容易に会えない場所に住まわせてほしいのです。

 

 

 

 

ポイント2  一人暮らしを助ける、親以外のお節介人を

 

 

 

 

ひとり暮らしの際、もうひとつ大切になってくるのが、「一人暮らしを助ける第三者」の存在です。

 

 

 

 

先ほども紹介しましたが、「子どもの一人暮らし」というと、食事の心配やひきこもり生活の再開などを理由にためらわれる親御さんが必ずいます。

 

 

 

 

前者の食事などについては、いまはコンビ二があるためほとんど問題にはなりませんが、ひきこもり生活をそこでも始めないかというのは、確かに懸念される点です。

 

 

 

 

だからこそ、わたしが強調したいのは、「一人暮らし」と同時に「それを助ける第三者」を見つけることです。

 

 

 

 

一人暮らしを始めることで、とりあえず暴力はおさまります。それで、いままで部屋にひきこもっていた子が外に出始めればいいのですが、そこでもまた、ひきこもり生活を続ける子は、たしかにいます。

 

 

 

 

そのため、一人暮らしを始めたその子を、いろいろな場所に連れて行ったり、「こんなことをしてみようよ」と提案するような、「お節介な第三者」が必要になるのです。

 

 

 

 

それがないと、「一人暮らし」は現実問題として、なかなかうまくいきません。家庭内暴力の根本原因である「未来が見えない不安」を解消する作業に子どもが取り組めないため、抜本的な解決に向かわないのです。

 

 

 

 

「お節介な第三者」は、兄弟でも近所のおじさん・おばさんでも、親戚でも、誰でもいいのです。

 

 

 

 

ひきこもり自立支援センターのような外部機関のスタッフでも構いません。ただ、親だけは絶対にだめです。

 

 

 

 

親が手助けをしてしまうと、「友だち親子」に逆戻りしたり、「母子密着」を解体できなくなってしまいます。

 

 

 

 

それをしてしまうと、子どもも親も、互いへの執着を捨てることができなくなってしまいます。

 

 

 

 

親以外の、そんな「お節介な第三者」を早く見つけてほしいと思います。その時、「それを善意でお願いする」というのでは、見通しが甘すぎるとわたしは思います。

 

 

 

 

ボランティアでできるほど、この「お節介」は簡単な仕事ではないからです。いくら兄弟でも、親戚でも、きちんと仕事としてお金を支払うべきです。

 

 

 

 

それくらいシビアに考えないと、「休戦」がうまくいくことはないとわたしは考えています。

 

 

 

 

2、多様な体験・・・・・無駄なゆったりした時間が必要

 

 

 

 

「休戦」がうまくいけば、次は「第二ステップ」です。家庭内暴力自体は、親と子を引き離し、「休戦」させることによって、とりあえず表面的には解決します。

 

 

 

 

しかし、それでは暴力がおさまるだけで、根本的な解決にはなりません。「子どもの未来が見えない不安」は依然解消されていないわけですから、もしまた親との同居が始まれば、暴力も再開してしまう可能性は充分にあります。

 

 

 

 

だから次の「第二のステップ」として、「若者に多様な体験をさせる」というのが必要になってきます。

 

 

 

 

家庭内暴力の若者に限らず、今の若者には、あらゆる体験が不足しています。地域社会が崩れてしまったために、他世代の人間と話しをする機会が極端に少なくなっています。

 

 

 

 

家庭の中も電化されてしまったため、家事をはじめとする労働体験もほとんどありません。

 

 

 

 

家でゲームや勉強ばかりして、体を動かすこと自体が苦手という若者も増えています。

 

 

 

 

長い間、ひきこもっている家庭内暴力の子には、特にその傾向が顕著です。ずっと部屋にいるから、体をうごかすことがありません。

 

 

 

 

話をするのは親だけで、いろんな人間とふれあう機会もありません。唯一の社会との接点は、テレビやインターネットだけです。

 

 

 

 

評論家・コメンテーターの言うことをそのまま自分の意見として語る、頭でっかちな若者も少なくありません。

 

 

 

 

あらゆる側面から見て、彼らには、現実生活の体験が不足しています。そのため、人間の幅や価値観、それに許容範囲が、きわめて狭くなっています。

 

 

 

 

世の中にはいろんな人間がいて、いろんな生き方や考え方があるということが、理解もできなければ、想像もできないのです。

 

 

 

 

だからこそ、「休戦」によって家庭という「密室」を抜け出したならば、次に必要なのはさまざまな体験をすることです。

 

 

 

 

「多様な体験」を通じて、若者たちは、体と頭を動かしながら、他人とどう付き合うかを学んでいきます。

 

 

 

 

「勝ち組教育」の中で培われた自分の狭い人間観や社会観を、徐々に修正していくことができるのです。

 

 

 

 

それによって、いままでになかった価値観を持つことができたり、想像力も豊かになっていきます。

 

 

 

 

自ずと興味のあることも見つかり、なんとなく彼らの目の前に未来が開けた感じがしてくるのです。

 

 

 

 

社会の中で生きる力を、「多様な体験」を通じて、少しずつ養っていくのです。

 

 

 

 

ポイント1 若者たちには「3つの体験」を

 

 

 

 

「若者には多様な体験が必要だ」というとき、それは主に、以下の3つの体験だとわたしは思っています。

 

 

 

 

1 人間体験

 

 

 

 

彼らには、「勝ち組教育」の染まった価値観を覆すような、いろいろな人間との出会いが必要です。

 

 

 

 

親と教師以外の大人とろくに話したことがないような若者たちに、これまでとまったく違う刺激を与え、親とは異なる価値観に触れさせ、彼らの人間観・世界観を広げてあげる必要があります。

 

 

 

 

普通のおじさんやおばさん、農家の方やアーティスト、外国人や障害のある方・・・・・いままで出会ったことのないような大人と接することで、彼らが失敗を繰り返しながらも、人生を楽しく生きている姿を見せるのです。

 

 

 

 

「人間には、いろいろな生き方があるんだ」

 

 

 

 

「勝ち組にこだわらなくても、生きていけるんだ」そう思えば、「負け組」意識でがんじがらめになっていた若者たちも、徐々にそこから解放されていきます。

 

 

 

 

そうすると、自分なりの道を模索できるようになります。「3つの体験」の中でも、「人間体験」はとりわけ大切なものです。

 

 

 

 

先日、ひきこもり自立支援センターを卒業して、いまは会社員をしている若者がこんなことを言っていました。

 

 

 

 

「人間関係はいまだに苦手だけど、人間が嫌いじゃなくなった」この言葉を聞いて、「人間体験」の本質はここにあると思いました。

 

 

 

 

「人間って悪いもんじゃない」

 

 

 

 

若者たちがそう思えることが、彼ら自身の世界を広げる第一歩だとわたしは思っています。

 

 

 

 

2  労働体験

 

 

 

 

ひきこもって頭でっかちになったからだと心に生きる力を取り戻すには、労働をするというのも大切なことです。

 

 

 

 

たとえば、みかん農園や野菜畑での農業体験は、朝、太陽とともに起きて、夜、星とともに眠るという生活です。

 

 

 

 

それは、人間の自然な体内時計を呼び覚ましてくれます。ひきこもり生活にありがちな昼夜逆転の生活に慣れた体も、「労働体験」を経ることで生き返ってきます。

 

 

 

 

また、老人のデイサービスや保育所の仕事をすることで、若者はあらゆる世代の人間と実際に触れ合うことができます。

 

 

 

 

それを通して、テレビやパソコンからは得られなかったような知識を、体で覚えていけるのです。

 

 

 

 

そういった「労働体験」をさせてくれる場所を探すのは難しいかもしれませんが、探せばきっとあるはずです。

 

 

 

 

自分の知恵や人脈に限りがあるのなら、「お節介な第三者」に頼んで、場所を紹介してもらうこともひとつの方法です。

 

 

 

 

繰り返しになりますが、このとき、父親・母親の人脈力が試されることになるのです。

 

 

 

 

3  社会体験

 

 

 

 

「学校」と「家族」という2つの小さな社会しか知らない若者に、いろんな社会があることを伝えるのが「社会体験」です。

 

 

 

 

地域の人と共同でフリーマーケットやコンサートなどのイベントに参加するのは、地域社会を知る大きなチャンスです。

 

 

 

 

会社で働くというのも、企業社会を知ることになります。外国で暮らすのも、大きな「社会体験」です。

 

 

 

 

さまざまな社会に触れることで、若者はそれぞれの社会には、それぞれのルールや価値観があることを知ります。

 

 

 

 

それによって、いままで自分が絶対視してきた「勝ち組路線」を相対化して見られるようになるのです。

 

 

 

 

たしかに、若者たちが自分から積極的に動くことは少ないでしょう。だから、そんなときこそ、「お節介な第三者」に頼んで、子どもをボランティアにつれていったり、仕事を少し手伝わせたりしてほしいのです。

 

 

 

 

とにかく、いろいろな体験の場を、子どもたちに用意してあげてほしいと思います。

 

 

 

 

若者は、場さえあれば、自分で育ちます。いままで部屋に閉じこもっていた若者たちが、ゆっくりと手足を伸ばすようにして、人間や社会と触れ合うことのできる場を用意してあげてほしいのです。

 

 

 

ポイント2  完璧主義を捨て、いい加減主義を知る

 

 

 

 

家でずっと暴力をふるっていた子どもたちは、往々にして「完璧主義」です。「何もかも、きちんとしなければならない」という意識にとらわれがちです。

 

 

 

 

「完璧主義」になると、若者は挫折に弱くなります。小さな失敗が許せず、自分を責めてしまいます。

 

 

 

 

理想が高すぎるために、ひとりでは何もできずに親にあたる・・・・それの繰り返しになってしまいます。

 

 

 

 

「多様な体験」を経験してはじめて、若者は世に中にはいろんな人がいて、いろんな生き方があることを知るのです。

 

 

 

 

100点を取れなくても60点でも充分満足している人、幸せそうな人がいることに気がつくのです。

 

 

 

 

「これでいいんだ」

 

 

 

 

「これくらいでいいんだ」

 

 

 

 

それを知ることによって、彼らの気持ちは解放されます。完璧を求めるあまり、失敗を恐れて何もできなかった彼らの中に、「とにかくやってみようかな」と、少しずつ柔軟な思考と行動力が生まれてくるのです。

 

 

 

 

「人生には、黒か白かだけではない。グレーもあるんだ」わたしがよく言う台詞ですが、それを知ることが大切なのです。

 

 

 

 

ポイント3  第二ステップなくして、第三ステップなし

 

 

 

 

そして大切なのは、「第二ステップなくして、第三ステップはない」ということを、くれぐれも肝に銘じておくことです。

 

 

 

 

たとえば一人暮らしを始めたときに、先を焦るあまり、すぐにアルバイトをしようとする若者がいます。

 

 

 

 

だけどほとんどの場合、それはうまくいきません。「多様な体験」を経て自分の価値観や幅を広げていないため、「なんとかなるさ」と思えずにすぐに文句をぶつぶつ言ったり、「いろんな人間がいるよ」と思えずに他人のささいなひと言でひどく傷ついたりします。

 

 

 

 

アルバイトは、次の「第三ステップ」なのです。焦ってはいけません。先日あるカウンセラーの先生と話をしたとき、こんなことを話していました。

 

 

 

 

「今の子はとにかく体験が少ないから、いろいろな話をしても、こちらの言うことが理解できない」

 

 

 

 

「自分の仕事や未来に対してのイマジネーションが、じつに乏しい」

 

 

 

 

だから、相談内容についての方策を具体的に話そうとしても、話が空転するというのです。

 

 

 

 

わたしたちは体験があるからこそ、理解・想像できていることがたくさんあります。

 

 

 

 

それがあるからこそ、社会にはいろんな人間や仕事、生き方があることがわかるわけです。

 

 

 

 

しかし、長年ひきこもっている子は、とくに体験が乏しいので、それができません。

 

 

 

 

「一人暮らし」と聞くと、すごくハードルが高いように思えて躊躇したり、働こうと思っても、考え得る職種がすごく少なかったりします。

 

 

 

 

外の世界とふれあっていないため、「そんな仕事もあるのか、そんな生き方もあるのか」という気持ちになれないのです。

 

 

 

 

「うちの子は本当に頑固で困っています」これも親御さんがよく言う台詞ですが、子どもは「頑固」なのではなくたんに「体験不足」なだけなのです。

 

 

 

 

親に何か提案されても、体験がないからそれをうまく想像できません。自分の体験した狭い範囲でしか物事を考えたり想像したりできないから、一歩がなかなか踏み出せません。

 

 

 

 

だから親が何かを提案しても、彼らは頑固に断るわけです。それは「多様な体験」を経ることでしか、広げることができないものです。

 

 

 

 

だからこそわたしが声を大にして言いたいのは、「第二ステップなくして第三ステップはない」ということです。

 

 

 

 

第三ステップの「自分の道探し」をするためには、第二ステップの「多様な体験」が必要不可欠なのです。

 

 

 

 

親御さんはここにこそ、お金と時間を注ぎ込んであげてほしいのです。

 

 

 

 

3、自分の道探し・・・・「道=正社員」という発想では行き詰る

 

 

 

 

若者を親から引き離して家庭内暴力を「休戦」させ、「多様な体験」をさせます。それを通して人間としての幅を広げ、生きる力を回復させます。

 

 

 

 

そこまでいけば、次は第三のステップ「自分の道探し」です。「第三ステップ」では、外で仕事に就いたり、進学に向かって準備をしたり、将来に関わる具体的な行動を始めることになります。

 

 

 

 

アルバイトもこの段階です。「多様な体験」を通じて、自分の興味のあることが見つかると、先のことはまだわからなくてもわからないなりに、彼らは動き出します。

 

 

 

 

「とりあえず、この仕事をやってみよう」

 

 

 

 

「これだったら、できるかもしれない」

 

 

 

 

そうやって、未来へ向けて具体的に歩き始めます。「もう大丈夫。とにかく一度やってみなさい」

 

 

 

 

「失敗したら、また違うことをやればいいじゃない」

 

 

 

 

なかなか動きださない若者には、「お節介な第三者」が背中を押し出してあげればいいのです。

 

 

 

 

アルバイトをするのもいいし、派遣の仕事を始めるのもいいでしょう。大検をとって大学受験をするのもいいでしょう。

 

 

 

 

不登校中に「休戦」に入ったら、「学校へ戻る」というのもひとつの選択肢です。

 

 

 

 

大切なのは、「これから自分はどうするのか。自分は何をしたいのか」を漠然とでも自分で考え、そして自分で決めるということです。

 

 

 

 

この「自分で決める」というのが大切です。とにかく自分の足で歩いてみるのです。

 

 

 

 

「何となくいいな」「とりあえず、ここでいい」最初はそんな気楽なところからスタートすればいいのです。

 

 

 

 

そうやって歩き始めても、それでいきなり未来が見えてくるわけではありませんが、若者たちは未来を探しはじめたという手ごたえを実感することで、落ち着いていきます。

 

 

 

 

そうなると、彼らがもう暴力をふるうことはありません。ほとんどの若者はこの段階まで来ると、家をしばらく離れていたのが、一度帰宅して親にそのことを報告したがります。

 

 

 

 

彼らの中では、やはり自分を一番認めてほしいのは、なんといっても親なのでしょう。

 

 

 

 

その頃には、暴力なんてどこふく風です。さわやかな歳相応の若者に生まれ変わっています。

 

 

 

 

「人生は、自分の未来を探す作業の連続だ」わたし自身、そう思うことがよくあります。

 

 

 

 

わたしは現在60代ですが、具体的な自分の未来をいまでも模索し続けています。

 

 

 

 

だから焦る必要はないのです。ようやく「生きる力」を取り戻した若者たちです。ゆっくりと体と頭、そして心を動かしながら、「自分の道探し」をすればいいのです。

 

 

 

 

ポイント1  決断は自分で。行動についてはお節介人が必要

 

 

 

 

「自分の道探し」をするとき、若者はささいなことでつまずきがちです。たとえば、ハローワークに行ったらどんな手続きが必要なのか、あるいは履歴書はどう書いたらいいのか・・・・そんなことのひとつひとつが、経験のない若者にとっては大きなハードルになります。

 

 

 

 

だからこそ、彼らのそばにいて、具体的なアドバイスをしてあげる「お節介な第三者」が、ここでもまた必要になります。

 

 

 

 

そうしないと、いつまでたっても動き出せない若者もいます。何をどうするかという決断は、若者自身がする、だけど、具体的な行動については、そのお手伝いをする人間が必要です。

 

 

 

 

それは、仕事を始めてからも同じです。せっかく希望の仕事に就いたものの、会社と一人暮らしの部屋を往復するだけの生活で、つぶれてしまう若者もいます。

 

 

 

 

いつの間にか仕事を辞めて、ふたたびひきこもり生活を始めてしまう若者も少なくありません。

 

 

 

 

仕事を始めても、「お節介な第三者」は必要なのです。たしかに一人ひとりに誰かがつくというと、とても大掛かりなことになります。

 

 

 

 

だからわたしは今、自分の道を歩き始めた若者たちを寮に住まわせ、集団生活の中で互いに支えあう仕組みをつくれないかと考えています。

 

 

 

 

仕事場から帰ってきたとき、苦労を分かち合える仲間がいて、酒でも酌み交わしながら、失敗をともに笑い飛ばせればいいと思います。

 

 

 

 

「明日もがんばるか」そんな気持ちにさせてくれる仲間のいる場所を、つくりたいと思っています。

 

 

 

 

ポイント2  正社員という道を捨てる

 

 

 

 

ここで一番大切なのは、「正社員という道は捨てる」ということです。このことは、どれほど強調しても、しすぎることはありません。

 

 

 

 

「自分の道探し」というとき、「勝ち組路線」を捨てきれていないと、「道=正社員」という発想になってしまいます。

 

 

 

 

「正社員で働く」という前提のもと、いろいろな道を探すことになってしまいます。

 

 

 

 

だけどそれでは、子どもの道探しは空転してしまいます。なにも正社員で働くことだけが人生ではありません。

 

 

 

 

いまや終身雇用制も崩壊し、正社員の身分も流動化している時代です。「正社員になれば人生は保証される」という時代なんて、もうとっくに終わっています。

 

 

 

 

まだ親御さんには「とにかく正社員」という発想が根強くありますが、それほど正社員として働くことは幸せなことなのでしょうか。

 

 

 

 

それだけが、本当に子どもにとっての人生なのでしょうか。残酷な言い方かもしれませんが、いまの日本では「勝ち組路線」かた一度はずれてしまうと、そこに戻るのは至難の業です。

 

 

 

 

長年ひきこもっている子どもの場合では、たとえ暴力がなくなっても、現実問題として、それから正社員で働くことは、ほとんど不可能に近いと思います。

 

 

 

 

「勝ち組路線からはずれたのなら、それ以外の生き方を探そう」そのように考えてほしいのです。

 

 

 

 

正社員ではない、新しい生き方、働き方を考えてほしいのです。「正社員として働く」という発想から親子共々抜け出さないと、子どもはほとんどの場合、行き詰ってしまいます。

 

 

 

 

親も、子どもがせっかく何かを始めたとしても、それを快く認めてあげることができません。

 

 

 

 

「とりあえず、コンビ二でアルバイトすることにしたよ」子どもがうれしそうに報告しても、「本当にお前の道はそれなのか?本当にそれでいいのか?」と言ってしまいます。

 

 

 

 

「もっと上をめざせ」という上昇志向、すなわち「勝ち組路線」を、ついつい臭わせてしまうのです。

 

 

 

 

せっかく自分の足で歩きかけた子どもを、親がまた支配してはいけません。そこで子どもの決意が揺らいだりしたら、親子関係も子どもの未来も、またこじれてしまいます。

 

 

 

 

だから、お父さん、お母さん、どうかお子さんの決断には、口出ししないでください。

 

 

 

 

お子さんの人生をお子さん自身が探し、自分の足で歩き始めることが、なにより大切なことなのです。

 

 

 

 

子どもの未来は、子ども自身のものです。もう親の出る幕ではありません。

 

 

 

 

「休戦」「多様な体験」「自分の道探し」、この家庭内暴力解決の3つのステップを順番にたどっていくことで変わっていった若者の例を、ひとつご紹介しましょう。

 

 

 

 

「もうこれが最後のチャンスです。なんとかあの子を助けてください」そう母親が泣いて頭を下げた結果、ひきこもり自立支援センターに来たのが、31歳の雄介さんでした。

 

 

 

 

2年前にひきこもり自立支援センターに来たばかりの頃は、彼は、両手の手首をしじゅう幽霊のように、いつもブラブラさせながら部屋を歩いていました。

 

 

 

 

ドアはけっして自分ではあけず、いつも誰かの後ろにくっついて出入りしていました。ドアノブが汚く思えて、触ることができなかったのです。

 

 

 

 

彼は一日に、何度も手を洗っていました。手をブラブラさせていたのは、手を洗ったときの水を切っていたのです。

 

 

 

 

ほかの人が使ったタオルは、汚くて使えないようでした。彼はひどい潔癖症だったのです。

 

 

 

 

潔癖症というのは、強迫性障害の一種です。何度手を洗っても、「ばい菌」が落ちないと不安になり、しじゅう手洗いをしてしまいます。

 

 

 

 

他人の手垢のついたドアノブが汚いと感じて触れられないなど、ある部分を清潔にすることに極端にこだわる症状があります。

 

 

 

 

この潔癖症が昂じてしまうと、家庭内暴力を引き起こす原因にもなります。本人が暴君となり、親を奴隷化してしまいます。

 

 

 

 

雄介さんは、まさにその典型でした。これまでご紹介したケース同様、雄介さんもとても人に暴力をふるうような若者には見えません。

 

 

 

 

小中学校のころは、勉強もスポーツもよくできて、親の言うことをよく聞く自慢の子だったといいます。

 

 

 

 

反抗期もまるでなかったようです。しかし、高校2年のある日のことです。いろいろなことにがんばるのに疲れてしまった雄介さんは、学校に行けなくなってしまいました。

 

 

 

 

それで16歳で不登校になって以来、家に16年間もひきこもっているというのです。

 

 

 

 

「俺はどうして、こうなってしまったんだろう」彼はその長いひきこもりの時間の中で、自分が行き詰ってしまった原因を考え続けました。

 

 

 

 

自分の部屋で堂々巡りを繰り返すうちに、徐々に些細なことが気になり始め、20代半ばに潔癖症の症状があらわれるようになったのです。

 

 

 

 

「両親が外出先からばい菌を持ち込むのが許せない」当時、会社勤めの父親と専業主婦の母親との3人暮らしだった雄介さんは、やがてそう思うようになりました。

 

 

 

 

帰宅して玄関に入った両親は、彼の目から見れば、全身汚い「ばい菌」まみれの状態です。

 

 

 

 

「外から帰宅したら、まっすぐ風呂場に行き、着ているものをすべて洗濯機に放り込んで、風呂で体を洗いなさい」雄介さんは、両親にこう命じました。

 

 

 

 

「そうしてからでないと、居間に入ってはいけない、ソファーにも座ってはいけません」

 

 

 

 

両親は家に帰るたびに、一日に何回でも風呂浴びをさせられました。真冬であろうと、まったくお構いなしです。

 

 

 

 

両親が言うことを聞かないと、雄介さんは大声で叫び、暴れました。「言う通りにしろ!」と怒鳴って、殴ることもあったといいます。

 

 

 

 

1年近くそんな状態が続いた後、両親は我慢できなくなって家を出てしまいました。

 

 

 

 

「家にひとり残してきた息子を、何とかしてほしい」両親がひきこもり自立支援センターにやってきたのは、彼がひきこもってから12年目のことです。

 

 

 

 

彼が追い出したも同然ですが、幸いにも、ここで雄介さんの家庭は、第一のステップ「休戦」に入ることができたのです。

 

 

 

 雄介さんがひきこもり自立支援センターの共同生活寮に来てから、もう2年が過ぎようとしています。

 

 

 

 

ここに来た頃の彼を知っている人間は、一様に彼の変化に驚いています。身なりもきちんとしているし、手もブラブラしていません。

 

 

 

 

ドアも普通に自分で開けています。仲間の使ったタオルで普通に手も拭いている、というのです。

 

 

 

 

雄介さんは寮に入って以降、同世代の若者と話をしたり、みんなで一緒に外の食堂で食事をしたりするうちに、いつの間にか「ばい菌」が気にならなくなっていったのです。

 

 

 

 

いろいろな活動にも参加して、さまざまな人間に触れ合うこともできました。最初は、自分と違うタイプとは口もききませんでしたが、いろんな人間がいるということが徐々に許せるようになり、人付き合いにも慣れていったといいます。

 

 

 

 

これが、第二のステップ「多様な体験」を経た結果でした。最初の頃、2~3時間かかっていたシャワーの時間も、15分で済むようになりました。

 

 

 

 

初対面の人間とも、穏やかに日常会話が交わせるようになっています。最近、雄介さんは派遣のアルバイトをはじめました。

 

 

 

 

第三のステップ「自分の道探し」の始まりです。とりあえず現在やっているのは、レストランのホールと倉庫の荷おろしです。

 

 

 

 

いまは肉体労働が中心ですが、いずれは事務系の仕事に移りたいと考えています。

 

 

 

 

前向きに、自分の将来と向き合うようになれたのです。家を出て1年後に両親と再会したときにも、暴力をふるうことなく、穏やかに話すことができたようです。

 

 

 

 

雄介さんの変化は、わたしたちから見れば嬉しく、そして本当に驚くべきものでした。

 

 

 

 

しかし当の本人は、自分がとりたてて変わったとは思っていません。「君、変わったね」と言われると、以前の自分はそんなに変だったのかと、複雑な気分になるといいます。

 

 

 

 

それくらい、自分でも気づかないくらいに、雄介さんは徐々に自然に変わっていったのです。

 

 

 

 

彼のケースが教えてくれるのは、家庭内暴力も潔癖症の問題も、あるいは対人恐怖症といった問題も、家を出て普通の若者らしい生活をすれば、そのほとんどが自然と解消していくということです。

 

 

 

 

よく、家庭内暴力の解決に向けて、「若者を治してやる」という発想で活動している団体があります。

 

 

 

 

「体罰は教育だ」と公言する「戸塚ヨットスクール」や、若者に手錠をかけて監禁した名古屋の「アイメンタルスクール」もそうです。

 

 

 

 

先ほどお話した病院の精神科なども、薬やカウンセリングで「治療」しようとします。

 

 

 

 

しかし、わたしには「治してやる」という発想はありません。若者に必要なのは、「治療」ではなく、多様な経験ができる「場」だと思っているからです。

 

 

 

 

これまでお話してきたような「3つのステップ」を順に進めば、彼らは「生きる力」を取り戻し、自分の足で歩けるようになっていきます。

 

 

 

 

若者は本来、自然治癒力を持っています。しかし現代の閉ざされた家庭では、多様な経験ができる場を提供することができません。

 

 

 

 

だから家の外に、「第三のステップ」まで進めるような場を用意するほかありません。

 

 

 

 

そんな場さえあれば、若者は自然と変わっていきます。若者たちに必要なのは、「治療」ではなく、「自然治癒力を引き出す体験の場」なのです。

 

 

 

 

自分で「自分の道」を模索するようになれば、暴力などはもう二の次です。雄介さんなどは、自分が親にどんな暴力をふるったかさえ、いまではよく覚えていないほどです。

 

 

 

 

家庭内暴力の若者は、「3つのステップ」を経ることによって、普通の若者に生まれ変わっていきます。

 

 

 

 

にもかかわらず、ほとんどの親御さんは、この「3つのステップ」を実行することが、現実にはできません。

 

 

 

 

もちろん、その事情は各家庭によってさまざまです。しかし、親御さんを見ていると、どうも「3つのステップ」云々以前に、その大前提・出発点となる「第三者に助けを求める」ことができないようなのです。

 

 

 

 

親御さんの中に、その決断を阻んでしまう「何か」が存在するのです。「他人に迷惑をかけることはいけないことだ」

 

 

 

 

今の日本社会の中には、そういう考えが強くあります。親御さんの頭の中にも、そんな思いがあります。

 

 

 

 

それで他人に助けを求めるのを躊躇してしまう親御さんは、少なくありません。

 

 

 

 

息子の暴力で相談に来たあるお母さんは、こんなことを漏らしました。「夫の親戚が、家の周りに3人も住んでいます。迷惑はかけられません」

 

 

 

 

親戚に対してすら、とても遠慮しています。親戚だから余計に気を遣うのかもしれませんが、それで他人に助けを求めることができなくなっているのです。

 

 

 

 

これまでお話してきた雄介さんのご両親も同じです。「よそ様に迷惑をかけてはいけない」

 

 

 

 

小さい頃からそういわれて育った父親は、自分の職場はおろか、友人、親戚に至るまで、12年間、誰にも息子さんのことを打ち明けていませんでした。

 

 

 

 

はじめて友人に相談したのは、母親が自殺未遂をした後でした。それまでの間、両親はずっと外に救いを求めず息子の暴力に耐え、母親が命を張るところまでいって、ようやく事態が動き出したのです。

 

 

 

 

「ようやく風穴が開いたんです」がけ下で横たわっているところを発見され、命拾いしたお母さんは、当時を振り返って、そうおっしゃいました。

 

 

 

 

「どうしてそこまでしなければ、何もできなかったのか」この話を聞きながら、わたしは内心、雄介さんのお父さんに憤りさえ感じました。

 

 

 

 

たまたま命が助かったからよかったものの、発見が遅れれば、お母さんは亡くなっていたかもしれないのです。

 

 

 

 

何もかも、それこそプライドも世間体もかなぐり捨てて、「助けてください」と言うことはできなかったのでしょうか。

 

 

 

 

かつて、大家族が多数を占めていた時代には、「迷惑はお互いさま」だったと思います。

 

 

 

 

互いに助け合って生きることが普通で、みそ・しょうゆから電話の貸し借り、あるいは亭主の浮気の相談まで、隣近所で濃厚な付き合いをしていたものです。

 

 

 

 

お節介なおじさんやおばさんが親戚や近所には必ずひとりはいて、始終他人の問題に首を突っ込んできました。

 

 

 

 

家族の風通しが、いまよりずっとよかった時代でした。そんな「迷惑はお互いさま」という発想が、現代にはまるでなくなってしまいました。

 

 

 

 

「他人に迷惑をかけてはいけない」

 

 

 

 

「家族の中だけで、解決しなければ恥だ」

 

 

 

 

その一方で、そんな意識が強くなってしまいました。「核家族自立主義」とでも呼ぶべきものが、日本社会をおおってしまったのです。

 

 

 

 

この「核家族自立主義」が「他人に迷惑をかけてはいけない」という考えを広め、「家族の密室化」を進める背景にあるように思います。

 

 

 

 

「自立」に価値を置くあまり、家族は簡単に、他人に助けを求められないのです。

 

 

 

 

家庭という「密室」を開く決断が、なかなかできないのです。それがまた、親と子でぴったり寄り添う「友達親子」の誕生にも拍車をかけ、「人間関係が苦手」という若者を大量に生み出す原因にもなっています。

 

 

 

 

わたしには、そのように思えてなりません。ただ、親御さんの決断を阻む「何か」は、「核家族自立主義」だけではありません。親御さん自身の子育て上の考えかたの中にも、それは潜んでいるように思われます。

 

 

 

 

結論から言ってしまえば、過度な「子どもの自主性」尊重が親としての決断を妨げる要因になっている親御さんが少なくないのです。

 

 

 

 

わたしたちはニートやひきこもりの若者たちの再出発を支援している団体です。その活動の一つに、同世代のひきこもり自立支援センターのスタッフが、若者の家を訪問し、ゆっくりコミュニケーションをとりながら、徐々に若者を外に連れ出すというものがあります。

 

 

 

 

その内容について先日、ひきこもりの子どもを持つ親御さんの会から、質問状が来ました。

 

 

 

 

その内容は、家庭訪問の活動に際して、子どもの了承を得ているのですか、というものでした。

 

 

 

 

つまり、子どもがOKと言わなければ、その活動を行うべきではない、親もそれを依頼すべきではない、というのです。

 

 

 

 

しかし、「この期に及んで、子どもの了承がそれほど重要なのでしょうか」というのが、わたしの偽らざる気持ちです。

 

 

 

 

子どもが5年、10年ひきこもっている場合、親子の関係はすでに破綻しています。

 

 

 

 

「家庭訪問をしてくれる人、呼んでもいい?」子どもにそう聞くことすらできない親御さんが、ほとんどです。

 

 

 

 

仮に聞けたとしても、ほとんどの答えは「ノー」でしょう。ただでさえ世間が怖くて、他人が怖くてひきこもっているというのに、知らない人間が家に来るとなれば、たいていの若者は、表面上の言葉としては拒絶します。

 

 

 

 

それに加え、若者は「自立」を迫られているので、「他人に助けれられる」ことはよくないことだと思っています。

 

 

 

 

しかし、わたしたちモットーは「ノーの中のイエスを信じる」ことです。「いやだ、家を出たくない。親と離れたくない」

 

 

 

 

口ではそう言いながらも、若者は家にいることが苦しいのです。苦しいから暴力も出てしまいます。

 

 

 

 

彼らはいつも、外に出るチャンスをどこかで待っています。誰かが助けに来てくれるのを、いまかいまかと待っているのです。

 

 

 

 

これは多くの若者と接してきた経験上、実感していることです。そんな若者の気持ちを汲み取り、背中を押してあげるのが、家庭訪問のスタッフの活動なのです。

 

 

 

 

家庭内暴力が始まってしまったとき、親御さんにできることは「他人に子どもをまかせること」と「決断すること」だけです。

 

 

 

 

どこに助けを求めるにしろ、もはや「子どもの自主性尊重」にこだわる段階ではないとわたしは思います。

 

 

 

 

そうでなければ、子どもは救われません。他者にまかせる段階から「自主性を尊重」されれば、子どもはノーと言わざるを得ません。

 

 

 

 

変化を恐れる若者たちが、自ら進んで動き出すことは、実際問題としてなかなかありません。

 

 

 

 

長いひきこもりの若者には、心理学で言うところの「退行現象」「幼児返り」が見られます。

 

 

 

 

幼児返りした若者に、年相応の判断力と決断力、そして行動力を期待することはできないのです。

 

 

 

 

そういう自分ひとりでは身動きが取れなくなった若者たちには、まず他人と出会うことが必要なのです。

 

 

 

 

それによって、はじめて自主性が発揮できるのです「お節介な第三者」と一緒に家の外に出て、映画を観たり、コンサートに行くなど、さまざまな体験をすることによって、はじめて自分の好きなことや興味のあること、行きたい場所が見つかっていきます。

 

 

 

 

それを通じて、徐々に自主性を発揮できるようになっていくのです。「100%の自主性尊重」は、かえって問題解決を遅らせ、子どもの未来と自主性を失わせることになりかねない、というのがわたしの実感です。

 

 

 

 

決断できない親御さんを数多く見ていると、父親と母親では、同じ決断ができないにしても、少し事情が異なることがわかってきました。

 

 

 

 

一般的な傾向として言えるのは、父親のほうが決断が遅く、母親のほうがいざ腹を決めるとなると早い、ということです。

 

 

 

 

父親と母親の間には、どうも「温度差」があります。たとえばある20代の男性の場合も、夫婦でご相談に見えたとき、「お願いします」と最初の決断を下したのは母親でした。

 

 

 

 

父親のほうは「どうしようかな」と、まだ迷っている感じでした。先ほどの、潔癖症だった雄介さんの場合もそうでした。

 

 

 

 

ひと通り家族に説明を終えた後、「この問題を解決するには、ご両親の強い覚悟が必要です」とわたしが迫ると、父親は「ではよく考えて、また出直してきます」と席を立ちかけました。

 

 

 

 

するとその時、隣に座っていた母親が、ワッと泣き出したのです。「もうこれが、息子とって最後のチャンスかもしれないのです。なんとか息子を助けてあげたいのです。だから、どうかお願いします」

 

 

 

 

泣きながら、わたしに懇願されました。「兄を助けてあげてください」その横に座っていた雄介さんの妹も、深く頭を下げました。

 

 

 

 

父親はおどおどするばかりです。結局、ひきこもり自立支援センターに依頼するようになったのも、女性2人に従うしかない、という感じでした。

 

 

 

 

他にも同様のケースはいくつもあります。家庭内暴力に限らず、ニートやひきこもりに関しても、父親はなかなか決断できません。

 

 

 

 

父親は一般的に母親に比べて決断力がとぼしいのです。いつまでも腹がすわらない方が多いのです。

 

 

 

 

それには、母親は子どもと接する時間が長かったり、直接暴力を受けていたりする反面、父親はいまひとつ他人事、という事情もあるかもしれません。

 

 

 

 

あるいは、会社の中で失敗しないやり方を選ぶ習性が、身についているからかもしれません。

 

 

 

 

父親は、失敗することをとても恐れています。だから慎重になりすぎて、なかなか決断ができないのです。

 

 

 

 

一方の母親は、なぜ決断できないのでしょうか。それはひと言でいえば、「子離れができない」ということに尽きると思います。

 

 

 

 

「日本の母親は子どもに飛びたちなさい、自立しなさいといいながら足首をつかんで離さない」

 

 

 

 

まるで冗談のように聞こえますが、このような母親がじつに多いのです。相談に来られる多くの母親を見ていると、本当にそう思います。

 

 

 

 

「自分でやってごらん」口ではそのように言いながら、いざ子どもがアルバイトでも見つけてくると、「アルバイトでは安心できない。正社員じゃなきゃだめよ」

 

 

 

 

と言って、子どもの邪魔をしてしまいます。これはひきこもりやニートの子に対してだけではありません。

 

 

 

 

「もういい年なんだから、自立しなさい」いつまでも家にいる娘に対してそういいながらも、いざひとり暮らしをはじめようとすると、「何のために一人暮らしをする必要があるの?」

 

 

 

 

「もし危ない目にあったらどうするの?」と、文句ばかりつけて反対します。これでは子どもは身動きがとれません。

 

 

 

 

「お母さん、本当はお子さんをそばに置いておきたいだけではありませんか?」そんな母親を見ていると、本当にそういいたくなります。

 

 

 

 

結局、「飛べ、飛べ」と口では言うけれど、絶対に安心・安全な道でないと、子どもを手放そうとしないのです。

 

 

 

 

しかし、100パーセントの安心・安全などありませんから、結局子どもの足首を離したくない、子どもとずっと、つながっていたいと思っています。

 

 

 

 

子どもの側も同じです。いつまでたっても、母親から離れようとしません。「砥用親子」のところでも指摘しましたが、閉ざされた家庭という「密室」の中で、「母子カプセル」と呼ばれるような、母親と子どもの過度な密着が生まれています。

 

 

 

 

この「母子密着」が、親の決断を阻む大きな原因になっているのです。この「母子密着」は、日本全国の家庭をおおっています。

 

 

 

 

親も子離れできなければ、、子も親離れできません。ひとつ、忘れられない母と子の事例があります。

 

 

 

 

67歳の母親が、40歳の息子の家庭内暴力の件で、相談に来られたことがあります。

 

 

 

 

夫はその前年に亡くなっており、そのため、それまでは両親2人で受けていた暴力を、いまは小さな体の母親一人で受け止めているというのです。

 

 

 

 

「俺がこんなに苦しい思いをしているのに、お前はどうしてのんきにしているんだ!」

 

 

 

 

実家を離れて、一人暮らしをしている息子は、ストレスがたまると家に戻り、母親をたたきのめしました。

 

 

 

 

母親は、暴力の恐怖によって完全に息子の奴隷状態です。ちょうどひきこもり自立支援センターに相談に来られた前日も、深夜1時から明け方の5時まで、息子の電話に付き合わされたといいます。

 

 

 

 

「黙って俺の言うことをきけ!」と電話口ですごまれると、どんなに眠くても、電話を切ることができなかったようです。

 

 

 

 

この息子は大学卒業後、職を転々としましたが、最長で1年10ヶ月しか続きませんでした。

 

 

 

 

性格がまじめすぎて同僚とうまく付き合えない、営業の仕事でも気に入らないものは売れないなど、融通の利かないところが災いしたようです。

 

 

 

 

そんな息子の暴力が始まったのは、28歳のときだったといいます。

 

 

 

 

仕事のストレスをぶつけるかのように、両親に殴る蹴るを繰り返しました。とくに母親には、激しい暴力をふるいました。

 

 

 

 

「暴力をふるっていいなら、勤めを続けるよ」なんとか仕事を続けてほしいと励ます両親に向かって、彼はそういったのです。

 

 

 

 

親はもうそれ以上、働けとは言えませんでした。息子は結局、28歳で仕事を辞めてしまいました。

 

 

 

 

それからは、何の変化もないひきこもりの日々が続きました。彼が35歳のとき、父親は長く勤めた会社を定年退職しました。

 

 

 

 

「スキーが好きだから、スキー場の近くに住みたい」そんな息子の希望にこたえるために、父親は退職金を使って息子に家を建ててやりました。

 

 

 

 

そこには「これで暴力から逃れられれば」という思いもあったはずです。しかし、その思いは虚しく消え去りました。

 

 

 

 

「ひとりがさびしい」そういっては、母親を自分の家に呼びつけ、身の回りの世話をさせました。

 

 

 

 

そしてストレスが溜まると、相変わらず激しく母親を殴りつけます。時には父親も呼びつけ、そこでも暴力をふるったようです。

 

 

 

 

両親は、息子が家を離れても、息子の奴隷状態から抜け出すことができませんでした。

 

 

 

 

そのうちに、3人で息子の家に住むという生活が始まったのです。その場所で、「密室の暴力」がまた再開してしまったのです。

 

 

 

 

それから、3年が過ぎた頃、母親はとうとう息子の家から逃げ出してしまいました。

 

 

 

 

親戚や友人の家を転々とし、そこで暮らし始めたのです。それから、息子と父親だけの生活が始まりました。

 

 

 

 

暴力は当初、母親の分まで父親に激しく向かったといいます。しかし母親がいなくなると、息子は何だか、心にぽっかりと穴があいたようなさみしさを感じているようでした。

 

 

 

 

昼間から宙を見て、ボーっとしています。心の中で、いつも彼の話に付き合ってくれた優しい母親を、いまさらながらに思い出していたのでしょう。

 

 

 

 

そこで息子はどうしたか。彼は、「いつか、お母さんが帰ってくる日のために」と、庭に花を植え始めたのです。

 

 

 

 

一本一本心を込め、母親の顔を思い浮かべながら、彼は毎日、休むことなく植え続けたのです。

 

 

 

 

家を離れてから9ヶ月が経ちました。母親は、はじめて家の様子を見に、戻りました。

 

 

 

 

その母親を待っていたのは、花畑のように庭いっぱいに広がる、真っ赤なカーネーションでした。

 

 

 

 

息子は、普通は母の日に贈るカーネーションを、お母さんが帰ってくるこの日のために、庭いっぱいに植えていたのです。

 

 

 

 

それを見た母親は、さすがに感動で胸がいっぱいになりました。

 

 

 

 

「きっと、これまでのことを反省したに違いない。もう暴力はふるわないだろう」

 

 

 

 

そう思って、息子の家に戻ることに決めたのです。もしあなたがこの母親だったら、息子の待つ家に帰るでしょうか?

 

 

 

 

これを機に、息子は暴力をふるわなくなると本気で思うでしょうか。母親が家に帰れば、ふたたび「密室」での生活が始まってしまいます。

 

 

 

 

問題の根本は、なにも変わっていないのです。その結果どうなったかは、もうみなさんおわかりでしょう。

 

 

 

 

「カーネーション作戦」で母親をふたたび無事に取り戻した息子は、その翌日から母親に向かい、また激しい暴力をふるい始めました。

 

 

 

 

この母親がひきこもり自立支援センターに相談に来たのは、この「カーネーション事件」から3年が経過していた頃でした。

 

 

 

 

「息子さんのいる家を、一刻も早く出てください」再三そうお話したのですが、結局母親は、息子と離れる決断ができませんでした。

 

 

 

 

37歳の息子(それもスポーツマンのような立派な体格をしているようです)が、母親のために、もくもくと赤いカーネーションを毎日一本ずつ植えているのです。

 

 

 

 

庭を花畑のようにして、いつか帰ってきてくれるお母さんを待っています。「俺はこんなにお母さんのことを思っているんだ」という想いを、庭一面のカーネーションに託して、母親に伝えています。

 

 

 

 

わたしはこの話を聞いたとき、息子の母親に対する執着はここまで凄まじいものかと、薄ら寒い感じさえしたほどです。

 

 

 

 

この母子が忘れられないのには、もうひとつ理由がありました。じつはこの母親には、90歳の実母がまだ健在で、いまだに67歳の娘に対して、「勉強しなさい。何かしなくてはだめよ」と小言を言って、娘の人生に強く介入していたのです。

 

 

 

 

息子と離れられない母親自身もまた、「母子密着」の構造の中にいる子どもだったのです。

 

 

 

 

親子3代にわたって続いている構造です。問題の解決は、そう簡単ではありません。

 

 

 

 

さて、もうひとつ、親離れできない子どもの例をご紹介しましょう。こちらでこれまで何回かお話してきた正也さんの話です。

 

 

 

 

家庭内暴力を繰り返していた正也さんにバリカンで頭を丸坊主にされたお母さんは、ひきこもり自立支援センターに相談に来た後、病院から家に戻らず、上京されました。

 

 

 

 

「わたしはこれまで、あの子のエネルギーを無駄に使わせてしまいました。わたしにできることはもう何もないんです」

 

 

 

 

お母さんは、自殺未遂をした後、ようやく息子と離れる決意をされました。そして家を出て、わたしたちが紹介した高齢者向けのデイ・サービスで働き始めたのです。

 

 

 

 

地域のお年寄りや元ひきこもり青年たちと接する中で、お母さんは徐々に元気を取り戻していきました。

 

 

 

 

いまは、「介護福祉士の資格を取りたい」という希望も生まれ、前向きに毎日を過ごされています。

 

 

 

 

ですが正也さんのほうは、そうはいきません。お母さんをなんとか「密室」に呼び戻そうと必死です。

 

 

 

 

「お母さんお元気ですか?」正也さんは、そんな手紙を頻繁に送ってきます。「お母さんの笑顔が見たい。お母さんがいなくてさびしいです」

 

 

 

 

しかし、そうは書きつつも、家に戻れば、また暴力が再開するのは目に見えています。

 

 

 

 

だからわたしはお母さんに「もう息子さんと連絡を絶ったほうがいい」とアドバイスしました。

 

 

 

 

どうか心を鬼にして、正也さんのためにも連絡するのは我慢してください、と。お母さんも決断されました。

 

 

 

 

「もう手紙を書かないけど、元気だから、あなたもがんばりなさい」そんな手紙を書いて、正也さんに送ったのです。

 

 

 

 

「お母さん、お母さんからくる手紙が一番楽しみです」しかしそれでも、正也さんからの手紙は止まりませんでした。

 

 

 

 

「お母さん、僕の手紙が迷惑ですか?」手紙のなかで、繰り返しそう訴えてきます。

 

 

 

 

お母さんは手紙を読むたびに心を揺さぶられながらも、心を鬼にして返事をけっして出しませんでした。

 

 

 

 

すると、数ヶ月経ったある日のことです。こんな手紙が、お母さんのもとに届いたのです。

 

 

 

 

「どうしようもない苦痛です」その手紙は、こう始まっていました。「将来、髪の毛が全部なくなってしまったら、自殺します。

 

 

 

 

そのような人生を送らせた親に復讐します。父親を殺します。兄を殺します。姉を殺します。

 

 

 

 

そして、自殺します。殺します。殺します。絶対、殺してやります」「それでも帰るつもりはありません」

 

 

 

 

お母さんは、気丈な様子でそう話していましたが、心の中では相当、動揺されたと思います。

 

 

 

 

家の近くに住んでいたら、飛んで帰ってしまったのではないでしょうか。子どもに「殺します」などと書かれて普通にしていられる親など、いるはずがありません。

 

 

 

 

でも、この手紙は明らかに脅しです。ここまで書けば、お母さんが帰ってきてくれるかもしれない。

 

 

 

 

なんとかお母さんに帰ってきてほしい・・・・・そんな正也さんの母親への執着がたっぷり込められた手紙です。

 

 

 

 

しかしこれで帰ってしまったら、先ほどの「カーネーション事件」の母親と同じになってしまいます。

 

 

 

 

そうなると元の木阿弥です。親は時に、すがりついてくる子どもを、突き放す決断をしなくてはならないのです。

 

 

 

 

これまで、家庭内暴力から抜け出すためのさまざまな方策と、その実現を阻む要因について述べてきました。

 

 

 

 

しかし、これらはすべて問題が起こってからの話です。問題が生じる前に、もっと早い段階でできることはないのでしょうか。

 

 

 

 

ここでは一貫して「勝ち組教育」を批判してきましたが、そうであれば、親はそもそもどんな教育を、子どもにしてあげればいいのでしょうか。

 

 

 

 

子育てにおいて気をつけなければならないことについて、わたしの経験をもとにお話したいと思います。

 

 

 

 

これは、家庭内暴力だけでなく、ニートやひきこもり、そしてこの時代に生きるすべての子どもたちに当てはまることだと信じています。

 

 

 

 

そしてそれは、家庭内暴力に走る子どもたちを、結果的に減らすことにもつながると確信しています。

 

 

 

 

子どもをどう育てるかを考える前に、いつもわたしの頭の中に浮かんでくる言葉があります。

 

 

 

 

「子どもに育てるべきもには機械的知能、抽象的知能、社会的知能、この3つの知能である」

 

 

 

 

アメリカの心理学者であり教育学者でもある、ソーンダイクの言葉です。「機械的」という言葉と「知能」という言葉が少しわかりにくいので、わたしは次のように理解しています。

 

 

 

 

「子どもに育てるべきものは、具体的能力、抽象的能力、社会的能力、この3つの能力です」

 

 

 

 

この「3つの能力」が、多少の偏りはあれ、それぞれ備わっていれば、子どもはいつまでも親を頼らずに、自分の足で歩いていける、自立した大人に育っていけると思うのです。

 

 

 

 

具体的能力・・・・生きるために必要な「行動する力」

 

 

 

 

抽象的能力・・・・知識やルールを吸収して自分の頭で「考える力」

 

 

 

 

社会的能力・・・・社会の中で折り合いをつけながら「人と関わる力」

 

 

 

 

わたしは「3つの能力」を、このように解釈しています。ひきこもり自立支援センターに相談に来る家庭内暴力やひきこもりの若者たち、つまり「勝ち組路線」を進まされてきた若者たちを見ていると、「抽象的能力」だけが異常に育っています。

 

 

 

 

身の回りのことをする「具体的能力」や、社会の中で生きていく「社会的能力」が乏しく、頭でっかちな若者が非常に多いのです。

 

 

 

 

しかしこれは、多かれ少なかれ、いまの若者に共通する傾向ではないでしょうか。

 

 

 

 

一流大学を出て、一流企業に勤めながら、会社の人間関係に耐えられずにやめて、ひきこもりになる若者が急増していますが、それはこの「社会的能力」の欠如の問題だとわたしは思っています。

 

 

 

 

「行動する力」「考える力」「人と関わる力」これら人間として必要な「3つの能力」を意識して、子どもがそれを養えるように育ててあげなければならないのです。

 

 

 

 

1年に1度くらいは、この3つが子どものなかできちんと育っているかどうかを、点検すべきではないでしょうか。

 

 

 

 

「この力が足りない」と思えば、その力を補う「場」に子どもを放り込むのです。

 

 

 

 

時にそれが、子どもにとって苦痛を伴うものであっても、大人になるために必要ならば、ためらうことはありません。

 

 

 

 

親はあくまでも、親でなくてはいけません。「友だち親子」になったり、「勝ち組教育」に走って、親としての役割を放棄してはいけません。

 

 

 

 

親の本来の役割は、「子どもを大人に育てる」ことです。そのために「子どもの価値観を育ててあげる」ことです。

 

 

 

 

親の役目は、子どもを「勝ち組」にすることではありません。親は子どもに、自分自身で道を見つけ、それを歩む力をつけてあげなければならないはずです。

 

 

 

 

それこそが親として、子どもにしてあげるべき大切な役目なのではないでしょうか。

 

 

 

 

そのためには、とにもかくにも、子どもに「多様な体験」をさせることです。「ぜいたくな体験はさせないけれども、体験のぜいたくはさせてやる」

 

 

 

 

これは、わたしが自分の一人娘に常々言ってきた言葉です。これが我が家の子育ての基本方針でもありました。

 

 

 

 

学校もたくさん経験するほうがいいと思って、小学校は、街の中や田舎にある学校など、3つの小学校に通わせました。

 

 

 

 

東京の都心の私立中学に通っているときには、1年間休学させて、四国の妻の実家から、田舎の小さな公立中学校へも通わせました。

 

 

 

 

娘のその時々の状況に応じた「いい学校」を見つけて、いろんな学校を使い分けたのです。

 

 

 

 

世間では、「転校は子どもにとってよくないことだ」といまだに信じられています。

 

 

 

 

たしかに勉強の進度も変わりますし、友だちも作り直さなければなりません。それを子どもによくないことだとする見方もあります。

 

 

 

 

しかしわたしは、いろいろな環境で学んだり、友だち作りに何度もチャレンジできたりと、けっしてマイナスな体験ではないと思っています。

 

 

 

 

子どもの頃からそうした体験をしていれば、どんな環境にも対応できる人間に育つはずです。

 

 

 

 

少々のことではへこたれない、柔軟性のある人間性を身につけられるはずです。

 

 

 

 

現に、親元を離れて農業を営む祖父母に面倒を見てもらったことは、親とは違った価値観に触れる機会となり、娘にとって大きな収穫だったようです。

 

 

 

 

親を相対化して見る、いいきっかけになったことは確かです。小学校では、一時「転入生いじめ」にもあったようですが、それも「クラスの中の力関係」や「クラスの中の強者」を考えるきっかけになったといいます。

 

 

 

 

地方と都会の両方の学校で、いろいろな友だちや家庭の状況を見られてよかった、と娘は言っています。

 

 

 

 

田舎の中学校から1年経って帰ってきたときには、自然のあふれる環境の中で過ごしたおかげで、たくましい子どもになって帰ってきました。

 

 

 

 

「あれはおいしい体験だった」

 

 

 

 

大人になった娘からそういわれたときには、わが意を得たりと大満足でした。もし最初に入った都会の私立中学でずっと育っていたら、娘は「都会が一番いい」「一流の私立中学が普通の世界」と思うような大人になっていたかもしれません。

 

 

 

 

土も触れず、農作業を軽蔑するような、偏った人間に育つ可能性は充分ありました。

 

 

 

 

子どもというのは、小さいうちに、自然とのふれあいも含めて、いろんな体験をすることが本当に大切だと思います。

 

 

 

 

いろんな場所に行ってみる、いろんなことにチャレンジしてみる、いろんな人とふれあってみる・・・・・そんな体験を通して、子どもはさまざまなものを吸収していきます。

 

 

 

 

いろんな体験が、子どもの成長の糧になるのです。しかし最近の若いお母さんたちを見ていると、子どものことを心配するあまり「あれをするな、これをするな」ばかりいっています。

 

 

 

 

子どもが何かをしようとすると、「危ないからだめよ」とすぐにブレーキをかけてしまいます。

 

 

 

 

わたしは、子どものうちに、たくさん失敗を体験すべきだと思っています。大人が危険をすべて取り除いてはいけません。

 

 

 

 

とにかく自分の力でやらせて、自分の手で何かをつかみ取る、その経験が、子どもをひとまわり大きく成長させるのです。

 

 

 

 

そしてその過程には、間違いなく幾多の失敗経験があるはずです。失敗に失敗を重ねながら悔しい思いをして、ついに何かを成し遂げた時の幼い日の喜びを、誰もが記憶のどこかに持っているのではないでしょうか。

 

 

 

 

たとえば、自転車にはじめて乗ったときのことを思い出してみてください。わたしのころは何度も何度も転んで、ひざやすねに傷をつくりながら、ようやく乗れるようになったものです。

 

 

 

 

あの頃の大人は、ただ最初のときにだけ、自転車の後ろをつかんで倒れないようにしてくれていただけでした(当時はまだ、子ども大人用の自転車でした)。

 

 

 

 

自転車を漕ぎ出した後は、自分でコツをつかむしかありませんでした。転んでべそをかいても、誰も手を貸してくれません。

 

 

 

 

大人たちは転びながら、泣きながら挑戦するわたしを、そっと見守っているだけでした。

 

 

 

 

ところが、いまはどうでしょう。先日、公園で若い母親たちが子どもに自転車の乗り方を教えている光景を見ていて、唖然としてしまいました。

 

 

 

 

子どもが転ばないように、転ばないように、親がしっかり自転車を両手で支えてあげているのです。

 

 

 

 

「ほら、こうやって乗るのよ」子どもが自分でコツをつかむ前に、親が手取り足取り、バランスの取り方を教えています。

 

 

 

 

たしかにそれなら転んで、怪我をする心配はないでしょうが、何か釈然としないものがわたしの胸に残りました。

 

 

 

 

「自転車乗りは転んで覚えるものです。親がいちいち構うものでしょうか」思わず、そう口を挟みそうになりました。

 

 

 

 

「大切なのは、自転車に乗れるようになることではなく、乗れるようになるまでの過程・プロセスなのではないでしょうか」

 

 

 

 

わたしが「失敗体験が大切」と言うのは、失敗そのものよりも、それを克服する体験が大切だとおもっているからです。

 

 

 

 

「これがうまくいかなかったら、ああやってみよう」

 

 

 

 

「それでもだめなら、次はこうやってみよう」

 

 

 

 

そうやって失敗と挑戦を繰り返す中で、子どもはたくましさと同時に、物事に対する柔軟性を身につけていきます。

 

 

 

 

失敗体験は、柔軟性のある価値観を育んでくれるのです。逆に失敗体験がなく、失敗を克服したことのない子どもは、たとえ勉強やスポーツで優れた面を持っていたとしても、内面は非常にひ弱です。

 

 

 

 

一度つまずくと、容易に立ち直れません。非常に失敗を恐れ、少しでもうまくいかない可能性があると、やろうとしないのです。

 

 

 

 

しかしそれは、子どもの責任とは言えないでしょう。親が、目の前に転がっている石をすべて取り除いてしまった結果、子どもはつまずくきっかけをも失ってしまっただけなのですから。

 

 

 

 

子どもの目の前の「石」は、その子に与えられた成長のきっかけ・チャンスです。親が取り払ってはいけないものです。

 

 

 

 

わたしがいつも目の前にしているのは、かつて親に「石」を取り払われた結果、「生きる力」を失って途方にくれている若者たちです。

 

 

 

 

彼らの再出発に向けてがんばっているときに、公園で先ほどのような母親たちに出会うと、本当に暗澹たる気持ちになってしまいます。

 

 

 

 

また10年後、20年後にも、ひきこもりやニート、家庭内暴力で苦しむ若者たちが、誕生してしまうのでしょうか。

 

 

 

 

お父さん、お母さん、どうかお子さんが小さいうちに、たくさん失敗をさせてください。

 

 

 

 

安易に手を指しのべたりせずに、ひとりで立ち上がるのをじっと見守ってあげてください。

 

 

 

 

それこそが、本来の親の姿だと思います。もちろん、親御さんが子どものことを心配する気持ちはよくわかります。

 

 

 

 

長い間、ひきこもっているお子さんであれば、その気持ちはなおさらだと思います。

 

 

 

 

しかしだからといって、親がなんでもかんでも子どものすることに口を出し、子どもを抱え込んでしまったら、その子はどうなってしまうでしょうか。

 

 

 

 

たしかに、一歩家の外に出れば、不審者がいるかもしれません。交通事故にだってあうかもしれません。

 

 

 

 

子どもに一人暮らしをさせれば、危ない目にあうかもしれません。間違いなく今の社会は危険(リスク)に満ち溢れています。

 

 

 

 

それでも子どもを「囲い」から出して、自分の足で歩かせなければ、どうやって子どもは生きていく力を養えばいいのでしょうか。

 

 

 

 

さまざまなリスクを自分の力で乗り越えていかなければ、子どもは大きく育っていけません。

 

 

 

 

ひとつずつハードルを越えていかなければ、何かを成し遂げたという自信が、子どもの中でいつまでたっても芽生えません。

 

 

 

 

本当に、自分の子どもをしっかりした大人に育てたいのなら、時には親は涙をこらえて、リスク冒さなければならないのです。

 

 

 

 

「子育ては大胆に」わたしはそう訴えたいと思います。それに関して、忘れられない話があります。

 

 

 

 

わたしの知り合いの女性には、養子を含めて7人の子どもがいました。彼女は子どもが小学校に上がる年齢になると、ひとりずつ、日本の友人の家に1年間、次はアメリカ、その次はインドといった具合に、子どもを預けるということをしていました。

 

 

 

 

そうやって、こどもを親から離れた文化も違うところで、親とは違う大人たちに育ててもらうことが、子どもたちにとって後にかけがえのない財産になる信じていたからです。

 

 

 

 

ある年、彼女が日本に1年間長男を預けにきて、帰国するときのことです。「お母さん、お母さん」

 

 

 

 

場所は広島空港です。まだ10歳の長男は、泣きながらそうやって母親を呼び続けていたといいます。

 

 

 

 

しかし彼女は、そんな長男の声にはまったく振り向かず、すたすたと飛行機の中に入ってしまいました。

 

 

 

 

そして、そのままイタリアに帰ってしまいました。泣いて引きとめようとする子どもの姿を、一度たりとも振り返って見ようとはしなかったのです。

 

 

 

 

しかし、後で話を聞くと、「わたしはずっと機内で泣いていた」と彼女は言うのです。

 

 

 

 

「子どもと離れるのが悲しくない母親がどこにいるのですか」と言いました。「かわいい子には旅をさせろ」

 

 

 

 

日本にも、こんなことわざがあったはずです。いつ頃から、この言葉が日本の子育てから消えてしまったのでしょうか。

 

 

 

 

「子どもは、3歳までは、家の王様

 

 

 

 

7歳から12歳までは、家の奴隷

 

 

 

 

15歳を過ぎたら、家族の友だち」

 

 

 

 

インドのことわざに、このようなものがあるといいます。これを聞いたとき、わたしはうなってしまいました。

 

 

 

 

わたしは幼稚園から大学まで、一通りの教育に関わってきましたが、それぞれの子どもの発達段階に応じて、子どもを大人に育てる一つひとつの過程で大切なことを見事に言い当てていると思ったからです。

 

 

 

 

しかし、これはあくまでもインドのことわざです。日本の社会とは、少しずれがあります。

 

 

 

 

わたしが日本風にアレンジすると、こんな感じでしょうか。

 

 

 

 

「子どもは3歳までは、王様で育てる

 

 

 

 

7歳から12歳までは、召使で育てる

 

 

 

 

15歳を過ぎたら、自主性に任せる」

 

 

 

 

ここに、子育ての要があるのではないかとわたしは思っています。つまり子育てには、いつ何時も正しいマニュアルがあるわけではなく、子どもの年齢や発達段階に応じて、それにふさわしい育て方をしなければならない、と思うのです。

 

 

 

 

3歳までは、子どもを「王様」のように育ててあげればいいと思います。3歳までは、全抱擁の姿勢で、子どものすべてを受け止めてあげるのです。

 

 

 

 

これは後々、子どもの自己肯定感につながる大切なことです。「生きることは、それだけで楽しいことだ」という感覚を、ぜひとも子どもの中に育ててあげてほしいと思います。

 

 

 

 

4歳から6歳は、「王様」から「召使い」への移行期間です。それまでは「王様」のように持ち上げて育てましたが、子どもが4歳になったら、徐々に子どもの自由を奪い、親の言うことに従うように仕向けていきます。

 

 

 

 

もちろん、その前提としてあるのは「親の愛」です。その子が3歳まで充分に愛された「王様」でないのに、「召使い」にしてしまうと、子どもの心はゆがんでしまいます。

 

 

 

 

あくまで、「今は子どもを召使いにしなければならない年齢なんだ」ということを認識しつつ、深い愛情でその厳しさを支えてあげるのです。

 

 

 

 

親の愛情が深ければ深いほど、子どもは「召使い」としての厳しさに向かっていけます。

 

 

 

 

そうして7歳になったら、それから12歳までの間は、今度は親の「召使い」として有無を言わさず、いろんなことに従わせます。

 

 

 

 

「召使い」というのは、勉強のほか、生活、しつけなど、いろいろなものを含みます。

 

 

 

 

それを通して、忍耐力をつけること、自分の欲求を我慢して感情をコントロールすることを学ぶことが、この「召使い」の期間の大切なポイントです。

 

 

 

 

別に「勝ち組教育」を奨励しているわけではありませんが、この時期は基礎的な知識や習慣を詰め込むことも必要だと思います。

 

 

 

 

この時期は勉強にしても、いちばん素直にトレーニングを吸収する年代です。わたしの塾の教え子で、いま大学教授をしているような人は、10歳から12歳までにした勉強がいちばん頭に入ったと言っています。

 

 

 

 

この「召使い」の期間には、「子どもの自主性」などと言わずに、なるべくいろいろなトレーニングをしてあげるほうが、長期的に見れば、本人の人生にとって、ためになるはずです。

 

 

 

 

勉強だけに限らず、国内外のいろんな場所に連れて行ったり、いろんな体験をさせてあげるのもいいでしょう。

 

 

 

 

そうして、15歳を超えたら、もう子どもの「自主性にまかせる」しかありません。

 

 

 

 

わが子が「王様」のように子どもに仕えるのも、「召使い」のように子どもの人生を支配するのも、15歳を過ぎたら親はもうやめましょう。

 

 

 

 

なるべく早く親元から離れさせ、子どもも親も、子離れ・親離れしましょう、というわけです。

 

 

 

 

しかし、今の日本では、事情がまったく異なってきます。ほとんどの子どもが、「友だち親子」のまま、小さい頃から青年期まで、子育ての方針にメリハリもなく、ずるずると育てられてしまいます。

 

 

 

 

「召使い」の時期には、その経験をしていません。つまり、忍耐を教わるべき時期に、親がきちんと教えこんでいないのです。

 

 

 

 

「親がうるさく勉強しろと言った」ある時期、中学生が親を包丁で刺す事件が相次いで起こり、そこで子どもたちから共通して出てきたのは、この言葉でした。

 

 

 

 

もちろん、その背景にはさまざまな原因があったと思いますが、もし彼らが12歳までにきちんと「召使い」のトレーニングを受けていたら、こんな事件は起こらなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

それほどこの時期に「召使い」であることは、その後の子どもの成長にとって重要なことです。

 

 

 

 

そして、15歳という「自主性にまかせる」べき時期になると、今度は日本では高校入試、ついで大学入試があります。

 

 

 

 

それまで「召使い」を経験せずに育った子どもが、ここではじめて「召使い」を経験することになるのです。

 

 

 

 

ずっと「自主性尊重」で育ってきた子どもは、高校入試、大学入試のあたりで、とたんに自主性を損なわれてしまいます。

 

 

 

 

偏差値や内申書によって志望の高校も制限され、親も突然「勉強しろ」と口うるさくなります。

 

 

 

 

そして、学校選びにも介入してきます。これでは、子どもが戸惑うのも無理はありません。

 

 

 

 

この「王様」「召使い」「自主性にまかせる」というのは、子どもの価値観を育て上げるうえでもとても大切なことです。

 

 

 

 

繰り返しになりますが、子どもの価値観を育て上げるのは親の大切な役目のひとつです。

 

 

 

 

そのためには、まずは子どもに親の価値観を押し付ける段階が必要になります。まず親の価値観を自分の中に取り込んでからでないと、子どもは自分自身の価値観を作っていくことができないからです。

 

 

 

 

そうやって、子どもに親の価値観を押し付けるのが、ここでいう「召使い」の時期です。

 

 

 

 

善悪の判断やものの見方などすべてにおいて、親は子どもにきちんと指針を示し、自分の考えを伝え、子どものなかに親の価値観を埋め込んでいくのです。

 

 

 

 

子どもはまず、親の胸を借りるように、親の価値観を自分のものにします。そうすれば、その後子どもたちはそれを、外の世界で友人やまわりの大人たちの価値観と比較し、点検することができます。

 

 

 

 

そうすると、当然「これはおかしい」と感じることもいろいろ出てきます。いろいろな人の価値観を取り入れることで、自分にとって絶対的だった親の価値観を、徐々に相対化していくのです。

 

 

 

 

おかしなところは修正し、今度は自分なりの価値観をつくっていくのです。これをするのが、「自主性にまかせる」時期です。

 

 

 

 

親の役割は、子どもを「友だち」にすることではなく、年齢に応じて「王様」にしたり「召使い」にしたりしながら、やがて社会の中で生きていける「大人」として一人立ちできるように育てることです。

 

 

 

 

その大きな一つとして、親は子どもの価値観を育ててあげなければいけないのです。

 

 

 

 

そうすれば、やがて子どもは親と対等に付き合える大人になります。その時がきたら、親と子は、自然と友だちになれるのです。

 

 

 

 

にもかかわらず、親御さんはそうやって年齢に応じて育て分けることなく、ずるずると、意識的にか無意識にか、子どもを「友だち」にしてしまいます。

 

 

 

 

しかし、そもそも「友だち」は、子どもが自分でつくってなるものです。親とは別物です。

 

 

 

 

あくまで親は親でなければいけません。親が「友だち」になってしまったら、誰が親になればいいのでしょうか。

 

 

 

 

親としての指針を示し、子どもをときに「王様」、ときに「召使い」として扱いながら、子どもの中にある自主性と価値観を育ててあげるのです。

 

 

 

 

そうやって、子どもを大人に育てることこそが、親の役割であるはずです。そのとき親は、「壁」になってあげなければなりません。

 

 

 

 

「壁」になるとは、どういうことでしょうか。それは、親が「ここから先は、親子といえども、お前の問題だ」と、家庭の中に線を引くということです。

 

 

 

 

「この家庭では、これ以上助けることはしない。お前の力で人生を切り開け、問題解決にあたれ」ということを、きちんと子どもに示すことです。

 

 

 

 

「20歳の誕生日を過ぎたら、経済的な援助はもうしない」「今度、母親を殴ったら、家を出て行ってひとりで生活してもらう」

 

 

 

 

そうやって子どもの前に立ちはだかる「壁」になり、子どもが自分自身の力で次のステップにあがるための厳しい状況をつくってあげることです。

 

 

 

 

「壁」があるからこそ、子どもは自我が芽生える頃には、その前で立ち止まって自分と向き合い、悩み、もがき苦しむのです。

 

 

 

 

親とは別個の「自分なりの自分」を捜し求める旅に出られるのです。そのために、「壁」を乗り越え、大人になろうとするのです。

 

 

 

 

その時、現実問題としては、「壁」になるのは母親よりも父親のほうが適任ではないか、とわたしは思っています。

 

 

 

 

日本の母親は、多くの場合、子どものすべてを受け止めてあげる「全抱擁」の存在です。

 

 

 

 

だから厳しく「壁」になって子どもの前に立ちはだかり、指針を示すことで「上」から抑圧し、反抗期をつくってあげるのは、父親の役目ではないでしょうか。

 

 

 

 

だからお父さん、がんばってください。子どもをかわいいと思うなら、子どもと「友だち」になってはいけません。

 

 

 

 

子育てに関わらないことも、そこから逃げ出すことも、もちろんいけません。そうではなく、子どもの前に厳しく立ちはだかる「壁」となって、子どもに指針を与えてあげてください。

 

 

 

 

「勝ち組」などという借り物の価値観ではなく、あなたなりの価値観を、ためらうことなく子どもに押し付けてください。

 

 

 

 

そして子どもたちに、充分な反抗期を与えてあげてください。わたしの知人の女性はこんなことを言っていました。

 

 

 

 

「子どもを育てるには、2人の親だけでは足りない」この言葉をはじめて聞いたとき、なるほどと思ったものです。

 

 

 

 

かつての大家族時代には、親以外の大人が子どものまわりにあふれていました。そんな大人たちと子どもが触れ合うことで、子どもは常に、親以外の大人の価値観にも接することができました。

 

 

 

 

そんな時代なら、仮に、自分の親が「勝ち組教育」を強いてきても、「勉強ばかりで子どもが育つわけがない」と批判してくれるおじさんがいたかもしれません。

 

 

 

 

あるいは、「今日はだめでも、くよくよしたらいけないよ。明日は明日の風が吹くから」と、声をかけてくれるおばさんも、いたかもしれません。

 

 

 

 

子どもたちはそんな大人と接することで、親の価値観が絶対的なものではないことを知ります。

 

 

 

 

世間にはいろんな価値観があることを知り、それを通して自分なりの物の見方や価値観をつくっていくことができたのです。

 

 

 

 

そうなれば、自分の親がどんなに「勝ち組路線」を迫ってきても、「うちの親は間違っている」とひきずることなく、「別の道」を自分で探すことができたはずです。

 

 

 

 

しかし残念ながら、そんな大家族時代に戻ることは、もうできません。いまの核家族時代に、そんな大家族のいい要素を取り組むにはどうしたらいいのだろう、それを考えたときに思いついたのが、「家族をひらく」ということでした。

 

 

 

 

「家族をひらく」ことで、家庭を「密室」にせず、家族以外の第三者と日々触れられるようにするのです。

 

 

 

 

それによって、子どもはいろいろな人間や多様な価値観に触れることができます。子どもが親を、親が子どもをそれぞれ相対化して見られるような機会を持つことができます。

 

 

 

 

「子どもを育てるのに、2人の親だけでは足りない」だから、お母さん。子育てがうまくいかないからといって、自分だけを責めたり、いたずらに悩む必要はありません。

 

 

 

 

うまくいかなくて、ある意味当然なのです。ならば開き直って、たくさんの大人を子育てに巻き込みましょう。

 

 

 

 

友だちや親戚に子どもを預けたり、預かったりするのも、ひとつの手です。そうやって「家族をひらく」ことしか、子どもを育てる道はないと思います。

 

 

 

 

親と子だけが向き合う閉じた家族には、そこで生じるどんな問題も解決できる術はありません。

 

 

 

 

家族が煮詰まってガス欠状態に陥る前に、いつも新しい風を家族に入れて、風通しをよくしてほしいと思います。

 

 

 

 

 

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